嫌われ女騎士は塩対応だった堅物騎士様と蜜愛中! 愚者の花道

Canaan

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番外編

ラブシック・リターンズ! 2

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「手伝おうか」
 その声にヘザーは顔を上げた。
 見たことはある、が、名前までは知らない男の人が立っていた。王城内を巡回したり見張りに立ったりしている騎士だったと思う。
 一人でできる作業はだいたい終わったが、大きな杭を打ち込むのはヘザー一人では無理で、後回しにしてあった。誰か杭を押さえてくれる人がいないと。
「え? あ、ああー……えーと」
「あ、ごめん、俺、モーリスって言うんだ。君はヘザー、だよね?」
「ええ。じゃあ、お願いしちゃおうかな……でも貴方、仕事はいいの?」
「うん。午後は休みなんだ。君が一人で力仕事してるの見かけたから」
「そう? じゃあこの杭を押さえておいてもらえる?」
「え? 君が木槌を振るうの? 大変だって。それは俺がやるよ」
 思い切り身体を動かしたい気分だったのだが……そういえば、手が痛い。これ以上大木槌を振り上げたら、マメが潰れてしまうかもしれない。
 ヘザーが杭を押さえる役をやって、モーリスに木槌を渡す。

「君ってさ、司令部にいるんだよね……あの教官と一緒に仕事って、大変じゃない?」
 木槌を振るう合間に、モーリスが話しかけてくる。彼の言う「あの教官」とはもちろんヒューイのことなのだろう。
「まあ、確かに怒りっぽいし厳しいけどね。意外と面倒見はいいのよ」
「へえ……あの人って、笑ったりすんの?」
 ヒューイが大笑いしているところは見たことがない。皮肉げに笑うところならば何度か見た。あとは、「あれ? 今、微笑んだ?」とうっすら思えるくらいには唇の端を持ち上げることもある。確かに彼は表情に乏しい方だろう。
 ……でも、私はもっとすんごいヒューイを見たことあるもんね!
「なんか、いっつもしかめっ面してるイメージだけどなあ」
 ふふふふ。言ってろ言ってろ。彼は、ほんとは色っぽくて素敵なんだから!
 自分だけが知るヒューイを自慢したくてたまらないが、実際やる訳にはいかない。それに彼が素敵だってばれたら、野郎どもにお尻が狙われてしまうかもしれない。ヘザーは心の中で優越感に浸るだけで我慢した。



 ヒューイがヘザーの居室へやって来たのはその日の夜のことだ。
 ヘザーは自分から彼を呼んだことはなかったし──汚いから──、ヒューイも余程の用事がなければ足を踏み入れようとはしなかった──汚いから──。それに普段のヒューイであれば、とっくに帰宅している時間ではないだろうか。
 だから驚いて、何か緊急の用事でもあるのかと思った。
「……入ってもいいか」
 ヒューイの機嫌は悪そうだ。
 掃除はまだまだ途中である。しかも掃除の前段階として一度全てをひっくり返したから、かなりひどい状態だ。
「いいけど……汚いわよ」
「そんなことは承知している」
 ヒューイはそう答えたものの、中を見て僅かに目を見開いた。部屋の惨状は彼が覚悟していた以上だったようだ。
「ヘザー君。手を見せてみたまえ」
「え?」
 戸惑っているうちに手を取られた。ヒューイはヘザーの手のひらに出来たマメを観察している。
「痛むのではないか」
「う、ううん。平気」
 木槌を振り回したことで出来たマメもそうだが、ヘザーの手はお世辞にも綺麗とは言えない。がさがさしているし、剣だこだってある。
 それにお上品なヒューイが、この汚い部屋に立っている風景にも居た堪れなくなってきた。彼からぱっと離れ、せめて少しだけでも片付けようと落ちていた本や服を拾う。
「先ほど稽古場を見てきた。殆どの杭は打ち終わっていたようだが……」
「ええ。手伝ってくれた人がいたの」
「モーリス・フレミングだな」
「えっ」
 なぜヒューイがそれを知っているのだろう。しかもヘザーは、モーリスの姓までは聞いていなかった。
 不思議に思うと同時に、後ろからヒューイの腕が伸びてきて、ヘザーのお腹に巻きついた。そのまま引き寄せられて、ヒューイの顔がヘザーの首筋に埋まる。
「え、……え?」
 なんだこれは。なんだなんだこれは。
「ヘザー」
 思わぬ出来事にあたふたしていると、耳元で名前を囁かれる。ヒューイの声は掠れていて……ヘザーのお尻に、熱くて硬いものが押し付けられた。
 ヒューイは欲情している。
 これは今、ヘザーを抱きたいという事でよいのだろうか。振り返って、彼を抱きしめ返せばイチャイチャできると。
 ヤダどうしよう嬉しい。……けど、なんで?
 振り返りたくて、彼に抱きつきたくてぶるっと震えたが、なんとか耐えた。だいたい足の踏み場は殆どない。一時的に避難させてある荷物で寝台の上は埋まっている。どこでいちゃつくというのだ。
 それに、ヒューイが言ったんじゃないか。
 やりたいからといって本能のままにすることではないのだと。
 イチャイチャするための「それなりの流れ」ってやつもどこに行った。
 こっちは部屋の片づけが終わるまで、いちゃつき要求はしないようにと決めてたのに!
 嬉しい反面、ちょっとばかり腹も立ってくる。

「あの……片付け、終わってないから……」
「え? あ、ああ。悪い」
 声を絞り出すと、ヒューイはヘザーを抱く腕を解いた。
「悪い」
 もう一度言って、彼は立ち去った。

 一人になったヘザーは心臓を押さえる。まだドキドキしている。たぶん、ヒューイにもこの音は聞こえてしまっていただろうけど。でも。
 私はやりたいときにいつでもやらせる安い女じゃないんだから! ヒューイだってたまにはお預け食らってみればいいんだ!
 心の中で叫んで、ふんと鼻を鳴らす。
「ああー……」
 掃除を再開し、ため息とともに呟いた。
「イチャイチャしたかったなあ……」



 肉体労働の後に部屋の掃除をしたものだから、かなりの体力を消耗した。翌日のヘザーは疲れていて、仕事が終わると早めに床に就いた。
 絶対に必要なものだけ退けておく作業は終わった。あとは、要らないもの──というか、部屋の中の荷物は殆どが要らないものだった──をどうやって処分するかだ。
 敷地内にはごみを燃やすための焼却炉があるが、部屋の中の要らない荷物をすべて運ぶとなると結構な重労働だ。それに焼却炉は使用できる時間が決まっていたような気がする。個人で大量にごみを燃やすとなると、届け出が必要だった気もした。
「うう……」
 諸々の手続きを考えてうんざりしながら、ヘザーは稽古場の雑草を抜いていた。
 ところで部屋が綺麗になったらヒューイに報告するべきなのだろうか。指を突き付けられて「片付けろ」と怒鳴られまでしたのだから、教えた方がいいだろう。そして……
 ──なんて綺麗な部屋なんだ! 僕のためにここまでしてくれたのかい!
 ごほうびセックス。
「……。」
 いや、ヒューイが部屋が綺麗になったぐらいで感激するとは思えない。「綺麗にしておくのが当たり前だ」と言われて終わりな気がする。
 それに。そう。自分はそんな簡単な女ではない! はずだ。
 あと、掃除よりも綺麗な状態を保つ方が大変だったりするんだよなあ。

 その時ふと、自分の近くに誰かが立って影がかかる。ヒューイだと思って顔を上げると、違った。モーリス・フレミングだ。
「手伝おうか」
 彼は前と同じことを言った。
「ううん、もう終わるところだから大丈夫」
「じゃあ、片付け手伝うよ」
 ヘザーが何かを言うより早く、モーリスはバケツの中に園芸フォークやハンドスコップを入れて歩き始める。
 一人でできるんだけど……仕事が終わったら早く部屋に戻って掃除をしたいから、まあ、いいか。そう思いながら二人で道具を戻しに納屋へ向かう。
 そして元あった場所に園芸用具を片付けていると、モーリスが言った。
「あのさ、ヘザー。この後、飯でも食いに行かない? 城下に……」
「ううん、この後も忙しいから!」
 兵舎の食堂で手早く食事をとって、さっさと自室に戻るつもりだ。ヒューイに報告するしないで迷うよりも、まずは部屋を綺麗にしないと。それが一番先だ。
「え、あ……そう」
「手伝ってくれてありがと。じゃ! ……あ。そうだ」
 モーリスに礼を言って納屋を出ようとしたところで、思い出した。この前、二人で杭を打った時に彼は自分の出身や家族について語ってくれた。モーリスの姉は嫁いでいるが王都に住んでいて、時折教会のボランティアに参加していると言っていたのだ。


