老伯爵へ嫁ぐことが決まりました。白い結婚ですが。

ルーシャオ

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第八話 話し合いましょう

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 メイドたちと年配の執事長が去ってから、私は外出先から帰ってきたラポール伯爵のもとを訪れました。

 ラポール伯爵は拒むことなく私を書斎へ招き入れます。まさかそこに、フィーまでいるとは思いもよりませんでしたが、ちょうどよかったというものです。

 杖を突いて一人がけのソファに座るラポール伯爵と、左横に控えるフィー。そして、私はその二人と真正面から相対していました。

「それで、私に用事とは何だね、アルビナ」
「フィーの件です。私の勘違いで、に迷惑をかけてしまいましたから」
「ほう、迷惑?」
「彼を女性だと思って、親しくしてしまいました。申し訳ございません。以後気を付けます」

 私は深々と頭を下げ、ラポール伯爵へ謝罪しました。

 気付かなかったとはいえフィーと必要以上に親しくした結果、ベルナール氏夫妻やメイドたちの口に上るほどの噂が立ってしまったのは、私の責任です。ラポール伯爵夫人としてふさわしくない行いだった、それは間違いありません。

 もっとも、ラポール伯爵はふっと笑い、こともなげに許してくれましたが——。

「フィーとは、この、騎士エンアドルフェ・フィルフィリシアのことか? 彼を女性と間違うのは、屋敷に初めて来た者の通過儀礼のようなものだ」
「だとしても、彼には騎士としての職責を全うする義務があります。その邪魔をしてしまいましたし、これからも邪魔をしたくはありませんもの」
「そうかね。言っておくがね、君の話し相手をと頼んだのは私だ。本来なら君に同性の友人でも用意すべきだったができなかった、私の不徳のいたすところだよ」

 私は苛立ちを抑えきれず、歯噛みします。

 謝罪し、許された。そのことは胸を撫で下ろすことです。しかし、ラポール伯爵の意図はどこにあるのか。私とフィーがどうなろうと、どうでもいいことなのか。たかがその程度、と軽んじられているのか。

 問い詰めたい気持ちに駆られかけたそのとき、フィーが口を挟みました。

「アルビナ様。どうか、伯爵のお考えをお聞きいただけませんか。あなたのために、伯爵は将来のことを真剣に計画なさっているのです」

 これには、私もラポール伯爵も少々驚きました。

 ラポール伯爵はフィーにバラされるとは思っていなかった、とばかりですが、私は私でラポール伯爵に私を含めた将来を案じる気持ちがあったのか、と苛立ちの火に油が注がれた気分です。

 とはいえ、私の知らないことは多すぎます。ラポール伯爵の人となりしかり、お考えしかり、この屋敷のことだってまったく把握できていないのですから。

 私は深呼吸して、ひとまず怒りを鎮めました。

「分かりました。お考えをお教えくださるのなら、謹んでお伺いいたします」
「ありがとう。フィー、お前もここにいなさい」
「はい、もちろんです」

 どうやら、ラポール伯爵の考えとやらには、フィーも絡んでいるようです。

 こうして、私は初めて老伯爵としっかり顔を向け合いました。




 ラポール伯爵曰く、話は長くなるとのことで、私とフィーはそれぞれ椅子を用意して、誰も書斎に近づけないようにしてから、まるで老伯爵の独白のように始まりました。

「さて、何から話そうか……そうだな、ラポール伯爵家の現状から簡潔に説明しておこう」

 私は頷き、ラポール伯爵から視線を外すまいと集中します。

「我が家は領地経営を縮小してもなお、裕福な資産家としての地位を築いている。少なくとも、ラポール伯爵領は国内有数の豊かな土地だ。ゆえに、本来であれば家督を長男へそのまま引き継がせてもよかったくらいだが、国内外の情勢を鑑みれば世襲の財産を憎む者たちも大勢いる。彼らに必要以上に敵視されないよう、私はベルナールを軍官僚に、ラルフには会社を興させた。伯爵家の財産は二人の息子には一部しか残さないということも、少しずつ周知させている」

