二重のカーテン (スカートの下の黒い意志)

MisakiNonagase

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第5話:テラス席の防衛会議

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2月の柔らかな日差しが差し込む、自由が丘のイタリアンカフェ。テラス席に並んだ4人の女たちは、パスタを巻く手も忘れて、ある「布切れ」の話題に熱を上げていた。

「……でね、結局うちは毎日4枚も5枚も『黒パン』が物干しハンガーを占領してるわけ。一番外側にはバスタオル、次に黒パン、その一番奥にようやく私や娘の下着。まるで機密文書を隠すシュレッダー前の書類山よ」

愛子(44)が自嘲気味にそう切り出すと、テーブルを囲むママ友たちから、堰を切ったような笑いと同意が溢れ出した。集まったのは、長女・結愛の小学校時代からの付き合いである、気心知れた「戦友」たちだ。

「わかるわ。うちはもっとカオスよ」

真っ先に身を乗り出したのは、最年長の香苗(50)だ。大学生の長男と、高校生の長女を持つ彼女は、自称「ブルセラ直撃世代」の生き残りである。

「私の高校時代なんて、ガードを固めるどころか、いかにガードを緩めて『女』を武器にするかがステータスの時代だったじゃない? ルーズソックスをこれでもかと重力に逆らって下げて、スカートはベルトで何重にも折って、パンツのゴムが見えるか見えないかの瀬戸際で勝負してた。今の娘が、制服のスカートの下に黒い鉄壁のオーバーパンツを履いて、しかもその裾が見えないようにミリ単位で調整してるのを見ると、正直『あんたたち、修行僧か何か?』って言いたくなるわよ」

香苗はワイングラスの脚を指で回しながら、どこか遠い目をした。

「当時はTバック履いて登校してた友達も普通にいたしね。隠すことより、いかに開放的であるか。それが当時の『自由』の定義だった気がする。今の子たちは、隠すことでしか自由を手に入れられないのかもね」

「香苗さんの時代は極端ですけど、確かに私たちの頃も『見せないための工夫』なんてしなかったですよね」

42歳の伶花が、長男と長女の二人の子供を育てる現役感たっぷりの表情で言葉を継ぐ。

「私の時はスカートの下に何か履くなんて発想、そもそも無かったです。冬に寒いから毛糸のパンツを履くくらいで。今の結愛ちゃんやうちの娘たちが『黒パンなしじゃ階段上れない、自転車なんて拷問だ』って言ってるのを聞くと、私たちがどれだけ無防備に、お尻のラインも下着のシミやシワも気にせず駅の階段を闊歩してきたか……。今更ながら、背筋が寒くなるわ。当時はそれが恥ずかしいんじゃなくて、堂々としているのがカッコいい、なんて思ってたんだから」

愛子は、朝のベランダで感じていたあの「風通しの良さ」と、今の娘たちの「窮屈な安心」を対比させながら深く頷いた。

「そうなのよね。私、こないだ夫の清孝と出かけた時に、彼が駅のエスカレーターで妙な動きをしたの。前にミニスカートの子がいたんだけど、清孝、わざと歩調を緩めて、脇から来た別の乗客を数人先に行かせてから乗ったのよ。自分とその子の間に『他人の壁』を作って、絶対に真後ろにならないように。隣で見ていて、なんだか男の人もそこまで神経を削らなきゃいけない時代なんだって、切なくなっちゃって」

すると、二人の息子を持つ友加里(46)が、フォークを置いて真剣な眼差しで口を開いた。

「愛子さん、それは清孝さんが正解。っていうか、現代を生き抜く男性の『最適解』よ。うちなんて息子二人でしょ? もう、家の中で耳にタコができるくらい叩き込んでるわよ。『外で絶対に女子の真後ろに立つな。階段ではスマホはポケットにしまえ。両手は常に視界に入る位置に置け』ってね」

友加里の言葉には、息子を持つ親特有の切実な響きがあった。

「冤罪が怖いのはもちろんだけど、それ以上に『女の子を不安にさせること自体が加害になり得る』っていう空気を、今の男の子たちは敏感に感じ取ってる。私たちの頃の男子なんて、エスカレーターの鏡面反射で下着が見えるかどうかで一喜一憂してたようなバカばっかりだったけど、今の若者はそんなリスク冒さないわよ。無関心を装うことが、自分を守り、相手を尊重する唯一の方法なんだから」

テラス席に、ふっと奇妙な沈黙が流れた。

かつて自分たちが、スカートをなびかせて自由に、あるいは奔放に駅の階段を駆け上がっていたあの頃。

あの時、背後にいた男性たちは何を思っていたのだろうか。今の清孝や友加里の息子たちのように、胃が痛むような配慮をしていたのだろうか。それとも、剥き出しの視線を送り続けていたのだろうか。

「なんか、今の時代って、守る方も守られる方も、みんな『鎧』だらけね」

愛子がぽつりと零した言葉に、ママ友たちはそれぞれの「母親としての顔」で深く頷いた。
娘たちは、黒い厚手の布一枚に自尊心を預け、階段を上る。

息子たちは、無関心という透明なバリアを張り、視線を足元に落とす。そして母親たちは、それらの鎧を毎日洗濯し、ほつれがないかを確認しては、かつて自分が持っていたはずの「無防備な自由」という名の忘れ物を思い出している。

「でもさ、愛子」香苗が少し悪戯っぽく笑った。

「その黒パンのおかげで、パパたちの理性が保たれてる部分もあるんじゃない? もし今でも私たちがTバックで階段上ってたら、今の繊細な男子たち、パニックになって駅の階段でフリーズしちゃうわよ」

「それはそうね(笑)。でも、中高生の女の子が最近スラックスを選べるようになったのは、正直ホッとするって清孝が言ってたわ。それこそ、制服の可愛さは激落ちするかもしれないけど、誰にとっても平和なのはスラックスなのかもね」

愛子は、冷めかけたエスプレッソを飲み干した。
黒パンという名の物理的なカーテンと、無関心を装うという心のカーテン。

それらが何重にも重なり合って、この街の治安と平穏は辛うじて保たれている。

かつての彼女たちが知る世界とは全く別のルールで動くこの街を、娘たちは明日もまた、黒い鎧を纏って歩いていくのだ。

「さて、そろそろ帰りましょうか。また明日の朝、黒いカーテンを大量に干さなきゃいけないしね」

愛子が立ち上がると、3人のママ友たちもそれぞれの「鎧の管理人」としての日常へと戻るべく、足早に席を立った。
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