Sprint・High!(スプリント・ハイ!)

成瀬リヅ

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兵庫県予選大会 2日目

第119走 仕事の範疇(はんちゅう)

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【現在時刻 13:40】  

 カチ……カチカチ……

 カチカチ……カチ…カチ……

 マウスのクリック音が響く店内。
 その音を鳴らしている当の本人は、かれこれ2時間はパソコンとをしている。

一二三ひふみ、モニターの位置変えるの手伝って?」

「…………」

「一二三、聞いてんのか~?」

「…………」

「……。あっ!テレビで兵庫予選のライブ中継やってんじゃん!」

「えぇホントですか!?なんで地上波で……」

「おい聞こえてんじゃねぇか一二三ぃー!?ずっと無視しやがって……!」

 そう一二三可憐に向かって怒りを露わにしているのは、シューズ専門店”HOP”の店長・三崎了一みさきりょういちだった。

 彼は身長184cmの恵まれた体格と、元400mの日本代表時代に鍛え上げた体幹の強さに定評のある三崎了一である。
 さらには陸上の豊富すぎる知識のおかげで、いまだに現役プロ選手が話を聞きにやって来る、あの隠れた有識者・三崎了一である。
 だが41歳らしい顔のシワと、いつも無精髭ぶしょうひげにパーマ気味の髪型という事もあり、一部の中高生には陰で”ホームレス”や”売人ばいにん”などというヒドいアダ名を付けられているでお馴染みの、あの三崎了一である。

 ……ちなみに三崎同様に元プロスプリンターの一二三にとっては、ケガで引退した自分を社員として迎え入れてくれた恩人でもある。



 だがそんな三崎だが、出勤して以降ずっとパソコンで兵庫県予選の速報を見ている一二三に対して、少しイライラし始めていた。
 なにせ普段は明るい一二三の接客ですら”心ここに在らず”の状態が続いており、客にも被害が及びかねない状態だったのだ。店長が怒ってしまうのも無理はない。 

「ご、ごめんなさい店長!ダメですね私、ちゃんと仕事しなきゃ!はい、何しましょう!?」

「いやだからモニターの位置をコッチに移動してな、ここスパイクコーナー拡張しようと思ってんだよ。もしくはスパイクピンをここに集約しちゃって、そこに……」

「はいはい……あー、はいはい……」

「おい一二三、俺はモニターを移動したあとココに何のコーナーを作るって言った?」

「えっ!?あー、その……プ、プロテインコーナですよね?」

「よーーし分かった一二三、顔出せ。思いっきりビンタして目覚まさせてやる。俺は女だからって容赦できるほどマトモじゃねぇからな?」

「お、暴力ですか!?暴力で解決できる問題なんて、格闘技だけですよ!?」

 するとこの状況を見かねたのか、とうとうもう1人の出勤スタッフ・山下が2人の間に入っていた。
 山下といえば、あの早馬結城の白い新スパイクを選んだでお馴染みのスタッフだ。

「店長、一二三さん!もー、ケンカはそこまでにしましょう。そりゃ一二三さんも県予選の結果が気になるのは分かるけど、目の前のお客さんを1番大切に見てあげないと」

「山下さん……」

「店長も店長で、女性に手だしたらダメですよ!?あ、もちろん男性にもダメですけど」

「はぁ、冗談に決まってるじゃないすか山下さん。俺は平和主義者っすから。とにかくだ!一二三、お前もう今日いらねぇよ。戦力にならねぇなら帰れ!給料は出しといてやるから、とっとと帰って脳みそ入れ替えてこいバカ」

「バカって言ったぁ!!てか帰るなんて、そんな事できるわけないじゃないですか店長!」

「あぁ!?”仕事の責任ガー”とか素晴らしい日本人みたいな事言うつもりじゃねぇだろうなテメェ?俺は足手まといが1番嫌いなんだよ、いらねぇヤツはいらねぇ。とっとと自慢の脚力で帰りやがれ」

「ひどい!パワハラだ!」

「パワハラァ?んだそれ?食えんのか?あぁ?ったくめんどくせぇな……!」

 すると三崎は自分のデスクに入れていたタバコケースを手に取り、そのまま店外の喫煙所へと向かい始めていた。

【ダンッ!ダンッ!ダンッ!!】

 階段を降りる”怒り”と”恥ずかしさ”に満ちた大きな足音には、おそらく1階の客も驚いた事だろう。
 だが店長であるはずの彼が、その歩みを止める事はなかった。



「はぁ~……。相変わらずの暴君ね、三崎さんは。現役時代はあんなにカッコよかったのに~」

 そう言ってキレイな唇をとがらせる一二三だが、彼の命令に反して帰る様子はない。

 なにせ一二三は三崎という人間を尊敬し、感謝もしている。
 ”雇ってもらえたから”という浅はかな理由ではなく、もっと”芯の部分”の尊敬と感謝だ。

「まったく、一二三さんも一二三さんですよ?店長がいる時ぐらいは、もっと上手くゴマかさないと……」

「だって気になるんですもん、女子の200mの結果とか、4継のスタートリストとか!」

「まぁ、気持ちは分かりますけど……。はぁ~、ホント2人は世話がかかりすぎますよ本当に……」

 突然出ていく気まぐれ店長、そして長くつややかな黒髪をイジってすねる一二三の2人に対し、山下は大きなため息をついていた。

 するとしばらくしてから山下は、突然三崎のデスクの引き出しを勝手に開け始めた。
 何の前触れもなく他人のデスクを開き出した山下に対し、さすがの一二三も驚きを隠せない。

「ちょ、えぇ、山下さんなにやってるんです!?店長に怒られますよ!?」

「大丈夫大丈夫……。あ、あったコレコレ」

 そして山下はデスクから取り出した”茶色の封筒”を手に持ち、それを一二三へと手渡していた。
 その表情は何故か少しだけ柔らかくなっている。

「これは店長から一二三さんに渡してほしいと言われていた、です。ちょうどタクシーで往復分ぐらいは入っているでしょう」

「……出張費?」

「ところで話は変わりますけど一二三さん、ここから緑山記念競技場の距離は車で15キロぐらい。高速道路を使えば20分ぐらいで着くでしょうね」

「山下さん……?」

 突然訳のわからないことを話し始めた山下に対し、一二三は困惑の表情を浮かべている。
 だが彼の目に悪意があるようには見えず、むしろ何かを訴えているように見える。

(緑山記念までが……なに?どういうこと!?)

 まだ理解できない一二三は、ふと手に持つ封筒の中身を確認した。
 どうやら中には2万円の現金が入っているようだ。

「あくまでも”出張だからな?”と店長は念押ししてましたからね。さぁ一二三さん、とっとと出張先で色んなモノを吸収してきてください。顔を赤くした店長が帰ってくる前にね」

「…………!!」

 ここでようやく全てを理解した一二三は、途端に目を細めていた。
 どうやら突然目からこぼれかけた”何か”を、必死に止めるための抵抗のようだ。

「山下さん。私、行っていいんですか……?」

「出張なんだから、むしろ行かないとダメなんじゃないかい?」

「そう……ですね!」

 すると一二三は山下に背中を向けたと同時に、大きな声で言い放った!

「行ってきます!!!」

「はい行ってらっしゃい。気をつけてね」

 この直後の階段には”喜びの足音”が大きく響いていた。

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