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8、神器の在処
アンジェリカとリリア
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「今日から話す練習を始めるんですから、焦らせちゃだめですよ。何事も、ゆっくり、です」
リリアが穏やかに釘を刺して、冷めないうちに、と軽食を薦める。飲まず食わずの上に乱闘までこなしているのだから、さすがの恭親王も腹が減っていた。用意されていたのは彼があまり得意でない羊肉のパテを挟み込んだ薄焼きパンだったが、香草を混ぜ込んで臭みを抑えてあり、空腹の故もあって食は進んだ。
普段から動くことも少なく食も細いアデライードは、目の前で続いた流血沙汰に神経をすり減らし、食欲はなかった。何とか温かいスープを一口二口流し込むと、それで匙を置いてしまう。
「お口に合いませんか?羊肉が苦手なら、何か別なものをご用意しましょうか?」
給仕をしていたリリアが気にして尋ねるが、アデライードはただ無言で首を振った。
あれだけの血を見せられたら、食欲などなくなるだろうな、と恭親王は思い、リリアに言った。
「果物とか焼き菓子のようなものがあれば……それなら食べられるかもしれない」
リリアが頷いて取りに行き、セルフィーノが持ってきた黄金色の焼き菓子を並べる。
「甘い物は姫様が喜ばれるだろうから、とアンジェリカのお兄さんがたくさん持って来てくれたんです」
甘い菓子の香りにアデライードが心なしか顔を上気させているのを見て、恭親王も言った。
「今日はいろいろあったから、甘い物でも食べてゆっくりするといい。中庭なら外に出ても構わない。何か必要なものがあれば、筆談でもいいから二人に伝えてくれ。できる限り用意させる」
アデライードの白金の髪に指を滑らせながら耳元で囁くと、アデライードは頬を染めて俯き、躊躇いがちに頷く。その様子をリリアは頬を染めて、アンジェリカは口元を引き攣らせて見ていた。
焼き菓子とともに供された、高価な砂糖を使った砂糖菓子よりもさらに甘い雰囲気に、アンジェリカは背中がムズムズした。
(ああもう、くっそ、何なのよ、この男はっ! 初婚でもない政略結婚のくせに、甘い雰囲気振りまいてんじゃないわよっ!)
数日前の侍女の面接の時は、あからさまに面倒くさそうな態度だったくせに、今や年下のお姫様に対してデレデレである。
(まあ、そりゃあ、月の女神かっつーくらいの美少女ですけどね!しかも口がきけないなんて、庇護欲煽りまくりじゃないの)
侍女としての訓練など受けていないリリアやアンジェリカにとって、目の前で高貴な方々にいちゃつかれるのは、どうにも居心地が悪い。だからといって逃げ出すわけにもいかずに、ムズムズするお尻を我慢して控えていると、天の助けのようにメイローズが現れた。月神殿で後始末を終え、報告に来たのだ。その背後には、トルフィンとゾラが付いてきていた。
「もう、ほんっとうーに、大変だったんですからっ!」
普段温厚なメイローズがキレ気味に恭親王に文句を言う。紺碧の瞳には疲労の色が濃い。
「あの後、月神殿は蜂の巣をつついたような騒ぎだったのですよ!」
地団太を踏むメイローズを制して、恭親王が手振りでアンジェリカとリリアに退出を命じた。二人は残されるアデライードが心配ではあったが、一礼して部屋を後にする。
「姫様、大丈夫かしら……」
温厚なリリアが不安そうに呟く。
「メイローズさんもいるし、無体なことはしないはずよ」
アンジェリカが眉を顰めながら言うと、リリアも溜息をついた。
「でも、ちょっと心配だったのよ。口のきけない王女様のお世話なんて、侍女の経験もないあたしにできるのかしらって。でもすごーく大人しくて、素直な方でよかったわ」
リリアがホッとしたように言った。実際、とんでもないワガママ姫だったらどうしようかと、アンジェリカも不安だったのだ。やってきたお姫様は、妖精のように儚げで、また驚くほど質素だった。商家のアンジェリカの方が贅沢に育っているくらいだ。
「ま、あたしたちはお姫様を不埒な者から守るってのが主なお仕事だし。気合い入れていきましょう!」
