13 / 58
第13話 王の憂鬱と、見えざる怪物
しおりを挟む舞踏会での狂乱のような一夜が明け、王都は気怠い朝を迎えていた。
だが、ハール侯爵邸の一室だけは、戦場のような喧騒に包まれていた。
「マイルズ様! 香水の追加注文が止まりません! 既に三百本……いいえ、三百五十本の予約が入りました!」
エリーゼが、髪を振り乱しながら(それでも美しさは損なわれていないが)悲鳴に近い声を上げた。
「生産が追いつきません! 原料の花が足りないわ!」
「落ち着いて、エリーゼ殿。初回ロットは限定生産にして、プレミアム感を維持するんだ。『今は手に入らない』という飢餓感が、さらに価値を高める」
マイルズは優雅にモーニングティーを飲みながら、パニック状態の商会令嬢を諭した。
その横で、シンシアが淡々と計算機(そろばんのような道具)を弾いている。
「……計算終了。香水の利益率はおよそ八十割。石鹸と合わせれば、バーンズ領の年間予算の三年分が、この一週間で稼げます」
「三年分か。……悪くない」
マイルズはカップを置いた。
「だが、金儲けは君たちに任せる。……私は、もっと大きな『商談』に行ってくる」
今日は、国王陛下からの呼び出しの日だ。
場所は、公式な謁見の間ではなく、王の私的な執務室。
つまり、腹を割った話がしたいということだ。
◇
王城の奥深く。
重厚な扉の前で、マイルズと父ロッシュは騎士に武装解除を求められた。
当然の手続きだが、マイルズの懐にある「小箱」については、検査の結果、危険物ではないと判断され、持ち込みが許可された。
部屋に入ると、そこには三人の人物が待っていた。
国王エドワード。
昨夜、香水に魅了された王妃ソフィア。
そしてもう一人。不機嫌そうに腕を組む、鷲鼻の初老の男。
国王の弟であり、貴族派の領袖、ゼファー公爵だ。
「……よく来たな、マイルズ」
国王エドワードが、書類から顔を上げた。
「昨夜は楽しませてもらった。妻も、そなたの香水のおかげでよく眠れたそうだ」
「それは重畳(ちょうじょう)に存じます」
マイルズが礼をとる。
「さて。……余計な前置きは無しだ。単刀直入に聞く」
国王の目が鋭くなった。
「そなたの領地で起きている『改革』。……石鹸、肥料、製鉄、そして香水。これらは全て、そなた一人の頭から出てきたものか?」
空気が張り詰めた。
十歳の子供に対する質問ではない。国家の最高権力者が、未知の脅威を値踏みする目だ。
マイルズは、嘘をつかずに答えた。
「はい。……正確には、私が持つ『記憶』と、それを形にする領民たちの努力の結晶です」
「記憶、か。……洗礼式で『生命』と『創造』、二つの神話級スキルを賜ったという報告は聞いていたが」
国王は深く頷き、納得したように息を吐いた。
「その異質な『知識』こそが、神がそなたに与えたもうた祝福(ギフト)というわけか。……よもや、人の身には余るほどの叡智だな」
国王は、マイルズを「神の知識を持つ特異点」として認識したようだ。
マイルズとしても、前世の話をするより、神のせいにした方が都合が良い。無言で肯定の礼をした。
「マイルズよ。そなたの知識、王家のために使う気はないか? 宮廷魔導師……いや、宰相補佐として召し抱えてもよいぞ」
破格の提案だ。
だが、横からゼファー公爵が口を挟んだ。
「兄上! お戯れを! このような得体の知れぬ子供を中枢に? 昨夜の香水とて、何か毒が含まれているやもしれませんぞ!」
公爵はマイルズを睨みつけた。昨夜、自分の妻(ベアトリス)が恥をかかされたことを根に持っているのだ。
「それに、所詮は金儲けの道具。国家の運営とは次元が違う」
マイルズは、公爵の言葉を聞き流し、国王に向き直った。
「陛下。お誘いは光栄ですが、私は現場が好きです。それに……宰相になるよりも先に、解決すべき『緊急事態』があります」
「緊急事態だと?」
「はい。……この王都は今、滅亡の危機に瀕しております」
部屋が静まり返った。
「……不敬だぞ、小僧!」
ゼファー公爵が立ち上がる。「王都の繁栄を前にして滅亡とは、何の妄言か!」
