88 / 191
13、月蝕
月蝕祭
しおりを挟む
陰陽二元論を根本教理とし、さらに天動説を採用している〈禁苑〉の教えにおいて、月蝕は、一旦姿を隠した陰の精たる月が、再び力を得る重要な日であり、月神殿において月精の再生を祈る祭祀を行う。
八月のこの夜、月の精の子孫たるアデライード王女は、その〈聖婚〉の婚約者である帝国皇子恭親王と月蝕祭に参列し、太陰宮の導きと保護を受け、女王家の再生を印象づける役割を負う。
月蝕の時刻が近づくと、参列者たちは神殿中庭の決められた席についた。満月と周囲に焚かれた篝火を映す、広い長方形の泉を取り囲み、巨大な列柱がならぶ回廊が取り巻く。
神官たちは所定の位置につき、賓客は北側の庇の下に作られた観覧席に座る。全ての列席者が揃った後で、後見人のユリウスにエスコートされたアデライードと、恭親王が主賓席に導かれる。泉の周りに配置された篝火に照らされ、群を抜いて美しい三人の若者に、他の列席者は皆な溜息を漏らす。
大神官長ルキニウスが泉の前に立ち、月蝕祭の祝詞を重々しく唱えると、篝火が消され、月明かりだけになる。神官たちの祈りの声が響く中、月が次第に欠けはじめ、辺りは暗くなっていく。
恭親王もユリウスも、本当ならば月蝕祭のような夜の祭祀の出席は遠慮したいところだ。しかし、折しも公聴会で月神殿を訪れている〈聖婚〉の二人が、敢えて欠席するのは外聞がよくない。イフリート公爵がいかな世俗主義者とはいえ、さすがに祭祀中の月神殿を襲撃して神域を穢すような非常識は行うまいと、聖職者たちは考えている。しかしながら、イフリート公爵はどうやら、そんな〈禁苑〉の常識が全く当てはまらない人物らしい。周囲の闇が深みを増していくなかで、恭親王は警戒を強める。
儀式の直前、暗部のカイトよりエイダとギュスターブの会話内容を報告された恭親王は、それを裏付けるようにギュスターブの欠席を知り、どこかで必ず襲撃があると覚悟した。それで、帯剣したままでなければ出席しないと言い張り、また武器を佩びた護衛を多数、神殿のあちこちに潜ませることを認めさせた。極めて物々しい警戒の中での、月蝕祭となった。
暗がりの中で、恭親王はいつでも抜けるよう、そっと剣の位置を確かめ、左隣にいるアデライードの所在を確認する。
神官たちの祈りの声が響き、恭親王の首筋がチリチリと警戒を発する。全神経を集中して周囲を探る。――背後から、何か来る。
「ユリウス、来たぞ……!」
恭親王は小声でユリウスに囁くと、左手でアデライードを抱き寄せ、右手で剣を抜いて振り向きざまに横に薙ぎ払う。キーン! と剣と剣の打ち合う音がして、青い火花が散る。
「曲者だっ!」
ユリウスもさすがに反応して、苦手な剣を抜こうとしているが、狭いし暗いしでわたわたしている。その姿を見て、恭親王は思いっきり舌打ちした。
「もういい、何も期待しないから、とにかく死ぬな」
「わかってるよ!剣は苦手なんだって!」
恭親王は左手に抱いていたアデライードをユリウスに託すと、左手に剣を持ち変えて本気でうちかかる。メイローズが短剣を抜いてアデライードを背に庇い、騒ぎを聞きつけた侍従官のトルフィンとゾラも、警戒していた柱の陰から抜刀して駆けつける。
しかし、他の客たちが悲鳴を上げ、逃げ惑って入り乱れ始めると、剣を振るうことができない。暗殺者にしてみれば、手当たり次第殺してしまっても別に構わないのだろうが、こちらは暗闇で味方を傷つけるわけにはいかない。
恭親王はユリウスに声をかける。
「ユリウス、いけるか?」
「こんな暗い中では無理だ!」
ユリウスが悲鳴を上げる。恭親王が指をくわえて甲高い指笛を鳴らす。
「こっちだ!ユリウスを守れ。」
数人の暗部らしい黒ずくめの男が現れ、ユリウスを取り囲んで守った。
「姫をこちらへ!」
