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36.初恋の破れ(エイミー視点)②
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そうこうしているうちに、キャロルの勤務の最終日がやってきた。火祭りに向かうために準備する彼女を手伝って、エイミーたちは見送る。花柄のドレスで不安そうにグラシアンを待つ彼女が、この国の次の王だと誰が思うだろう。
「ありがとう! みんなが優しくしてくれて、嬉しかったよ」
キャロルの笑顔は、眩しくて陽気だ。新聞や雑誌で知る王太女殿下は聡明で上品で、目鼻立ちのはっきりした気が強そうな印象だったのに、言葉は悪いけれど、エイミーたちと変わらない成人したばかりの女の子だ。エイミーは嫌いになりたかったけれど、結局嫌いになれなかった。
それに何よりキャロルを迎えるグラシアンの顔が、かつて見たことがないほど満ち足りて幸せそうだ。グラシアンはキャロルもとい王太女と結婚するまで少なくとも二年は掛けたので、同じように長く片想いしたエイミーにはその気持ちが痛いほどわかる。かなり複雑だけど。
エイミーはもしかしたら、グラシアンが王太女との結婚を望むのは自身の出世の為ではないかと期待していた。それだったら、結婚後しばらくしたらほかの女性を愛するようになるかもしれない。だが、その考えは間違っていたのだ。グラシアンは、王太女だからキャロルを選んだんじゃない。結婚したい相手がキャロルだったから、王太女の婿になることを望んだのだ。
他のメイドたちと仕事に戻る途中、ブレンダが耳打ちしてきた。
「エイミー、好きだったんでしょ? グラシアン様のこと」
「……もちろんよ。五年間ずっと見てたんだから」
この屋敷の使用人がグラシアンに恋をすることは、珍しいことではない。うっかり風邪をひいてしまうのと同じようなもので、お互い真面目な顔で『ご愁傷様です』『痛み入ります』と言い合うのが習慣化していた。
エイミーは扉の前で止まって、口を尖らせる。
「今だから言うけれど、内緒で雑用係もしてたし、二年前からグラシアン様の本当の性格も知ってたんだから」
ブレンダは少しだけ驚いて、それから笑う。
「さすがは、エイミーだね。じゃあ、敵に塩を送っちゃったわけ?」
「……そうだけど、グラシアン様の笑顔見た? 叶うわけないじゃん」
「見たわよ! あんなに楽しそうなグラシアン様を見たのは初めだったわ。で? 結局、キャロルは誰だったの? グラシアン様は王太女様というれっきとした婚約者がいらっしゃるから、あの子は妾になるわけ?」
ブレンダの疑問に、エイミーは耳元で囁いた。
「まさか。キャロルがグラシアン様の婚約者だよ」
「えっと……それってっ! ……うっ!」
大声を上げることが予想できて、エイミーはブレンダの口を両手で抑えた。幸いにも周りに人は居ない。衝撃が去ったところで手を離すと、ブレンダは興奮気味に拳を作る。
「なにそれ! 王女様が婚約者の下見に来たってこと? わざわざメイドの振りをして? 何のために!?」
「目的なんて知らないよ。グラシアン様は気づいてたけれど、キャロ……王女様はまだ気づかれていることを知らないみたい」
「道理でキャロルは浮世離れしてたのね! それにしても驚きだわ。世紀のロイヤルカップルの裏事情を新聞社に売ればたんまりお金がもらえるけれど、そのまえにまず信じてもらえないね。こんな話」
「そうだよ。それにお屋敷のなかのことを漏らしてクビになったら、新しい職場も結婚相手もどっちも見つからなくなっちゃうよ。あほらしいじゃん」
はぁ、と二人ともに溜息を落とす。これは、誰にも想像できないことだ。ブレンダは扉に寄りかかってやれやれと腕組みをする。
「今まで、グラシアン様が人格者のごとく振る舞っていたのも、みんな王女様のためだったのね。わたしたち、偽物のグラシアン様に騙されちゃったわね」
