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第1章
第10話 ずるい男
しおりを挟む「ジークと同じように、オレには昔『兄貴』が居たんだ。今は王宮を追い出されたが──本当はオレではなく、兄貴が次期当主になるはずだった」
悲し気な眼差しで、グレアは過去を語り始める。俺はそれに、黙って耳を傾けていた。
「現当主である父上には、三人の妻がいた。その妻たちには当時『番号』が付けられていた。数字が小さい程、父上に愛されていたんだ」
「……ばんごう?」
「ああ。俺の母親は、父上にとって、三番目の女だった」
唖然とする俺とは裏腹に、グレアの表情は穏やかだった。
「三人の妻は、次期当主となる子供を産もうと、必死になったらしい。やがて、オレの『母親』と『二番目』の妻には子供が出来た。だが──父上に一番愛されていた『一番目』の女には、何時まで経っても子が出来なかった」
グレアは俺の頬に優しく手を添え、何でもないように話を続ける。
「二番目の妻から生まれたのは、オレと同じく赤い瞳を持った男だった。名前は『ノル』──オレの兄貴にあたる人だ」
兄貴の話をするグレアの表情は、心なしか穏やかに見えた。きっと物凄く仲が良かったんだろうな、と俺は心の中で想像する。
「やがて王宮内では『ノルが次期当主だ』と噂されるようになった」
「……グレアは?」
「当時のオレは本にしか興味を示さなかった。次期当主なんて堅苦しい名前もいらない。オレも、兄貴に任せれば安心だと思ってた──でも」
声の調子を下げ、グレアは僅かに俯いた。この時点で俺は、グレアの話に夢中になっていた。続きを促すべく「……でも?」とオウム返しをすれば、男は静かに続きを語りだす。
「ある日『一番目』の妻が子供を授かった。王宮内の人間は吃驚し、父上はその生まれた子供を次期当主とすると公の前で公表した」
「それじゃあ……」
「ああ。次期当主の座を奪われた、と兄貴はオレに愚痴を零していたな。だが──次の日、事件は起きた」
グレアの表情が強張っていく。男から放たれた言葉は、たった一言だった。
「兄貴の母親が、一番目の妻を殺したんだ」
瞬間、背筋が震えた。返す言葉が見つからず、俺はパクパクと口を動かす。初めて知ったグレアの過去は、想像もできないほど──恐ろしいものだったのだ。
「パーティの最中に起きた事件で、毒殺だった。オレも会場にいたが……あの事件だけは忘れないだろう。当時お腹の中にいた子供も、助からなかった」
「……そんな」
「激怒した父上は『二番目』の妻を打首にした。そして兄貴を王宮から追い出したんだ。今は当時の使用人らと、人気のない場所で暮らしているらしい」
こうしてオレは──次期当主になった。
そう話すグレアの表情は、やはり寂しそうだった。目の辺りが熱い。俺はぎゅっと顔を歪めると、口を噤んだまま小さく俯いた。突然兄貴と離ればなれにされ、次期当主を任されるなんて……もし俺がグレアの立場だったら、絶対に耐えられないだろう。
「初めは不安で、辛かったのを覚えている。だがその後も不幸は続いた。母は病死し、父上の体調は日を追うごとに悪くなった。医者曰く、父上はもう長くないらしい。だからだろうか──オレはいつの間にか、心の支えを求めるようになっていた」
グレアが静かに、俺を見る。
「あの事件以来、オレを見る周りの目に不快感を抱くようになった。王の血を引く『紅の瞳』も、オレに期待する『青い瞳』も──恐ろしく見えて仕方がない」
初めて目の当たりにしたグレアの弱い部分に、俺は思わず顔を上げる。すると、優しい紅の瞳と目が合った。
「ジークの瞳はきれいで、暖かい。お前が傍にいるだけで、強くなれる」
「な……んだよ急に」
「初めは確かに、その瞳に惹かれたが──お前と過ごしていくうちに、瞳だけじゃなく、ジークの存在自体がオレを、勇気づけてしてくれるようになった」
兄貴以外に、こんなに温かい言葉をもらったのは初めてだった。身体を駆け巡る、よく分からない感情に、俺の身体は熱くなっていく。
「傍にいて欲しい、ジーク。オレは弱い人間だ……当主になることが不安で、かなわない。せめてオレが当主の座につくまでの間でもいい。お前が許すまで『手は出さない』とも約束しよう。だからジーク、どうか隣にいてくれ」
「でも、俺は兄貴が──」
「お前の兄貴が心配なら手紙を使って連絡を取ろう。初めはロンに代筆をさせるが、いずれ読み書きを覚えれば、お前が自由にやり取り出来るはずだ」
この男はずるい。
人の心に土足で入り込み、意図も簡単に操ってしまう。分かっていても、無視することはできなかった。過去の話を聞いてしまった時点で、俺に選択肢はなかったのかもしれない。グレアは優しくの頬に触れると、目尻に零れる涙をぬぐった。ぐちゃぐちゃになった俺を見てクスリと笑うと、グレアは忽ち俺を抱きしめた。
「……いやか?」
「……くそっ、断れるわけないだろばか」
この日、俺は初めてグレアを抱きしめ返した。互いの体温が交差し、身体中が熱を帯びていく。
「そうか……ありがとう」
そんな俺を見て、グレアは心底嬉しそうに笑った。
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