嫌われ女騎士は塩対応だった堅物騎士様と蜜愛中! 愚者の花道

Canaan

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番外編

彼女がそうして眠る理由 2

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 ガチャン、パリンッ……。

 ガラスの割れる音でヘザーは目を覚ました。
 部屋の中は暗い。が、目を凝らせばカーテンの隙間からはうっすらとうっすらと朝日が射し込んでいるのが分かる。朝と呼ぶには早いが、真夜中ではない、そんな時間だ。

 ヘザーはこの時間が嫌いだった。
 腰まで捲れていた毛布を引っ張り上げて手繰り寄せ、身体をひっくり返して丸くなる。

 ドンドンドン。

 蹲って毛布で防御していたヘザーだが、それでも家の扉を叩く音が聞こえた。

『ちょっとお、ヴァルデス! 寝てんの? 開けてよお』

 呂律の回らない母親の声に続いて、父のヴァルデスの足音と鍵を開ける音、それから諭すような声が聞こえた。

『おいおいマグダリーナ……。ヘザーが起きちまうだろ。もうちょっと静かにだなあ……』
『いいからさあ、水ちょうだい、水! 早く!』
『お前……飲み過ぎだぞ……。いいか、お前も母親なんだから……』
『もう、うるさいなあ。いいから水ゥ!!』

 この時のヘザーはまだ四、五歳であったが、それでも悟ってしまう。
 母親のマグダリーナは、娘のヘザーよりも、夜に出歩いてお酒を飲む方が大事なのだと。
 両親の言い合いを聞いているのが嫌で、ヘザーは毛布に包まり蹲ったまま両の耳を塞いだ。



『とうさん』
『おうヘザー。起きたか』
 朝になってベッドから出たヘザーは、父親の元へ向かった。
 ヴァルデスはポーチを箒で掃いている。
 ヘザーの母親は夜に出かけ、朝方になって酒をラッパ飲みしながら帰って来るのが常だった。そして帰宅と同時に空になった酒瓶を、なぜか玄関ポーチに大きな音を立てて叩きつけるのだ。
 ヴァルデスは妻の介抱をし、明るくなってからこうして彼女が散らかしたものを片づけている。

『朝飯は、テーブルの上にあるからな』
『うん』
 父は仕事帰りにその日の夕食と、翌朝食べる物を買ってきてくれる。だが。
『母さんも、昼には起きてくるだろ。昼飯は母さんと食べな』
『……うん』
『じゃ、俺は仕事に行ってくるからよ。いい子にして待ってろよ!』
 夜遊びの過ぎるマグダリーナではあるが、それでも昼には起きて娘に食事を用意してやるはずだ。そう疑わないヴァルデスはヘザーの頭をわしわしと撫でた。



『ただいま』
『おかえりなさい、あなた』
『いやあ、今日はとてもつかれたよ』
『そう思って、ごはんをごうかにしたのよ』
『おお。これはおいしそうだ』
『そうでしょう? たくさん食べてね』

 ヘザーは友達のする「おままごと」を部外者として見つめていた。
 ヘザーの両親はこんなやり取りをしないから、ヘザーには「おままごと」というものが良く分からない。
 最初に「おままごと」で遊んだとき、ヘザーは誰の役割も上手くできなくて、とうとう「ヘザーちゃんはうちで飼っている犬のペロの役ね!」などと言われてしまった。
 他の友達が喋っている時に自分は「ワン」としか言えず、つまらなくなったので「おままごと」が始まると、ヘザーはこうやって傍から見ていることにしたのだ。

『やっぱり、うちのごはんがいちばんだな』
 葉っぱの上に乗せた泥団子を、お父さん役の友達が食べるふりをしている。
『うふふ、うでによりをかけたのよ』
 お母さん役の友達が言った。「うでによりを……」の意味は良く分からないが、たぶん、頑張ったとかそういう意味なのだろう。旦那さんのために。

 ヘザーの母親はそんなことはしない。
 うちは何か、「ふつう」と違うのではないだろうか。でも、何がどう違うのだろう。子供ながらにヘザーがそう思っていると、
『もうすぐお昼よ! 戻っていらっしゃい!』
 友達の母親が呼びに来た。
『はあい』
『じゃ、明日もあそぼうね!』
 皆、母親の元へ、或いは自分の家へと帰っていく。ヘザーもまた、とぼとぼと帰路についた。



