ヴェルセット公爵家令嬢クラリッサはどこへ消えた?

ルーシャオ

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第一話 完璧な令嬢であれ

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 ——公爵家令嬢として、王子殿下の婚約者として、完璧であれ!

 クラリッサ・ジョセフィン・マーガリー・ヘイメルソンは、幼いころ引き取られたその日に、養父母であるヴェルセット公爵夫妻からそう言いつけられた。

「賢そうな黒髪に、北方貴族の血を引く緑の目、気品ある雪のような白い肌。クラリッサ、あなたはきっと生みの親である実のお母様にも負けない貴婦人となるでしょう」
「ならば、私たちは相応の淑女教育と、そのお前に釣り合う立派な血筋の婚約者を与えよう。お前の婚約者は、我がイアムス王国第一王子のデルバート殿下だ。私たちの娘として、どこへ行っても疑いようのない公爵令嬢にならんと心がけなさい」

 引き取られた理由も、本当の父母がどこへ行ったかも分からない幼いクラリッサは、ヴェルセット公爵夫妻の真摯かつ親切な言葉を信じ、ヴェルセット公爵家に相応しい貴族令嬢となることを己の使命と考えるようになった。

「うん、ええと、ええ、分かりました、お父様、お母様。クラリッサは公爵令嬢になります! そして、デルバート王子殿下の婚約者として完璧になるよう頑張ります!」

 果たして、それはクラリッサのためになったのか。それとも、クラリッサの運命はこのときにすでに決まっていたのか。

 何にせよ、クラリッサはヴェルセット公爵家令嬢として、デルバート王子の婚約者として、『完璧』な淑女になることを目指すようになった。

 時に、クラリッサが五歳のころのことだった。





 すみれ色のドレスは、クラリッサのお気に入りだった。

 しかし、ある日のことだ。

「何だ、その軽薄な色合いは! まるで男を誘っているかのようなドレスを着て満足げにするとは、お前はどんな育てられ方をしたんだ?」

 極めて不機嫌そうにクラリッサを責めるのは、婚約者のデルバート王子だ。

 年に数回の面会の日に、デルバート王子からそう罵られた十三歳のクラリッサは、すぐに己を恥じてすみれ色のドレスを捨てた。瞳と同じ翠緑色の詰襟ドレスを新調し、デルバート王子へ謝罪の手紙を送った。

「お怒りはごもっともです。私はあのドレスの糸という糸を解き、布へ解体して捨て、新たなドレスを拵えました。翠緑色の詰襟のドレスです。きっと殿下のお傍に並び立っても恥ずかしくない出来であることをお約束いたします」

 その後、デルバート王子から返事が来ることはなかった。

 十五歳になったクラリッサが貴族学校へ入学しようとしたところ、デルバート王子の使いからこんな言伝を受け取った。

「お前は決して貴族学校へ入るな。お前のような世間知らずの女は、年頃の男に囲まれれば有頂天になって節度のない行動を取るに違いない。そのような女が俺の婚約者だなどと知られれば、王家の名誉に傷がつく」

 これにはヴェルセット公爵夫妻もデルバート王子の言い分は不当であると国王へ訴えようか悩んだようだが、クラリッサは自ら貴族学校への入学を辞退した。

「おっしゃるとおりです。未熟な私が不埒な行為を働く前に止めていただき、ありがとうございます。私はヴェルセット公爵家の屋敷で一流どころの家庭教師を呼び、しっかりと学んでまいります」

