婚約者の本性を暴こうとメイドになったら溺愛されました!

柿崎まつる

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5.婚約者と幼馴染③

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 バルはわたしたちに茶目っ気たっぷりの笑顔を振りまくと、足取り軽やかに廊下を曲がってしまった。

「……もう! バルったら」

 あの幼馴染が何をしたかったのか、わたしにはわからない。ただ、成人して身体は大人になったけれど、心はそこに届いていないのは、わたしだけではないのかも。

「バーソロミュー王子とは、仲がよろしいんですね」
「……ぃっ!」
 
 バルの行動にあっけにとられたわたしは、いきなり耳元で囁かれた言葉に度肝を抜かれる。振り返れば、グラシアンがいつもの笑顔を浮かべていた。

 ――はー、びっくりした……。

 わたしは気取られまいと、平静を装う。

「……幼馴染なのです。わたしと歳の近い王族が傍にいないので、陛下がバロモンテ国王にお願いして、一年に何度か遊びに来てもらっていた仲です。今は周辺国を遊学中で、先月からここに滞在しています」
「そうですか。――殿下」

 顔を上げると、意外なほどグラシアンが近かった。彼の手がすっと、わたしの左頬に添えられる。重量のある剣を片手で操る指は、繊細な見た目より硬かった。どうしてか、わたしの胸がドキドキし始める。

「痛っ!」

 その指が突然、わたしの頬をきつく擦ったのだ。思わず両手で押さえたわたしに、グラシアンがしれっと言う。

「失礼しました。が付いておりましたので」
「ゴミ? ……そう、ですか。……ありがとうございます」

 あっけにとられて、思わず間抜けな返事をしてしまった。

 ――おかしいわね。窓で自分の顔を確認したときは、何もついてなかったはずなのに。それとも、バルに抱き着かれてついたのかしら?
 
「参りましょうか、殿下」
「……ええ」

 差し出された左手に自分の右手を添えると、彼の脇と腕がいつもより離れていないことに気が付いた。おかげで私まで彼と引っ付いて歩かなくてはならない。近い、近すぎる。絶対いつもより距離が近い。
 こちらの動揺をよそに、大きな指がわたしの指に絡んできた。火のマナを操るだけあって、グラシアンの体温は高く、懐からは木を燃やしたようなほのかな香りがする。服越しにもわかる、鍛えられた胸の筋肉と引き締まった腰回り。意識すまいとすればするほど、先ほどの講義の内容が頭をめぐった。
 どうしていいのかわからない。振り払ったり握り返すこともできず、黙って下を向くと隣からくすっと笑い声がこぼれる。

 ――わざとやっているの?

 わたしは猛烈に恥ずかしくなって、思わず彼の手を払ってしまった。グラシアンが驚いた表情を浮かべる。

「殿下? どうしました?」

 売られた喧嘩を買ったなら、最後までやり通さねば。何事も勢いが重要。やった勢いで、相手をにらみつけた。

「前にも言ったとおり、わたしはまだあなたのことを認めていませんし、人の目がないところで、わたしに気を使う必要はありません。――そ……」
「麗しい殿下を前に、それは無理な話ではありますが」

 まるで恋焦がれるような低い声と、熱のこもったルビーの瞳で訴えかけられて、わたしは言葉を詰まらせてしまう。勢いをそがれた挙句、どうにも息苦しくなって目をそらした。

「人の言葉を遮らないでください。――それから、衣装の打ち合わせにはあなた一人で行ってもらえますか? わたしは後でいきます。まだ、信頼できない方とはご一緒したくないので」

 ここまで言えば、さすがのグラシアン卿も顔色を変えるだろう。しかし、彼は何事もなかったように言ったのだ。
 
「それでしたら、先に殿下が打ち合わせなさってください。わたしは殿下が終わられてから参ります。結婚式の主役は殿下ですから」
「……わかりました。終わったらあなたを呼ぶよう、侍従に伝えておきます」
「ありがとうございます。――殿下」
「なんですか?」

 立ち去ろうとしたところで呼ばれて、振り返る。

「いまだ未熟者のわたしですが、いずれ殿下から信頼していただける人間になるよう努力する所存です。そう長くお待たせするつもりはありません。どうか、その日までわたしをお見捨てにならないでください」

 わたしが言い淀んでいる間に、グラシアンは目を伏せた。

「では、失礼します」

 一礼すると姿勢よく歩き出す。後ろ姿まで端正で、その完璧さには感心してしまう。創造の神がいかに不公平であるか、彼を例に出すだけで誰もが納得するだろう。
 だが、わたしは彼と会うたびに、どうしてもイライラしてしまうのだ。

「なになに? 婚約者と喧嘩してるの? アリス」

 のんびりした声が聞こえるとともに、後ろから覗き込まれてビクッとした。

「バル! 陛下のところに行ったんじゃなかったの?」
「こんなに面白そうな場面、見逃すわけないじゃん。僕のこと『ゴミ』だってさ、失礼しちゃうよね」

 なんのことやら見当もつかないわたしを、バルが愉快そうに笑う。

「アリスは陛下に大事にされていると思っていたけれど、どうやらそうでもないみたいだね。普通の親なら、娘の意思をまず尊重するものじゃないのかな?」
「バルは、他人ひとの家庭の内情をよく知っているわね。でも、陛下のお考えに間違いはないわ。この人選にもちゃんと理由があるのよ」

 ――きっと。

 自分に言い聞かせるように言ったわたしを、バルは都合よく無視した。
 
「グラシアン卿は一見、そつがなさそうだけど、君にあんな態度をとられたのに顔色一つ変えないなんて、ちょっと不気味じゃない? 自尊心が低いようには見えないけれど」
「知らないわよ」
「でも、君に対する独占欲はあるみたい」
「それこそ、自分の自尊心を守るためじゃないかしら?」

 グラシアンもわたしに会うたび、嬉しいだの喜ばしいだの言うが、そんなものは貴族の社交辞令に過ぎない。真に受けるほうがおかしいのだ。

「アリスは、グラシアン卿が嫌いなの?」
「……『嫌い』までいってないわ。ただ、信用できないだけよ」

 顔だけなら文句なく好みだが、それが相手を全肯定することにはならない。グラシアンを信用するには、材料が足らないのだ。
 バルは眉間に指先を当てて、首をかしげた。

「アリスにしては浮かない返事だね。僕で力になれることがあったら、いつでも言ってよ」
「ほんとうに、……なんともないわ。でも、気持ちはうれしい。――わたし行くわね、皆を待たせているの」
「うん、またね」

 バルと別れてから、長い廊下を進む。途中で窓ガラスを覗き込んで、自分の顔から赤みが引いているか確認した。

 ――大丈夫。いつもの王太女の顔よ。

 顔を上げて背筋を伸ばす。そうして、わたしは自分が起こした小さな騒動のせいで、バルの様子がいつもと違うことを忘れてしまった。
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