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第五話
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馬車はゆっくりと進む。リュカが御者へ帰りは急がなくていいと言いつけて、それは話をする時間を設けるためだろうとメルヴィンは察した。
それでもしばらく黙ったままだったが、やっとリュカは口を開く。
「私は、女だ」
メルヴィンはそれを聞いてもみじろぎ一つしない。驚いていることには驚いている、しかし他人のことは言えない身分だからだ。その様子を見て、リュカは多少は舌が回りやすくなったようだ。
「本名はリュシエンヌ。リュカは男としての偽名。昔、病に倒れた祖父のために、父が長子は男だと偽ったんだ。そのほうが後継が生まれたと喜ばれたから」
リュカ——リュシエンヌは、苦笑する。つまらないことだ、と言いたげだった。
「祖父は病床にありながらもしばらくは生きて、それがずっと続いて、次第に私が女だと周囲へ言い出せなくなった。今も両親と一部の使用人や貴族以外は私が女だということを知らない。自由に振る舞っているのは、月のもので姿を見せなくなっても、あの王子は神出鬼没だから仕方ないで済ませるためだったんだよ」
どうやらすっかり、リュシエンヌはメルヴィンを女だと思っている。男として女性のデリケートな話題に反応することもできず、やはりメルヴィンは固まったままだ。
それが真剣に耳を傾けている、と好意的に受け止められていることは、メルヴィンは知らない。
「父と母は、それが申し訳なく思っているらしくてね。どうせ弟が国王になれば、私はどこかの貴族になって適当に生きられる……バラしたっていいくらい年月が経てば、自由になれる」
窓の外、どこか遠くを見て、リュシエンヌはそうつぶやいた。
リュシエンヌは、今は自由ではないのだ。リュカとして生きることは、彼女にとっては押し付けられたことで、ずっと自分を偽って演じてきた。そのつらさは、メルヴィンには理解できる。メルヴィンも幼いころからメラニーに成り代わって皇太子クリスティアンのそばにいたこともあるし、今もこうしてメラニーの代役を務めざるをえない状況にある。
ただ、リュシエンヌは、それでも結ばれないであろう婚約者を懸命に気遣っていた。
「すまないね。だから君とは結婚できない。それでもせめて楽しい思い出を作ってもらえればと思っていたんだが、上手く行かなかったようだ」
リュカの軽薄さも、口説き文句も、演技だ。堅苦しい空気を払って、異国にやってきた婚約者が場に親しめるようにとリュシエンヌによって配慮されたものだった。
それだけの厚意を向けられて、心苦しさが限界に達し、メルヴィンは黙っていることはできなかった。
「そんな悲しそうな顔をしないでくれ。君が悪いわけじゃない」
「そうではなくて」
「違うのかい?」
「……僕も、あなたを騙していたから」
メルヴィンは帽子を取る。鬘を固定していたピンを外し、やっと開放されたハニーブラウンの短髪を見せる。
「僕はメルヴィン。メラニーは僕の双子の姉だ」
衝撃の告白と、メルヴィンの頭を見たリュシエンヌは、開いた口が塞がらないとばかりに驚愕の表情を浮かべていた。普段ならしてやったりと思うところだが、メルヴィンは矢継ぎ早にこうなった事情を説明する。
姉のメラニーが皇太子クリスティアンと結婚するまでの代役を務めることになった経緯、そして帝国の殺伐とした内情。それを聞いたリュシエンヌは、顔を固くして、やがてこう言った。
「そんな事情が……」
「にわかには信じられないだろうけど」
「いや、弟の君が他国までやってきて代役をするほどなんだ。それだけメラニーには重大なことが起きているんだろう」
リュシエンヌの理解の早さは、自分の身に起きていた経験と重ね合わせてのことだろう。決して遊びではなくそこまでする逼迫した事情があるのだ、とリュシエンヌは真摯に受け止めていた。
リュシエンヌはため息を一つ吐いて、それからメルヴィンに向き直った。
「なあ、メルヴィン。私たちは似たもの同士かもしれないな」
「そうだね。初めてそんな人に会ったよ」
「私もだ。何だ、遠慮して損したな」
そう言う軽口も、あまり力がこもっていないし、笑いもしていない。
メルヴィンとリュシエンヌは、初めて互いの似通った秘密を知った。それゆえに、すぐに今後のことを考え、どうすることが最善か、理解してしまった。
それを口にしたのは、リュシエンヌだ。
「婚約は、メラニーが無事皇太子と結婚できてから解消しよう。それまでは偽りでも、私たちの関係は婚約者だ。共犯者、とも言えるかもしれないね」
互いのため、それがいいのだ。
メルヴィンは感謝する。
「ありがとう、リュシエンヌ。君のおかげでメラニーの名誉は保たれる」