『かあさん』
 家に帰っても、リビングに母親の姿はない。そこでヘザーは寝室の扉をあける。
 マグダリーナは微かないびきをかきながら眠っていた。部屋にアルコールの匂いが充満している。
『かあさん。おなかすいた』
『ん、んんー……』
 声をかけても母親が起き出す気配はなかったので、ヘザーは寝台の縁から垂れている彼女の腕を掴んで揺すった。
『かあさん。おひるごはん』
『ん……うるさいなあ。キッチンに、何かあるでしょ。それ食べな』
『……。』

 ヘザーはキッチンへ向かった。キッチンの上に何かの包みが乗っているのが見えた。この頃から同じ年齢の子に比べて背は高かったが、それは奥の方に置かれていたので、つま先立ちしても手はキッチンの包みには届かなかった。
 椅子を引っ張ってきて、その上によじ登る。そこで朝食べたものの残り──惣菜を挟んだパンだ。父はたぶん、マグダリーナのブランチとして取ってあったのだろうけれど──を手に取り、もそもそと一人で食べた。



 年月が経過し、ヘザーは十七歳になっていた。
 闘技場で剣士として働いていたが、試合をたくさんこなした日などは疲れて、翌日起きるのに苦労する。
 そんな時は父親が起こしに来るのが常だった。

『おおい! ヘザー! 遅刻するぞう!』
『……ハッ!』

 激しいノックの後に寝室の扉が開く。
 ヘザーは慌てて起き上がり、殆ど同時に足の自由が利かないことに気付いた。
 勢いよく起き上がったのに下半身が動かず、ヘザーは寝台から落ちてしまう。
『ぎゃあっ』
『おいおい。大丈夫か』
 落下した途端、足の無感覚が「びりびり」に変わり、ヘザーは上半身だけでのたうち回った。
『う、うわあぁああ……』
『お前、また丸くなって寝てたのか』
『う、うん、そうみたい……』
 起床と同時に足が痺れるのは初めてのことではない。また、土下座するように丸くなって眠っていたらしい。
 なぜそんな眠り方をしてしまうのか、不思議で仕方がなかった。

 父親はのたうち回るヘザーを複雑な表情で見下ろしている。身悶えしつつも、父はどうしてそんなに悲しい顔で自分を見ているのだろうと考えた。
 しかし、理由を尋ねる間もなくヴァルデスは屈み込み、痺れまくっているヘザーの足を指で突こうとした。
『ぎゃあっ。やめてやめて!』
 不自由な身体でなんとか刺激から逃れようとする。
『うるせえっ。部屋が汚ねえ奴は、こうしてやるっ』
『あははは、やめてやめて! 片づけるから!』
 二人で笑いながら暴れまわり、苦しくなるほど笑った後は、足の痺れも収まり、目はすっかり冴えているのだった。



*


 ヘザーが丸くなって眠る原因を知ったヒューイは思った。
 それは、ヴァルデスのせいではなく、母親のマグダリーナのせいではないか、と。
 しかしヴァルデスは首を振る。
「俺がもっとしっかりしてりゃあ良かったんだ」

 ヴァルデスは十五で闘技場の剣士となり、自活するようになった。十六の時に二つ年下のマグダリーナと出会い、身寄りのなかった彼女はヴァルデスの家に転がり込んできた。
 ヴァルデスの親兄弟や友人たちは皆反対した。あの女だけはやめておけ、と。
「若かった、ってのもあるだろうが、俺は、意地になっちまったんだよなあ……」
 ヴァルデスはふうっとため息を吐き、肩を落とした。

 やがてヘザーが生まれたが、周囲の目は冷たかったように思える。子供が子供を作ってどうするんだと言われたこともあった。
 ヴァルデスはそんな風に言う人たちを黙らせたくて、仕事に励んだ。
 しかしマグダリーナは夜遊びを始めた。彼女は深夜にふらりと出かけ、朝方に帰ってくるようになった。
 周りの人たちに「それ見たことか」と言われたくなかったし、自分の選んだ女が、自分の選択が間違っていたと、認めたくなかった。ヴァルデスはマグダリーナと縁を切ることが出来なかったのだ。
 マグダリーナが他の男と遊んでいるのも気づいてはいたが、他の男をこの家に連れ込み、その間ヘザーを外に出していると知り、ようやくヴァルデスは決心した。

