婚約者の本性を暴こうとメイドになったら溺愛されました!

柿崎まつる

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63.アビゲイルの息子

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 逞しい腕に抱かれる感触。わたしを覆う胸板は暖かく、サンダルウッドのような香りに癒される。バルに自由を奪われ恐怖しかなかったが、グラシアンのおかげで眠りぎわの心地よさすら感じていた。

「アリス、ケガはないか?」
 
 耳元で囁かれ、くっと意識を起こす。今は寝ている場合じゃない、彼に聞きたいことがあるのだ。
 
「いつから、わたしの正体に気が付いていたの?」

 すると、グラシアンはいつもの闊達かったつな笑みを返してきた。わたしの心臓が勢いよく跳ねる。

 ――わぉ! こんなときでも視覚破壊は止まらない。

 彼は、ぽっと両頬を押さえたわたしの頭を何度も撫でる。まるで、猫でも可愛がっているような仕草だった。

「アリスが俺に声をかけたときからだな。念のため、ブライスの治療をさせて確信した」

 それでは、本当に最初からではないか。わたしが一生懸命メイドの真似事をして行き当たりばったりの嘘までついて、実は全部バレていましたなんて馬鹿みたいだ。グラシアンはどういう気持ちで、わたしに付き合っていたのか。

――ちょっと待って! じゃあ、ピクニックに行ったのも夜の庭園でキスしてきたのも火祭りの夜に抱き合ったのも、全部わたしと分かってやったということ!?

 騎士団の寮で、グラシアンはシャツのボタン一つ外さなかった。わたしだけ裸にして身体中いたるところを触って、果ては人のお尻の穴までまじまじと見たというのに。わたしはそれを思い出して、もうこの場から消えたいほどの恥ずかしさを覚えた。

――王太女が結婚前に、お尻の穴を異性に晒したのよ。あってはならないことじゃない!

「どうして、気が付いたときに言ってくれなかったの?」
「せっかく一緒にいられる機会を自分から潰す理由はないだろう。アリスも、楽しそうに働いていたしな」

 そう言われてしまえば、あの一週間は楽しかったと認めざるを得ない。歳の近い子たちと仲良くなり、寝る前にお菓子を食べて恋バナをした。何より、グラシアンと多くの時間を一緒に過ごせたのだ。恥ずかしいのは別として。
 彼は十年来の野心家だけれど、優しくてわたしをどこまでも尊重してくれる。怒っていたはずなのに、嬉しさで頬が緩んでしまった。

 ――王太女だから? 理由なんてなんだっていいわ。

 そのとき、鎖に縛られ膝をついたバルが、口を開く。
 
「アリスが、あの田舎臭いメイドだったって? 信じられないよ」
 
 彼を囲む魔法陣は緑色の光を放ち、四人の神官たちが四方から鎖を握りしめていた。バルのマナは異常に強化されて、四人がかりでないと封じ込められないのだ。

「僕はまんまと嵌められたわけだ。ざまぁないね。これでも、アリスの夫になりたかっただけなのに」
 
 その態度は平静そのもので、拘束されていないかのような振る舞いには不気味さすら感じた。
 わたしは恋人の腕から抜け出して、バルを睨みつける。
 
「グラシアン卿は顔を合わせてすぐにわたしの正体を見破ったのに、バルはまったく気が付かなかったわ。結婚したいなんて、わたしのこと好きじゃないのに」
「アリス、俺のことはグラシアンと」

 突然、背後から囁かれる嫉妬めいた言葉に、わたしは内心あわあわしてしまう。わたしたちの仲が知れた今、グラシアンは衆人環視だろうとおかまいなしなのか。彼は、わたしの髪を一房掬って、唇に押し当てる。
 
 ――どれだけ、わたしを赤面させれば気が済むのよ!

「グラシアン、ちょっと待っていて。今バルと話してるから……」

 周囲の視線の半分は生温かく、もう半分は『どうしてこのタイミングで』とドン引きだ。くつくつ笑う陛下は、完全にこの事態を面白がっていた。
 わたしはグラシアンの存在を一旦忘れることにして、正面を向く。

「覚えている? あなたはあの高台で、網にしがみついたわたしの肩を何度もしつこく蹴ったのよ。正体を知らなかったとはいえ、あんなふうに暴力を振るってきた相手を誰が好んで、婿に迎えるかしら? バルこそ、国とわたしをめちゃくちゃにしたかったんでしょ? そうはさせないわよ!」

 彼は苦虫を潰したような顔をしたものの、結局何も言わなかった。言えるわけがない。バルの目論見は、完全にはずれてしまったのだ。ぐぅの音も出ないに違いない。
 わたしは、大貴族が控えるエリアに目を向ける。
 
「グーデン侯爵、今回は損な役回りをさせて申し訳ありませんでした」

 いかめしい顔つきをしていた侯爵は相好を崩し、胸に拳を当てた。
 
「殿下の頼みとあれば、喜んで従いましょう。バーソロミュー王子の口車に乗った振りをしてほしいと言われた時はさすがに驚きましたが、グラシアン卿の噂の真相が明かされた今となっては、納得いたしました。それにしても、殿下がカニア侯爵の屋敷に潜入されていたとは、思いもよりませんでした。――婚約者の人柄を知るためとはいえ、思い切ったことをなさいましたな」

 明朗闊達に笑うグーデン侯爵の隣で、コリンはわたしと目を合わせることなくプリンのような身体をぷるぷる震わせていた。メイドの正体がわたしと知らされ、何か言われると思ったのかもしれない。扱いに不満はなかったので、気にしなくていいのに。

「実りの多い一週間でした。コリン補佐官も、ありがとうございます。おかげで楽しい思い出ができました」

 わたしは笑顔で、感謝を伝える。滅相もないことです、と顔を上げたコリンの顔は、わたしの気遣いの甲斐なくも真っ青だった。
 
 そのとき、玉座から成り行きを見守ってきた陛下が立ちあがる。わたしたちはバルの傍を離れ、二人を注意深く見守った。
 
「立場が逆転したな。アビゲイルの息子よ」

 高みから言われて、バルは初めて動揺を見せた。大きく見開かれた琥珀色の瞳に、見る見るうちに憎しみが溢れかえる。
 それを確認して、陛下はおもむろに繰り返した。

「私の夫のあとを追って、バロモンテの王宮の塔から身投げした、愚かな女の息子よ」
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