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第25話 綿の中の悪魔と、蘇る思い出(ドライ・クリーニング)
しおりを挟む深夜の離宮。
清浄な空気に入れ替えられた寝室で、ソフィア王女はベッドの隅に縮こまり、古びたクマのぬいぐるみを胸に抱きしめていた。
その瞳には、私への警戒心と、微かな恐怖が宿っている。
「……渡さないわ。これはお母様が作ってくれた、世界で一つの友達なの」
「ソフィア様。その友達が、貴女の首を絞めていると言ったら?」
「嘘よ! クマちゃんはずっと私を守ってくれていたわ!」
彼女は頑なだ。
無理もない。幽閉に近い生活の中で、唯一の心の支えだったのだろう。
だが、私の【構造解析(ブループリント)】は残酷な真実を告げている。
ぬいぐるみの詰め物は『ソバ殻』に似た穀物の殻だ。
長年の湿気と皮脂を吸い、内部はカビとダニの養殖場と化している。
彼女がそれを抱いて寝るたびに、数万匹のダニの死骸と糞を吸い込み、アナフィラキシーを起こしていたのだ。
「……キール先生。ハサミと、新しい綿(わた)を用意してください」
「なっ!? 切るつもりですか!? 王女様が許しませんぞ!」
「手術(オペ)をするんです。……患者は、そのクマです」
私はソフィアに向き直り、膝をついて視線の高さを合わせた。
「ソフィア様。そのクマは病気です。貴女と同じように、悪い空気を吸いすぎて、お腹の中に毒が溜まっている」
「……病気?」
「はい。このままだと、クマも死んでしまいます。……私に預けてくれませんか? 悪い所だけ取り除いて、必ず元通りにしますから」
ソフィアは迷うようにクマを見つめ、そして私を見た。
その瞳に涙が溜まる。
「……痛くしない?」
「ええ。魔法のように綺麗に治します」
彼女は震える手で、ゆっくりとぬいぐるみを差し出した。
私はそれを恭しく受け取った。
重い。湿気を吸って、ずっしりと重くなっている。これが「毒」の重さだ。
◇
私はバルコニーへ出た。
キール医師と侍女長が見守る中、私は即席の手術台(テーブル)の上にぬいぐるみを置いた。
「始めます。……縫合糸を切断」
私は慎重に背中の縫い目を解いた。
中から出てきたのは、黒く変色し、カビ臭い詰め物だった。
侍女長が「ひっ!」と悲鳴を上げて口を押さえる。
「これが元凶です。全て廃棄します」
私は風魔法で中身を空中に巻き上げ、そのまま窓の外へ放り出して火魔法で焼却した。
残ったのは、抜け殻になったクマの布地だけ。
「次は『洗浄』です」
私は桶に、錬金術で精製した有機溶剤(パークロロエチレンに近い成分)を満たした。
水洗いでは縮んでしまうデリケートな布地も、これなら傷めずに汚れだけを溶かし出せる。
『ドライ・クリーニング』だ。
ジャブ、ジャブ……。
溶剤が真っ黒に濁っていく。
長年の手垢、涙、そしてダニの死骸。
全てが溶け出していく。
「仕上げだ。……乾燥、そして殺菌」
私は風魔法と熱魔法を組み合わせ、高温の熱風を吹き付けた。
溶剤を一瞬で気化させると同時に、繊維の奥に残った菌を死滅させる。
ふわり。
ぺちゃんこだった毛並みが、空気を含んで立ち上がった。
くすんでいた茶色の毛が、新品のような艶を取り戻した。
「詰め物は、これを使います」
私が取り出したのは、ベルナ領特産の『スチーム・シルク(蒸気精錬絹)』の真綿だ。
真っ白で、雲のように軽く、抗菌性が高い。
これをたっぷりと詰め込む。
形を整え、最後に丁寧に縫合する。
「……手術完了です」
◇
部屋に戻った私は、生まれ変わったぬいぐるみをソフィアに差し出した。
「どうぞ。……もう毒はありません」
ソフィアは目を見開いた。
薄汚れて重かったクマが、ふっくらと丸みを帯び、毛並みは艶やかで、何より……良い香りがする。
ほのかに残る、溶剤とシルクの清潔な香り。
「……あたたかい」
彼女が抱きしめると、以前のような重苦しさはなく、柔らかく弾力があった。
顔を埋めて、深呼吸をする。
「苦しくない……。咳が出ないわ……」
「中身は最高級のシルクです。ダニも湧きませんし、肌にも優しい」
ソフィアの目から、大粒の涙がこぼれ落ちた。
それは恐怖の涙ではなく、安堵の涙だった。
「ありがとう……。お母様の匂いが消えちゃったのは少し寂しいけど……でも、今の匂いの方が好き」
彼女はクマを抱いたまま、私を見上げた。
その顔色は、先ほどまでの蒼白さが消え、ほんのりと薔薇色が差していた。
アレルゲンを除去したことで、免疫機能が正常に戻りつつあるのだ。
「貴方は……魔法使いなの?」
「いいえ。ただの技術屋ですよ」
私は微笑んで、彼女の頭を撫でた。
不敬かもしれないが、誰も咎めなかった。
「お名前は?」
「アレン・フォン・ベルナです」
「アレン……。私の、お医者様」
彼女は私の手を握り、そのままスヤスヤと眠りに落ちた。
その寝顔は、普通の十五歳の少女のものだった。
◇
翌朝。
離宮は騒然となっていた。
何年も寝たきりだった第二王女が、自分の足で庭を歩き、朝食を完食したという報告が王城を駆け巡ったからだ。
「奇跡だ! 神の御業だ!」
宮廷医師団が騒ぐ中、私はキール医師と共に、静かに荷物をまとめていた。
役目は終わった。長居は無用だ。
「アレン殿。……国王陛下が貴殿にお会いしたいと」
「お断りします。私はただ、商売敵(の毒)を排除しに来ただけですから」
私はキールに口止め料代わりの「スチーム・シルクのシーツ一式」を渡し、裏口から立ち去った。
王家と深く関わりすぎれば、政治の道具にされる。
リリアーナとのビジネスだけで手一杯なのだ。
だが、私は知らなかった。
バルコニーから、ぬいぐるみを抱いたソフィアが、去りゆく私の背中をずっと見つめていたことを。
「……必ず、また会えるわ。アレン」
その瞳には、かつての病弱な諦めではなく、恋と執着にも似た、強い意志の炎が灯っていた。
こうして私は、リリアーナに続き、二人目の「厄介極まりない高貴な女性」にロックオンされてしまったのだった。
◇
ベルナ領へ戻る馬車の中。
私はぐったりと座席に沈み込んでいた。
「お疲れ様です、アレン様。王都での社交、商談、そして医療活動……八面六臂(はちめんろっぴ)の大活躍でしたね」
エレナが労いの言葉をかけるが、その手には既に新しい書類の束がある。
領地からの報告書だ。
「休む暇はないわよ。……ハルト君から報告です。『例の穀物』が、ついに収穫期を迎えたそうです」
私の目が覚めた。
王都の煌びやかな世界もいいが、私の本分はやはり「生産」だ。
「米か! よし、帰ったら即刻収穫祭だ! 味噌と醤油の仕込みも始めるぞ!」
次は、黄金色の稲穂が揺れるベルナ領で、食文化革命(和食の夜明け)が始まる。
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