「繁栄? ……この悪臭の中でですか?」
マイルズは窓の方を指差した。
「陛下。王都に入ってから、私は鼻が曲がりそうです。下水は垂れ流し、井戸水は濁っている。……失礼ながら、ここは『巨大な便壺』の上に住んでいるようなものです」
「言葉を慎め!」
「事実です。……陛下、王宮の井戸から汲んだ水を一杯、いただけますか?」
国王が侍従に目配せし、銀の杯に入った水が運ばれてきた。
澄んだ、綺麗な水に見える。
「これは王家専用の井戸の水だ。清浄なものだが?」
「では、これをご覧ください」
マイルズは懐から、持ち込んだ「小箱」を取り出した。
真鍮とガラスで作られた筒状の機械。
「……『顕微鏡』です。ガラス職人と共に作り上げました」
マイルズはスポイトで水を一滴垂らし、プレパラート(ガラス板)に挟んで、レンズの下にセットした。
「魔法で光を増幅します。……陛下、この筒の中を覗いてみてください」
国王は半信半疑で、片目を接眼レンズに当てた。
「……む? 何も見え……いや、なんだこれは!?」
国王が仰け反った。
「う、動いている! 小さな虫のようなものが、無数に……!」
「な、なんだと?」
ゼファー公爵も、王に促されて覗き込む。
「ひっ! 気持ち悪い! なんだこの怪物は!」
「それが、皆様が毎日飲んでいる『清浄な水』の正体です」
マイルズは冷淡に告げた。
「細菌(バクテリア)。目に見えない微小な生物。……この中には、腹痛を起こすものもあれば、死に至る疫病を引き起こすものもいます。かつての『赤い咳』も、これが原因の一つです」
「こ、これを飲んでいると言うのか……」
王妃ソフィアが青ざめて口元を押さえる。
「はい。今はまだ、運良く致命的な菌が少ないだけです。ですが、夏になり、気温が上がれば……あるいは、外部から強力な菌が持ち込まれれば」
マイルズは指を鳴らした。
「爆発的な感染(パンデミック)が起き、王都の人口は半分になるでしょう。……貴族も平民も関係なく」
恐怖。
目に見えない怪物を見せつけられた大人たちは、戦慄した。
剣や魔法なら戦える。だが、水の中に潜む無数の敵とは、どう戦えばいいのか。
「……マイルズよ。脅すだけではあるまいな」
国王の声が震えている。
「神の知識を持つそなたには、これが見えていたのか。……ならば、対策もあるのだろう?」
「もちろんです」
マイルズは地図を広げた。
「『上下水道計画』です。……地下に巨大な水路を張り巡らせ、汚水を一箇所に集めて浄化処理する。同時に、水源地から清潔な水を各家庭に送るパイプラインを構築します」
「地下に水路だと? ……莫大な金と時間がかかるぞ」
ゼファー公爵が呻く。「それに、どうやって水漏れを防ぐ? 石組みの隙間から汚水が漏れれば、地下水が汚染される」
「そこで、これを使います」
マイルズは、ポケットから灰色の粉を取り出した。
「『セメント』です」
「セメント?」
「我が領の赤錆山の製鉄所で出るゴミ……『スラグ』と、石灰、火山灰を混ぜたものです。これに水と砂利を混ぜると……」
マイルズは、予め用意していた、セメントで固めた小さなブロックを見せた。
「石のように硬くなり、水を通しません。形も自由に作れます」
ローマン・コンクリートの再現。
赤錆山の「ゴミ」だと思われていた鉱滓(スラグ)が、最強の建築資材に化けたのだ。
「この『コンクリート』を使えば、安価に、短期間で、巨大な地下水路を建設できます」
国王は、その灰色の塊を手に取り、まじまじと見つめた。
「……そなたは、ゴミから黄金だけでなく、城壁すら作るというのか」
「はい。このコンクリートは、百年、いや千年保ちます。……陛下、私に王都の地下を弄る許可をください。そうすれば、この街を世界一清潔で、美しい都に変えてみせます」
国王エドワードは、椅子に深く座り直し、目を閉じた。
そして、数秒の沈黙の後、カッと目を開いた。
「よかろう。マイルズ・バーンズ。そなたを『王都衛生改革官』に任命する」
「兄上!? 正気ですか!」