「そんなことないよ。今のワイルドなグラシアン様もかっこいいよ。自然だし……笑顔もステキだし」
「あ、……ごめん」
親友の自分を思いやる気持ちは伝わってきたけれど、グラシアンのことを悪く言われるのはやはりうれしくなかった。それぐらい好きだったのだ。
「いいよ。わたしにできることは、祝福すること。お二人が幸せになりますようにって」
――あのノート、どうしよう。
グラシアンを事細かに観察した、ストーカーメモ帳。持っていても未練がましいのがいや増すだけだ。捨てるべきだろうか。
ブレンダがエイミーの肩をポンッと叩いた。
「グラシアン様級の人を探すのは難しいかもしれないけれど……。でも、その、なんていうか。知らないかもしれないけれど、ここの男性使用人の間でもエイミーはモテてるんだよ」
必死に元気づけようとする同僚に、涙より先に笑いがこぼれる。
「ありがと、持つべきものはやっぱり親友だね」
「あ、うん。そういえば、馬房のブライス少年からお菓子預かっていたよ。二番街で人気のお菓子屋の新作だって」
「わ、食べる、食べる。あとで少年にお礼を言っておかないと」
「わざわざ休みの日に並んで買いに行ったみたい。――ほら、やっぱりわたしが言ったとおり、エイミーはモテてるでしょ? 告白されたらどうするの?」
「やめなよ。ブライスはこのまえ仕事で助けてあげたから、わたしに気を使ってるんだよ。それに、万が一ブライスといい仲になって、侍女長が義理のお母さんになるのってどうよ?」
「あ、それは確かにキツイ。わたしには無理だわ」
「でしょー?」
笑いが弾けるとともに、五年分の片思いの涙がこぼれて止まらなかった。
――次に好きな人が現れるまで、ノートは持っていよう。
それまでは、グラシアンの良い思い出に浸っていたい。グラシアンに出会った日のこと、本性を知ったときに向けられた笑顔、それから雑用係をこなせて嬉しかったこと。
新しく夢中になれることが見つかるまで、そんなに長くかからないから。
エイミーは両手の甲で涙を拭うと、色鮮やかなグミを嚙んだ。
「あー。甘くておいしー」
視界いっぱいに広がる夏の空はキラキラと眩しく、どこまでも澄み渡っていた。
「ありがとう! みんなが優しくしてくれて、嬉しかったよ」
キャロルの笑顔は、眩しくて陽気だ。新聞や雑誌で知る王太女殿下は聡明で上品で、目鼻立ちのはっきりした気が強そうな印象だったのに、言葉は悪いけれど、エイミーたちと変わらない成人したばかりの女の子だ。エイミーは嫌いになりたかったけれど、結局嫌いになれなかった。
それに何よりキャロルを迎えるグラシアンの顔が、かつて見たことがないほど満ち足りて幸せそうだ。グラシアンはキャロルもとい王太女と結婚するまで少なくとも二年は掛けたので、同じように長く片想いしたエイミーにはその気持ちが痛いほどわかる。かなり複雑だけど。
エイミーはもしかしたら、グラシアンが王太女との結婚を望むのは自身の出世の為ではないかと期待していた。それだったら、結婚後しばらくしたらほかの女性を愛するようになるかもしれない。だが、その考えは間違っていたのだ。グラシアンは、王太女だからキャロルを選んだんじゃない。結婚したい相手がキャロルだったから、王太女の婿になることを望んだのだ。
他のメイドたちと仕事に戻る途中、ブレンダが耳打ちしてきた。
「エイミー、好きだったんでしょ? グラシアン様のこと」
「……もちろんよ。五年間ずっと見てたんだから」
この屋敷の使用人がグラシアンに恋をすることは、珍しいことではない。うっかり風邪をひいてしまうのと同じようなもので、お互い真面目な顔で『ご愁傷様です』『痛み入ります』と言い合うのが習慣化していた。
エイミーは扉の前で止まって、口を尖らせる。
「今だから言うけれど、内緒で雑用係もしてたし、二年前からグラシアン様の本当の性格も知ってたんだから」
ブレンダは少しだけ驚いて、それから笑う。
「さすがは、エイミーだね。じゃあ、敵に塩を送っちゃったわけ?」
