婚約者の本性を暴こうとメイドになったら溺愛されました!

柿崎まつる

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60.天使が狂人に変わるとき

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 わたしは、侍女のキャロルが淹れてくれたアイスミルクティーを飲みながら、私領の会計報告をチェックしていた。結婚式を控えているうえに、引き継がれる仕事が山のようにあり、ティータイムすらゆっくりすごせない。その量ときたら、陛下はわたしに王位を譲る気ではないかと疑いたくなるほどだった。
 
 王配が受け持つ執務も、一旦はわたしが覚える。お父様がいない今、陛下はそれもすべて一人でこなしているのだ。陛下はお父様を愛していて、その想いを生涯貫くために、執務を肩代わりしてくれる便宜上のパートナーすら置こうとはしない。
 以前はそれについて考えたこともなかったが、もうすぐわたしにもグラシアンという夫ができる。彼には愛されないと、わかっている。だが、火祭りの夜を思い出すと、自然と頬が緩んでしまう。
 
 開いた窓から、コマドリのさえずりが美しく響いていた。
 一生に一人だけの人。この一カ月何度逢いたいと願ったか、わからない。グラシアンには王配になって叶えたい十年越しの野望がある。もしそれが成就したなら、少しぐらい私を愛してくれるだろうか。彼の望みが善か悪かもわからないうちに、淡い期待が膨らんだ。

 わたしは書類に目を通すふりをして、自嘲する。次に会ったとき、グラシアンを冷たく突き放さなくてはいけないのに、これでは先が思いやられるではないか。

「バル? あなた、避暑に行ったんじゃなかったの?」
 
 ノックの音に頭を上げると、侍女のキャロルが突然の訪問客を伴っていた。
 バロモンテの第三王子バーソロミュー・エイルマ・バロモンテ。巷で騒がれているわたしの第二の婚約者候補だ。柔らかなブラウンの長髪が、水色のベストを纏った薄い肩にかかっていた。わたしはかつて、幼馴染に私室への訪問を特別に許可していたことを思いだす。
 
「君が世紀のスキャンダルの渦中にいるのに、のんきに涼んでいられる僕じゃないよ」

 わたしは、手にしていた書類で顔を隠した。

 ――その噂話、耳にタコができるぐらい聞かされたわ。もう、うんざりなの。
 
「世紀のスキャンダルなんて……ただの噂よ。わたしがグラシアン卿と結婚すれば自然と収まるし、バルが気にすることじゃないわ」

 彼は向かいのソファに腰かけ、給仕されたベルガモット・ティーを口にする。金縁のティー・カップ片手に切れ長の青い瞳が細められる様子は、実に優雅だった。
 
「アリスが懸念していたとおり、あの男は羊の皮を被った狼で、皆を騙していたんだよ。結婚前から愛人を抱え込んで君を軽んじている。王配に一番ふさわしくない男なのに、どうしてアリスは婚約破棄しないの?」

 畳みかけるような言い方が、バルのこの一カ月の行動を如実に物語っていた。わたしは、書類を一旦テーブルに置く。

「うちの国の貴族たちを焚きつけたのは、バルだったのね。友達だと思っていたのに、ひどい人。目的は何なの?」

 バルは、この上なく無邪気な笑顔を浮かべてみせた。
 
「人聞きの悪いことを言わないでよ。もともとグラシアン卿が君の相手に選ばれたのは、彼が私心を抱かぬ人格者だったからだよ。それが違うとなれば、候補から外されるのは当然でしょ? 僕は人畜無害な外国人でアリスのことが大好きだから、彼らが担ぎあげるにはちょうど良かったんだ」

 彼は嘘つきだ。人畜無害な人間が他国の貴族たちを扇動しないし、彼がわたしに向ける視線は、グラシアンがキャロル・フォックスを見つめる十分の一も情熱的ではない。王配になりたくて結婚を望むのはグラシアンも同じだが、わたしは二人を天秤にかける気すら起きなかった。
 
「グラシアン卿が、誰かに失礼な態度をとったわけでもないでしょう? それに、わたしは彼が聖人君子じゃなくても構わないわ」
「浮気相手は、どうするんだい? このまま黙認するの?」
「……別に構わないわ」

