119 / 171
その大地、徐州
国を割る国 2
しおりを挟む
袁術の行動は陳宮が予想していたより早く、しかも想定より大きな軍を動かして来た事によって徐州ではちょっとした騒ぎになっていた。
「この袁術軍の動き、明らかに劉備殿だけを標的にしたものではありませんな」
今回集められたのは実戦向きの武将より参謀寄りの方が多く、そう発言したのは陳珪だった。
「父上の言う通りでしょう。先日袁術との密約があったらしいですが、名目は劉備軍征伐と掲げてい入るものの、実際にはそのままこの徐州へと雪崩込んでくるつもりであると思われます。軍師殿はどのようにお考えで?」
陳登が続いて言い、陳宮に尋ねる。
特に糾弾していると言う訳でも無いが、これは確かに説明を要する事態だと呂布も思う。
そもそも秘密主義の陳宮は、先日やって来た韓胤との話の内容をほとんど明かしていない。
取次をした陳登なのでそう言う事があった事だけは知っているが、内容を説明していないので陳宮に対する不信感にもなっている。
「案ずるまでもない。手は考えてある」
陳宮は相手にするまでもないと言わんばかりの態度で答える。
「先日袁術から送られてきた使者の要件は、近日中に劉備を討伐するので呂布軍は兵を動かさないでもらいたいと言う事だった。その見返りとして、兵糧十万石を与えると言う事だったので、将軍にはそれを受け入れて頂いた」
「愚かな。あまりにも短絡的」
陳宮の説明を聞いて、陳珪は溜息をつく。
「いや、陳珪殿。軍師もその兵糧だけが目的で引き受けろと言った訳では無いのです」
呆れる陳珪に対し、陳宮ではなく呂布が言う。
「袁術がこの様な浅い策を弄する事は充分予想出来た。こちらが簡単に買収出来ると油断しているからこそ、無警戒に大軍を動かし一気に飲み込もうとしている。それは全て、私の予想通りの事だ」
慌てる徐州の文官達と比べ、陳宮はまったく感情を表に出さず淡々と言う。
「では、援軍は出していただけるのですか?」
小沛から呂布へ救援を求めにやって来た孫乾は、呂布に尋ねる。
「もちろん。今の徐州にとって劉備殿は杖柱。今劉備殿を失っては、徐州も袁術に飲み込まれるだけになる。すぐに援軍を出す」
「ありがとうございます」
「では、袁術との約束を反故にすると?」
陳登が尋ねると、陳宮は首を振る。
「いや、こちらから袁術との密約を反故にするつもりはない。こちらはあくまでも言われた通り、袁術が劉備討伐に来るのであれば軍は動かさない」
「おかしな事を」
「これより各人に指示を出す。案ずるな。袁術など恐るるに足りん」
やはり呆れている陳珪を無視して、陳宮はそれぞれに指示を出す。
と言っても、具体的にどう言う策であるかを説明していないので、指示を受ける側も半信半疑と言うより、むしろわけがわからないと言った方が正しい。
しかも、その指示もほぼ戦いに関係ない事の方が多かった。
具体的に言えば、陳宮の出した指示のほとんどが宴の準備だったのである。
直接指示を受けた陳登はもちろん、救援を乞いに来た孫乾も困っているのだが心配ないとだけ言って、陳宮は孫乾を劉備のところへ帰らせた。
一応呂布は陳宮の策の事に対して説明は受けているが、他言は無用だとしつこく念を押されていたので黙っている。
陳登と宋憲は陳宮の指示で宴会の準備を、張遼や魏続、侯成はその宴会の設営と護衛の為に兵を率い、呂布は十数騎を率いて劉備軍と合流する手はずになっていた。
「それだと徐州が手薄になりますが」
「問題無い。今は袁術に対する対策が最優先だ」
徐州の文官である陳珪は心配して提案するが、陳宮は一蹴する。
「今は各勢力共に袁術の同行を見て様子を伺っている。動くとすれば我々が敗れた時だ。こちらが袁術の動きを止めれば、動くきっかけを失う。話は以上だ」
