嫌われ女騎士は塩対応だった堅物騎士様と蜜愛中! 愚者の花道

Canaan

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番外編

彼女がそうして眠る理由 1

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※※※
ヘザーが丸くなって眠る理由。
ヒューイと、ヘザーの父。ちょっとシリアスなヘザーの過去エピソード。
※※※




 ヒューイはカナルヴィルの街を歩いていた。

 この街はヘザーの故郷であり、かつて仕事で訪れたことがある。
 今回もまた、新人騎士の研修を兼ねたゴダール領主への書簡を届ける仕事、それを終えて王都へ戻る旅の途中であった。

 この国で一番の人口を抱えているのは王都フェルビア、その次が国土の中央部に位置するルルザの街だろう。
 そしてルルザの次に栄えているのがカナルヴィルだ。王都とルルザを行き交う旅人のための宿が置かれ、そこからどんどん発展していったという歴史がある。

 前回はタイトな日程かつ思わぬ事件──所持品が盗まれるという事件だ──が起こったために周囲を見て回る余裕などなかったが、今回はやや時間がある。というか、時間を作ったヒューイだ。
 それも、ある人物に会うための事だった。

 大きな建物の並ぶ通りから狭い路地に入る。その路地を抜けると、今度はひと気のない寂しい道路になる。しばらく歩くと、似たような造りの家が何軒か並んでいるのが見えてくる。
 それぞれが小さな柵で家を囲っているが、防犯というよりは家の敷地の境界を明確にする意味合いの方が強いのだろう。柵は外側からでも簡単に開けられ、自由に出入りできるものだった。
 しかし、ヒューイが扉を叩く前に中の人間がそれを開けた。おそらくは柵の蝶番が軋んだ音で来客を悟ったのだ。

「おう、来たか!」
 扉を開けた男はヒューイの姿を上から下までざっと眺め、それからにかっと笑った。相変わらずの迫力だった。
「久しぶりだな! 元気にしてたか」
 ヒューイは畏まって答えた。
「はい。お久しぶりです、ヴァルデス殿」



 ヒューイが時間を割いてここを訪れたのは、ヘザーの父に結婚の挨拶をするためだ。
 結婚の許可はとっくに貰ってある。しかし王都とカナルヴィルはそれなりに距離があるし、ヒューイにもヴァルデスにも仕事がある。行き来は容易ではなかったから、結婚の話を直にする機会もなかったのだ。
「挨拶に来るのが遅くなってすみません」
「なあに、お互い仕事があるんじゃしょうがねえ。今回も仕事抜けて来たんだろ?」
「それも……ついでのようで申し訳なかったのですが」
「いいっていいって。気にすんな」
 ヴァルデスはヒューイを中に入れて座らせると、自分はキッチンへと向かった。彼は棚から茶葉の入った缶を取り出し、お茶の準備を始める。それは真新しい缶に見えた。
 ゴダールからの帰りに寄って挨拶したいという旨は、あらかじめ手紙で伝えてあったから、ヴァルデスはわざわざ来客用のお茶を購入してくれたのだろう。

 じろじろ見るのは失礼だと分かってはいるものの、どうしても見てしまう。ヘザーの育った家の中を。
 今ヒューイの座っているスペースが、いわゆるリビングにあたるのだろうか。そして奥の方にヴァルデスのいるキッチン。あとは、玄関と裏口の他に扉が二つ。おそらくはヴァルデスの寝室と、ヘザーの使っていた寝室に続く扉だ。
 それから床に目を走らせる。床板を修理した痕跡がいくつか見受けられた。
 ヘザーの話では、ここはヴァルデスの持ち家らしい。初めは借りて住んでいたのだが、ある時持ち主が安く売ってくれると言うので、そのまま購入したと聞く。
 小さくて古い家だが、手入れはきちんとされているようだった。

 こういった普通の……一般の民家に入るのは初めてのことではない。ヒューイが騎士になって間もなくの頃、まだ新人教育を受け持つ前の頃に、何度か立ち入ったことがある。
 住民同士のいざこざで呼ばれたり、窃盗事件の容疑者の家の捜索だったり、理由は様々だ。その時は、彼らはよくもこんなに古くて小さくて汚い家で寝起きできるものだと感じていた。
 だが、今は……。

