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第23話 嵐の前の静寂と、魔女の嫌疑
しおりを挟む「手術は三日後」。
その約束が交わされてから、二日が過ぎた。
領都の施療院改め、仮設病院の研究室。
マイルズは顕微鏡を覗き込み、最終調整を行っていた。
手元にあるのは、完成した「眼内レンズ」と、極細の手術器具。
「……完璧だ」
マイルズは器具をトレイに戻し、大きく伸びをした。
「シンシア。器具の滅菌(オートクレーブ処理)は?」
「完了しています。高圧蒸気で完全に無菌状態にしました」
シンシアが、疲れたマイルズに温かいハーブティーを差し出す。
「マイルズ様。……勝てますか?」
「勝つさ。技術的には問題ない」
マイルズはティーカップを受け取り、ふと窓の外を見た。
そこには、手狭になった施療院の庭と、入院を待つ人々の姿が見えた。
「……この場所も、限界だな」
マイルズは独り言のように呟いた。
「シンシア。今回の件が片付いたら、新しい計画を動かすぞ」
「新しい計画、ですか?」
「ああ。今の施療院ではなく、もっと大規模で、あらゆる病に対応できる施設だ」
マイルズの瞳が、未来のビジョンを映して輝く。
「内科、外科、小児科、産婦人科……すべての専門医を育て、最新の設備を備えた医療の城。名付けて『バーンズ総合医療センター』だ」
「総合医療センター……」
「そうだ。そこでは、祈りではなく技術が人を救う。身分も貧富も関係なくな。……今回の手術は、そのための『礎(いしずえ)』になる」
未来への希望を語るマイルズ。
だが、現実は、その希望を摘み取ろうとする悪意に包まれていた。
◇
その日の深夜。
領都の宿屋を借り上げている異端審問団の部屋。
ベルナルド総長は、爪を噛みながら歩き回っていた。
「……あの小僧の自信。ただのハッタリには見えん」
ベルナルドの長年の勘が、警鐘を鳴らしていた。
もし、万が一にも成功したら?
聖女の目が開き、「科学が奇跡を起こした」となれば、教会の権威は地に落ちる。
それだけは絶対に阻止せねばならない。
「総長閣下」
部下の審問官が、低い声で囁く。
「手を打ちますか? 聖女様に『薬』を盛って、手術前に体調を崩させる手も……」
「馬鹿者! それでは我々が疑われる」
ベルナルドは一喝したが、すぐに蛇のような笑みを浮かべた。
「狙うなら、小僧の『手足』だ」
彼は、マイルズの周囲にいる「異質な者たち」を思い浮かべた。
「あの道具を作っている職人。そして、小僧の横にいる、あの無表情な少女……」
◇
異変は、夜明け前に起きた。
カンカンカンカン!
半鐘の音が、静寂を切り裂いた。
「火事だーっ! 工場が燃えているぞーっ!」
領主館で仮眠をとっていたマイルズは、飛び起きた。
「場所は!?」
「赤錆山の出張工房です! ガント親方の!」
「……狙ってきたか!」
マイルズは上着を羽織り、ロッシュと共に現場へ急行した。
現場では、ガントと職人たちが必死の消火活動を行っていた。
幸い、ボヤで済んだようで、大事な「手術道具」や「蒸気機関」への被害はなかった。
「若旦那!」
煤だらけのガントが駆け寄ってくる。
「すまねえ! 倉庫の裏に油を撒かれた! ……誰かの仕業だ」
「分かっている。……道具は?」
「無事だ! 俺たちが命に変えても守りきった!」
職人たちは、火傷を負いながらも、マイルズの道具が入った箱を抱きしめていた。
「これがあれば、聖女様の目が治るんだろ? 燃やさせてたまるかよ!」
マイルズは胸が熱くなった。
「……ありがとう、みんな。この借りは必ず返す」
だが、敵の攻撃はこれだけではなかった。
火事の混乱に乗じて、領主館の方角から騒がしい声が聞こえてきた。
「そこをどけ! 異端審問だ!」
「魔女の嫌疑がかかっている! その娘を引き渡せ!」
ベルナルド率いる審問官たちが、領主館の門に押し寄せていた。
彼らが指差しているのは、マイルズの背後にいたシンシアだ。
