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第4話 鋼鉄の淑女と傾いた軍艦(バラスト・コントロール)
しおりを挟む銀鱗商会との提携から二週間。
ベルナ港は、まるで長い眠りから覚めたかのような活気に満ちていた。
「へい! 氷詰め完了だ! 次の箱を持ってこい!」
「馬車の手配を急げ! メリッサの姉御が王都で首を長くして待ってるぞ!」
港湾労働者たちの怒号が飛び交う。かつては腐った海藻の臭いしかしていなかった岸壁には、今は新鮮な潮の香りと、魚の活き活きとした生臭さが漂っている。
私の開発した「ベルナ式保冷コンテナ」を積んだ馬車が、一日五台ペースで王都へと出発していく。
家令のガルシアは、毎晩のように増える金庫の中身を数えては、「ひひひ……」と不気味な笑い声を上げているらしい。
だが、そんな平穏な日々は、唐突に破られた。
カンカンカンカンッ!
港の監視塔から、けたたましい早鐘が鳴り響いたのだ。
「敵襲か!?」
「いや、違う! あれを見ろ!」
漁師たちが指差す沖合。
そこに、巨大な影が現れた。
三本のマストを持つ大型帆船だ。しかし、その帆はボロボロに裂け、船体からは黒煙が上がっている。
何より異様なのは、船体が左に大きく傾いていることだ。今にも転覆しそうな角度で、海面を滑るようにこちらへ向かってくる。
「ありゃあ商船じゃねえ……軍艦だ!」
港湾長のゲンが叫んだ。「王国の海軍旗を掲げてやがる! だが、あんなボロ船、ウチの桟橋に入れたら崩壊しちまうぞ!」
私は瞬時に状況を判断した。
あの船は限界だ。あと数十分もすれば浸水が進み、沈没する。
ベルナ港の水深は、浚渫(しゅんせつ)作業によって七メートルまで回復している。入港自体は可能だ。
「ゲン! 第三岸壁を空けろ! 漁船をすべて退避させろ!」
「し、しかし若様! あんな巨体を受け入れる設備なんて……」
「あるだろう? 『彼』が」
私は指笛を吹いた。
ズシン、ズシン……。
港の拡張工事をしていた土木用ゴーレム『トライデント』が、作業を中断してこちらへ歩いてくる。
私はその肩に飛び乗った。
「私が直接誘導する! ガルシア、救護班を呼べ! 怪我人がいるはずだ!」
◇
軍艦が港内に入ってきた。
全長五十メートル級。ガレオン船をベースに、魔導推進器を搭載したハイブリッド艦だ。
だが、その推進器が片方死んでいるせいで、直進すらままならない。船首がふらつき、岸壁に激突しそうになる。
「……下手くそな操舵だ。いや、舵が効いていないのか」
私は『トライデント』を海中へ進めた。
胸まで海水に浸かりながら、ゴーレムの巨大な両腕を広げる。
「受け止めるぞ! 衝撃に備えろ!」
ガガガガガッ!