陳宮はそう言って切り上げると、指示を受けた各人はそれぞれ思うところはあるものの動き始める。
当然呂布も僅かな手勢を率いて、劉備と袁術の対峙している戦場へ向かう事になった。
劉備の方には孫乾の方から連絡が行っているはずなので、呂布は袁術軍の方へ向かう。
今回も討伐軍を率いてきたのは紀霊と言う武将であり、袁術軍内においては随一の猛将であると評判だった。
「初めまして、紀霊です。ふっふっふ」
現れた武将は奇妙な男だった。
僧形と言うか、道服の様な衣服を纏い、先が三つに枝分かれした奇妙な長刀を携えている。
「将軍がここへ来たと言う事は、我々への援軍ですかな? しかし、軍は動かさないと言う約束だったのでは? ふっふっふ」
「ああ、戦に参加すると言う訳ではなく景気付けと言うか、宴の準備をしているのでその誘いに来たんだよ。どうだい?」
呂布は気軽に誘う。
「景気付け? ああ、劉備を蹴散らすと言う事ですね。それは良い、ふっふっふ」
紀霊は上品に口元に手を当てて笑う。
そう言う仕草が袁紹軍にいた顔良を思い出させるが、案外名門ではこう言う武将が好まれるのかもしれない、などと呂布は思う。
しかし、悪い顔で笑うものだ。こう言うところも顔良に近いかもしれない。
が、紀霊は別に顔良の様に無骨で露骨な男顔に女装じみた化粧をしている訳ではなく、もう少し整った顔立ちである。
「それでは参りましょうか」
「その長物も持っていくのかい?」
呂布は紀霊の手にする奇っ怪な型の長刀を見て尋ねる。
「ああ、これですか。これは漢で二つと無い逸品であり、私の体の一部の様なものですからね、ふっふっふ」
この語尾には何か追求するべきなのだろうか、と呂布は思ったのだが、そっとしておく事にした。
おそらく名門で武将数も多い袁術軍で個性を出す為、色々と試行錯誤して身につけたものなのだろう。
それが似合っているかどうかは、触れてやらない事が優しさと言うものだ。
呂布は手筈通りに陳登が手配しているはずの場所へ行こうとするが、紀霊の同伴者は千人を超える部隊まるごと引き連れてくるつもりらしかった。
「いやいや、多すぎるだろう」
「ご心配無く。私は部下に慕われているものでね、ふっふっふ」
そういう訳では無いと思うのだが。
「それに、ここは戦場に近いと言う事もありますので、念には念をですよ。ふっふっふ」
まあ、その慎重さは悪い事ではない。
しかし、宴の手配を任された側はこれほど人数が増える事に対応出来るだろうかと言う不安はある。
あるにはあるが、紀霊を宴に招かなければ策が進まないのでまとめて引き連れていく事にした。
すでに『先客』は到着しているようで、呂布は紀霊の連れである大部隊は徐州から手配されていた部隊の方に任せる。
異常な先見の明を持つ陳宮にとっては想定内だったようだが、それでも持ってきた物資がギリギリだと言う報告がいきなり呂布の耳に飛び込んできた。
「……え? じゃ、この袁術軍に出せる物が無いって事?」
「あ、いえ、この方々に出したらギリギリと言う意味で」
「それじゃ、頼む。一応陳宮に早馬を出しておいてくれ」
「わかりました」
と兵士は言うが、もちろん今から早馬を飛ばしても物資が届く訳ではない。
その早馬が赤兎馬級の名馬であったとしても、そもそも物資の手配が間に合わないし、赤兎馬で大量の酒や食料は運べない。
それでも軍師である陳宮の耳に入れない訳にはいかないだろうと、呂布は判断したのである。
それに恐らく陳宮はこの酒や食料は持ち帰るモノだと思っているはずなので、それがなくなった事は知らせておいた方が良い。
「徐州は潤っているのですね、ふっふっふ」
「袁術殿の支援のお陰だよ」
「それは何より、ふっふっふ」
呂布と紀霊は武将用に建てられた天幕へ移動する。
そこには既に『先客』が待っていた。
「りょ、呂布将軍、これは一体」