 どうやら、ラポール伯爵の最近の外出の多さは、それが理由だったのです。わざわざ王都から二人の子息を呼び寄せているのも、ラポール伯爵家が持つ莫大な財産の相続のために計略を巡らせているからでした。

 しかし、なぜそこまで神経を使い、慎重にことを進めようとするのでしょうか。ラポール伯爵家の財産に問題があればともかく、世情に配慮してそこまでしなくてはならない、というのは腑に落ちません。

「いまいち、おっしゃる意図が分かりかねます。それでは、ラポール伯爵家の財産はどうなさるおつもりですか?」
「美術品や都市部の土地などは将来市政に移行するラポール市へ、貴重品のうち換金可能な動産は息子たちへ。そしてこの屋敷や騎士団、すぐには買い手のつかない辺境部の土地建物、私が代表を務めるあらゆる営利・非営利組織は、君に任せたい」

 私は目を見開きます。聞き間違いかとも思いましたが、伯爵とフィーの目線が向けられては否定できそうにありませんでした。

 私は現在のラポール伯爵夫人、だとしても、この老伯爵が亡くなればその地位は失われるものだと思っていました。そうなるべきであり、ラポール伯爵家の財産には手を触れないほうが賢明で、残された遺族もそれを望むだろう、と。

 なのに、ラポール伯爵はまったく違う答えを用意していました。

 なぜか登場した私の存在に、私はおののくほかありません。

「ありえません。私にはそんな重責を担う能力も、覚悟もありません」
「では、今から学ぶといい。そのための本だけでなく、人材も集めよう」
「私でなくとも、ご子息たちに譲ればいいではありませんか。そのほうが道理も通ります」
「言っただろう、敵視されぬよう……子々孫々まで恨みを買うわけにはいかない。もう貴族が横柄に振る舞っていい時代ではないのだから」

 その認識に、私は愕然とするばかりです。

 私よりもこの国についてよく知っているラポール伯爵がそう言う以上、その認識は正しいのでしょう。市民と貴族の対立、多数の貴族の没落、戦争に負けたあとの新しい時代。それらから身の振り方を真剣に考えた結果、老伯爵はその結論を出したのです。

 そこを疑う気はありませんが、常識から考えれば正気とも思えない結論です。

 ただし、ラポール伯爵はきちんと道理を見据えられる人でした。

「これはね、君のお父上には伝えていないことだ。何から何まで甘やかすつもりはないし、ただ与えればいいというものでもない。上手くいけば、君はグリフィン伯爵家を継いだ弟へ継続的な援助ができる。私の遺す財産をきちんと運用し、金を稼げればの話だがね」

 援助金のために娘を差し出したような私の父、グリフィン伯爵は、私の手にラポール伯爵家の財産が残ればきっと無心してくるに決まっています。場合によっては、無理矢理奪いに来るかもしれません。

 そうならないように、とラポール伯爵はことを内密に進めているようです。

 その用意周到さは有り難くもあり、私への心理的負担はいまいち考慮されていないようで苦々しくもあります。

「でも、私には何の実績もありません。特技があるわけでもなく、財産管理の知識があるわけでもない。私情に流され、脅迫に負けてしまうかもしれません」

 私の弱音じみた反論には、フィーが答えました。

「なればこそ、ラポール騎士団は残るのです。ラポール伯爵家の遺産を管理する重責を帯びたあなたを支えるためです」

 どうやら、逃げ道は塞がれてしまったようです。

 私はしばし考えていましたが、それをラポール伯爵にからかわれてしまいました。

「珍しく、返事に時間がかかるのだな、アルビナ」

 一瞬、何のことかと思いましたが、そういえば私はいつもラポール伯爵に対して即答していたのでした。

「……当然です。私にできることとは思えませんから」
「正直だな」
「唯一の取り柄です」

 ちょっと恥ずかしさが込み上げてきて、私は誤魔化すように虚勢を張ります。

 そんな私を一笑し、ラポール伯爵はこう言いました。

「明日は騎士団長たちと会ってくるといい。今後のことに手をつけるまで、まだ猶予がある。しばし考えなさい」
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