恭親王の声に、ユリウスがアデライードの腕を掴んで、恭親王の方に押しやる。ぶつかってきた小柄な人物の甘い香りと柔らかい身体に、これがアデライードだと確信する。
「姫か?」
暗闇の中で腕の中の人物が頷いた気配を感じる。恭親王は彼女の腕を右手で掴むと、
「分散する! この狭い場所を抜けるぞ!」
と言うが早いか、客たちのひしめく観覧席を蹴立てて回廊の方に走り始めた。
「あっちだ!追え!」
暗殺者たちもそれに続く。恭親王はアデライードの手を引いて走りながら、背後から迫ってきた暗殺者を振り向きざまに一閃して切り捨て、そのままアデライードを庇って、暗殺者が振り下ろした剣を薙ぎ払う。恭親王の右手側をさすがの判断で付いてきたゾラが並走し、アデライードを庇いながら瞬く間に二人を切り伏せる。
それらの行動を全て走りながらこなしているのだが、恭親王やゾラの走るスピードに、アデライードがついてこられるはずがない。早くも息があがり、足がもつれている。恭親王は右手でアデライードの細腰を抱くと、ふわりと片腕で抱えて風のように走った。アデライードはなすすべもなく恭親王にしがみつく。恭親王の黒い肩衣が回廊に翻り、そのまま回廊を走り続けると見せて、ついっと回廊の横手、巨大な柱の陰の暗がりに身を潜める。
ゾラはちらりと一瞬だけ恭親王に視線を走らせるも、そのまま回廊を曲がって走り続けていく。柱の陰に身を潜めた恭親王とアデライードの横を暗殺者たちが走り抜け、それを護衛たちと僧兵たちがドタドタと足音を立てながら追っていった。
足音が遠ざかると、恭親王はアデライードの腰を抱いたままふうっと息をつく。
「ここでやり過ごそう。姫を守るのが先決だからな」
「……このまま賊を追います」
どこからか聞こえてきたひそやかな声に、恭親王が答える。
「そうしてくれ。姫だけなら私一人で十分だ」
「では……」
ふっと気配が途絶え、暗部の男はそのまま消えた。
八月のこの夜、月の精の子孫たるアデライード王女は、その〈聖婚〉の婚約者である帝国皇子恭親王と月蝕祭に参列し、太陰宮の導きと保護を受け、女王家の再生を印象づける役割を負う。
月蝕の時刻が近づくと、参列者たちは神殿中庭の決められた席についた。満月と周囲に焚かれた篝火を映す、広い長方形の泉を取り囲み、巨大な列柱がならぶ回廊が取り巻く。
神官たちは所定の位置につき、賓客は北側の庇の下に作られた観覧席に座る。全ての列席者が揃った後で、後見人のユリウスにエスコートされたアデライードと、恭親王が主賓席に導かれる。泉の周りに配置された篝火に照らされ、群を抜いて美しい三人の若者に、他の列席者は皆な溜息を漏らす。
大神官長ルキニウスが泉の前に立ち、月蝕祭の祝詞を重々しく唱えると、篝火が消され、月明かりだけになる。神官たちの祈りの声が響く中、月が次第に欠けはじめ、辺りは暗くなっていく。
恭親王もユリウスも、本当ならば月蝕祭のような夜の祭祀の出席は遠慮したいところだ。しかし、折しも公聴会で月神殿を訪れている〈聖婚〉の二人が、敢えて欠席するのは外聞がよくない。イフリート公爵がいかな世俗主義者とはいえ、さすがに祭祀中の月神殿を襲撃して神域を穢すような非常識は行うまいと、聖職者たちは考えている。しかしながら、イフリート公爵はどうやら、そんな〈禁苑〉の常識が全く当てはまらない人物らしい。周囲の闇が深みを増していくなかで、恭親王は警戒を強める。
儀式の直前、暗部のカイトよりエイダとギュスターブの会話内容を報告された恭親王は、それを裏付けるようにギュスターブの欠席を知り、どこかで必ず襲撃があると覚悟した。それで、帯剣したままでなければ出席しないと言い張り、また武器を佩びた護衛を多数、神殿のあちこちに潜ませることを認めさせた。極めて物々しい警戒の中での、月蝕祭となった。
暗がりの中で、恭親王はいつでも抜けるよう、そっと剣の位置を確かめ、左隣にいるアデライードの所在を確認する。