意味ありげに笑う語尾すら忘れるほど、紀霊は『先客』に驚いた。
「呂布! 貴様、計ったな!」
先客の一人、張飛が怒鳴り声を上げる。
相変わらず騒がしい男だ。
「ん? 何で紀霊?」
一方の劉備は出された料理をがっついているところで手を止めて、天幕に入って来た呂布と紀霊を見る。
「いや、先日袁術殿の使者が俺のところに来たんだが、袁術殿は劉備殿とじっくり話した事が無いと言う事だったから、今日は代理人として紀霊将軍に来てもらってじっくり話し合う場を作ってみたんだよ」
「ああ、それ良いわね」
劉備は乗り気だが、紀霊も張飛ももう一人の同行者である関羽も訝しんでいる。
「呂布将軍、戯れが過ぎるのでは?」
「戯れ? 俺は本気で考えてたんだけど」
関羽の言葉に、呂布は首を傾げる。
「何か誤解があったと思うんだが、同じ漢の民。まずは剣ではなく言葉を交わしてみようと言うのはおかしい事かな?」
「素晴らしい! さっすが天下の呂布将軍!」
劉備は大喜びで手を叩くが、まずは口の中のものを飲み込んでからの方が本人にも周りの人間の為でもある事は理解した方が良い。
「呂布将軍、我が殿との約束、お忘れか?」
紀霊が呂布を睨む。
「約束?」
「とぼけないで頂きたい! 劉備討伐の際、呂布将軍は軍を動かさないと約束されたはず! これはその盟約違反ではないか!」
「何ぃ? てめえ、俺達を売りやがったのか! やっぱり信用出来ねえ裏切り野郎め!」
紀霊と張飛が呂布を責めるが、呂布は首を傾げる。
「ん? いや、その盟約であれば覚えているけど、俺は別にそれに違反はしていないよ? 別に軍は動かしていないし」
「動かしているではないか! これはどう説明するんだ!」
紀霊はすっかりやる気になっているようだが、張飛や関羽も似たような状況である。
「俺は確かに袁術殿が劉備殿を討伐する際には兵を出さない事を約束したが、徐州の太守である以上、徐州に侵攻してくるのであれば当然それから徐州の民を守る義務がある。それ故に劉備殿との決着を付けると言うのであれば、徐州の外でお願いしたい」
「そんな詭弁が……」
「それに、俺は戦より先に話し合うべきだとも提案したが、それについては守れていない様子。であれば、まずは酒でも飲んで話し合う事を俺が実践する事は必ずしも袁術殿の意向に背いている訳ではないだろう?」
「その通り!」
呂布の意見に、唯一劉備だけが賛同している。
「と言う訳でまずは一杯。陳宮が用意した徐州の酒は、上物のはず」
「うん。それは間違いない」
一人だけ先に始めていた劉備が大きく頷く。
「ささ、紀霊殿も」
「敵と飲む酒などない! 呂布将軍、毒でも盛っているのではないか?」
「毒など、とんでもない」
そう言って呂布は、自らの盃に酒を注ぐとそれを一気に飲み干してみせる。
「っくー、旨い! どうぞ、紀霊殿も」
「関羽、張飛、あんたらも飲みなさい」
呂布は紀霊に、劉備は関羽と張飛にそれぞれ酒を注ぐ。
その盃を、紀霊は足元に叩きつける。
「ふざけるな! この紀霊、馴れ合うつもりなど毛頭無い! 呂布将軍、これ以上戯言を申すのであれば敵とみなし、この『三尖刀』で切り捨てるがそれでも良いか!」
「分かり合えないのは残念だなぁ。それでは一つ、天意に委ねてみようじゃないか」
呂布はあまり酒に強い体質では無く、一杯の酒ですでに顔が赤らんでいる。
「天意?」
「その通り。ちょっと外へ出よう」
呂布はそう言うと紀霊や劉備三兄弟と共に天幕の外へ出る。
「誰か、槍を持て」
呂布は兵士の一人に槍を持ってこさせる。
「弓兵はおおよそ五十歩先の敵を射る訓練をするそうだが、紀霊殿はどれほどの距離の標的を射る事が出来るかな?」
「この紀霊、弓の名手でもある。八十歩先であっても、その標的に百発百中の腕前だ。ふっふっふ」
