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第十五話
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「そういえば、君の故郷ダーナテスカは栗の産地だろう? 秋になって特産の栗が出回っていると聞いたから、取り寄せてドナートへ渡してある。たまには故郷の味を懐かしんでもバチは当たらないよ」
セネラ子爵の気の利いたお土産に、ジョヴァンナも少しは気が晴れます。
「まあ、ありがとうございます。たくさん練り粥が食べられますわ」
「ん? 栗を使うのか?」
「はい。実家では栗を挽いた粉で作ります。こちらはトウモロコシの粉とブイヨンで作るそうで……ベレンガリオ様にも食べていただけるかしら。うーん、好みではないかも」
「ま、まあ、それは追々だな。まずは君が味見をしてみるといい」
「そうですね。実家とは水質も何もかも違いますから、試してみないと」
練り粥とは、この国では主食の一つとして食べられる料理です。ひたすらに鍋で水と練るという作り方は同じですが、地域によって材料が異なり、ダーナテスカ伯爵領は特産の栗を使う独自の味を持っています。
幼いころから食べ慣れた秋の味覚でもあり、滅多に会わない叔父がジョヴァンナの故郷について憶えていてくれたことは、何とも喜ばしいものです。
そこへ、次の喜ばしい知らせが舞い込みました。
老執事長ドナートが食堂にやってきて、大事そうにトレイに載せて運んできたお菓子をジョヴァンナへと差し出したのです。
「失礼いたします。奥様、少々よろしいですか? シェフがカスタニャッチョを作ってみたとのことで、ぜひお味見をと」
「まあ、本当? すごいわ!」
ジョヴァンナの前に置かれた、可愛らしく暖かみのある黄色の陶器の皿の上に、四角く切り揃えられた焼き菓子が盛られていました。カリカリに焼かれたカスタニャッチョ、紛れもなくジョヴァンナの故郷のお菓子が香っています。栗の粉とオリーブオイルと塩を混ぜて焼くだけ、という素朴な味に、レーズンや松の実、いちじくなどアレンジし放題で、実家では待ちに待った甘いデザートワインの試飲に供される秋の季節のお菓子。
香ばしいカスタニャッチョを前に目を輝かせるジョヴァンナは、セネラ子爵の存在をうっかり忘れてしまうところでした。慌てて、セネラ子爵にもカスタニャッチョを勧めます。
「叔父様もいかがでしょう? どうぞ、遠慮なさらないで」
セネラ子爵は困ったように微笑んで、首を横に振りました。どうやら、気遣わせてしまったようです。
「いや、私はいいよ。このあと、近くでワインの品評会があってね。腹を空かしておかなくてはならないんだ」
「そうなのですね。残念だわ」
「またの機会に頼むよ。それでは、そろそろお暇しようか」
ジョヴァンナは一旦カスタニャッチョを食堂に置いておき、早々に辞去するセネラ子爵を見送ります。とりあえず、これ以上ベレンガリオが呪いをかけられることはない、同時にこれ以上呪いによってジョヴァンナが太ることはない、という報告に安堵し、やっとジョヴァンナは肩の荷が一つ降りた気がしました。
昼食後の運動に励むやる気が出たところで、ジョヴァンナはいそいそと食堂へ戻ります。そこへ、老執事長ドナートがそっと一言。
「奥様。セネラ子爵の持ち込まれた栗はシェフに渡しておきますので、ご安心を」
「え? あ、はい、お願いします。そうだ、練り粥を作りたいので、あとで厨房に行きますとお伝えください」
「承知いたしました。まもなく昼食をお運びしますので、食堂でお待ちくださいませ。そうそう、昼食が食べられなくなりますので、カスタニャッチョの味見は控えめにお願いします」
「……は、はい、もちろん」
少しジョヴァンナの目が泳いでいましたが、老執事長ドナートはにこりと笑って立ち去りました。危ないところでした。つい久しぶりの故郷の味に、舌鼓どころか満腹になるまで食べ尽くすような悲劇は未然に防がれました。
食堂にポツンと残った黄色のお皿に、すでに冷めたカスタニャッチョが待っています。ジョヴァンナは一口大のそれを一つだけ摘み、もそりと頬張ります。
慣れ親しんだ栗の素朴な味、焼きすぎでもなく柔らかすぎでもなく、ちょうどいい塩梅の食感。何より、シェフの心づくしとばかりに、ジョヴァンナが求める甘いものがこっそり刻んで練り込まれています。
「甘い……実家のカスタニャッチョはそんなに甘くないけれど、これは梨のコンポートが混ざっていて甘くて美味しいわ」
ひとときの幸せに、ジョヴァンナは少しだけダイエットのことは忘れて、美味しいものを一つ、我慢できなくてもう一つ摘みました。食堂の外の廊下でカートを押す音が聞こえてきて、慌てて口の中に放り込み、怪しいことはしていませんとばかりに椅子に座って背筋を伸ばします。
昼食を食べたら、もうひと頑張りです。
食堂でジョヴァンナが昼食を摂っている最中のことです。
厨房の勝手口の外で、シェフと老執事長ドナートが声をひそめて話していました。
何やら、シェフは深刻な表情をしています。
「ドナート、やっぱりだ。セネラ子爵の持ってきたあの栗、毒が付いてる」
「そうですか。銀食器を当てると変色しましたから、おかしいと思ったのですよ」
「こっちで処分しておくよ。下手に捨てると厄介だ」
「しっかりと頼みますよ。奥様には内密に」
「坊っちゃまは大丈夫かね」
「大丈夫でしょう。何か確信があって行動なさっていると思われますので」
「ははっ、坊っちゃまもご立派になられたね」
「ええ、まったく」