神官たちの祈りの声が響き、恭親王の首筋がチリチリと警戒を発する。全神経を集中して周囲を探る。――背後から、何か来る。
「ユリウス、来たぞ……!」
恭親王は小声でユリウスに囁くと、左手でアデライードを抱き寄せ、右手で剣を抜いて振り向きざまに横に薙ぎ払う。キーン! と剣と剣の打ち合う音がして、青い火花が散る。
「曲者だっ!」
ユリウスもさすがに反応して、苦手な剣を抜こうとしているが、狭いし暗いしでわたわたしている。その姿を見て、恭親王は思いっきり舌打ちした。
「もういい、何も期待しないから、とにかく死ぬな」
「わかってるよ!剣は苦手なんだって!」
恭親王は左手に抱いていたアデライードをユリウスに託すと、左手に剣を持ち変えて本気でうちかかる。メイローズが短剣を抜いてアデライードを背に庇い、騒ぎを聞きつけた侍従官のトルフィンとゾラも、警戒していた柱の陰から抜刀して駆けつける。
しかし、他の客たちが悲鳴を上げ、逃げ惑って入り乱れ始めると、剣を振るうことができない。暗殺者にしてみれば、手当たり次第殺してしまっても別に構わないのだろうが、こちらは暗闇で味方を傷つけるわけにはいかない。
恭親王はユリウスに声をかける。
「ユリウス、いけるか?」
「こんな暗い中では無理だ!」
ユリウスが悲鳴を上げる。恭親王が指をくわえて甲高い指笛を鳴らす。
「こっちだ!ユリウスを守れ。」
数人の暗部らしい黒ずくめの男が現れ、ユリウスを取り囲んで守った。
「姫をこちらへ!」
恭親王の声に、ユリウスがアデライードの腕を掴んで、恭親王の方に押しやる。ぶつかってきた小柄な人物の甘い香りと柔らかい身体に、これがアデライードだと確信する。
「姫か?」
暗闇の中で腕の中の人物が頷いた気配を感じる。恭親王は彼女の腕を右手で掴むと、
「分散する! この狭い場所を抜けるぞ!」
と言うが早いか、客たちのひしめく観覧席を蹴立てて回廊の方に走り始めた。
「あっちだ!追え!」
暗殺者たちもそれに続く。恭親王はアデライードの手を引いて走りながら、背後から迫ってきた暗殺者を振り向きざまに一閃して切り捨て、そのままアデライードを庇って、暗殺者が振り下ろした剣を薙ぎ払う。恭親王の右手側をさすがの判断で付いてきたゾラが並走し、アデライードを庇いながら瞬く間に二人を切り伏せる。
それらの行動を全て走りながらこなしているのだが、恭親王やゾラの走るスピードに、アデライードがついてこられるはずがない。早くも息があがり、足がもつれている。恭親王は右手でアデライードの細腰を抱くと、ふわりと片腕で抱えて風のように走った。アデライードはなすすべもなく恭親王にしがみつく。恭親王の黒い肩衣が回廊に翻り、そのまま回廊を走り続けると見せて、ついっと回廊の横手、巨大な柱の陰の暗がりに身を潜める。
ゾラはちらりと一瞬だけ恭親王に視線を走らせるも、そのまま回廊を曲がって走り続けていく。柱の陰に身を潜めた恭親王とアデライードの横を暗殺者たちが走り抜け、それを護衛たちと僧兵たちがドタドタと足音を立てながら追っていった。
足音が遠ざかると、恭親王はアデライードの腰を抱いたままふうっと息をつく。
「ここでやり過ごそう。姫を守るのが先決だからな」
「……このまま賊を追います」
どこからか聞こえてきたひそやかな声に、恭親王が答える。
「そうしてくれ。姫だけなら私一人で十分だ」
「では……」
ふっと気配が途絶え、暗部の男はそのまま消えた。
13
あなたにおすすめの小説
借金まみれで高級娼館で働くことになった子爵令嬢、密かに好きだった幼馴染に買われる
しおの
恋愛
乙女ゲームの世界に転生した主人公。しかしゲームにはほぼ登場しないモブだった。
いつの間にか父がこさえた借金を返すため、高級娼館で働くことに……
しかしそこに現れたのは幼馴染で……?