 ――だって、それだし。

 人生は短いのだ。自分に嫉妬して、時間を無駄にすることはない。いつまでも強情なわたしの態度を不審に思ったのか、バルは顔色を変えた。
 
「アリス? 前会ったとき、グラシアン卿は信用ならないって話していたし、本人にも冷たい態度をとっていたよね? あれは、僕の見間違えだったの?」
「あの時はそうだったけれど、今は気が変わったの。彼とは、このまま結婚するわ」

 お互い平行線の話し合いは終わらない。バルはカップをソーサーに戻すと、信じられないと顔に書いた。
 
「……まさか、君。グラシアン卿に本気で惚れているの?」

 わたしの首と顔が一気に火照る。面と向かって、指摘されるとどう振る舞っていいのかわからなくなるぐらい恥ずかしかった。だが、幸運なことに、今はほかにやるべきことがある。
 背後に控えているキャロルの気遣う視線を感じ「心配しないで」と心のなかで呟いた。

「そうよ。わたしだって、恋をする権利はあるわ。結婚相手を好きになって、何が悪いの?」

 その途端、バルの整った顔から静脈が青く浮き出し、白目はむき出しになる。天使が狂人になりかわるような瞬間に、わたしは驚いた。
 
「悪いに決まっているよ! いくら世間知らずな子どもだからって、アリスは次の女王なんだよ! あの男にほいほい騙されて、きみとこの国はめちゃくちゃにされちゃうんだ!」

 大きな声が広い室内に響き渡り、外にいたコマドリが驚いて飛び立っていく。
 わたしが、その言葉にショックを受けなかったと言えば嘘になる。バルとは、ずっと幼馴染のままでいられると思っていた。お互いの境遇が変わろうと、友情は一生だと信じていたのだ。だが、それはわたしの一方通行の感情に過ぎなかったのだ。
 バルははたと我に返って、笑顔で取り繕った。
 
「ごめん、そんなつもりじゃないんだ。僕は君のことを心の底から心配しているんだよ。わかってくれ」
「たとえ騙されていても、いいわ。わたし、グラシアン卿と結婚がしたいの。彼をどうするかは、結婚後に考えるわ」
 
 わたしはまた報告書を手に持って、視線を落とす。いっそ友情の未練を断ち切ってくれて、ありがたい。わたしは、そう考えるようにした。
 
「君は、もっと賢いと思っていたのに」

 『世間知らずな子ども』と呼んでおきながら、『もっと賢いと思っていた』とはどういう意味だろう。これ以上、バルの友人でいるのは止めよう。拒絶の言葉を口にしようとして、あることに気が付いた。

「……ぁ……」

 声が出ない。身体が動かない。なんてことだろう。自分の身体なのに自由になるのは、目の動きだけだったのだ。
 凍り付いたわたしとは対照的に、バルは上機嫌でにこにこと笑っていた。その笑顔が蛙を追い詰める蛇のようで怖い。
 
 ――わたしに、何をしたの?
 
 青いはずのバルの瞳が、いつの間にか琥珀色に変わっていた。それは、この国で土魔法が使える証。バルはゆっくりとわたしに近づくと、眉をしかめて左右の目の大きさを変え、片方の唇をあげた。秀麗な顔が醜く歪む。
 
「陛下に是非申し上げたいことがあるんだよ。アリス、付いてきてくれるよね? 僕たち二人の未来についてのことだよ」

 わたしの身体がわたしの意志とは関係なく立ちあがり、バルの差し出した腕にゆっくりと手を乗せた。強制的に触れさせられた衣の感触が、気持ち悪い。
 土魔法で人の身体が操れるとは、知らなかった。知らないというより、そんな強力な魔法の持ち主はこれまで現れなかったのだ。以前、わたしはどれだけあがいてもバルの腕のなかから抜け出せなくて、その力の強さに驚いたことがあった。あれは筋力が強いわけではなく、地の精霊のマナで重力を操っていたのだ。

 ――やっぱり、バルが密猟団のリーダーの『ダニエル』なんだ。

 この瞬間まで、違っていてほしいと願っていた。
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