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目が覚めると、ヴィルジニアは見知らぬ部屋のベッドに寝かされていた。
羽毛のようにふわふわな毛布のなか、虚ろな目であたりを見回して、それからのそりと起き上がる。胸元に視線を落とすと、目に映ったのは引き裂かれたネグリジェではなく、ふんだんにレースがあしらわれたおろしたての真っ白なネグリジェだった。
恐ろしく甘美な快楽に満ちた夜がまるで嘘だったかのように、粘液にまみれていた下肢は綺麗に清められていて。けれど、身体のあちこちが軋むようで、あの激しい交わりは夢ではなかったのだと思い知った。
夫は優しくて誠実な人だ。
ヴィルジニアは昨日まで、そう思い込んでいた。けれど……
ベッドの上に座ったまま、ヴィルジニアは両手で顔を覆った。
視界が黒く塗りつぶされると、まぶたの裏に鏡の中で快楽に身を委ねていた自分の姿がまざまざと浮かび上がった。社交界に花咲く淑女とは程遠い、酷く醜い姿だった。
「目が覚めた?」
唐突に声がした。男性にしては少し高めの澄んだその声は、間違いなくヴィルジニアの夫のものだった。
振り返ると、ベッドの傍にティーカップを載せたソーサーを手にしてウルバーノが立っていた。真っ白な寝間着のうえに厚手のガウンを着た彼は、癖のない蜂蜜色の髪が少しばかり乱れていた。
「ウルバーノ様……?」
「うん」
「ここは……」
ぼんやりと夫の顔を見上げながらヴィルジニアが訊ねると、ウルバーノは微かに笑ってベッドの縁に腰掛けた。
「僕の寝室」
さらりと告げられた答えに、ヴィルジニアは眼を瞬かせた。
ウルバーノひとりのための寝室があったなんて、知らなかった。ヴィルジニアが今まで使っていたあの部屋だけが、夫婦の寝室なのだと思っていた。
「そう……ですの……」
ヴィルジニアがちからなくそう呟くと、ウルバーノは困ったように薄く笑って、淹れたての紅茶が香るティーカップを差し出した。温かい紅茶をすするヴィルジニアを見守りながら、彼は抑揚のない声で言った。
「きみには教えていなかったけど、本当は毎晩帰ってきてたんだ。でも、一緒に寝たら酷いことをしてしまいそうだったから……」
「わたくしの……ために……?」
「うん」
うなずいて、ウルバーノはヴィルジニアのからだを抱き寄せると、薄い肩に顔を埋めた。紅茶をこぼしてしまいそうで、ヴィルジニアは慌ててカップを持つ手をサイドテーブルへと伸ばした。
ウルバーノの逞しい腕が、細くくびれたヴィルジニアの腰をぎゅっと抱き締めた。
「正直言うと、恋だの愛だのなんてものは僕にはよくわからない。けど、嫌われたくないと思う程度には、きみのことが好きだから……」
「……嫌いになんて、なりませんわ」
出会ったときから変わらないヴィルジニアの答えを聞いて満足したのだろう。
ウルバーノはヴィルジニアを解放し、ほっそりとした白い腕を取った。傷付いたように顔を歪ませて、手首にのこる薄赤い傷痕を指の腹でそっと撫でる。微かに声を震わせて、彼はゆっくりと頭を垂れた。
「ごめん。酷いこと言って乱暴して、ほんとうにごめん」
「謝らないでください。わたくし、そんなこと気にしていませんわ」
夫の肩に触れてヴィルジニアが囁くと、ウルバーノは少し悲しそうに「ありがとう」と微笑んだ。
時計の針が時を刻む澄んだ音が室内に響く。
ヴィルジニアは満ち足りた表情で夫の胸に寄り添っていた。
全幅の信頼を寄せてウルバーノに身を委ねるヴィルジニアの赤い髪を、ウルバーノの長い指が愛おしむように撫でる。か細い肩を抱き寄せて、彼はぽつりと呟いた。
「……ときどきで良いから、昨夜みたいにしてもいいかな」
「ええ……ときどきでしたら……」
ヴィルジニアは躊躇いなくうなずいた。
昨夜の豹変ぶりには驚いたけれど、ヴィルジニアのウルバーノへの想いは変わっていない。これからだってそうだろう。
ウルバーノがヴィルジニアを必要としてくれる限り、きっと、この愛は終わらない。
そう思った矢先。
「やった! じゃあさ、医学部に通ってる弟から興味深い道具を借りられそうなんだ。今度、試してみない?」
「え……?」
満面の笑みとともに、ウルバーノが悦びに弾んだ声をあげる。
晴々としたその笑顔を目の当たりにして、ヴィルジニアは血の気がさっと引いていくのをまざまざと感じたのだった。
――きっと、この愛は終わらない……はず。