二人は長くグレーゼ侯爵家に仕える者同士、当主ベレンガリオと妻ジョヴァンナを守る気持ちは一致しています。
それはかつてグレーゼ侯爵家の一員だったセネラ子爵が相手でも、同じことでした。
セネラ子爵の気の利いたお土産に、ジョヴァンナも少しは気が晴れます。
「まあ、ありがとうございます。たくさん練り粥が食べられますわ」
「ん? 栗を使うのか?」
「はい。実家では栗を挽いた粉で作ります。こちらはトウモロコシの粉とブイヨンで作るそうで……ベレンガリオ様にも食べていただけるかしら。うーん、好みではないかも」
「ま、まあ、それは追々だな。まずは君が味見をしてみるといい」
「そうですね。実家とは水質も何もかも違いますから、試してみないと」
練り粥とは、この国では主食の一つとして食べられる料理です。ひたすらに鍋で水と練るという作り方は同じですが、地域によって材料が異なり、ダーナテスカ伯爵領は特産の栗を使う独自の味を持っています。
幼いころから食べ慣れた秋の味覚でもあり、滅多に会わない叔父がジョヴァンナの故郷について憶えていてくれたことは、何とも喜ばしいものです。
そこへ、次の喜ばしい知らせが舞い込みました。
老執事長ドナートが食堂にやってきて、大事そうにトレイに載せて運んできたお菓子をジョヴァンナへと差し出したのです。
「失礼いたします。奥様、少々よろしいですか? シェフがカスタニャッチョを作ってみたとのことで、ぜひお味見をと」
「まあ、本当? すごいわ!」
ジョヴァンナの前に置かれた、可愛らしく暖かみのある黄色の陶器の皿の上に、四角く切り揃えられた焼き菓子が盛られていました。カリカリに焼かれたカスタニャッチョ、紛れもなくジョヴァンナの故郷のお菓子が香っています。栗の粉とオリーブオイルと塩を混ぜて焼くだけ、という素朴な味に、レーズンや松の実、いちじくなどアレンジし放題で、実家では待ちに待った甘いデザートワインの試飲に供される秋の季節のお菓子。
香ばしいカスタニャッチョを前に目を輝かせるジョヴァンナは、セネラ子爵の存在をうっかり忘れてしまうところでした。慌てて、セネラ子爵にもカスタニャッチョを勧めます。
「叔父様もいかがでしょう? どうぞ、遠慮なさらないで」
セネラ子爵は困ったように微笑んで、首を横に振りました。どうやら、気遣わせてしまったようです。
「いや、私はいいよ。このあと、近くでワインの品評会があってね。腹を空かしておかなくてはならないんだ」
「そうなのですね。残念だわ」
「またの機会に頼むよ。それでは、そろそろお暇しようか」
ジョヴァンナは一旦カスタニャッチョを食堂に置いておき、早々に辞去するセネラ子爵を見送ります。とりあえず、これ以上ベレンガリオが呪いをかけられることはない、同時にこれ以上呪いによってジョヴァンナが太ることはない、という報告に安堵し、やっとジョヴァンナは肩の荷が一つ降りた気がしました。
昼食後の運動に励むやる気が出たところで、ジョヴァンナはいそいそと食堂へ戻ります。そこへ、老執事長ドナートがそっと一言。
「奥様。セネラ子爵の持ち込まれた栗はシェフに渡しておきますので、ご安心を」
「え? あ、はい、お願いします。そうだ、練り粥を作りたいので、あとで厨房に行きますとお伝えください」
「承知いたしました。まもなく昼食をお運びしますので、食堂でお待ちくださいませ。そうそう、昼食が食べられなくなりますので、カスタニャッチョの味見は控えめにお願いします」
「……は、はい、もちろん」
少しジョヴァンナの目が泳いでいましたが、老執事長ドナートはにこりと笑って立ち去りました。危ないところでした。つい久しぶりの故郷の味に、舌鼓どころか満腹になるまで食べ尽くすような悲劇は未然に防がれました。
食堂にポツンと残った黄色のお皿に、すでに冷めたカスタニャッチョが待っています。ジョヴァンナは一口大のそれを一つだけ摘み、もそりと頬張ります。
慣れ親しんだ栗の素朴な味、焼きすぎでもなく柔らかすぎでもなく、ちょうどいい塩梅の食感。何より、シェフの心づくしとばかりに、ジョヴァンナが求める甘いものがこっそり刻んで練り込まれています。
「甘い……実家のカスタニャッチョはそんなに甘くないけれど、これは梨のコンポートが混ざっていて甘くて美味しいわ」
ひとときの幸せに、ジョヴァンナは少しだけダイエットのことは忘れて、美味しいものを一つ、我慢できなくてもう一つ摘みました。食堂の外の廊下でカートを押す音が聞こえてきて、慌てて口の中に放り込み、怪しいことはしていませんとばかりに椅子に座って背筋を伸ばします。
昼食を食べたら、もうひと頑張りです。
食堂でジョヴァンナが昼食を摂っている最中のことです。
厨房の勝手口の外で、シェフと老執事長ドナートが声をひそめて話していました。
何やら、シェフは深刻な表情をしています。
「ドナート、やっぱりだ。セネラ子爵の持ってきたあの栗、毒が付いてる」
「そうですか。銀食器を当てると変色しましたから、おかしいと思ったのですよ」
「こっちで処分しておくよ。下手に捨てると厄介だ」
「しっかりと頼みますよ。奥様には内密に」
「坊っちゃまは大丈夫かね」
「大丈夫でしょう。何か確信があって行動なさっていると思われますので」
「ははっ、坊っちゃまもご立派になられたね」
「ええ、まったく」
二人は長くグレーゼ侯爵家に仕える者同士、当主ベレンガリオと妻ジョヴァンナを守る気持ちは一致しています。
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