 マグダリーナが出ていくと、もちろんヘザーと一緒に過ごす時間が増える。幼いヘザーを仕事場まで連れて行き、夜も一緒に眠った。そこで、ヘザーが自分を守るように丸くなって眠ることに気付き、ヴァルデスは後悔した。

「自分の意地なんかよりも、ヘザーを気にかけてやるべきだったんだよ」
 ヘザーが帰省した折に起こしに行くと、やはり彼女は丸くなって眠っていることが多いのだとヴァルデスは言った。
「あいつ、毛布を全部自分のものにして岩みてえに丸くなるから、隣で寝るのが嫌になっちまうかもしれねえぞ……あっ、それとも、あんたみてえな家だと夫婦は別々の部屋で寝るのか」
「それは……」
 大抵の家は夫婦別々に寝室がある。夫婦の営みを終えたら夜のうちに自分の部屋に戻る夫もいるし、朝まで共に眠る夫婦もいるらしい。人、いや、夫婦それぞれだ。
「僕たちは同じ部屋で休むでしょう。彼女の眠り方は心得ておきます」
 ヘザーがバークレイ家にやってきたら、もちろんヘザー個人の空間を与えるつもりではいる。だが、眠る時は一緒の部屋がいい。

 それに……と、ヒューイは考えた。
 ヘザーの妙な寝相は何度か目にしていたが、ヴァルデスの話から理由を知り、納得した。しかし、彼女自身はどうして自分がそんな風に眠るのか、全く分かっていないようだ。
 最悪な母親がいたというのに、普段のヘザーからはその欠片も窺えない。それは、ヴァルデスの愛情と努力があったからなのだろう。
 父親に大切にしてもらったから、今のヘザーがある。
 自分も……大切にしなくては。

「そうだ。ヘザーの使ってた部屋、見るか?」
 ヴァルデスが親指でクイっと後ろの扉を示した。

 ヘザーの部屋にはベッドと小さなテーブル、椅子が一つ、それから衣装箱が置かれていた。
 彼女が騎士となって王都に出てからも、帰省の際はこの部屋を使っていたという。
「大した荷物も持って来てねえのに、あいつ、すぐ散らかすんだ」
 ヴァルデスも若い頃は掃除や整頓に無頓着だったが、妻や娘のおかげで、今はすっかり綺麗好きになったらしい。
 ヘザーが王都に戻った後は散らかったこの部屋を掃除し、彼女の次の帰省に備えて綺麗にしておくのだと言う。
「まあ……今後はそういう機会もないんだろうけどよ」
「ヴァルデス殿。僕は彼女の帰省を制限するつもりは……」
「あ、いやいや。いいんだ。夫婦は一緒にいたほうがいい。俺も、嫁にやった娘がしょっちゅう帰って来たんじゃ、逆に心配でしょうがねえからな」
 ヴァルデスは腕を組み、ぴしりと整えられた空っぽのベッドを眺める。
 当たり前だがベッドには誰もいない。
 しかし、彼の目には毛布と一緒に丸くなって眠るヘザーが映っているに違いなかった。

 ヒューイもまた、ベッドを見つめた。
 丸く盛り上がった毛布から、オレンジ色の髪の毛がはみ出している。そんな光景がそこにあるような気がした。


*


 仕事でゴダールの街へ行っていたヒューイのお土産は、繊細なレースだった。手持ちの衣装にアクセントとして縫い付けてもいいし、またはリボンに縫い付けてさらにゴージャスなものにしてもいい。
「わあ、可愛い。これ、私に?」
「ああ。カナルヴィルに住む貴族のご婦人がデザインしたものらしい。一点ものだと聞いた」
 ヒューイはそこを重要視したらしい。一点ものならば他の女性と被ることがないだろうからと。
 彼は「女性の衣装や小物はよくわからん」と言っておきながらも、無難な白と、ヘザーの髪の毛を落ち着いた色に見せてくれる茶色を選んで買ってきてくれていた。
 それから、王都に一番近いマドルカスの街では焼き菓子を購入したようだ。
「わあ、美味しそう! アイリーン。お茶の準備してもらってもいい?」
「はい」
「貴方も食べていくよね? あ、もしかして、あんまり時間ない?」
 アイリーンがキッチンに下がった後でその事に思い当たり、ヒューイを振り返る。
 すると、ヒューイはじっとこちらを見つめていた。目が合っても彼はまだヘザーを見つめたままなので、ちょっと仰け反ってしまう。
「え。な、なに……? どうかした?」
 ヒューイの手が、ぬっと自分の方へ伸びてきた。一瞬、抱き寄せてキスでもしてくれるのかと期待してしまったが、隣の部屋にはウィルクス夫人がいるし、アイリーンだってすぐに戻ってくるのだからそんなはずは……と考えていると、彼の手はヘザーの頭の上にぽんと乗った。