「黙れゼファー。……あの『怪物』を見たろう。あれを放置しては眠れん」
国王はマイルズを見た。
「ただし、予算は限られている。……そなたの商才で、なんとかできるな?」
「……ははっ。無茶をおっしゃる」
マイルズは苦笑したが、その目は楽しそうだった。
「仰せのままに。資金の一部は、汚水を浄化して作る『肥料』の売上と、各家庭から徴収する『水道代』で賄います。……初期投資はかかりますが、長期的には黒字になりますよ」
謁見は終わった。
マイルズは、王都の地下という、新たな広大な「領地」を手に入れた。
だが、部屋を出たマイルズの顔は、険しかった。
「……マイルズ。うまくいったな」
父ロッシュが肩を叩くが、マイルズは首を横に振った。
「いいえ、父上。……一番の難関は、王の許可でも、工事の難易度でもありません」
マイルズは、足元の床――その遥か下を見つめた。
「王都の地下には、既に『住人』がいるのです」
「住人? 鼠か?」
「もっと厄介な鼠です。……犯罪ギルド、浮浪者、そして密輸業者。地下水路を作るには、彼らの巣窟(ダンジョン)を掃除しなければなりません」
華やかな王都の光。その影にある地下世界。
そこは、法も王の権威も届かない無法地帯だ。
「……武力が必要になりますね。それも、とびきり腕の立つ」
マイルズの脳裏に、あるアイデアが浮かんだ。
赤錆山の職人たちが作った、試作段階の「新兵器」。
そして、あの計算高いシンシアの分析能力。
「……掃除の時間だ」
十歳の衛生改革官は、白衣ではなく、漆黒のコートを翻し、王都の闇へと足を踏み入れる決意を固めた。
内政とは、時としてドブ掃除であり、害虫駆除である。
マイルズの「王都浄化作戦」が、静かに幕を開けた。
673
あなたにおすすめの小説
転生したら領主の息子だったので快適な暮らしのために知識チートを実践しました
SOU 5月17日10作同時連載開始❗❗
ファンタジー
不摂生が祟ったのか浴槽で溺死したブラック企業務めの社畜は、ステップド騎士家の長男エルに転生する。
不便な異世界で生活環境を改善するためにエルは知恵を絞る。
14万文字執筆済み。2025年8月25日~9月30日まで毎日7:10、12:10の一日二回更新。
【㊗️受賞!】神のミスで転生したけど、幼児化しちゃった!〜もふもふと一緒に、異世界ライフを楽しもう!〜
一ノ蔵(いちのくら)
ファンタジー
※第18回ファンタジー小説大賞にて、奨励賞を受賞しました!投票して頂いた皆様には、感謝申し上げますm(_ _)m
✩物語は、ゆっくり進みます。冒険より、日常に重きありの異世界ライフです。
【あらすじ】
神のミスにより、異世界転生が決まったミオ。調子に乗って、スキルを欲張り過ぎた結果、幼児化してしまった!
そんなハプニングがありつつも、ミオは、大好きな異世界で送る第二の人生に、希望いっぱい!
事故のお詫びに遣わされた、守護獣神のジョウとともに、ミオは異世界ライフを楽しみます!
カクヨム(吉野 ひな)にて、先行投稿しています。
辺境領主は大貴族に成り上がる! チート知識でのびのび領地経営します
潮ノ海月@2025/11月新刊発売予定!
ファンタジー
旧題:転生貴族の領地経営~チート知識を活用して、辺境領主は成り上がる!
トールデント帝国と国境を接していたフレンハイム子爵領の領主バルトハイドは、突如、侵攻を開始した帝国軍から領地を守るためにルッセン砦で迎撃に向かうが、守り切れず戦死してしまう。
領主バルトハイドが戦争で死亡した事で、唯一の後継者であったアクスが跡目を継ぐことになってしまう。
アクスの前世は日本人であり、争いごとが極端に苦手であったが、領民を守るために立ち上がることを決意する。
だが、兵士の証言からしてラッセル砦を陥落させた帝国軍の数は10倍以上であることが明らかになってしまう
完全に手詰まりの中で、アクスは日本人として暮らしてきた知識を活用し、さらには領都から避難してきた獣人や亜人を仲間に引き入れ秘策を練る。
果たしてアクスは帝国軍に勝利できるのか!?