軍艦の船腹が、ゴーレムの掌に接触する。
数千トンの鉄と木の塊。その運動エネルギーがゴーレムの関節を軋ませる。
だが、私は魔力を全開にして踏ん張らせた。
「右舷回頭、微速前進! そのまま押し込む!」
ゴーレムのパワーで無理やり船の進路を修正し、優しく岸壁へと接岸させる。
ズズズン……。
船底が砂を擦る音がして、巨体が停止した。
完全な強制接岸だ。
「ふぅ……。なんとかなったか」
私が息をついた時、船のタラップ(道板)が荒々しく降ろされた。
そこから駆け下りてきたのは、煌びやかな軍服に身を包んだ一団だった。
その先頭に立つ人物を見て、私は息を呑んだ。
銀色の長髪を潮風になびかせ、氷のように冷たい碧眼を持つ少女。
年齢は私と同じくらいか。十七、八歳。
だが、その身に纏う覇気は、歴戦の騎士そのものだった。
彼女は腰に帯びた細剣(レイピア)の柄に手を置き、私――いや、ゴーレムの肩に立つ私を睨み上げた。
「……貴様が、この領地の責任者か?」
美しい声だが、絶対零度の冷たさを含んでいる。
「ベルナ子爵家嫡男、アレンだ。ようこそベルナ港へ……と言いたいところだが、歓迎の宴の準備はできていないな」
「減らず口を。私は王国海軍提督の娘、セシリア・オルコットだ。緊急事態につき、この港を接収する」
セシリア・オルコット。
やはりか。
「海の公爵」と呼ばれる武門の名家、オルコット公爵家の令嬢。その名は王都にまで轟いている。若くして海賊討伐艦隊の艦長を任されるほどの天才だと。
「接収とは穏やかじゃないな。修理と補給が必要なんだろう?」
「……そうだ。だが、貴様らのような片田舎の漁村に、最新鋭の魔導艦を直せる技術があるとは思えん。とりあえず水と食料を出せ。修理は、王都から技師を呼ぶ」
彼女は吐き捨てるように言った。
その瞳には焦燥と、隠しきれない絶望が滲んでいた。
私は軍艦を見上げた。
左舷に大きな亀裂。砲撃を受けた跡だ。
だが、それだけじゃない。
「起動……【構造解析(ブループリント)】」
私の視界が青く染まる。
船の骨格、装甲板の厚み、魔導エンジンの出力バランス。すべてが数値となって浮かび上がる。
そして、ある一点に赤い警告灯(アラート)が灯った。
「……なるほど。酷いな、これは」
「何だと?」
「砲撃を受けたのは左舷だ。だから乗組員は、浸水を防ぐために右舷に荷物を移動させた。バランスを取るためにね」
「それがどうした。当然の処置だ」
「だが、やり過ぎた。右舷のバラスト(重り)タンクに注水しすぎたせいで、竜骨(キール)に過度なねじれが生じている。このままじゃ、修理どころか、一時間後に船体が真っ二つに折れるぞ」
私の指摘に、セシリアの後ろにいた年配の航海士が顔色を変えた。
「バ、バカな! 竜骨が折れるだと!? そんな兆候は……」
「ミシミシと音がしているはずだ。船底の第三隔壁あたりから」
航海士が息を呑む。心当たりがある顔だ。
セシリアが眉をひそめた。
「……貴様、何者だ? ただの貴族のボンボンではないな」
「言っただろう。整備士だ」
私はゴーレムから飛び降り、セシリアの前に立った。
身長は私の方が少し高い。至近距離で見ると、彼女の軍服が煤で汚れ、手には包帯が巻かれているのが見えた。激戦だったのだろう。
「セシリア殿。王都から技師を呼べば三日はかかる。その間にこの船は自重で壊れる。選択肢は二つだ。ここで船を捨てるか、私に任せるか」
「……貴様に直せると?」
「三時間だ」
「は?」
「三時間で、航行可能な状態に戻す。ついでに、その傾き癖も直してやる」
セシリアは目を丸くし、それから鼻で笑った。
「虚勢を張るな。王立造船所のドックでも一週間はかかる損傷だぞ。それを、こんな田舎の……」
「賭けるか?」
私は不敵に笑いかけた。商人のメリッサにした時と同じ顔で。
「もし直せなかったら、この港の権利をすべて公爵家に譲渡する。好きにしていい」
「……本気か?」
「その代わり、もし直せたら――」
私は彼女の後ろで不安そうにしている水兵たちを指差した。
「彼らに、当領自慢の『食事』を腹一杯食わせてやってくれ。代金は公爵家持ちでな」
セシリアは暫く私を睨みつけていたが、やがてふっと息を吐き、腰の剣から手を離した。
「……いいだろう。その狂った賭け、乗ってやる。だが失敗したら、貴様を詐欺罪で投獄するから覚悟しろ」
◇
契約成立だ。
私はすぐにゲンとガルシアに指示を飛ばした。
「ゲン! 倉庫から『例の木材』を持ってこい! ガルシアはトライデントの魔石を交換だ! フルパワーでいくぞ!」
「へいよ!」
「まったく、若様の人使いの荒さには呆れますな!」
ベルナ港の男たちが動き出す。
私は再びトライデントに乗り込み、軍艦の船底へと潜り込んだ。
今回の修理(オペ)は、繊細かつ大胆に行う必要がある。
竜骨の歪みを矯正するには、外からの力だけでは足りない。
私は【構造解析】で、船体の「重心点」を見極めた。
「ここだ。魔力ジャッキ、セット」
トライデントの掌から、圧縮された魔力の柱を伸ばし、船底の一点を押し上げる。
ギギギギ……ッ!