リュシエンヌはにこりと微笑む。その意味が分からず、メルヴィンは首を傾げた。
リュシエンヌが身を乗り出す。
「なあメルヴィン、物は相談なんだが」
それでもしばらく黙ったままだったが、やっとリュカは口を開く。
「私は、女だ」
メルヴィンはそれを聞いてもみじろぎ一つしない。驚いていることには驚いている、しかし他人のことは言えない身分だからだ。その様子を見て、リュカは多少は舌が回りやすくなったようだ。
「本名はリュシエンヌ。リュカは男としての偽名。昔、病に倒れた祖父のために、父が長子は男だと偽ったんだ。そのほうが後継が生まれたと喜ばれたから」
リュカ——リュシエンヌは、苦笑する。つまらないことだ、と言いたげだった。
「祖父は病床にありながらもしばらくは生きて、それがずっと続いて、次第に私が女だと周囲へ言い出せなくなった。今も両親と一部の使用人や貴族以外は私が女だということを知らない。自由に振る舞っているのは、月のもので姿を見せなくなっても、あの王子は神出鬼没だから仕方ないで済ませるためだったんだよ」
どうやらすっかり、リュシエンヌはメルヴィンを女だと思っている。男として女性のデリケートな話題に反応することもできず、やはりメルヴィンは固まったままだ。
それが真剣に耳を傾けている、と好意的に受け止められていることは、メルヴィンは知らない。
「父と母は、それが申し訳なく思っているらしくてね。どうせ弟が国王になれば、私はどこかの貴族になって適当に生きられる……バラしたっていいくらい年月が経てば、自由になれる」
窓の外、どこか遠くを見て、リュシエンヌはそうつぶやいた。
リュシエンヌは、今は自由ではないのだ。リュカとして生きることは、彼女にとっては押し付けられたことで、ずっと自分を偽って演じてきた。そのつらさは、メルヴィンには理解できる。メルヴィンも幼いころからメラニーに成り代わって皇太子クリスティアンのそばにいたこともあるし、今もこうしてメラニーの代役を務めざるをえない状況にある。
ただ、リュシエンヌは、それでも結ばれないであろう婚約者を懸命に気遣っていた。
「すまないね。だから君とは結婚できない。それでもせめて楽しい思い出を作ってもらえればと思っていたんだが、上手く行かなかったようだ」
リュカの軽薄さも、口説き文句も、演技だ。堅苦しい空気を払って、異国にやってきた婚約者が場に親しめるようにとリュシエンヌによって配慮されたものだった。
それだけの厚意を向けられて、心苦しさが限界に達し、メルヴィンは黙っていることはできなかった。
「そんな悲しそうな顔をしないでくれ。君が悪いわけじゃない」
「そうではなくて」
「違うのかい?」
「……僕も、あなたを騙していたから」
メルヴィンは帽子を取る。鬘を固定していたピンを外し、やっと開放されたハニーブラウンの短髪を見せる。
「僕はメルヴィン。メラニーは僕の双子の姉だ」
衝撃の告白と、メルヴィンの頭を見たリュシエンヌは、開いた口が塞がらないとばかりに驚愕の表情を浮かべていた。普段ならしてやったりと思うところだが、メルヴィンは矢継ぎ早にこうなった事情を説明する。
姉のメラニーが皇太子クリスティアンと結婚するまでの代役を務めることになった経緯、そして帝国の殺伐とした内情。それを聞いたリュシエンヌは、顔を固くして、やがてこう言った。
「そんな事情が……」
「にわかには信じられないだろうけど」
「いや、弟の君が他国までやってきて代役をするほどなんだ。それだけメラニーには重大なことが起きているんだろう」
リュシエンヌの理解の早さは、自分の身に起きていた経験と重ね合わせてのことだろう。決して遊びではなくそこまでする逼迫した事情があるのだ、とリュシエンヌは真摯に受け止めていた。
リュシエンヌはため息を一つ吐いて、それからメルヴィンに向き直った。
「なあ、メルヴィン。私たちは似たもの同士かもしれないな」
「そうだね。初めてそんな人に会ったよ」
「私もだ。何だ、遠慮して損したな」
そう言う軽口も、あまり力がこもっていないし、笑いもしていない。
メルヴィンとリュシエンヌは、初めて互いの似通った秘密を知った。それゆえに、すぐに今後のことを考え、どうすることが最善か、理解してしまった。
それを口にしたのは、リュシエンヌだ。
「婚約は、メラニーが無事皇太子と結婚できてから解消しよう。それまでは偽りでも、私たちの関係は婚約者だ。共犯者、とも言えるかもしれないね」
互いのため、それがいいのだ。
メルヴィンは感謝する。
「ありがとう、リュシエンヌ。君のおかげでメラニーの名誉は保たれる」
リュシエンヌはにこりと微笑む。その意味が分からず、メルヴィンは首を傾げた。
リュシエンヌが身を乗り出す。
「なあメルヴィン、物は相談なんだが」
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