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第26話 王立学院の門と、絶望のスープ
しおりを挟む季節は晩秋。
バーンズ領を出発したマイルズたちは、馬車(途中からは通常の馬車)に揺られること数日、再び王都ロイヤル・ニースの地を踏んでいた。
目の前には、歴史の重みを感じさせる巨大な石造りの門。
「ニース王国王立学院」。
建国以来、数多の貴族、官僚、軍人を輩出してきた、この国最高峰の学び舎である。
「……でかいな。だが、古い」
馬車を降りたマイルズは、冷ややかな目で校舎を見上げた。
歴史があると言えば聞こえはいいが、要するに築数百年の老朽化した石の塊だ。
外壁には蔦が絡まり、窓ガラスは曇り、所々の石材が欠けている。
「マイルズ様。入学手続きは完了しております」
後ろに控えるシンシアが、学生鞄を持って告げる。
彼女もまた、マイルズの「従者枠」として特例で学院に入り込むことになっていた(形式上は平民科の生徒だが、実質はマイルズの世話係だ)。
「ありがとう。……さて、これから三年間、ここが私の『領地』か」
マイルズは制服(紺色のブレザー)の襟を正し、門をくぐった。
入学式は、大講堂で行われた。
新入生は百名ほど。その大半が貴族の子弟であり、残りが裕福な商人の子や、優秀な平民(特待生)だ。
マイルズの姿が現れると、会場がざわめいた。
「おい、あれが噂の……」
「バーンズ家の神童か。香水と石鹸の……」
「ふん、田舎成金だろう?」
好意的な視線と、敵意のある視線が半々。
特に、派手な身なりの上級生たち――貴族派の子供たち――からの視線は刺すように冷たい。
式自体は退屈そのものだった。
長い校長の話、伝統を重んじるという説教。
マイルズは欠伸を噛み殺し、ようやく解放された後、指定された「学生寮」へと向かった。
王立学院は全寮制だ。
「貴族たるもの、親元を離れ、質素倹約を学び、規律を身につけよ」という建学の精神らしい。
「……ここが、私の部屋か」
案内された個室に入った瞬間、マイルズは絶句した。
狭い。四畳半ほどしかない。
壁は石のむき出しで、隙間風がピューピューと吹き込んでいる。
家具は、煎餅のように薄いベッドと、ガタつく木製の机、そして小さなクローゼットのみ。
暖房設備? そんなものはない。あるのは小さな暖炉の跡だけで、薪も置かれていない。
「……寒い」
マイルズは室温計(自作)を見た。十度を下回っている。
これでは勉強どころではない。冬になれば凍死者が出かねないレベルだ。
「これが『伝統』ですか。……ただの虐待に見えますが」
荷解きを手伝いに来たシンシアも、部屋の惨状に眉をひそめている。
「計算上、この室温では睡眠の質が四割低下。学習効率は半減します」
「同感だ。……まずはリフォームが必要だな」
だが、本当の地獄は「食」にあった。
夕食の時間。
食堂に集まった生徒たちの前には、質素な食事が並べられていた。
黒いパン、萎びた野菜のサラダ、そして茶色く濁ったスープ。
「……いただきます」
周囲の生徒たちは、死んだような目で黙々と食べている。
マイルズは恐る恐る、スープを口に運んだ。
「……ッ!」
塩辛い。
ただひたすらに塩辛く、そして出汁(だし)の旨味がない。
煮込みすぎて野菜は溶け、肉の欠片も見当たらない。
パンに至っては、武器にできそうなほど硬い。
(これで……成長期の子供を育てようというのか?)
マイルズの中で、何かが切れる音がした。
医者として、そして領主代行として、これは許容できない。
栄養バランスの欠如、味覚による精神的ストレス。
これは教育ではない。飼育以下だ。
ガタンッ!
マイルズはスプーンを置き、席を立った。
「……おい、一年生。食事中に立つとは行儀が悪いぞ」
上級生の一人――金髪をオールバックにした、いかにも嫌味な少年が声をかけてきた。
胸には「生徒会執行部」の腕章。
オスカー・ゼファー。
あのゼファー公爵の息子だ。
「失礼。……あまりに不味いので、喉を通らなかったもので」
マイルズは正直に答えた。
食堂内が静まり返る。
「不味いだと? ……これは伝統ある学院のメニューだ。『清貧』こそが精神を鍛えるのだ」
オスカーは嘲笑った。
「贅沢に慣れた成金坊ちゃんには、この高潔な味が分からんようだな」
「高潔?」
マイルズは冷ややかに笑った。
「ただの『手抜き』を高潔とは、随分と便利な言葉ですね。……塩分過多は腎臓を壊し、タンパク質不足は脳の成長を阻害する。これは毒物ですよ、先輩」
「き、貴様……! 伝統を愚弄する気か!」
「伝統が人を殺すなら、そんなものは捨ててしまえ」
マイルズは、呆気にとられる全校生徒の前で宣言した。
「私は、こんな餌を食べるためにここに来たのではありません」
彼はシンシアに向き直った。
「シンシア。……銀翼商会へ連絡。明日の朝から、私の食事は全て差し入れさせる」
「了解しました。……ついでに、寮の断熱材と、簡易ストーブも手配しましょうか?」
「ああ、頼む。……それから」
マイルズは、食堂を見渡した。
多くの生徒たちが、マイルズの言葉に「よく言った!」という顔をしている。彼らもまた、この食事に不満を持っていたのだ。
「どうせなら、全員分変えてやろう」
マイルズの瞳に、領地改革の時と同じ、怪しい炎が宿った。
「内政だ。……この腐った学園を、私がリノベーションしてやる」
「な、何を勝手なことを……!」
オスカーが叫ぶが、マイルズは無視して食堂を出ていった。
その夜。
冷え切った寮のベッドで、マイルズは計画を練った。
学園の環境を変えるには、権限が必要だ。
そして、その権限を持っているのは「生徒会」。
「……乗っ取るか」
王立学院。
そこはマイルズにとって、新たな学びの場ではなく、手付かずの「未開拓地」だった。
まずは手始めに、この激マズスープを駆逐する。
マイルズの学園生活は、初日から波乱の幕開けとなった。
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