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1.まだ正体を知られるわけにはいかない
しおりを挟む皇城に近付いほど街は栄え、行き交う人間は貴族や富裕層ばかりとなる。構える店も皇室に納めたことがあるような、一級品のみを取り扱う店が多い。皇都に住むというだけでステータスが上がるため、多くの貴族がそこに別邸を持ちたいと願っている。だが、景観を重視するという皇室の意向により、建てられる建物の種類や数が決まっており、新たに私邸を建設することが禁じられている。そのため、どれほど皇都への進出を望んでいても、誰かが皇都の私邸から退去するのを待つか、建物を買い取るかの二択しかない。
リシャール家はそんな皇都に私邸を持っており、五年前まで俺はそこに住んでいた。両親はすでに他界していたため、弟のエルメーテと、姪のエレノア、甥のアランの四人暮らしだ。
家督を継ぐ気がなかった俺は、呪いを受けたことを理由にエルメーテに譲った。譲ったと言っても公爵として表舞台に立つのが嫌だっただけなので、表舞台はエルメーテ、公爵家の実権を握るのは俺という形を取ったと言う方が正しい。エルメーテは俺より勉強は出来るが仕事は少し上手くなかったので役割分担をしてちょうど良いのだ。五年前にエルメーテを宰相の座に就かせてからは同様の形で国政を動かしている。
家族四人で仲良しこよし、公爵家におもねる家を圧迫したり、善政悪政をバランス良く敷いたり、横領したり、軽く犯罪に手を染めたり、奉仕活動に精を出したり、金を稼いだりと色々してきた。
五年前から俺だけ拠点を変えはしたが、やることは特に変わらない。
今回皇都へ戻って来た理由はエルメーテからお茶の誘いを受けたからだ。貴族界では珍しく俺たちの兄弟仲は良く、定期的に手紙のやり取りもしているし会っている。今回も久しぶりに顔を合わせたいという内容だったので、再婚相手を見るついでに公爵邸に泊まる旨を返信した。
ただ、公爵邸に泊まる前の数日間はホテルに泊まり、せっかくなら第三者目線でヒロインのソフィアを見ようと思ったのだ。前乗りしていることをリシャール家には伝えていない。
今回滞在するホテルは市街地の一等地にある。客層は貴族よりは富裕層をターゲットにしているため分かる範囲に顔見知りはいない。それでも公爵邸に入るまでは周りに気付かれたくないため、黒髪のウィッグを装着してから外に出た。
今日は久しぶりに市街地を散策する予定である。従者や部下から常に市場や経済、流行の情報は仕入れているが、実際に自分の目で見るのと聞くのでは違う。
本当は大人しくしていた方が良いが、髪色を変えるだけでも印象は大きく変わる。俺をよく知っていないとアリーチェ・リシャールとは分からないだろう。そして、俺と分かる人間は家族とオリヴィア以外にいない。
俺は市街地を堪能した……ところで、突然腕を引かれてしまった。
強い力で後ろに引かれバランスを崩す。踏ん張りが効かずこのままでは尻餅をつくはめになりそうだ。冷静にそう思ったが、俺の体は硬い何かにぶつかったことで無様な姿を晒すことはなかった。
「……お前」
上から降ってくる訝しむ声に振り返る。人をいきなり引っ張った男に嫌な予感がした。
俺の視界には長身でガタイの良い男が一人。黒髪を後ろに撫で付けているため顔はよく見える。切れ長の真っ赤な瞳、よく通った鼻筋、薄い唇、同じ男から見ても整った顔立ちをしていた。ただ若干薹が立っている。三十後半なのだからそれも仕方ないが。
男は自分が引っ張ったくせに何故か驚いたような呆然としたような、不思議な顔で俺を見下ろしていた。
「何ですか?」
とりあえず、男に俺の正体がバレているか分からないため惚けてみる。
先に声を掛ければ、男はハッとして眉間に皺を寄せた。相変わらず俺に対しては表情豊かだ。
