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9.未来のカニア卿
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王都にある貴族の邸宅の多くは宮殿近くの一等地にあり、屋敷一軒につき林のような広さを誇っていた。
カニア侯爵家の邸宅はその中では小規模だが、執務室から見える中庭のバラ園は実に見事だ。宮殿にあるわたしの庭と遜色ないくらい、手を入れてある。一方、ブラウンの色調でまとめられた室内には、雄鹿の頭部の剥製が壁に飾られており、家具も重厚な造りだった。聞けば、屋外は侯爵夫人、屋内は侯爵の趣味が反映されているらしい。屋敷の風景にそれぞれの家風が現れるのが面白い。
わたしは、一人立って待っていた。黒いワンピースに白いエプロンとヘッドドレス。メイド服に身を包み、ブロンドからブラウンに染めた三つ編みに、まるぶちメガネをかけている。レンズには黄色い色味がかかっていて、わたしの青色の瞳も黄緑っぽく見える。そのうえ、幼く見えるメイクにしてそばかすも書き加えたから、正体に気がつく者はいないはず。
勢いよく扉が開いて、小柄な男性が姿を現した。
「やあ! 君が臨時のメイドくんだね。僕はコリン。よろしくね」
「お初にお目にかかります、コリン様。キャロル・フォックスと申します。一週間の短期ですが、よろしくお願いします」
頭を下げるわたしに、案の定コリンが気が付いた様子はまったくない。これでも、陛下の補佐官には月に何度も面会しているのに。現在進行形で広がり続ける生え際、ゆるみきったマシュマロ体型、親しみやすいプリン顔。兄弟は似ていないが、二人とも女王陛下の御代を支える大事な人材だった。
コリンは応接椅子にポテッと身体を落とした。
「そんなに、かしこまらなくっていいって。両親はしばらく自領に籠りきりで、弟は寮暮らしで休みの日しか帰ってこないし 、僕は日中仕事でほとんど家を空けているんだ。だから、気軽に過ごしてよ」
「ありがとうございます」
だったら、昼間は他の使用人たちからグラシアンの話を聞き、掃除の振りをして寝室を覗きに行こうか? そんなことを考えていると、コリンがわたしの顔に目を凝らした。
「王宮の侍従長から君を短期で雇ってくれと頼まれたとき、僕ピンと来たんだ。女王陛下はこの結婚に乗り気だけれど、王太女殿下はそうでもないんじゃないかってさ」
それは違いないし、結婚式を二月後に控えた王宮から人が遣わされれば、少し考えれば誰でもわかるのことなので今更隠しても仕方ない。
「殿下は、グラシアン卿とよりよい関係を築くことをお望みです」
「僕も弟の縁談がうまく行ってほしいから、君への協力を惜しむつもりはないよ。何でも言ってよ。もちろん、グラシアンには君のことは秘密にしておくから大丈夫だよ」
わたしは、にっこりと笑顔を作る。本性を暴いて婚約破棄を狙っていることはもちろん内緒であった。
「殿下に良いご報告ができるよう、努力いたします」
「それは何より。しかし、さすがは王太女殿下だね。兄の僕から見ても、グラシアンの言動は完璧だと思っていたから、まさか気づかれているなんて思わなかったよ」
気づかれているとは、どういう意味? やはり、『完璧な』グラシアンに裏があるってことよね? 人の好いコリンなら、ヒントをくれるかもしれない。
わたしがそう思ったときだった。
「きゃあああっ!」
火事だぁ! 早く、火を消してくれっ!」
屋敷の外から、けたたましい叫びが聞こえてきた。途端、コリンの身体が毬のように跳ねて、飛び出していく。
「うわぁっ、なんだ!」
外へ出るとわたしたちの目の前で、使用人の寮と思しき建物の一部から火の粉が舞っていた。非番の使用人たちが悲鳴をあげながら、着の身着のまま飛び出してくる。
「コリン様、メイド長の部屋から出火です!」
「くそっ、火の回りが早いなっ! 早く水をかけるんだっ!」
燕尾服を着た執事の声に、コリンの慌てたそれが重なった。使用人たちも最初こそ騒然としていたが、各々自分のできることを探して消火活動を始める。わたしも早速、水の入ったバケツを運ぶリレーに加わった。来て早々、予想外の展開。何が起きるか解らないものだ。
「もっと水をくれ!」
「こんなんじゃ追いつかないわ!」
しかし、総出の消火活動の甲斐もなく、火はなかなか消えなかった。それどころか、煙をもうもうと立ちあげながら、火の手は窓ガラスを割って二階まで昇っている。熱い火の粉と灰が上から降ってきた。出火原因か分からないが、勢いが強くて消火が間に合わない。顔に汗と煤をつけたコリンが拳を握った。
「ああもうっ、全然火が消えないよっ! ここに水の使い手がいればいいのに!」
わたしはドキッとする。精霊のマナの力は瞳に現れ、火は赤、水は青、風は緑、土は琥珀色。コリンの瞳は緑だから、風属性だ。残念ながら、火を煽ることはできても消すことはできなかった。
その点わたしは水属性なので、この周りの早い火を消すことができるが、臨時メイドのキャロルで来た以上、力を行使して身分を明かすことはできなかった。だが、自分にその力があるのに黙って見ているのも気が引ける。計画をとん挫させるか、このまま建物が焼けていくのを黙って見ているか、迷っているときだった。