 ヒューイは玄関の扉を見た。
『あー、疲れた疲れた!』
 仕事を終えた、少女のヘザーが扉を開けて入ってくる光景を想像する。
 それからキッチンへ目を向ける。
 ヴァルデスもヘザーも料理はしない。仕事帰りに街の食堂で食べるか、惣菜を買い込んで家で食べていたと聞いている。
 背の高い父娘がキッチンに並び、買ってきた食べ物を皿の上に出し、小さなテーブルで向かい合って食事を取る場面を思い描く。
 次に眠りにつく前に父親に「おやすみ」を言う彼女の姿を。ヒューイの中のヘザーの姿は、寝室の扉を開けようとして……そこで動きを止めた。
 二つの扉のうちどちらがヘザーの部屋なのだろう。それが分からないので、ヒューイの想像も止まってしまったのだ。
 すると、ちょうどヴァルデスがお茶を運んできたのだった。

「確認させてもらうがよ、本ッッ当にうちのヘザーでいいのか?」
 向かい側に座るなり、ヴァルデスは身を乗り出してくる。ヒューイが頷くと、彼は「まじでか……」と呟き、今度は腰を落とし、
「まじでか……」
 もう一度呟いて、ため息を吐いた。

 一体何が彼をそうさせているのだろう。ヴァルデスの許可は得たものと思っていたが……だが、ヘザーの相手が自分では、本当は都合が悪いのだろうか。
 しかし何をどう訊ねればよいのか分からず、ヒューイは困惑した。
 ヴァルデスは首を振る。
「いやあ、ほら……ヘザーは俺みたいなのに育てられたうえ、母親があんなんだし……」
 やはり身分や育ちの違い、それによって起こり得る問題を懸念しているのだろうか。
 今のところヘザーは上手くやっていると、ヒューイは判断している。仲の良い友人も出来たし、彼女はこのまま社交界に溶け込めるだろうと。だが、少しでもヘザーの心が翳っているようだったら、社交の場に無理にヘザーを連れていくことはしない。彼女が帰省したいと言ったらそれも許可するつもりだ。
 ヒューイは自分の心づもりをヴァルデスに伝える。
「うちで所有している建物がいくつか地方にあります。そこで休養をとってもらっても……」
「いやいやいや、そこまで甘やかす必要はねえって! ヘザーにとっちゃ贅沢すぎる結婚だとは思うが、あんたら二人が決めたんならそれでいいんだ。しかし、しかしよう……」
「他に何かあるんですか」
 ヴァルデスはしばらくの間俯いて言いよどんでいたが、意を決したように顔を上げた。
「あいつは……まあ、気立てのいい娘に育ってはくれたが……一つだけ、はっきりと母親の性質を受け継いでいる。それを知ったら、あんたの気が変わるかもしれねえぞ」
 ヘザーの母親は最悪な女性だ。しかし、ヘザーは外見的にはあまり母親に似ていない。ヴァルデスの言うとおりヘザーは気立てが良い。中身は外見以上に似ていない気がした。
 そのヘザーが、母親からはっきりと受け継いでいる性質がある……?
 ヒューイはヴァルデスの言葉を聞くために姿勢を正す。
「あいつ……ヘザーは、ヘザーはなあ……」
「ヴァルデス殿。はっきり仰ってください。受け入れる覚悟はできています」
「ヘザーは……」
 ヴァルデスは大きく息を吸い込み、吐き出すように口にした。