*


「おっ。モーリスのやつ、懲りないな」
 渡り廊下の窓から稽古場を覗き込んでいる騎士がひやかすように言った。
 見てみると、草むしりをするヘザーの元に、モーリス・フレミングが向かっているところだった。
「あいつ今日、食事に誘ってみるって宣言してたぜ」
「マジで?」
 それは聞き捨てならない。ヒューイは下世話な会話を続ける騎士たちの背中を睨みつけたが、彼らは稽古場の方に注目している。
「おお、何か持ってやったぜ。あいつ紳士じゃん」
「そりゃ下心あるからだろー。俺は断られると思うけどな~」
「じゃ、賭けるか?」
 ヒューイは賭け事が好きではないが、カードや剣術の勝敗を当てるのならばまだ健全と言える気がした。他人の言動……しかもヘザーがどう出るかを賭けるなど不道徳極まりない。
 自分が机の引き出しに鍵をかけて大切にしまっていたものを、勝手に持ち出されて手垢をつけられているような気持ちになった。
「お前たち……! 王城内での低俗な会話は控えろと言っている!」
 後ろから怒鳴りつけられた騎士たちは、「うわ、やべえ」と口にして、慌ててその場を去った。

 再びヒューイが稽古場を見下ろすと、ヘザーとモーリスの二人が納屋から出てきて、そのまま一緒にどこかへ向かうところだった。
 まさか、食事に行ったりしないだろうな……。
 内臓をぎゅっと掴まれたような感覚に陥った。ヘザーへの好意を認めようとしなかった時のものよりも苦しくて激しい。
 彼女と出会ってから、自分はこれほど我慢の利かない男だっただろうかと不思議に思うことが増えた。
 ふいにヘザーの居室を訪ねたのだってそうだ。他の男が彼女のことで騒いでいるのを知って、どうしても確かめたくなった。彼女は自分のものだと。状況が許せば、ヒューイは最後までするつもりでもあった。もっとも二人で倒れ込む場所などなかった訳だが。
 彼女に、まずは部屋を片付けろと言ったのは自分である。
 ヘザーの反応は当然のことで、ヒューイも我に返った。今の自分はまるでマーキングでもする動物のようであったと。

 あのように振舞うべきではなかったと己を省みたのも束の間のことで、ヒューイは目撃してしまった。
 ヘザーとモーリスが木箱を抱えて兵舎から出てくるところを。
 ヒューイは思わず物陰に隠れて、二人の様子を窺った。
 彼らは兵舎の外に停めてあった馬車の荷台に木箱を乗せた。それからもう一度建物の中に入っていく。しばらくすると、また木箱を抱えた二人がやって来て、それを馬車に積み込んだ。
 二人とも制服のままで、とても食事に行くようには見えなかったが……だが、彼らが乗り込むと、馬車は動き出し、やがて見えなくなった。
 今のはなんだったのだ。そして二人はどこへ行ったのだろう。
 ヘザーが他の男と連れ立って、ヒューイの知らないところへ向かう。その光景は思っていた以上の衝撃であった。
 馬車が走り出す前にヘザーに詰め寄って、どこへ行くつもりか、何をするつもりなのか訊ねればよかった。食事へ出かけた風には見えない。けれど出かける場所など、食事以外にもたくさんあるではないか。まさか帰ってこないということは……ないだろうな。ヘザーはすぐに帰ってくるはずだ。そう思いたい。
 腕を組んでうろうろしていると、兵舎に出入りする者たちが怪訝そうに自分を見つめていた。そこでいったん自室へ引っ込んだが、いつヘザーが戻って来るのか気になって仕方がない。