「何の騒ぎですか、兄さん!?」
カニア侯爵家の邸宅はその中では小規模だが、執務室から見える中庭のバラ園は実に見事だ。宮殿にあるわたしの庭と遜色ないくらい、手を入れてある。一方、ブラウンの色調でまとめられた室内には、雄鹿の頭部の剥製が壁に飾られており、家具も重厚な造りだった。聞けば、屋外は侯爵夫人、屋内は侯爵の趣味が反映されているらしい。屋敷の風景にそれぞれの家風が現れるのが面白い。
わたしは、一人立って待っていた。黒いワンピースに白いエプロンとヘッドドレス。メイド服に身を包み、ブロンドからブラウンに染めた三つ編みに、まるぶちメガネをかけている。レンズには黄色い色味がかかっていて、わたしの青色の瞳も黄緑っぽく見える。そのうえ、幼く見えるメイクにしてそばかすも書き加えたから、正体に気がつく者はいないはず。
勢いよく扉が開いて、小柄な男性が姿を現した。
「やあ! 君が臨時のメイドくんだね。僕はコリン。よろしくね」
「お初にお目にかかります、コリン様。キャロル・フォックスと申します。一週間の短期ですが、よろしくお願いします」
頭を下げるわたしに、案の定コリンが気が付いた様子はまったくない。これでも、陛下の補佐官には月に何度も面会しているのに。現在進行形で広がり続ける生え際、ゆるみきったマシュマロ体型、親しみやすいプリン顔。兄弟は似ていないが、二人とも女王陛下の御代を支える大事な人材だった。
コリンは応接椅子にポテッと身体を落とした。
「そんなに、かしこまらなくっていいって。両親はしばらく自領に籠りきりで、弟は寮暮らしで休みの日しか帰ってこないし 、僕は日中仕事でほとんど家を空けているんだ。だから、気軽に過ごしてよ」
「ありがとうございます」
だったら、昼間は他の使用人たちからグラシアンの話を聞き、掃除の振りをして寝室を覗きに行こうか? そんなことを考えていると、コリンがわたしの顔に目を凝らした。
「王宮の侍従長から君を短期で雇ってくれと頼まれたとき、僕ピンと来たんだ。女王陛下はこの結婚に乗り気だけれど、王太女殿下はそうでもないんじゃないかってさ」
それは違いないし、結婚式を二月後に控えた王宮から人が遣わされれば、少し考えれば誰でもわかるのことなので今更隠しても仕方ない。
「殿下は、グラシアン卿とよりよい関係を築くことをお望みです」
「僕も弟の縁談がうまく行ってほしいから、君への協力を惜しむつもりはないよ。何でも言ってよ。もちろん、グラシアンには君のことは秘密にしておくから大丈夫だよ」
わたしは、にっこりと笑顔を作る。本性を暴いて婚約破棄を狙っていることはもちろん内緒であった。
「殿下に良いご報告ができるよう、努力いたします」
「それは何より。しかし、さすがは王太女殿下だね。兄の僕から見ても、グラシアンの言動は完璧だと思っていたから、まさか気づかれているなんて思わなかったよ」
気づかれているとは、どういう意味? やはり、『完璧な』グラシアンに裏があるってことよね? 人の好いコリンなら、ヒントをくれるかもしれない。
わたしがそう思ったときだった。
「きゃあああっ!」
火事だぁ! 早く、火を消してくれっ!」
屋敷の外から、けたたましい叫びが聞こえてきた。途端、コリンの身体が毬のように跳ねて、飛び出していく。
「うわぁっ、なんだ!」
外へ出るとわたしたちの目の前で、使用人の寮と思しき建物の一部から火の粉が舞っていた。非番の使用人たちが悲鳴をあげながら、着の身着のまま飛び出してくる。
「コリン様、メイド長の部屋から出火です!」
「くそっ、火の回りが早いなっ! 早く水をかけるんだっ!」
燕尾服を着た執事の声に、コリンの慌てたそれが重なった。使用人たちも最初こそ騒然としていたが、各々自分のできることを探して消火活動を始める。わたしも早速、水の入ったバケツを運ぶリレーに加わった。来て早々、予想外の展開。何が起きるか解らないものだ。
「もっと水をくれ!」
「こんなんじゃ追いつかないわ!」
しかし、総出の消火活動の甲斐もなく、火はなかなか消えなかった。それどころか、煙をもうもうと立ちあげながら、火の手は窓ガラスを割って二階まで昇っている。熱い火の粉と灰が上から降ってきた。出火原因か分からないが、勢いが強くて消火が間に合わない。顔に汗と煤をつけたコリンが拳を握った。
「ああもうっ、全然火が消えないよっ! ここに水の使い手がいればいいのに!」
わたしはドキッとする。精霊のマナの力は瞳に現れ、火は赤、水は青、風は緑、土は琥珀色。コリンの瞳は緑だから、風属性だ。残念ながら、火を煽ることはできても消すことはできなかった。
その点わたしは水属性なので、この周りの早い火を消すことができるが、臨時メイドのキャロルで来た以上、力を行使して身分を明かすことはできなかった。だが、自分にその力があるのに黙って見ているのも気が引ける。計画をとん挫させるか、このまま建物が焼けていくのを黙って見ているか、迷っているときだった。
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