羽毛のようにふわふわな毛布のなか、虚ろな目であたりを見回して、それからのそりと起き上がる。胸元に視線を落とすと、目に映ったのは引き裂かれたネグリジェではなく、ふんだんにレースがあしらわれたおろしたての真っ白なネグリジェだった。
恐ろしく甘美な快楽に満ちた夜がまるで嘘だったかのように、粘液にまみれていた下肢は綺麗に清められていて。けれど、身体のあちこちが軋むようで、あの激しい交わりは夢ではなかったのだと思い知った。
夫は優しくて誠実な人だ。
ヴィルジニアは昨日まで、そう思い込んでいた。けれど……
ベッドの上に座ったまま、ヴィルジニアは両手で顔を覆った。
視界が黒く塗りつぶされると、まぶたの裏に鏡の中で快楽に身を委ねていた自分の姿がまざまざと浮かび上がった。社交界に花咲く淑女とは程遠い、酷く醜い姿だった。
「目が覚めた?」
唐突に声がした。男性にしては少し高めの澄んだその声は、間違いなくヴィルジニアの夫のものだった。
振り返ると、ベッドの傍にティーカップを載せたソーサーを手にしてウルバーノが立っていた。真っ白な寝間着のうえに厚手のガウンを着た彼は、癖のない蜂蜜色の髪が少しばかり乱れていた。
「ウルバーノ様……?」
「うん」
「ここは……」
ぼんやりと夫の顔を見上げながらヴィルジニアが訊ねると、ウルバーノは微かに笑ってベッドの縁に腰掛けた。
「僕の寝室」
さらりと告げられた答えに、ヴィルジニアは眼を瞬かせた。
ウルバーノひとりのための寝室があったなんて、知らなかった。ヴィルジニアが今まで使っていたあの部屋だけが、夫婦の寝室なのだと思っていた。
「そう……ですの……」
ヴィルジニアがちからなくそう呟くと、ウルバーノは困ったように薄く笑って、淹れたての紅茶が香るティーカップを差し出した。温かい紅茶をすするヴィルジニアを見守りながら、彼は抑揚のない声で言った。
「きみには教えていなかったけど、本当は毎晩帰ってきてたんだ。でも、一緒に寝たら酷いことをしてしまいそうだったから……」
「わたくしの……ために……?」
「うん」
うなずいて、ウルバーノはヴィルジニアのからだを抱き寄せると、薄い肩に顔を埋めた。紅茶をこぼしてしまいそうで、ヴィルジニアは慌ててカップを持つ手をサイドテーブルへと伸ばした。
ウルバーノの逞しい腕が、細くくびれたヴィルジニアの腰をぎゅっと抱き締めた。
「正直言うと、恋だの愛だのなんてものは僕にはよくわからない。けど、嫌われたくないと思う程度には、きみのことが好きだから……」
「……嫌いになんて、なりませんわ」
出会ったときから変わらないヴィルジニアの答えを聞いて満足したのだろう。
ウルバーノはヴィルジニアを解放し、ほっそりとした白い腕を取った。傷付いたように顔を歪ませて、手首にのこる薄赤い傷痕を指の腹でそっと撫でる。微かに声を震わせて、彼はゆっくりと頭を垂れた。
「ごめん。酷いこと言って乱暴して、ほんとうにごめん」
「謝らないでください。わたくし、そんなこと気にしていませんわ」
夫の肩に触れてヴィルジニアが囁くと、ウルバーノは少し悲しそうに「ありがとう」と微笑んだ。
時計の針が時を刻む澄んだ音が室内に響く。
ヴィルジニアは満ち足りた表情で夫の胸に寄り添っていた。
全幅の信頼を寄せてウルバーノに身を委ねるヴィルジニアの赤い髪を、ウルバーノの長い指が愛おしむように撫でる。か細い肩を抱き寄せて、彼はぽつりと呟いた。
「……ときどきで良いから、昨夜みたいにしてもいいかな」
「ええ……ときどきでしたら……」
ヴィルジニアは躊躇いなくうなずいた。
昨夜の豹変ぶりには驚いたけれど、ヴィルジニアのウルバーノへの想いは変わっていない。これからだってそうだろう。
ウルバーノがヴィルジニアを必要としてくれる限り、きっと、この愛は終わらない。
そう思った矢先。
「やった! じゃあさ、医学部に通ってる弟から興味深い道具を借りられそうなんだ。今度、試してみない?」
「え……?」
満面の笑みとともに、ウルバーノが悦びに弾んだ声をあげる。
晴々としたその笑顔を目の当たりにして、ヴィルジニアは血の気がさっと引いていくのをまざまざと感じたのだった。
――きっと、この愛は終わらない……はず。
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この短編じたいが別作品のスピンオフなので書いた本人も日常生活なんかは考えていませんでした。
なんだかんだで仲は良いのでわりと平和に暮らしてるんじゃないかなって思います。