「その灰色の髪の娘だ! 彼女には『悪魔の知恵』がある!」
ベルナルドが叫ぶ。
「聞いたぞ! 瞬時に万単位の計算をし、未来を予知するような帳簿を作ると! 人間業ではない! 悪魔と契約した『魔女』に違いない!」
シンシアが青ざめてマイルズの背中に隠れる。
彼女のサヴァン的な計算能力を、魔女の証拠としてでっち上げてきたのだ。
「連行しろ! 拷問にかけて、悪魔の正体を吐かせるのだ!」
「ふざけるな!」
ロッシュが剣を抜いて立ちはだかる。
「我が家臣に手出しはさせん!」
「教会に刃を向けるか、バーンズ伯爵! それこそ反逆の証だぞ!」
一触即発。
もしここでロッシュが審問官を斬れば、手術どころではなくなる。戦争だ。
ベルナルドはそれを狙っている。
「……父上、剣を収めてください」
マイルズが、静かに前に出た。
その表情からは、感情が消え失せていた。
ただ、凍えるような冷気だけが漂っている。
「ベルナルド総長。……私の工場に火を放ち、今度は私の秘書を連れ去ろうとする。随分と必死ですね」
「な、何のことだ? 火事など知らん。我々はただ、魔女の疑いがある者を……」
「シンシアは魔女ではありません。ただの『天才』です」
マイルズはベルナルドの目の前まで歩み寄った。
身長差は倍近くあるが、気圧されているのはベルナルドの方だった。
「彼女の計算能力は、私が教育し、開花させたものです。もし彼女が魔女だと言うなら……それを教えた私も、悪魔ということになりますね?」
「……貴様も、その疑いがあると言っているのだ」
「いいでしょう」
マイルズは言い放った。
「ならば、明日の手術ですべてを証明します。もし私が失敗したら、私とシンシア、二人まとめて火あぶりになればいい。……ですが」
マイルズの声が、ドスの効いた低音に変わる。
「もし今、私の大切な『家族』に指一本でも触れてみろ。……手術の賭けは無効だ。私は全力で、科学と武力と経済力のすべてを使って、あなた方教会をこの地上から抹殺する」
「なっ……!?」
脅しではない。本気の殺気だった。
蒸気機関車による兵站、ダイナマイト(まだ未完成だが理論はある)、そして細菌兵器。
マイルズがその気になれば、聖都を滅ぼすことすら可能だという「王者の覇気」が、ベルナルドを竦(すく)ませた。
「……よ、よかろう」
ベルナルドは冷や汗を流しながら、後ずさった。
「明日の正午だ。……失敗すれば、その減らず口もきけなくなるぞ」
審問団は去っていった。
「マイルズ様……」
シンシアが涙目でマイルズの服を掴んだ。
「ごめんなさい……私のせいで……」
「君のせいじゃない。君が優秀すぎるから、彼らが嫉妬しただけだ」
マイルズは優しく彼女の頭を撫でた。
「安心しろ。明日の手術は、絶対に成功させる。……君も、ガントも、ノア様も。誰も犠牲にはさせない」
◇
そして、運命の朝が来た。
領都の中央広場には、早朝から数千の領民が集まっていた。
中央には、天幕で覆われた特設の手術室。
「……準備はいいか」
マイルズは白衣に袖を通し、マスクをつけた。
その手には、ガントたちが守り抜いたメスが握られている。
天幕の中には、聖女ノアが待っていた。
「マイルズ様……」
「おはようございます、ノア。……よく眠れましたか?」
「はい。……不思議と、怖くありません」
ノアは、見えない目でマイルズの方を向き、微笑んだ。
「昨夜、夢を見たのです。……光の中に、あなたが立っている夢を」
「それは予知夢ですね」
マイルズは、麻酔薬の入った点眼瓶を手に取った。
「さあ、行きましょう。……新しい世界へ」
天幕の外では、ベルナルドが勝ち誇ったように仁王立ちしている。
だが、彼はまだ知らない。
これから始まるのは、神の奇跡をも超える、人類の叡智の結晶であることを。
「『生命』・視覚野同調(シンクロ)。……オペ、開始(スタート)」
マイルズの静かな宣言と共に、歴史的な手術の幕が上がった。
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