「はっ、その程度を自慢するな! この張飛、百歩先の小兎でも射抜けるわ!」
「なるほど、お二人共相当な腕前。では、天意に委ねる為にも槍を二百歩先に立てよ」
呂布の命令によって、兵士は槍を離れたところまで持って移動して地面に立てる。
「では、あの槍に矢を命中させる事が出来ますかな?」
呂布の質問に、紀霊も張飛も答えない。
この距離では槍に当てるどころか、届かせる事がまず至難の技である。
「正直、この呂布もあの距離の槍に矢を当てる事は出来ないと思います。しかも今日は風もある。それ故に、あれに矢を当てる事が出来ればそれは天意。この呂布の申し出を受けて、停戦してもらいたい」
「もしそんな事が出来れば、その申し出は受けよう。しかし、外したらその瞬間に全軍攻撃の命令を下すが良いかな? ふっふっふ」
「それも天意」
余裕の紀霊に対し、呂布は平然と頷く。
「おい、勝手に決めるな!」
「いや、ここは見守ろうではないか」
張飛が食ってかかろうとするのを、関羽が止める。
「しかし、兄者よ」
「我らにより良き代案が無い以上、ここは呂布将軍に委ねるしかない」
関羽はそう言って張飛を諌める。
その間に呂布は兵士に愛用の弓と矢を持ってこさせる。
「では、この一矢に天意を委ねる」
そう言うと呂布は、狙いすましているとは思えないほど無造作に矢を放つ。
放たれた矢はその無造作さからは予想もつかないほど鋭くまっすぐに飛び、離れた槍の穂先と柄の継ぎ目に当たって槍をへし折る。
想像を絶する離れ業をいとも簡単にやってのけた呂布に、紀霊だけでなく関羽と張飛も目を疑って言葉を失っている。
「うーん、穂先に当てて火花を散らした方が分かり易いと思って狙ってみたが、酔いのせいか少し狙いが下に逸れてしまったか。とはいえ、命中した事には違いない。これは天意だと、袁術殿に伝えて下さい。頼みましたよ、紀霊将軍」
「しかし……」
「槍であっても命中させられる俺にとって、人と言う的であれば二百歩と言わず、もう少し先に離れたところであっても命中させられると言う事をお忘れなく」
呂布に脅され、紀霊はそれ以上何も言える事も無く、ただ憤慨して宴の席を去っていく。
「いや、お見事。この劉備、呂布将軍には救われてばかり」
「いやいや、とんでもない。今回の件は俺の不注意から招いた事でもありますので、その尻拭いをしただけの事。どうぞ、そのお詫びも込めての宴ですので」
「呂布将軍、大変です!」
天幕に戻ろうとした呂布達のところに、紀霊と入れ違いになるように兵士が息を切らせて走ってくる。
「どうした? 紀霊が攻めてくるのか?」
「陳宮殿が、謀反です!」
その兵士の報告は耳に入っていたが、理解するまでに時間がかかった。
「……何?」
「陳宮、郝萌の二人が徐州城を乗っ取ったとの事! すぐに徐州城へお戻り下さい!」
「この袁術軍の動き、明らかに劉備殿だけを標的にしたものではありませんな」
今回集められたのは実戦向きの武将より参謀寄りの方が多く、そう発言したのは陳珪だった。
「父上の言う通りでしょう。先日袁術との密約があったらしいですが、名目は劉備軍征伐と掲げてい入るものの、実際にはそのままこの徐州へと雪崩込んでくるつもりであると思われます。軍師殿はどのようにお考えで?」
陳登が続いて言い、陳宮に尋ねる。
特に糾弾していると言う訳でも無いが、これは確かに説明を要する事態だと呂布も思う。
そもそも秘密主義の陳宮は、先日やって来た韓胤との話の内容をほとんど明かしていない。
取次をした陳登なのでそう言う事があった事だけは知っているが、内容を説明していないので陳宮に対する不信感にもなっている。
「案ずるまでもない。手は考えてある」
陳宮は相手にするまでもないと言わんばかりの態度で答える。