「ヘザーは、とんでもなく部屋が汚ねえ。掃除が出来ねえんだ」
「知っています」
 ヒューイは即答したが、ヴァルデスには聞こえなかったのか、彼は頭を抱えて首を振っている。
「あれを……あの惨状を見ちまったら、いくらあんただってなあ……はぁあああ……」
「ヴァルデス殿、僕は知っています」
「ほんとにとんでもねえんだ。なんであんなに……えっ? 今、なんつった?」
「彼女が部屋を散らかすことは知っています。兵舎の……彼女の部屋を見たことがありますから」
 最初に足を踏み入れたのは、ヘザーを娼館から助け出した時のことだったか。詳しい経緯をヴァルデスに話すのは避けたが、とにかくヒューイは知っている。ヘザーの部屋がそれはそれは汚かったことを。

「あ、ああ。ああ……なんだ、知ってんのか」
 ヴァルデスは胸を撫で下ろしたが、またすぐに真顔になる。
「しかし、いいのか? あんたの家まで汚染されるんだぞ」
「汚染……清掃は使用人がしますので、大丈夫かと」
「あ、ああ……そうか。使用人がやるのか。俺はてっきり、ヘザーがあんたの家を汚して、追い出されるんじゃないかとばかり」
「それについてはご心配なく」
 清掃は使用人がやる。今ヘザーが住んでいるところも、アイリーンが片づけているから汚れはしない。が、使用人が開けない引き出しや机の中などは、おそらく汚いのだろう。だが、家全体に比べたら引き出しくらい大した問題ではない。
「承知済みなら、そりゃよかった……」
 ヴァルデスは額に滲んでいた冷や汗を袖で拭いながら続ける。

 母親のマグダリーナが出て行って父娘二人きりになってしまった時、ヘザーはまだ四、五歳の小さな子供だった。暫くは二人で一緒に眠っていたが、ヘザーがある程度の年齢になると、さすがに寝室を別にした。
 女の子という事もあって、ヴァルデスはヘザーの部屋に頻繁に立ち入ることはなかった。ただ、朝起こしに行ったりして、内部が見えることはある。「ずいぶん汚いなあ」という感想を抱き、「ちゃんと片付けろよ」と声をかけたことはあった。

「しかし、しかしだなあ……」
 ヴァルデスは口にしながらぶるっと震え、両手で自分の身体をさすった。

 ある時、ヘザーが余った総菜を「夜食にする」と言って部屋に持ち込んだ。休みの前日だったから、本を読みながら夜更かしするつもりだったらしい。しかし、彼女はそれを口にする前に眠ってしまったようだった。
 ナイトテーブルから夜食の包みが落ちて、床の上にあった本や紙くず、衣類の中に埋もれた。さらにベッドの上に置いたケープがその上にずり落ち、夜食の包みは完全に見えなくなり、ヘザーはその存在すら忘れてしまった。

「そ、それで、ある時、やたらと家の中を小さい虫が……お、おおおおう!」
 そこまで口にして、当時のことを思い出したのか、ヴァルデスは絶叫しながら激しく身体をさする。聞いているヒューイもぞっとした。
「あの出来事を、俺は『キャシディ家の惨劇』と名付けたんだ……!」
「ヴァ、ヴァルデス殿……もう、いいです。事情は察しました」
「ヘザーをこっぴどく叱ったのは、あれが最初で最後かもしれねえなあ。部屋の中に食い物だけは持ち込むなって」
 そういえば、不幸中の幸いというべきか、兵舎のヘザーの部屋に食べ物の類の形跡はなかった。なるほど、父親の言いつけを守っていたらしい。

「それから、それからなあ……」
「ま、まだあるんですか」
「こいつを話すのはまだ早いかもしれねえが、だが、今のうちに言っとく。あいつは、寝相が悪い」
「……。」
「あ、いや。寝相が悪いっつうか、毛布と一緒に丸くなっちまうんだよな。一緒に寝てると、毛布をとられて風邪ひいちまうぞ。気をつけな」
 知っていますと言おうとして、口を噤んだ。さすがに父親の前でそれはまずいだろう。しかし、彼女のあの眠り方……横向きに、海老のように丸くなることもあれば、土下座するように丸くなることもある。それも母親から受け継いだものなのだろうか。
「ヘザーの母上も、そうだったんですか」
「いや、あれは違う」
 ヴァルデスは否定し、そして続けた。
「あれは、たぶん俺のせいだ」


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