「……そうだけど、グラシアン様の笑顔見た? 叶うわけないじゃん」
「見たわよ! あんなに楽しそうなグラシアン様を見たのは初めだったわ。で? 結局、キャロルは誰だったの? グラシアン様は王太女様というれっきとした婚約者がいらっしゃるから、あの子は妾になるわけ?」
ブレンダの疑問に、エイミーは耳元で囁いた。
「まさか。キャロルがグラシアン様の婚約者だよ」
「えっと……それってっ! ……うっ!」
大声を上げることが予想できて、エイミーはブレンダの口を両手で抑えた。幸いにも周りに人は居ない。衝撃が去ったところで手を離すと、ブレンダは興奮気味に拳を作る。
「なにそれ! 王女様が婚約者の下見に来たってこと? わざわざメイドの振りをして? 何のために!?」
「目的なんて知らないよ。グラシアン様は気づいてたけれど、キャロ……王女様はまだ気づかれていることを知らないみたい」
「道理でキャロルは浮世離れしてたのね! それにしても驚きだわ。世紀のロイヤルカップルの裏事情を新聞社に売ればたんまりお金がもらえるけれど、そのまえにまず信じてもらえないね。こんな話」
「そうだよ。それにお屋敷のなかのことを漏らしてクビになったら、新しい職場も結婚相手もどっちも見つからなくなっちゃうよ。あほらしいじゃん」
はぁ、と二人ともに溜息を落とす。これは、誰にも想像できないことだ。ブレンダは扉に寄りかかってやれやれと腕組みをする。
「今まで、グラシアン様が人格者のごとく振る舞っていたのも、みんな王女様のためだったのね。わたしたち、偽物のグラシアン様に騙されちゃったわね」
「そんなことないよ。今のワイルドなグラシアン様もかっこいいよ。自然だし……笑顔もステキだし」
「あ、……ごめん」
親友の自分を思いやる気持ちは伝わってきたけれど、グラシアンのことを悪く言われるのはやはりうれしくなかった。それぐらい好きだったのだ。
「いいよ。わたしにできることは、祝福すること。お二人が幸せになりますようにって」
――あのノート、どうしよう。
グラシアンを事細かに観察した、ストーカーメモ帳。持っていても未練がましいのがいや増すだけだ。捨てるべきだろうか。
ブレンダがエイミーの肩をポンッと叩いた。
「グラシアン様級の人を探すのは難しいかもしれないけれど……。でも、その、なんていうか。知らないかもしれないけれど、ここの男性使用人の間でもエイミーはモテてるんだよ」
必死に元気づけようとする同僚に、涙より先に笑いがこぼれる。
「ありがと、持つべきものはやっぱり親友だね」
「あ、うん。そういえば、馬房のブライス少年からお菓子預かっていたよ。二番街で人気のお菓子屋の新作だって」
「わ、食べる、食べる。あとで少年にお礼を言っておかないと」
「わざわざ休みの日に並んで買いに行ったみたい。――ほら、やっぱりわたしが言ったとおり、エイミーはモテてるでしょ? 告白されたらどうするの?」
「やめなよ。ブライスはこのまえ仕事で助けてあげたから、わたしに気を使ってるんだよ。それに、万が一ブライスといい仲になって、侍女長が義理のお母さんになるのってどうよ?」
「あ、それは確かにキツイ。わたしには無理だわ」
「でしょー?」
笑いが弾けるとともに、五年分の片思いの涙がこぼれて止まらなかった。
――次に好きな人が現れるまで、ノートは持っていよう。
それまでは、グラシアンの良い思い出に浸っていたい。グラシアンに出会った日のこと、本性を知ったときに向けられた笑顔、それから雑用係をこなせて嬉しかったこと。
新しく夢中になれることが見つかるまで、そんなに長くかからないから。
エイミーは両手の甲で涙を拭うと、色鮮やかなグミを嚙んだ。
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視界いっぱいに広がる夏の空はキラキラと眩しく、どこまでも澄み渡っていた。
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