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第57話 凍てつく牙と、見えざる耳
しおりを挟む経済封鎖によって、王都の第一王子派貴族たちは凍えていた。
燃料が届かない屋敷、新鮮な食材のない食卓。
かつての栄華は見る影もない。
「……おのれ、バーンズ……!」
第一王子アウグストの私室もまた、冷え切っていた。
暖炉には火が入っているが、彼の心にある焦燥感と怒りを温めるには足りない。
そこに、側近のマクシミリアンが、一人の男を連れて入室してきた。
全身を毛皮で覆い、狼のような狂暴な眼光をした大男。
北方の軍事小国、ヴォルグ公国の傭兵隊長、ヴォルフガングだ。
「……殿下。準備は整いました」
マクシミリアンが囁く。
「明後日は『冬至祭』。ギルバート殿下が民衆への挨拶のために大通りをパレードします。……そこを狙います」
「確実にやれるか?」
アウグストが問う。
「へっ。俺たちヴォルグの『狂戦士(ベルセルク)』に殺れねえ獲物はいねえよ」
ヴォルフガングが下卑た笑みを浮かべる。
「報酬は弾んでもらうぜ? 王子様の首だ、安くはねえ」
「金ならいくらでも出す。……弟を殺せ。事故に見せかける必要はない。暴徒に襲われたことにすればいい」
アウグストの瞳には、もはや兄弟の情など欠片もなかった。あるのは権力への妄執のみ。
「契約成立だ」
◇
その会話の一部始終は、数キロ離れたバーンズ商会の地下室で、鮮明に再生されていた。
『……弟を殺せ。事故に見せかける必要はない……』
「……兄上」
スピーカーから流れる兄の冷酷な声を聞き、ギルバート王子は痛ましげに目を閉じた。
「ここまで……堕ちてしまわれたか」
「残念ながら、これが現実です」
マイルズは、机の上に置かれた小さな魔導具を指差した。
蜘蛛の形をした金属の小箱。
シャルロットが開発した「魔導盗聴器(スパイ・スパイダー)」だ。音波を魔力信号に変換し、遠隔地へ飛ばす技術の結晶である。
「アウグスト殿下の屋敷には、以前納品した『高級家具』の中に、これが仕込んであります」
マイルズは淡々と告げた。
「暗殺計画の証拠は押さえました。……このまま憲兵団に突き出しますか?」
「いや」
ギルバートは首を振った。
「兄上は『声が似ているだけだ』としらを切るだろう。決定的な現行犯でなければ、王族を裁くことはできない」
ギルバートは目を開けた。そこには、決意の光が宿っていた。
「マイルズ。……僕はパレードに出る」
「囮(おとり)になりますか?」
「ああ。……逃げていては王になれない。彼らを誘き出し、一網打尽にする」
「……御意」
マイルズはニヤリと笑った。
「では、最高に派手な『冬祭り』にして差し上げましょう」
◇
冬至祭の当日。
王都の大通りは、雪の中、松明の明かりと人々の熱気に包まれていた。
その中を、王家の紋章をつけた馬車が進む。
窓からは、ギルバート王子が手を振り、沿道の歓声に応えている。
「……来たぞ」
人混みに紛れたヴォルフガングが、手下の傭兵たちに合図を送る。
「護衛は少ない。騎士団の連中は祭りの警備で手薄だ。……やるぞ!」
ヒュンッ!
建物の屋根から、数本の毒矢が放たれた。
馬車の御者が射抜かれ、馬がいなないて暴走する。
「今だ! 殺せぇぇぇ!」
ヴォルフガングと数十人の傭兵が、群衆を押しのけて馬車に殺到した。
彼らは巨大な斧や戦鎚を振り回し、馬車のドアを粉砕する。
「死ね! 第二王子!」
ヴォルフガングが車内に飛び込み、斧を振り下ろした。
だが。
ガギンッ!!
手応えがおかしい。
斧が弾かれた。
そこにあったのは、怯える王子ではなく、無人の座席に設置された**「鋼鉄の障壁」**だった。
「あぁ!? 無人だと!?」
「幻影魔法(イリュージョン)だよ、野蛮人」
屋根の上から声がした。
見上げれば、そこにはマイルズと、本物のギルバート王子、そして護衛騎士のグレンが立っていた。
パレードの王子は、シャルロットの技術で作った精巧な立体映像だったのだ。
「はめられたか!」
「逃がすかよ!」
ヴォルフガングが屋根に飛び移ろうとした瞬間。
「『科学の罠』を味わってもらおう」
マイルズが指を鳴らした。
シュゴオオオオッ!!
馬車の周囲のマンホールが一斉に開き、そこから白い泡が大量に噴き出した。
「な、なんだこれは!?」
「ね、粘つく! 動けねえ!」
「速乾性粘着ポリマー」。
化学反応で瞬時に膨張し、硬化する特殊な泡だ。
傭兵たちの足が地面に固定され、武器を持つ手も封じられる。
「くそっ! なんだこの魔法は!」
「魔法じゃない。化学だ」
さらに、追い打ちがかかる。
「グレン、やれ!」
「おう!」
グレン率いる「バーンズ警備隊(私兵)」が、屋根から一斉に何かを投げ込んだ。
パン! パン!
炸裂音と共に、強烈な閃光と轟音が響く。
**「スタングレネード(閃光弾)」**だ。
「ぐあぁぁぁ目がぁぁぁ!」
視界と聴覚を奪われ、身動きの取れない傭兵たち。
そこへ、警備隊が「スタンバトン」を持って突入する。
バチバチバチッ!
「あががががっ!」
一方的な制圧劇だった。
殺しはしない。全員、生け捕りだ。
ヴォルフガングだけが、怪力でポリマーを引きちぎり、マイルズに襲いかかろうとした。
「小僧ぉぉぉ! 貴様だけはぁぁ!」
「無駄だ」
マイルズは動かない。
彼の前に、一人の影が立ちはだかった。
グレンだ。
「俺の主と、その友人に触れるな」
グレンの剣が一閃した。
ヴォルフガングの斧が柄から両断され、次の瞬間、峰打ちが鳩尾(みぞおち)に入った。
「ごふっ……!」
巨漢の傭兵隊長が、白目を剥いて沈む。
「……制圧完了」
グレンが剣を納める。
騒ぎを聞きつけた憲兵団が駆けつけてくる頃には、全てが終わっていた。
マイルズは、縛り上げられたヴォルフガングを見下ろした。
「さて。……たっぷりと吐いてもらおうか。雇い主の名前を」
◇
翌日。
傭兵たちの自白と、盗聴記録という決定的な証拠を突きつけられた第一王子派は、完全に追い詰められた。
だが、アウグスト王子は往生際が悪かった。
「知らぬ! 私は知らぬ! これは弟の自作自演だ!」
彼は関与を否定し、さらに信じられない行動に出た。
「父上(国王)は病で判断力を失っている! ……私が、国を守らねばならん!」
アウグストは、自らの派閥である「国軍の一部」と「貴族の私兵団」を結集し、王城を包囲する構えを見せたのだ。
暗殺失敗からの、強引な**「クーデター」**。
なりふり構わぬ暴挙。
「……来ましたね」
バーンズ商会で報告を受けたマイルズは、静かに立ち上がった。
「最終決戦だ。……ギルバート殿下、王都の民、そして私の『全ての技術』を総動員して、この反乱を鎮圧する」
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