「先日袁術から送られてきた使者の要件は、近日中に劉備を討伐するので呂布軍は兵を動かさないでもらいたいと言う事だった。その見返りとして、兵糧十万石を与えると言う事だったので、将軍にはそれを受け入れて頂いた」
「愚かな。あまりにも短絡的」
陳宮の説明を聞いて、陳珪は溜息をつく。
「いや、陳珪殿。軍師もその兵糧だけが目的で引き受けろと言った訳では無いのです」
呆れる陳珪に対し、陳宮ではなく呂布が言う。
「袁術がこの様な浅い策を弄する事は充分予想出来た。こちらが簡単に買収出来ると油断しているからこそ、無警戒に大軍を動かし一気に飲み込もうとしている。それは全て、私の予想通りの事だ」
慌てる徐州の文官達と比べ、陳宮はまったく感情を表に出さず淡々と言う。
「では、援軍は出していただけるのですか?」
小沛から呂布へ救援を求めにやって来た孫乾は、呂布に尋ねる。
「もちろん。今の徐州にとって劉備殿は杖柱。今劉備殿を失っては、徐州も袁術に飲み込まれるだけになる。すぐに援軍を出す」
「ありがとうございます」
「では、袁術との約束を反故にすると?」
陳登が尋ねると、陳宮は首を振る。
「いや、こちらから袁術との密約を反故にするつもりはない。こちらはあくまでも言われた通り、袁術が劉備討伐に来るのであれば軍は動かさない」
「おかしな事を」
「これより各人に指示を出す。案ずるな。袁術など恐るるに足りん」
やはり呆れている陳珪を無視して、陳宮はそれぞれに指示を出す。
と言っても、具体的にどう言う策であるかを説明していないので、指示を受ける側も半信半疑と言うより、むしろわけがわからないと言った方が正しい。
しかも、その指示もほぼ戦いに関係ない事の方が多かった。
具体的に言えば、陳宮の出した指示のほとんどが宴の準備だったのである。
直接指示を受けた陳登はもちろん、救援を乞いに来た孫乾も困っているのだが心配ないとだけ言って、陳宮は孫乾を劉備のところへ帰らせた。
一応呂布は陳宮の策の事に対して説明は受けているが、他言は無用だとしつこく念を押されていたので黙っている。
陳登と宋憲は陳宮の指示で宴会の準備を、張遼や魏続、侯成はその宴会の設営と護衛の為に兵を率い、呂布は十数騎を率いて劉備軍と合流する手はずになっていた。
「それだと徐州が手薄になりますが」
「問題無い。今は袁術に対する対策が最優先だ」
徐州の文官である陳珪は心配して提案するが、陳宮は一蹴する。
「今は各勢力共に袁術の同行を見て様子を伺っている。動くとすれば我々が敗れた時だ。こちらが袁術の動きを止めれば、動くきっかけを失う。話は以上だ」
陳宮はそう言って切り上げると、指示を受けた各人はそれぞれ思うところはあるものの動き始める。
当然呂布も僅かな手勢を率いて、劉備と袁術の対峙している戦場へ向かう事になった。
劉備の方には孫乾の方から連絡が行っているはずなので、呂布は袁術軍の方へ向かう。
今回も討伐軍を率いてきたのは紀霊と言う武将であり、袁術軍内においては随一の猛将であると評判だった。
「初めまして、紀霊です。ふっふっふ」
現れた武将は奇妙な男だった。
僧形と言うか、道服の様な衣服を纏い、先が三つに枝分かれした奇妙な長刀を携えている。
「将軍がここへ来たと言う事は、我々への援軍ですかな? しかし、軍は動かさないと言う約束だったのでは? ふっふっふ」
「ああ、戦に参加すると言う訳ではなく景気付けと言うか、宴の準備をしているのでその誘いに来たんだよ。どうだい?」
呂布は気軽に誘う。
「景気付け? ああ、劉備を蹴散らすと言う事ですね。それは良い、ふっふっふ」
紀霊は上品に口元に手を当てて笑う。
そう言う仕草が袁紹軍にいた顔良を思い出させるが、案外名門ではこう言う武将が好まれるのかもしれない、などと呂布は思う。
しかし、悪い顔で笑うものだ。こう言うところも顔良に近いかもしれない。
