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第37話 強面の公爵と、白い黄金の利益
しおりを挟むローズベルク公爵邸、当主の書斎。
紫煙が燻るその部屋は、さながら戦場の作戦本部のようだった。
「……なるほど。東方諸国の磁器を駆逐する、か」
重厚な机の向こうで、ヴィルヘルム・ローズベルク公爵が葉巻をくゆらせながら唸った。
その眼光は鋭く、戦場を知る者特有の覇気を放っている。
「はい、閣下」
対面に座るマイルズは、一枚の世界地図を広げていた。
「現在、王国の貴族が使っている高級食器は、遥か東の国から輸入される『白磁』が主流です。しかし、これらは輸送コストがかさみ、法外な値段で取引されています」
マイルズは、地図上の東方航路にバツ印をつけた。
「ローズベルク領の『ボーンチャイナ』は、その白磁よりも白く、薄く、そして強度がある。……しかも、輸送コストは十分の一以下です」
「品質で勝ち、価格で圧倒する。……単純だが、最強の戦術だな」
「ええ。ですが、安売りはしません」
マイルズはニヤリと笑った。
「『ローズベルク・ブランド』として、あえて高値を維持します。……『東方の磁器よりも高いが、それだけの価値がある』と思わせるのです」
ブランド戦略。
安易な安売りは、公爵家の品位を落とす。
まずは最高級品として王侯貴族に認知させ、憧れの対象(ステータス)にする。
「そのための『弾』は用意してあります」
マイルズが合図すると、控えていたエレオノーラがワゴンを押して入ってきた。
そこには、金彩が施された豪奢なティーセットが並べられていた。
「父様。これが新作の『ロイヤル・ローズ・シリーズ』ですわ」
エレオノーラが誇らしげに説明する。
「カップの縁には本物の金を焼き付け、取っ手は薔薇の棘を模したデザイン。……これなら、王妃様のお茶会に出しても恥ずかしくありません」
公爵はカップを手に取り、光に透かした。
骨灰が生み出す独特の乳白色の透過光。
「……美しいな。武骨な私の手には似合わんほどだ」
公爵は満足げに頷き、マイルズを見た。
「マイルズよ。……貴様は恐ろしい男だ」
「と、仰いますと?」
「剣を持たずに、国を奪う気だろう?」
公爵は葉巻を揉み消した。
「この皿が王都を席巻すれば、東方の商人たちは商売あがったりだ。金の流れが変わり、ローズベルク家……ひいてはニース王国の国力が跳ね上がる。……これは『経済戦争』だ」
「ご明察です」
マイルズは肯定した。
「血を流すだけが戦いではありません。……私は、ローズベルク家の紋章を、大陸で最も価値ある『印』に変えてみせます」
「……くくっ、はーっはっは!!」
公爵が豪快に笑い出した。
「気に入った! 戦場で共に槍を振るえぬのが残念なほどだ! ……よし、全権を貴様に委ねる。工場の拡張、職人の確保、好きなようにやれ!」
「感謝します。……では早速ですが、流通網の整備について……」
「うむ。私の名で街道の警備を強化させよう。それと……」
二人の男(片方は13歳だが)の密談は、深夜まで続いた。
エレオノーラは、熱っぽく語り合う父と想い人を見て、呆れつつもお茶を淹れ直した。
「……もう。二人とも、楽しそうですわね」
◇
翌日。
マイルズは公爵邸を辞し、王都の大通りを歩いていた。
懐には、公爵から預かった「委任状」と、巨額の投資契約書がある。
(ローズベルク家のバックアップは得た。生産体制は整う)
マイルズは思考を巡らせる。
(だが、これを売るための「器」が、今のままでは小さい)
これまでは、エリーゼのいる「銀翼商会」に販売を委託してきた。
だが、ボーンチャイナ、石鹸、肥料、そして今後予定している医療機器や新製品。
これら全てを扱うには、一商会の一部門では限界がある。
それに、いつまでもエリーゼに「おんぶに抱っこ」では、彼女と対等なパートナーにはなれない。
「……潮時か」
マイルズは、大通りの一等地に建つ、壮麗な石造りの建物の前で足を止めた。
「銀翼商会・王都支店」。
かつて、不味いスープに絶望して駆け込んだ場所。
そして、共に戦ってきた盟友の城。
マイルズは深呼吸をし、その扉を開けた。
今日は、甘えるために来たのではない。
「決別」と「自立」を告げるために来たのだ。
応接室に通されると、エリーゼが満面の笑みで迎えてくれた。
「あら、マイルズ様! お待ちしておりましたわ。……公爵様との会談、うまくいきまして?」
彼女は上機嫌だ。ローズベルク家との提携は、銀翼商会にとっても莫大な利益を生む話だからだ。
「ええ、うまくいきました。……ですが、エリーゼ殿」
マイルズは席に着かず、立ったまま彼女を見据えた。
その真剣な表情に、エリーゼの笑顔が消える。
「……改まって、どうなさいましたの?」
「今日は、商談に来ました」
マイルズは言った。
「銀翼商会との『独占販売契約』の……見直しについてです」
「見直し……?」
エリーゼの顔色がさっと変わる。
「どういうことですの? 条件に不満でも? 利益配分なら、もっと譲歩しても……」
「違います」
マイルズは首を横に振った。
「私は……自分の店を持ちたいのです」
「……え?」
「バーンズ家の、バーンズ家による、バーンズ家のための商会。……『バーンズ商会』を設立します」
マイルズは宣言した。
「これからは、貴女に商品を『卸す』のではなく、私が直接『売る』。……貴女とは、協力者ではなく、競合(ライバル)になりたいのです」
室内に、重苦しい沈黙が落ちた。
20歳になったエリーゼ。
彼女はマイルズを弟のように、あるいは将来の伴侶のように可愛がってきた。
だが、目の前の少年は、もう彼女の庇護を必要としていなかった。
「……本気、なんですのね」
エリーゼの声が震えた。
それは怒りか、悲しみか、それとも……。
マイルズの「独立宣言」。
それは、二人の関係を新たなステージへと押し上げるための、痛みを伴う儀式だった。
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