 デルバート王子の使いにそう伝え、クラリッサはヴェルセット公爵夫妻へ貴族学校で学ぶ以上のことを習得するために、と新たな家庭教師を雇うよう頼んだ。

 それから、二年後のことだ。

 十八歳になったデルバート王子が貴族学校を卒業してから、あろうことか国政に口出しして国王の不興を買ってしまった。どうやら貴族学校にいた教諭に要らぬ保守的な思想を植え付けられていたようで、「そんな考えを持たせるために学ばせたわけではない」とおかんむりの国王はデルバート王子を隣国の大学へと送り込ませた。その年初めての面会前にデルバート王子はすでに出国してしまっていたため、クラリッサはデルバート王子の帰国を待つよう国王から言いつけられた。クラリッサを直接王城へ呼んでその旨を伝えたときの国王は申し訳なさそうで、クラリッサへこう漏らした。

「デルバートはお前と会わずに隣国へ出立してしまった。まったくもって、お前のような賢く美しい娘を放っておくなど理解しがたいが、やむをえまい。あれが帰ってきてから正式に結婚への手続きを進めたいと思うが、それでよいか?」

 クラリッサはすぐに頷いた。

「はい、よろしゅうございます。私はデルバート様をお待ち申し上げておりますわ」
「うむ、ありがたいことだ。それと、お前にはあれの不在の間、王城内で代理として働いてもらいたい。第一王子名代としての経験は、将来の王子妃として補佐する際に役立つだろう」
「かしこまりました。非才の身ではありますが、王国のため、デルバート様のため、尽力いたします」

 こうして、次の日からクラリッサは王城内で第一王子名代として働くことになった。ヴェルセット公爵夫妻は喜び半分、困惑半分といった様子で、複雑な心境ながらも娘の晴れ舞台となると信じて手元にいる有能な人材を私設補佐官にと送り込んだ。

 若く才能ある、それでいて美しい淑女が、気難しい第一王子の代わりにやってきたとあっては、王城もにわかに活気付く。おまけに謙虚で働き者とあっては、瞬く間に大臣から門番までクラリッサの噂を口にするようになった。

「未来の王子妃がこれほど優秀だとは、夫となるデルバート王子もさぞ鼻が高いことだろう」
「公爵家の令嬢でありながら誰にでも分け隔てなく接し、国王陛下が国政への意見を求めるほど知恵があり機転が利くとか」
「デルバート王子の代わりどころか、すっかりお株を奪ってしまわれたな」
「このまま王子が帰ってこなくても、国王陛下は自分の娘だと言い出しかねん勢いだ」
「それはそれでいいかもしれんがな」

 そんな声をよそに、クラリッサは隣国にいるデルバート王子へ何度か手紙を出していた。婚約者を心配し、慣れぬ土地で不自由ではないか、困ったことがあれば手を尽くす旨を書き、専門の配達人クーリエを雇って届けさせたのだが、一年、また一年と経っても返事が返って来ることはなかった。

 さらには、クラリッサの美貌と才媛ぶりを聞きつけ、王城に出入りする未婚既婚を問わず男性貴族たちは何とかクラリッサの気を引こうと企むものの、すべてさらりと躱されてしまう。一対一での接見はもってのほか、いつもクラリッサの周囲には彼女を守るように私設補佐官や秘書、さらには王命を受けた護衛の兵士が付き従っている。狼藉を働こうものなら、即座に王城から追放されて厳罰を受けかねない。それは貴族令嬢や夫人たちも同じで、クラリッサに嫉妬して足を引っ張ろうと企む人間も少なからずいたが、逆にクラリッサを慕う官僚や使用人たち、それにクラリッサを偶像のように崇拝する貴族令嬢や夫人たちが一大派閥となって彼女を守っていた。

 ——いずれは、王子妃となり、王妃となり、国母となる方だ。

 そうささやかれて久しく、やがてデルバート王子の帰国が許されて、王城がデルバート王子を出迎える雰囲気に包まれたのは、クラリッサが二十歳になり、今年は殊更寒かった冬がやっと過ぎ去って本格的に春がやってきたころだった。

 デルバート王子の帰国とともに——彼の持ち帰ったとんでもないもののせいで——完璧な淑女たらんと並外れた努力をこなしてきたクラリッサは、その強靭な精神を完全に折られてしまったのだ。
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