が、紀霊は別に顔良の様に無骨で露骨な男顔に女装じみた化粧をしている訳ではなく、もう少し整った顔立ちである。
「それでは参りましょうか」
「その長物も持っていくのかい?」
呂布は紀霊の手にする奇っ怪な型の長刀を見て尋ねる。
「ああ、これですか。これは漢で二つと無い逸品であり、私の体の一部の様なものですからね、ふっふっふ」
この語尾には何か追求するべきなのだろうか、と呂布は思ったのだが、そっとしておく事にした。
おそらく名門で武将数も多い袁術軍で個性を出す為、色々と試行錯誤して身につけたものなのだろう。
それが似合っているかどうかは、触れてやらない事が優しさと言うものだ。
呂布は手筈通りに陳登が手配しているはずの場所へ行こうとするが、紀霊の同伴者は千人を超える部隊まるごと引き連れてくるつもりらしかった。
「いやいや、多すぎるだろう」
「ご心配無く。私は部下に慕われているものでね、ふっふっふ」
そういう訳では無いと思うのだが。
「それに、ここは戦場に近いと言う事もありますので、念には念をですよ。ふっふっふ」
まあ、その慎重さは悪い事ではない。
しかし、宴の手配を任された側はこれほど人数が増える事に対応出来るだろうかと言う不安はある。
あるにはあるが、紀霊を宴に招かなければ策が進まないのでまとめて引き連れていく事にした。
すでに『先客』は到着しているようで、呂布は紀霊の連れである大部隊は徐州から手配されていた部隊の方に任せる。
異常な先見の明を持つ陳宮にとっては想定内だったようだが、それでも持ってきた物資がギリギリだと言う報告がいきなり呂布の耳に飛び込んできた。
「……え? じゃ、この袁術軍に出せる物が無いって事?」
「あ、いえ、この方々に出したらギリギリと言う意味で」
「それじゃ、頼む。一応陳宮に早馬を出しておいてくれ」
「わかりました」
と兵士は言うが、もちろん今から早馬を飛ばしても物資が届く訳ではない。
その早馬が赤兎馬級の名馬であったとしても、そもそも物資の手配が間に合わないし、赤兎馬で大量の酒や食料は運べない。
それでも軍師である陳宮の耳に入れない訳にはいかないだろうと、呂布は判断したのである。
それに恐らく陳宮はこの酒や食料は持ち帰るモノだと思っているはずなので、それがなくなった事は知らせておいた方が良い。
「徐州は潤っているのですね、ふっふっふ」
「袁術殿の支援のお陰だよ」
「それは何より、ふっふっふ」
呂布と紀霊は武将用に建てられた天幕へ移動する。
そこには既に『先客』が待っていた。
「りょ、呂布将軍、これは一体」
意味ありげに笑う語尾すら忘れるほど、紀霊は『先客』に驚いた。
「呂布! 貴様、計ったな!」
先客の一人、張飛が怒鳴り声を上げる。
相変わらず騒がしい男だ。
「ん? 何で紀霊?」
一方の劉備は出された料理をがっついているところで手を止めて、天幕に入って来た呂布と紀霊を見る。
「いや、先日袁術殿の使者が俺のところに来たんだが、袁術殿は劉備殿とじっくり話した事が無いと言う事だったから、今日は代理人として紀霊将軍に来てもらってじっくり話し合う場を作ってみたんだよ」
「ああ、それ良いわね」
劉備は乗り気だが、紀霊も張飛ももう一人の同行者である関羽も訝しんでいる。
「呂布将軍、戯れが過ぎるのでは?」
「戯れ? 俺は本気で考えてたんだけど」
関羽の言葉に、呂布は首を傾げる。
「何か誤解があったと思うんだが、同じ漢の民。まずは剣ではなく言葉を交わしてみようと言うのはおかしい事かな?」
「素晴らしい! さっすが天下の呂布将軍!」
劉備は大喜びで手を叩くが、まずは口の中のものを飲み込んでからの方が本人にも周りの人間の為でもある事は理解した方が良い。
「呂布将軍、我が殿との約束、お忘れか?」
紀霊が呂布を睨む。
「約束?」
