二重のカーテン (スカートの下の黒い意志)

MisakiNonagase

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第1話:物干し台の聖域

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​2月の澄んだ朝。愛子(44)は、ずっしりと重い洗濯カゴを抱えてベランダへ出た。

カゴの主役は、16歳の結愛と13歳の真莉愛が毎日履き潰す、漆黒のオーバーパンツ――通称「黒パン」だ。

​愛子はピンチハンガーを手に取ると、いつもの「陣形」を組み始める。まず、円形のハンガーの最も外側の列には、厚手のタオルや靴下を隙間なく並べる。その内側の列に、ようやく黒パンを吊るしていく。そしてさらにその内側、誰の視線も届かない最深部に、直接肌に触れる繊細な下着類を隠すように干した。

​三重の防壁。

これが、多感な娘を持つ母親になってから身についた、愛子なりの聖域の守り方だった。

​「……私たちの頃は、こんなの履いてなかったわよね」

​指先に触れる黒パンの、無機質で厚い生地。 

愛子が女子高生だった四半世紀前、スカートの下に何かを重ね履きする習慣はほとんどなかった。姉の代までは、体育の授業で使っていた紺色のブルマーをそのまま下に履く子もいたけれど、自分はレースのついた下着のまま過ごすのが当たり前だった。

​ふと思い出すのは、当時の駅の長い階段だ。

今のようにスマートフォンが普及しておらず、誰もが「切り取られる視線」に怯える必要がなかった時代。女子生徒たちは、階段を上がる際にスカートの裾を押さえて歩くことなど、ほとんどしなかった。

​むしろ、そこには奇妙なプライドさえあった気がする。「隠してはいけない」という、言葉にできない対抗心。

風に裾が舞うことを恐れず、背筋を伸ばして階段を上り切る。それが若さの特権であり、自由の象徴だった。下着の端が見えることを過剰に恥じるよりも、堂々と振る舞うことの方が大切だった。そんな、無防備で、それゆえに美しい傲慢さが許される時代だった。

​「今の時代の子は、大変ね」
愛子は苦笑いした。

今、娘たちがそんな振る舞いをすれば、瞬く間にレンズの餌食にされてしまうだろう。今の娘たちにとって、この黒パンは「恥ずかしさ」を防ぐものではなく、悪意ある視線から身を守るための、文字通りの「鎧」なのだ。

​ふと見れば、最近の私服のミニスカートだって、最初からインナーパンツが縫い付けられているものばかりだ。「見せてもいい」ことが前提のファッション。それは便利で安心だけれど、どこか潔くないような、不自由な守りに入っているような気もして、愛子は少しだけ寂しさを覚える。

​「お母さーん! 私の黒パン、替えがないんだけど!」

​リビングから、まだパジャマ姿の次女・真莉愛の声が響く。

​「今干してるところよ! 昨日の分はもう乾いて、真莉愛の引き出しに入ってるわよ」

​愛子はそう答えながら、最後の一枚をピンチに挟んだ。冬の冷たい風に吹かれて、漆黒のカーテンがわずかに揺れる。

​かつての自分が感じていた「自由な風」は、もう娘たちの元には吹かないかもしれない。けれど、この厚い布一枚が彼女たちの心に小さな安心を与え、今日という日を胸を張って歩かせてくれる。

​愛子は空になったカゴを抱え直し、冬の陽光に守られた聖域を後にした。
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