「お前、何故ここにいる?」
「何を言いたいか分からないが、帝国民が帝国にいて何が悪い?」
「まさか。ただ普段引き篭もっているお前が市街地にいることに驚いただけだ」
その回答に、やはり俺の正体に気付いていると察する。本当に、俺と分かってわざわざ引き留めたらしい。髪色も白金色から黒髪に変えた今の俺をすれ違いざまに見ただけで分かるような人間がいるとは思っていなかった。
「髪型まで変えて、何か企んでいるのか?」
「何のことか分かりませんが」
「髪質が違うな。ウィッグか」
「……よく分かるな」
触りもせず見ただけで俺の本来の髪質と違うことに気付けるとは、驚きを通り越して少し引く。
「何度も触れてきたんだから、見れば分かる」
「たった数回のくせに誇張するな、ルカ・ランベール」
俺がその名前を口にした瞬間だった、他の声が被さったのは。
「叔父上?」
問うような声は若い。振り返れば若い男と女がおり、思考が自然と駆け巡る。
男は皇太子のレオナルド。エレノアの婚約相手だ。そして隣にいる女は恐らくヒロインのソフィア。オリヴィアが描いて見せた姿絵通りだ。白金色の長い髪に垂れ気味の青い瞳。ヒロインになるだけあって愛らしい容貌をしている。キリッとした美人のエレノアとは正反対のタイプだ。
そして、レオナルドが声を掛けたことで未だ俺の腕を掴んだままの男がルカ・ランベールであることが確定した。王弟であり皇室騎士団団長。帝国最強と名高い男だ。俺の同窓でもあるが仲良しではなかった。
王弟と皇太子とヒロイン。今、ここで俺の正体がバレて困る相手は皇太子とヒロインだ。名乗ってしまえばヒロインに俺が義理の叔父であることがバレる。他人と身内へのヒロインの態度を確認したかったし、皇太子に変装をしていることを詮索されたくもない。
皇太子と対峙してから数秒の逡巡。俺は皇太子が次に口を開けるより先に行動に出るしかなかった。名を問われる前に、名乗らなくても済む状況に変えるしかない。
俺は俺の腕を掴むルカを軽く自分の方へ引っ張る。何の抵抗もなく素直に傾いたため、背伸びをしてその顔にキスをした。……至近距離に迫った相手の顔に驚愕も動揺もない。視線さえ冷たいままだ。ただ、合わさった唇だけが熱い。
周囲がどよめくのを感じた。
「……ん」
顔を離してから、俺は皇太子に恭しく頭を下げる。
「では、ルカ殿。今日は先を急ぐのでまたお会いしましょうね」
媚を売るような声音でルカに微笑んでから、俺はそそくさとその場を離れる。名乗らなくても済み、正体をバラされることがない状況は作れたのであとはルカがどうにかするだろう。
王弟であり騎士団長のルカが、衆人環視の中で口付けを交わした相手が公爵家の人間だと言えるはずがない。王弟という立場は複雑だ。高位貴族と親しいだけで反逆を企てていると馬鹿な妄想をする輩が出てくる。ルカの場合、皇位継承権を放棄し、母方の伯爵家を継ぎ、騎士団団長の立場を固めているが、要らぬ面倒事と隙を作らないために普段から貴族とは距離を置いて過ごしていると聞く。だからこそ、ただならぬ関係にしか見えない距離感を見せておけば、ルカは俺をアリーチェ・リシャールということを隠すしかない。
「……くそ野郎」
だが、俺の口から出る言葉は悪態。理由はルカ。物事は自分の思い通りに進めたが、本当は頬にキスをするだけのつもりだったから。なのに、ギリギリで顔の位置を変えてきやがった。途中でやめることも出来ず唇を合わせるしかなかったのだ。
キスに特別な意味を持つタイプではないが、思った通りに進まなかったので気分が良いものではない。
乱暴に唇を拭ってから、気分が下がった俺はホテルへと戻ることにした。
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