この時、アンジェリカの思い浮かべる「不埒な者」の筆頭は、出会って早々にキスマークを付けた黒い髪の皇子だった。
リリアが穏やかに釘を刺して、冷めないうちに、と軽食を薦める。飲まず食わずの上に乱闘までこなしているのだから、さすがの恭親王も腹が減っていた。用意されていたのは彼があまり得意でない羊肉のパテを挟み込んだ薄焼きパンだったが、香草を混ぜ込んで臭みを抑えてあり、空腹の故もあって食は進んだ。
普段から動くことも少なく食も細いアデライードは、目の前で続いた流血沙汰に神経をすり減らし、食欲はなかった。何とか温かいスープを一口二口流し込むと、それで匙を置いてしまう。
「お口に合いませんか?羊肉が苦手なら、何か別なものをご用意しましょうか?」
給仕をしていたリリアが気にして尋ねるが、アデライードはただ無言で首を振った。
あれだけの血を見せられたら、食欲などなくなるだろうな、と恭親王は思い、リリアに言った。
「果物とか焼き菓子のようなものがあれば……それなら食べられるかもしれない」
リリアが頷いて取りに行き、セルフィーノが持ってきた黄金色の焼き菓子を並べる。
「甘い物は姫様が喜ばれるだろうから、とアンジェリカのお兄さんがたくさん持って来てくれたんです」
甘い菓子の香りにアデライードが心なしか顔を上気させているのを見て、恭親王も言った。
「今日はいろいろあったから、甘い物でも食べてゆっくりするといい。中庭なら外に出ても構わない。何か必要なものがあれば、筆談でもいいから二人に伝えてくれ。できる限り用意させる」
アデライードの白金の髪に指を滑らせながら耳元で囁くと、アデライードは頬を染めて俯き、躊躇いがちに頷く。その様子をリリアは頬を染めて、アンジェリカは口元を引き攣らせて見ていた。
焼き菓子とともに供された、高価な砂糖を使った砂糖菓子よりもさらに甘い雰囲気に、アンジェリカは背中がムズムズした。
(ああもう、くっそ、何なのよ、この男はっ! 初婚でもない政略結婚のくせに、甘い雰囲気振りまいてんじゃないわよっ!)
数日前の侍女の面接の時は、あからさまに面倒くさそうな態度だったくせに、今や年下のお姫様に対してデレデレである。
(まあ、そりゃあ、月の女神かっつーくらいの美少女ですけどね!しかも口がきけないなんて、庇護欲煽りまくりじゃないの)
侍女としての訓練など受けていないリリアやアンジェリカにとって、目の前で高貴な方々にいちゃつかれるのは、どうにも居心地が悪い。だからといって逃げ出すわけにもいかずに、ムズムズするお尻を我慢して控えていると、天の助けのようにメイローズが現れた。月神殿で後始末を終え、報告に来たのだ。その背後には、トルフィンとゾラが付いてきていた。
「もう、ほんっとうーに、大変だったんですからっ!」
普段温厚なメイローズがキレ気味に恭親王に文句を言う。紺碧の瞳には疲労の色が濃い。
「あの後、月神殿は蜂の巣をつついたような騒ぎだったのですよ!」
地団太を踏むメイローズを制して、恭親王が手振りでアンジェリカとリリアに退出を命じた。二人は残されるアデライードが心配ではあったが、一礼して部屋を後にする。
「姫様、大丈夫かしら……」
温厚なリリアが不安そうに呟く。
「メイローズさんもいるし、無体なことはしないはずよ」
アンジェリカが眉を顰めながら言うと、リリアも溜息をついた。
「でも、ちょっと心配だったのよ。口のきけない王女様のお世話なんて、侍女の経験もないあたしにできるのかしらって。でもすごーく大人しくて、素直な方でよかったわ」
リリアがホッとしたように言った。実際、とんでもないワガママ姫だったらどうしようかと、アンジェリカも不安だったのだ。やってきたお姫様は、妖精のように儚げで、また驚くほど質素だった。商家のアンジェリカの方が贅沢に育っているくらいだ。
「ま、あたしたちはお姫様を不埒な者から守るってのが主なお仕事だし。気合い入れていきましょう!」
この時、アンジェリカの思い浮かべる「不埒な者」の筆頭は、出会って早々にキスマークを付けた黒い髪の皇子だった。
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