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第41話 腐敗した巨塔と、拒絶される最新医療
しおりを挟む王都の一等地に構えられた「バーンズ商会本店」。
その最上階にある会長室で、マイルズは財務官のシンシアから報告を受けていた。
「……資金調達は順調です。ボーンチャイナと石鹸の利益で、医師五十名を三年間、王都の相場の倍額で雇えるだけの予算を確保しました」
シンシアが、分厚い帳簿を閉じて眼鏡の位置を直す。
「金はあります。……あとは、人が来るかどうかです」
「ああ。……そこが一番の難関だ」
マイルズは窓の外、王都の中心部にそびえる古めかしい石造りの建物を睨んだ。
「王都医師ギルド本部」。
この国の医療を独占し、医師免許の発行権を持つ巨大組織だ。
「正面突破といこう。……彼らが『話の通じる相手』であることを祈りながらな」
◇
医師ギルドの本部は、独特の臭気に満ちていた。
薬草を煮出した蒸気と、鉄錆のような血の匂い、そしてカビ臭さ。
待合室では多くの患者が呻いているが、医師たちは奥の部屋で談笑している声が聞こえる。
「……ひどいな」
同行したシャルロットが、鼻をつまんで顔をしかめる。
「換気が全然されてないよ。これじゃ病気が移っちゃう」
「ああ。……ここ自体が病巣(びょうそう)だ」
マイルズは受付を通り、ギルド長室へと通された。
部屋の主は、脂肪に埋もれたような巨体の男、ボーロック・ギルド長。
彼は豪奢な椅子にふんぞり返り、マイルズを一瞥もせずにワインを飲んでいた。
「……バーンズ伯爵家の小僧か。なんの用だ? 商売の話なら帰れ。ここは神聖な医療の場だ」
ボーロックは、マイルズが持参した「最高級ボーンチャイナの茶器セット」の手土産だけは、しっかりと受け取りながら言った。
「単刀直入に申し上げます」
マイルズは笑顔を崩さずに切り出した。
「我が領に建設中の『総合医療センター』への、医師の派遣をお願いしたいのです。……三十名ほど」
「三十名だと!?」
ボーロックがワインを吹き出しそうになる。
「馬鹿を言うな! 医師は貴重なのだ。そんな田舎に送る人員など一人もおらん!」
「条件は悪くありませんよ」
マイルズは契約書を提示した。
「給与は王都の相場の倍。住居完備。最新の研究設備も使い放題です」
ボーロックの目が、金額を見て一瞬輝いた。
だが、すぐに醜く歪んだ。
「……金で医者の頬を叩く気か? 成金が」
彼は契約書を放り投げた。
「それに聞いたぞ。貴様、患者の腹を切り裂いて内臓を弄り回しているそうだな? 『外科手術』とかいう野蛮な儀式を」
「野蛮ではありません。根治治療です」
「黙れ! 医療とは、体液のバランスを整える高尚な学問だ! 瀉血(しゃけつ)と祈祷こそが王道! 刃物を使うなど、床屋か屠殺人の仕事だ!」
この世界の医学は、古い「体液病理説」が支配している。
悪い血を抜けば治る、星の巡りが悪いから病気になる……そんな迷信が「最新医療」としてまかり通っているのだ。
「……では、貴殿は盲腸(虫垂炎)の患者に、ヒルを貼り付けて祈るだけですか?」
マイルズの声が冷たくなる。
「それで死んだら?」
「神の御心だ。寿命だったのだ」
「……くだらない」
マイルズは吐き捨てた。
「神のせいにするな。それは『殺人』だ」
「き、貴様……! ギルド長である私に向かって!」
ボーロックが顔を真っ赤にして立ち上がる。
「いいだろう! 交渉決裂だ! 貴様の領地には、医者一人たりとも送らん! もし行く者がいれば、そいつの医師免許を剥奪し、ギルドから追放してやる!」
破門宣言。
これで、まともなキャリアを持つ医師は、怖くてバーンズ領には来られなくなった。
「……結構です」
マイルズは立ち上がり、冷徹な瞳でボーロックを見下ろした。
「あなたの言う『高尚な医者』など、最初からいりません。……私が欲しいのは、患者を救う覚悟のある人間だけだ」
マイルズは部屋を出た。
背後で、ボーロックが「二度と来るな!」と喚いているのが聞こえる。
◇
ギルドを出たマイルズは、深く息を吐き出し、新鮮な空気を吸った。
「……ふぅ。予想通りとはいえ、疲れる連中だ」
「大丈夫? マイルズ君」
シャルロットが心配そうに顔を覗き込む。
「交渉、失敗しちゃったね……。どうするの? お医者さんがいないと、病院が開けないよ?」
「いや、想定内だ」
マイルズは歩き出した。その足取りに迷いはない。
「正面玄関が閉ざされているなら、裏口を叩くだけだ。……それに、腐ったリンゴを籠に入れる必要はない」
マイルズは、王都の地図を広げた。
指差したのは、華やかな大通りではなく、下町やスラムに近いエリア。
「シャルロット。……『はぐれ者』を探すぞ」
「はぐれ者?」
「ああ。ギルドの古いやり方に馴染めず、弾き出された変わり者たちだ。……腕はいいが、性格に難がある連中とかな」
そしてもう一つ。
マイルズは、街を行き交う女性たち――職がなく、路頭に迷う者や、向学心はあるが機会を与えられない平民の娘たちを見た。
「医師が足りないなら、医師を支える『手』を増やせばいい」
マイルズの脳裏に、近代医療の礎となった「白衣の天使」の姿が浮かぶ。
「学校を作るぞ、シャルロット」
「え? ?」
「『看護学校』だ。……医学知識を持つ専門職を、ゼロから育てる」
既得権益との決裂は、マイルズに新たな道を選ばせた。
権威に頼らない、実力主義の医療チームの結成。
それは、後に「バーンズ・メディカル・アーミー(医療軍団)」と呼ばれる最強集団の始まりだった。
「さあ、忙しくなるぞ。……まずは、王都一の『ヤブ医者』と噂される男に会いに行こうか」
マイルズは、路地裏の薄汚れた診療所の看板を目指して歩き出した。
腐敗した巨塔への、痛烈なカウンターが始まろうとしていた。
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