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
愛されないと吹っ切れたら騎士の旦那様が豹変しました
蜂蜜あやね
恋愛
隣国オデッセアから嫁いできたマリーは次期公爵レオンの妻となる。初夜は真っ暗闇の中で。
そしてその初夜以降レオンはマリーを1年半もの長い間抱くこともしなかった。
どんなに求めても無視され続ける日々についにマリーの糸はプツリと切れる。
離縁するならレオンの方から、私の方からは離縁は絶対にしない。負けたくない!
夫を諦めて吹っ切れた妻と妻のもう一つの姿に惹かれていく夫の遠回り恋愛(結婚)ストーリー
※本作には、性的行為やそれに準ずる描写、ならびに一部に性加害的・非合意的と受け取れる表現が含まれます。苦手な方はご注意ください。
※ムーンライトノベルズでも投稿している同一作品です。
【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される
奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。
けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。
そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。
2人の出会いを描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630
2人の誓約の儀を描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」
https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041
私が死んで満足ですか?
マチバリ
恋愛
王太子に婚約破棄を告げられた伯爵令嬢ロロナが死んだ。
ある者は面倒な婚約破棄の手続きをせずに済んだと安堵し、ある者はずっと欲しかった物が手に入ると喜んだ。
全てが上手くおさまると思っていた彼らだったが、ロロナの死が与えた影響はあまりに大きかった。
書籍化にともない本編を引き下げいたしました
私は5歳で4人の許嫁になりました【完結】
Lynx🐈⬛
恋愛
ナターシャは公爵家の令嬢として産まれ、5歳の誕生日に、顔も名前も知らない、爵位も不明な男の許嫁にさせられた。
それからというものの、公爵令嬢として恥ずかしくないように育てられる。
14歳になった頃、お行儀見習いと称し、王宮に上がる事になったナターシャは、そこで4人の皇子と出会う。
皇太子リュカリオン【リュカ】、第二皇子トーマス、第三皇子タイタス、第四皇子コリン。
この4人の誰かと結婚をする事になったナターシャは誰と結婚するのか………。
※Hシーンは終盤しかありません。
※この話は4部作で予定しています。
【私が欲しいのはこの皇子】
【誰が叔父様の側室になんてなるもんか!】
【放浪の花嫁】
本編は99話迄です。
番外編1話アリ。
※全ての話を公開後、【私を奪いに来るんじゃない!】を一気公開する予定です。
セクスカリバーをヌキました!
桂
ファンタジー
とある世界の森の奥地に真の勇者だけに抜けると言い伝えられている聖剣「セクスカリバー」が岩に刺さって存在していた。
国一番の剣士の少女ステラはセクスカリバーを抜くことに成功するが、セクスカリバーはステラの膣を鞘代わりにして収まってしまう。
ステラはセクスカリバーを抜けないまま武闘会に出場して……
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる