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第38話 銀の翼からの巣立ち
しおりを挟む銀翼商会、王都支店長室。
マイルズの放った「独立宣言」は、重い沈黙となって室内に滞留していた。
「……競合(ライバル)に、なりたいと?」
エリーゼが、低い声で繰り返した。
彼女は立ち上がり、窓際に歩み寄った。背を向けたまま、その表情は見えない。
「マイルズ様。貴方はまだ13歳です。学生です。……銀翼商会の流通網、倉庫、そして信用。それらを使わずに、この魔都のような王都で商売ができると本気で思ってらして?」
「ええ」
マイルズは迷いなく答えた。
「これまでは、貴女の翼に乗せてもらっていました。その恩は一生忘れません。ですが……いつまでも背中に乗っていては、貴女と『対等』にはなれない」
「……対等?」
エリーゼが振り返った。その瞳が揺れている。
「私は……貴女の弟でも、庇護対象でもなく、一人の男として隣に立ちたいのです。そのためには、自分の足で立ち、自分の翼で飛ばなければならない」
マイルズの言葉は、ビジネスの決断であり、同時に遠回しな求愛(アプローチ)でもあった。
彼女に相応しい男になるための独立。
エリーゼは数秒間、呆気にとられたようにマイルズを見つめ……やがて、吹き出した。
「ふ、ふふふ……! あはははは!」
彼女は腹を抱えて笑った。目尻に涙が浮かぶほどに。
「参りましたわ……。まさか、そんな台詞を吐くなんて」
彼女は涙を拭い、妖艶な笑みを浮かべてマイルズに近づいた。
「生意気な年下ですこと。……でも、嫌いじゃありませんわ」
彼女はマイルズのネクタイを指で弄んだ。
「よろしいでしょう。独立、認めます。……銀翼商会との独占契約は破棄し、新たに『戦略的パートナーシップ』を結びましょう」
「感謝します」
「ただし!」
エリーゼの目が、商売人の鋭い光を帯びた。
「容赦はしませんわよ? 今まで私が守っていた『外敵』……王都の古狸のような商人たちや、嫌がらせをしてくる貴族たち。これからは貴方自身で捌かなければなりません。……泣きついてきても、助けてあげませんからね?」
「望むところです」
マイルズは不敵に笑った。
「私の店が銀翼商会を食うような大商いをしたとしても、文句は言わないでくださいね」
「ふふ。やってごらんなさい。……返り討ちにして差し上げますわ」
固い握手。
それは、師弟関係の終わりと、最強のライバル関係の始まりだった。
◇
独立が決まれば、まずは「城」が必要だ。
マイルズは、王都の不動産屋を巡り、条件に合う物件を探し回った。
場所は、王都のメインストリート。
貴族や富裕層が行き交う、一等地中の一等地。
「……ここだ」
マイルズが足を止めたのは、かつて大手銀行として使われていたが、倒産して空き家になっていた石造りの三階建ての建物だった。
重厚な石柱、高い天井、そして大通りに面した大きな入り口。
「悪くない」
マイルズは同行していたシャルロットに尋ねた。
「どう思う? リノベーションすれば使えるか?」
「うん! 構造はしっかりしてるよ。……ねえマイルズ君、ここの正面、壁を全部ぶち抜いて『ガラス張り』にしない?」
「ガラス張り?」
「そう! バーンズ領の強化ガラスを使えばできるよ。外から中が丸見えになるの。……夜に魔導ランプで照らせば、王都で一番輝く建物になるよ!」
「……採用だ」
マイルズは即決した。
ショーウィンドウ。現代のデパートの概念だ。
中が見えない閉鎖的な商店が多いこの世界で、全面ガラス張りの店舗は革命的なインパクトを与えるだろう。
「買おう。……言い値でいい」
マイルズは懐から小切手帳を取り出した。
石鹸とボーンチャイナで稼いだ莫大な資金が、ここで火を噴く。
◇
数週間後。
王都の大通りに、新たなランドマークが誕生した。
改装工事を終えたその建物は、道行く人々の度肝を抜いた。
一階部分は全面ガラス張り。
磨き上げられたショーウィンドウの中には、宝石のようにディスプレイされた「香水瓶」や、芸術的な「ボーンチャイナ」の食器セット、そして色鮮やかな「石鹸」が飾られている。
入り口の上には、真新しい看板が掲げられていた。
『バーンズ商会(BURNS & CO.)』。
「開店だ」
マイルズの号令と共に、扉が開かれる。
待っていたのは、噂を聞きつけた貴婦人たちの行列だった。
「まあ! なんて素敵なお店!」
「商品に触れるわ! いちいち店員に頼まなくていいのね!」
マイルズは、商品を棚に並べて客が手に取れる「陳列販売方式」を採用した。この世界では画期的だった
一階は日用品と食品(缶詰や調味料)。
二階は服飾と化粧品。
三階は商談用のVIPルームとオフィス。
店内は、訓練された店員(領地から連れてきた若者たち)がきびきびと動き、シャルロットが設計した空調システムで常に快適な温度に保たれている。
「いらっしゃいませ、夫人」
マイルズは自ら店頭に立ち、上客を接客した。
「本日は、帝国から届いたばかりの最高級の絹織物がございますよ」
初日の売上は、予想を遥かに超えた。
銀翼商会の支店一つ分の月商を、たった一日で叩き出したのだ。
夜。
閉店後のオフィスで、マイルズは窓から王都の夜景を見下ろしていた。
向かい側には、銀翼商会の建物が見える。
「……やったな」
第一歩は成功だ。
だが、これは単なる箱を作ったに過ぎない。
この巨大な組織を回し、金を管理し、さらに拡大させていくには、絶対的な信頼のおける「番人」が必要だ。
マイルズは、机の上に置かれた一枚の辞令書に目を落とした。
宛名は、かつての秘書であり、今は友人の妻となった女性。
「明日から忙しくなるぞ。……頼んだよ、シンシア」
マイルズは、最強の金庫番を迎える準備を整え、静かにグラスを傾けた。
独立した若き会長の戦いは、まだ始まったばかりだ。
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