「とぼけないで頂きたい! 劉備討伐の際、呂布将軍は軍を動かさないと約束されたはず! これはその盟約違反ではないか!」
「何ぃ? てめえ、俺達を売りやがったのか! やっぱり信用出来ねえ裏切り野郎め!」
紀霊と張飛が呂布を責めるが、呂布は首を傾げる。
「ん? いや、その盟約であれば覚えているけど、俺は別にそれに違反はしていないよ? 別に軍は動かしていないし」
「動かしているではないか! これはどう説明するんだ!」
紀霊はすっかりやる気になっているようだが、張飛や関羽も似たような状況である。
「俺は確かに袁術殿が劉備殿を討伐する際には兵を出さない事を約束したが、徐州の太守である以上、徐州に侵攻してくるのであれば当然それから徐州の民を守る義務がある。それ故に劉備殿との決着を付けると言うのであれば、徐州の外でお願いしたい」
「そんな詭弁が……」
「それに、俺は戦より先に話し合うべきだとも提案したが、それについては守れていない様子。であれば、まずは酒でも飲んで話し合う事を俺が実践する事は必ずしも袁術殿の意向に背いている訳ではないだろう?」
「その通り!」
呂布の意見に、唯一劉備だけが賛同している。
「と言う訳でまずは一杯。陳宮が用意した徐州の酒は、上物のはず」
「うん。それは間違いない」
一人だけ先に始めていた劉備が大きく頷く。
「ささ、紀霊殿も」
「敵と飲む酒などない! 呂布将軍、毒でも盛っているのではないか?」
「毒など、とんでもない」
そう言って呂布は、自らの盃に酒を注ぐとそれを一気に飲み干してみせる。
「っくー、旨い! どうぞ、紀霊殿も」
「関羽、張飛、あんたらも飲みなさい」
呂布は紀霊に、劉備は関羽と張飛にそれぞれ酒を注ぐ。
その盃を、紀霊は足元に叩きつける。
「ふざけるな! この紀霊、馴れ合うつもりなど毛頭無い! 呂布将軍、これ以上戯言を申すのであれば敵とみなし、この『三尖刀』で切り捨てるがそれでも良いか!」
「分かり合えないのは残念だなぁ。それでは一つ、天意に委ねてみようじゃないか」
呂布はあまり酒に強い体質では無く、一杯の酒ですでに顔が赤らんでいる。
「天意?」
「その通り。ちょっと外へ出よう」
呂布はそう言うと紀霊や劉備三兄弟と共に天幕の外へ出る。
「誰か、槍を持て」
呂布は兵士の一人に槍を持ってこさせる。
「弓兵はおおよそ五十歩先の敵を射る訓練をするそうだが、紀霊殿はどれほどの距離の標的を射る事が出来るかな?」
「この紀霊、弓の名手でもある。八十歩先であっても、その標的に百発百中の腕前だ。ふっふっふ」
「はっ、その程度を自慢するな! この張飛、百歩先の小兎でも射抜けるわ!」
「なるほど、お二人共相当な腕前。では、天意に委ねる為にも槍を二百歩先に立てよ」
呂布の命令によって、兵士は槍を離れたところまで持って移動して地面に立てる。
「では、あの槍に矢を命中させる事が出来ますかな?」
呂布の質問に、紀霊も張飛も答えない。
この距離では槍に当てるどころか、届かせる事がまず至難の技である。
「正直、この呂布もあの距離の槍に矢を当てる事は出来ないと思います。しかも今日は風もある。それ故に、あれに矢を当てる事が出来ればそれは天意。この呂布の申し出を受けて、停戦してもらいたい」
「もしそんな事が出来れば、その申し出は受けよう。しかし、外したらその瞬間に全軍攻撃の命令を下すが良いかな? ふっふっふ」
「それも天意」
余裕の紀霊に対し、呂布は平然と頷く。
「おい、勝手に決めるな!」
「いや、ここは見守ろうではないか」
張飛が食ってかかろうとするのを、関羽が止める。
「しかし、兄者よ」
「我らにより良き代案が無い以上、ここは呂布将軍に委ねるしかない」
関羽はそう言って張飛を諌める。
その間に呂布は兵士に愛用の弓と矢を持ってこさせる。
「では、この一矢に天意を委ねる」