これは転生貴族アクスが領地経営に奮闘し、大貴族へ成りあがる物語。
《作者からのお知らせ!》
※2025/11月中旬、 辺境領主の3巻が刊行となります。
今回は3巻はほぼ全編を書き下ろしとなっています。
【貧乏貴族の領地の話や魔導車オーディションなど、】連載にはないストーリーが盛りだくさん!
※また加筆によって新しい展開になったことに伴い、今まで投稿サイトに連載していた続話は、全て取り下げさせていただきます。何卒よろしくお願いいたします。
元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~
おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。
どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。
そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。
その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。
その結果、様々な女性に迫られることになる。
元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。
「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」
今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。
人質5歳の生存戦略! ―悪役王子はなんとか死ぬ気で生き延びたい!冤罪処刑はほんとムリぃ!―
ほしみ
ファンタジー
「え! ぼく、死ぬの!?」
前世、15歳で人生を終えたぼく。
目が覚めたら異世界の、5歳の王子様!
けど、人質として大国に送られた危ない身分。
そして、夢で思い出してしまった最悪な事実。
「ぼく、このお話知ってる!!」
生まれ変わった先は、小説の中の悪役王子様!?
このままだと、10年後に無実の罪であっさり処刑されちゃう!!
「むりむりむりむり、ぜったいにムリ!!」
生き延びるには、なんとか好感度を稼ぐしかない。
とにかく周りに気を使いまくって!
王子様たちは全力尊重!
侍女さんたちには迷惑かけない!
ひたすら頑張れ、ぼく!
――猶予は後10年。
原作のお話は知ってる――でも、5歳の頭と体じゃうまくいかない!
お菓子に惑わされて、勘違いで空回りして、毎回ドタバタのアタフタのアワアワ。
それでも、ぼくは諦めない。
だって、絶対の絶対に死にたくないからっ!
原作とはちょっと違う王子様たち、なんかびっくりな王様。
健気に奮闘する(ポンコツ)王子と、見守る人たち。
どうにか生き延びたい5才の、ほのぼのコミカル可愛いふわふわ物語。
(全年齢/ほのぼの/男性キャラ中心/嫌なキャラなし/1エピソード完結型/ほぼ毎日更新中)
伯爵家の三男に転生しました。風属性と回復属性で成り上がります
竹桜
ファンタジー
武田健人は、消防士として、風力発電所の事故に駆けつけ、救助活動をしている途中に、上から瓦礫が降ってきて、それに踏み潰されてしまった。次に、目が覚めると真っ白な空間にいた。そして、神と名乗る男が出てきて、ほとんど説明がないまま異世界転生をしてしまう。
転生してから、ステータスを見てみると、風属性と回復属性だけ適性が10もあった。この世界では、5が最大と言われていた。俺の異世界転生は、どうなってしまうんだ。
【完結】兄の事を皆が期待していたので僕は離れます
まりぃべる
ファンタジー
一つ年上の兄は、国の為にと言われて意気揚々と村を離れた。お伽話にある、奇跡の聖人だと幼き頃より誰からも言われていた為、それは必然だと。
貧しい村で育った弟は、小さな頃より家の事を兄の分までせねばならず、兄は素晴らしい人物で対して自分は凡人であると思い込まされ、自分は必要ないのだからと弟は村を離れる事にした。
そんな弟が、自分を必要としてくれる人に会い、幸せを掴むお話。
☆まりぃべるの世界観です。緩い設定で、現実世界とは違う部分も多々ありますがそこをあえて楽しんでいただけると幸いです。
☆現実世界にも同じような名前、地名、言葉などがありますが、関係ありません。
転生貴族のスローライフ
マツユキ
ファンタジー
現代の日本で、病気により若くして死んでしまった主人公。気づいたら異世界で貴族の三男として転生していた
しかし、生まれた家は力主義を掲げる辺境伯家。自分の力を上手く使えない主人公は、追放されてしまう事に。しかも、追放先は誰も足を踏み入れようとはしない場所だった
これは、転生者である主人公が最凶の地で、国よりも最強の街を起こす物語である
*基本は1日空けて更新したいと思っています。連日更新をする場合もありますので、よろしくお願いします
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる