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第43話 黒衣の外科医と、白衣の天使たち
しおりを挟む王都からバーンズ領へ向かう街道を、数台の馬車が列をなして進んでいた。
乗っているのは、マイルズが王都でかき集めた「医療チーム」の卵たちだ。
「……おい、小僧。まだ着かんのか」
先頭の馬車で、ゼッドが不機嫌そうに安酒を煽る。
「もうすぐですよ、外科部長。……見えてきました」
マイルズが指差した先。
領都の丘の上に、建設中の巨大な白い骨組みが聳え立っていた。
鉄筋コンクリート造、地上五階建て。
周囲の木造建築とは一線を画す、異様な威圧感を放つ要塞。
「……ほう」
ゼッドが酒瓶を口から離し、片目だけでその巨塔を見上げた。
「あれが俺の『職場』か。……悪くねえデカさだ」
後ろの馬車に乗っていた看護師候補の女性たちも、窓から顔を出してどよめいている。
「すごい……お城みたい」
「あそこで私たちが働くの?」
彼女たちの目には、不安よりも期待の色が濃くなっていた。
◇
領都に到着すると、仮設診療所の前で、老医師ガレンと薬師見習いたちが出迎えた。
「お帰りなさいませ、若様! ……おお、これほどの人手を連れてきてくださるとは!」
ガレンは涙ぐみながら、馬車から降りてくる女性たちを見た。
だが、最後に降りてきたゼッドを見て、その表情が凍りついた。
ボサボサの髪、無精髭、眼帯。そして酒の臭い。
どう見ても医師には見えない。山賊か殺し屋だ。
「……若様。この薄汚い男は、荷運び夫か何かで?」
「あぁ? 誰が薄汚いだと、爺さん」
ゼッドが殺気を放つ。
「紹介します。……彼が、新しい『外科部長』のゼッド先生です」
「げ、外科部長ぉぉ!?」
ガレンが卒倒しそうになる。
「馬鹿な! このような礼儀知らずな男に、神聖な医療の指揮を執らせるなど!」
「礼儀で人が治るなら、教会で祈ってな。……俺は腕で治す」
「なんですと……!」
一触即発。
古い権威(ガレン)と、新しい異端(ゼッド)。
水と油の二人が睨み合う中、マイルズはパンと手を叩いた。
「挨拶はそこまで。……実力は、現場で見せてもらいましょう。それよりも今は、彼女たちの『着替え』が先です」
◇
マイルズは、集められた女性たちを講堂に集めた。
そこには、銀翼商会の職人に特急で作らせた、新しい「制服」が積まれていた。
「これに着替えてください」
マイルズが広げて見せたのは、純白のワンピースに、清潔なエプロン、そして髪をまとめるためのナースキャップ。
前世の「クラシカルなナース服」のデザインだ。
「真っ白……ですね」
一人の女性が恐る恐る触れる。
「汚れが目立ちそうです」
「その通り。……汚れが目立つからこそ、常に清潔を保とうとする意識が生まれる」
マイルズは厳しく言った。
「いいですか。医療の現場において、汚れとは『死』です。貴女たちの服が汚れていれば、患者が死ぬと思ってください」
彼女たちは息を呑み、そして真剣な顔で服を受け取った。
数十分後。
講堂から出てきた彼女たちは、見違えるようだった。
薄汚れた平民の娘ではなく、規律と使命感を帯びた「白衣の天使」の集団。
「……壮観だね、マイルズ君」
シャルロットが眼鏡を直しながら感心する。
「形から入るのも大事だね。みんな、顔つきが変わったよ」
◇
その時だった。
「急患だ! 道を開けろ!」
衛兵の叫び声と共に、担架が運び込まれてきた。
建設現場で足場が崩れ、落下した作業員だ。
「ひどい……」
足の骨が皮膚を突き破り、大量に出血している。開放骨折だ。
顔色は土気色で、ショック状態に陥りかけている。
「ガレン先生! 指示を!」
見習いたちが慌てふためく。
「う、うむ……まずは止血だ! 薬草を……いや、先に祈祷を……!」
ガレンも動揺している。これほどの大怪我は、彼の経験でも手に余る。
「どけ」
低い声と共に、ゼッドが割り込んだ。
彼はガレンを突き飛ばし、患部を一瞥した。
「大腿動脈損傷。……五分で死ぬぞ」
「な、何をする気だ!」
「繋ぐんだよ。……おい小僧(マイルズ)、麻酔はあるか」
「準備してあります」
マイルズは既に注射器を構えていた。阿吽の呼吸だ。
「お前ら! 突っ立ってんじゃねえ!」
ゼッドが、白衣に着替えたばかりの看護師たちを怒鳴りつけた。
「お湯を沸かせ! 清潔な布を持ってこい! 明かりだ、手元を照らせ!」
彼女たちは一瞬竦(すく)んだが、マイルズの頷きを見て弾かれたように動いた。
「はいっ!」
「お湯、入ります!」
「照明、確保します!」
即席の手術室が出来上がった。
マイルズが麻酔を打ち、ゼッドがメスを握る。
「……始めるぞ」
そこからは、神速の世界だった。
泥と油にまみれていた皮膚を洗浄し、切開。
鮮血が噴き出すが、ゼッドは顔色一つ変えずに血管を鉗子(かんし)で止め、針と糸で縫合していく。
その手つきは、粗暴な言動とは裏腹に、極めて繊細で正確だった。
「……速い」
ガレンが、呆然と見つめる。
自分なら止血だけで三十分はかかる作業を、この男は数分で終わらせた。
しかも、骨の整復まで同時に行っている。
「……よし。閉じるぞ」
最後の縫合を終え、ゼッドが手を止めた。
患者の呼吸は安定している。
「……助かった……のか?」
作業員仲間が恐る恐る尋ねる。
「ああ。……だが、ここからが勝負だ」
ゼッドは、汗だくになった看護師たちを見た。
「術後の感染症が一番怖い。……お前ら、この患者から目を離すな。熱が出たらすぐに報告しろ。シーツは一日に三回変えろ。……いいな!」
「はいっ!!」
彼女たちの返事は、力強かった。
初めて人の命を救う手伝いをした。その実感が、彼女たちを本当の看護師へと変え始めていた。
◇
手術後。
ゼッドは外のベンチで、不味そうに水を飲んでいた(マイルズにより、勤務中の飲酒は厳禁とされたため)。
「……見事な腕前でした」
ガレンが、バツが悪そうに近づいてきた。
「ワシの負けです。……あのような傷、ワシには治せませんでした」
「フン。……爺さん、あんたが今までやってきた薬草治療も、無駄じゃねえよ」
ゼッドはぶっきらぼうに言った。
「患者の体力が残っていたから、俺が切れたんだ。……あんたが日頃から、領民の健康管理をしていたおかげだ」
「……ゼッド殿」
「俺は切ることしかできん。術後の管理や、内科的なことはあんたがやれ。……外科と内科、両輪がなけりゃ病院は回らん」
ガレンは深く頭を下げた。
「……御意。この老骨、及ばずながら貴殿を支えましょう、外科部長」
「……勝手にしろ」
物陰からその様子を見ていたマイルズとシャルロットは、顔を見合わせて笑った。
「うまくいったね、マイルズ君」
「ああ。……雨降って地固まる、だ」
白亜の巨塔に、魂(スタッフ)が入った。
最強の外科医と、献身的な看護師たち。そして彼らをまとめる老練な内科医。
チーム・バーンズの骨格は完成した。
だが、休んでいる暇はない。
「次は『目』だ」
マイルズはシャルロットに向き直った。
「シャルロット。……魔導レントゲンの開発を急ぐぞ。切る前に、中を見る目が必要だ」
「了解! ……徹夜決定だね!」
マイルズの内政は止まらない。
次は、魔法と科学を融合させた「魔導医療機器」の開発だ。
それは、医学の常識をさらに大きく覆すことになる。
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