船体が悲鳴を上げる。セシリアたちが「何をする気だ!」と叫ぶのが聞こえるが無視だ。
「そこだ! ゲン、補強材を入れろ!」
歪みが修正された一瞬の隙に、ゲンたちが加工した特殊な木材(鉄のように硬いアイアンウッド)を、亀裂部分に打ち込む。
これは単なるパッチ当てではない。
「楔(くさび)」だ。
ねじれの力を逆に利用し、船体全体を締め上げる構造的(テンション)な補強。
「次、バラスト調整!」
私は船内のバラストタンクに繋がる配管を透視し、私の魔力で強制的に弁を開いた。
偏っていた海水が、ゴボゴボと音を立てて排出され、反対側のタンクへと移動していく。
傾いていた船体が、ゆっくりと、しかし確実に水平へと戻っていく。
そして仕上げだ。
損傷した左舷の装甲板。ここには私が錬金術で作った「即硬性セメント」を流し込む。
海水と反応して十秒で鉄より硬くなる、土魔法の応用素材だ。
「……よし。結合完了」
作業開始から二時間四十五分。
私はトライデントの手を離した。
軍艦は、まるで何事もなかったかのように、静かに波間に浮かんでいた。
歪みはなく、傾きもない。喫水線(水面のライン)は定規で引いたように真っ直ぐだ。
私は桟橋に降り立った。
そこには、口をポカンと開けたまま固まっているセシリアと、涙を流して喜ぶ航海士たちの姿があった。
「……嘘、でしょう?」
セシリアが震える声で呟く。
彼女は信じられないといった様子で、船体に触れた。
先ほどまでの軋み音が消え、船が生き返っているのを感じたのだろう。
「約束通りだ、セシリア殿。これで全速航行も可能だ。むしろ、以前より速くなっているはずだ。竜骨のバランスを最適化したから、水の抵抗が二割は減っている」
「……」
彼女はゆっくりと私の方を向き、その碧眼で私を直視した。
そこにはもう、侮蔑の色はなかった。
あるのは、純粋な驚愕と、わずかな……敬意。
「アレン・フォン・ベルナ……。貴様、一体何者だ? 王立造船所のトップエンジニアでも、こんな神業は不可能だ」
「ただの、港の管理人ですよ」
「……ふん。食えない男だ」
セシリアはフイと顔を背けたが、その耳がわずかに赤くなっているのを私は見逃さなかった。
彼女は咳払いを一つして、部下たちに号令をかけた。
「総員、聞け! この男の勝ちだ! ……約束通り、ベルナ港のご馳走になるとしよう。腹が減っては戦ができんからな!」
「「「イエッサー!!」」」
水兵たちの歓声が上がる。
私はガルシアに目配せをした。
さあ、ここからが本当の勝負だ。
胃袋を掴めば、心も掴める。
公爵令嬢に、当領自慢の「漁師風スープ(ブイヤベース)」を味わってもらおうか。
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