「……!?」
 ヒューイの手が静かに動いている。ヘザーの髪を乱さぬように、ゆっくりと。
 これは、ひょっとして、頭を撫でられているのだろうか……。
 ヘザーは頭を撫でてもらうような年齢ではないし、今は二人とも立ち上がっている。ヒューイとは身長差がそれほどないから、傍から見たらきっとおかしなことになっている気がする。
「え? な、なに!? ほんとにどうしたの!?」
 そう訊ねるも、ヒューイは真顔でヘザーの頭を撫で続けている。
「……。」
「……。」
 撫で方は優しいがヒューイは真顔なので、ちょっと対応に困っていると、
「カナルヴィルでは、ヴァルデス殿にも会ってきた」
「あっ! ひょっとして……父さんに何か言われたの?」
 時間の都合がついたら会ってくるという話であった。結婚の許可は貰っているが、ヒューイはどうしても会って直接挨拶をしたかったらしい。
 父は結婚に賛成していたはずだが……もしかしたら、ヒューイと二人きりになったのを、ヘザーの目がないのをいいことに、彼の胸ぐらをつかんで「娘を泣かせたらただじゃおかない」とか言って脅したのではないか。それでヒューイがナーバス──これをナーバスというのはちょっと違う気もするが──になっているのではないか。

「『キャシディ家の惨劇』の話ならば聞いたが」
「……え? あっ……」
 あの出来事を聞いてしまったというのか。
 父にあんなに叱られたのは初めてだった気がする。さすがにヘザーも反省し、あれ以来自室に食べ物を持ち込むことはやめた。
「や、やだー! 父さんってば、そんなこと貴方に話したの!」
「あとは、夫婦仲良くしろと……ヴァルデス殿はそのようなことを言っていた」
「ふ、ふうん?」
 では、ヒューイが自分を撫でているのは、仲良くしろと言われたからなのだろうか。
「そういう訳ではないが」
 確かに。これは仲良くするというより、可愛がったり慰めたりしたい時にやる行為だ。本当に何なのだろう。ヒューイの帰りを待っていたご褒美とか……?

「お茶が入りました。今、ウィルクス夫人も呼んできます」
 首を傾げていると、お茶の用意が出来たとアイリーンが言った。
 ヘザーたちもテーブルに向かおうとした時、ふいにヒューイが呟く。
「もし……昔の君がここにいたら、してやりたいと思うことをやっただけだ」
「えっ? なにそれ! ますます意味わかんないんだけど!」
「ヘザーお嬢様! 大きな声で騒ぐのは、お行儀が悪いですよ!」
「あっ、はい。ごめんなさあい」
 ヒューイに詳しく聞こうとしたが、やってきたウィルクス夫人に声が大きいと怒られてしまった。もっとも夫人の怒鳴り声も結構なものだったが。

 それにしても。
 ヒューイは現実的な男である。とにかくヘザーの知っているヒューイは「もし昔のヘザーがここにいたら」なんて、非現実的なことを考える人ではない。
 それに「昔のヘザー」とは、いったいどれくらい昔なのだろうか。頭を撫でるくらいだから、きっと、働きに出るよりも幼い頃だろう。
 その頃のヘザーは……父親の仕事場に一緒に連れて行ってもらい、闘技場の剣士たちに遊んでもらっていた。食堂や売店で働いている女性たちもヘザーのことを可愛がってくれて、毎日とても楽しかったことを覚えている。

 それから……と、そこでヒューイをちらりと見た。
 テーブルに着こうとしていたヒューイであったが、まずはヘザーのために椅子を引いてくれた。
 それから、今も、毎日幸せで楽しい。
 ヒューイの買ってきてくれたお菓子を食べるために、ヘザーもまた席に着いたのだった。



(番外編:彼女がそうして眠る理由 了)


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