 苛々しながら彼女の居室へ向かうと、扉が少しだけ開いていた。中を覗き込んだヒューイであったが、目にしたものに呆然とする。
 ヘザーの部屋が綺麗になっていたのだ。あれほどあった、荷物なのかガラクタなのかよく分からないものがすべて消えている。
 一瞬、部屋を間違えたのかと思った。一度廊下に出て部屋番号のプレートを確認する。確かにヘザーの部屋だった。
 それからワードローブの中を見た。衣服が何着か吊るされていたので、もぬけの殻になった訳ではないと知って、少しだけ安心した。
 普段のヒューイであれば、必要に迫られなければこんなこと──女性の所持品を漁るなど──は絶対にしない。そして今は確認が必要であった。
 引き出しの中にはやたらと豪華な箱があり、中には王女からもらったというリボンが収まっていた。それを見てさらに安心する。これはヘザーが大切にしているものだ。これを置いて彼女がどこかへ行ってしまう訳がないと。
 それから。それから……。
 ヒューイは周囲を見渡した。何か他にもヘザーの痕跡を見つけて、もっと安心したかったのだ。そしてぞんざいにひっくり返った室内履きを発見した。今のこの部屋において、もっともヘザーらしいものだと言えた。
 夕闇が迫った部屋の中、一人立ち尽くして室内履きを見下ろしていると、ドアの蝶番が微かに軋む音がした。
「え? あれ?」
 聞きなれた声に振り返れば、戸口のところにヘザーが立っている。部屋の中にヒューイがいたものだから、驚いているのだろう。
「ど、どうしたの? 何かあった?」
 ヘザーは純粋に驚いている。彼女の様子からは後ろめたさや躊躇いといったものは読み取れず、ヒューイはそのことに安堵し、また、苛立った。
「き、君は……あの男……モーリス・フレミングとどこへ行っていたんだ!」
「え。ど、どこって……中央地区の、教会」
「教会?」
「今度、バザーをやるんだって。モーリスのお姉さんが教会でボランティアしてるって言ってたから……それで、要らないもの引き取ってもらおうと思って」
 ヒューイは綺麗になった部屋を振り返った。木箱に詰めて運んでいたものは、衣類や本、雑貨の類だったのだろう。確かに二人が馬車で出て行った時間を考えれば、中央地区の教会まで行ってちょうど今戻ってきた、というところだ。
「あ、あの男と食事に行ったのではなかったのか……」
「え? ああー、なんかそういう事言われた気がするけど、私、早く部屋を綺麗にしなくちゃって思ってて」
 断っちゃった。あっけらかんという彼女は、モーリスの下心にも気づいていないのだろう。疑って悪いことをした、申し訳なく思うと同時に、ヘザーはもっと警戒心を培うべきだとも思う。
「僕は、てっきり……」
 この部屋に立ち入って五分も経過していないはずだ。その間にヒューイはあり得ないほどの感情の揺れ動きを体験した。そんな気がする。
 焦ったし苛立った。怒りも覚えた。そして今は泣きたくなるくらい安堵している。

「僕は……」
 そこでヒューイは腕を組んで、部屋の中を歩き回った。
 ヘザーはきょとんとしている。
 こんな正体不明の、実体のないものに振り回される人間は愚かだ。そう考えていたものに自分は見事に振り回されているではないか。
 あの男……モーリス・フレミングの首を絞めてやりたい、そう考えるほどの嫉妬。無警戒で、ヒューイの気持ちを分かってくれないヘザーへの怒りや苛立ち。彼女が戻ってきたことの安堵……ヘザーが無断でこの部屋を引き払う訳などないのに、ヒューイは不安と恐怖に襲われた。
 きっとヘザー・キャシディが傍にいる限り、自分は次々に湧いてくる数多の激情に振り回される。
 嫉妬。怒り。不安。焦り。渇望。時折訪れる、全ての負の感情を凌駕する圧倒的な幸福感。自分の中の激しい感情、未知の情動に振り回されることを受け入れ、上手く付き合っていかなくてはならない。
 たぶん、そういうことなのだ。
「勝手に部屋に立ち入って悪かった。僕は……君を……あ、」
 夜のとばりが降り始め、互いの顔色がよく分からないのは幸いだった。
 しかし待て。これはわざわざ宣言しなくてはいけないことなのだろうか。だが闇の中でもヘザーが自分に注目していることが分かる。今さら引っ込みがつかない。
「僕は、君を……あ、あい、君を……」
「へ、へくしょい」
「……。」
 ヘザーのくしゃみは、良くも悪くも絶妙なタイミングであった。


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