そう言うと呂布は、狙いすましているとは思えないほど無造作に矢を放つ。
放たれた矢はその無造作さからは予想もつかないほど鋭くまっすぐに飛び、離れた槍の穂先と柄の継ぎ目に当たって槍をへし折る。
想像を絶する離れ業をいとも簡単にやってのけた呂布に、紀霊だけでなく関羽と張飛も目を疑って言葉を失っている。
「うーん、穂先に当てて火花を散らした方が分かり易いと思って狙ってみたが、酔いのせいか少し狙いが下に逸れてしまったか。とはいえ、命中した事には違いない。これは天意だと、袁術殿に伝えて下さい。頼みましたよ、紀霊将軍」
「しかし……」
「槍であっても命中させられる俺にとって、人と言う的であれば二百歩と言わず、もう少し先に離れたところであっても命中させられると言う事をお忘れなく」
呂布に脅され、紀霊はそれ以上何も言える事も無く、ただ憤慨して宴の席を去っていく。
「いや、お見事。この劉備、呂布将軍には救われてばかり」
「いやいや、とんでもない。今回の件は俺の不注意から招いた事でもありますので、その尻拭いをしただけの事。どうぞ、そのお詫びも込めての宴ですので」
「呂布将軍、大変です!」
天幕に戻ろうとした呂布達のところに、紀霊と入れ違いになるように兵士が息を切らせて走ってくる。
「どうした? 紀霊が攻めてくるのか?」
「陳宮殿が、謀反です!」
その兵士の報告は耳に入っていたが、理解するまでに時間がかかった。
「……何?」
「陳宮、郝萌の二人が徐州城を乗っ取ったとの事! すぐに徐州城へお戻り下さい!」
0
あなたにおすすめの小説
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。
徳川慶勝、黒船を討つ
克全
歴史・時代
「カクヨム」と「小説家になろう」にも投稿しています。
尾張徳川家(尾張藩)の第14代・第17代当主の徳川慶勝が、美濃高須藩主・松平義建の次男・秀之助ではなく、夭折した長男・源之助が継いでおり、彼が攘夷派の名君となっていた場合の仮想戦記を書いてみました。夭折した兄弟が活躍します。尾張徳川家15代藩主・徳川茂徳、会津藩主・松平容保、桑名藩主・松平定敬、特に会津藩主・松平容保と会津藩士にリベンジしてもらいます。
もしかしたら、消去するかもしれません。
神典日月神示 真実の物語
蔵屋
歴史・時代
私は二人の方々の神憑りについて、今から25年前にその真実を知りました。
この方たちのお名前は
大本開祖•出口なお(でぐちなお)、
神典研究家で画家でもあった岡本天明(おかもとてんめい)です。
この日月神示(ひつきしんじ)または日尽神示(ひつくしんじ)は、神典研究家で画家でもあった岡本天明(おかもとてんめい)に「国常立尊(国之常立神)という高級神霊からの神示を自動書記によって記述したとされる書物のことです。
昭和19年から27年(昭和23・26年も無し)に一連の神示が降り、6年後の昭和33、34年に補巻とする1巻、さらに2年後に8巻の神示が降りたとされています。
その書物を纏めた書類です。
この書類は神国日本の未来の預言書なのだ。
私はこの日月神示(ひつきしんじ)に出会い、研究し始めてもう25年になります。
日月神示が降ろされた場所は麻賀多神社(まかたじんじゃ)です。日月神示の最初の第一帖と第二帖は第二次世界大戦中の昭和19年6月10日に、この神社の社務所で岡本天明が神憑りに合い自動書記さされたのです。
殆どが漢数字、独特の記号、若干のかな文字が混じった文体で構成され、抽象的な絵のみで書記されている「巻」もあります。
本巻38巻と補巻1巻の計39巻が既に発表されているが、他にも、神霊より発表を禁じられている「巻」が13巻あり、天明はこの未発表のものについて昭和36年に「或る時期が来れば発表を許されるものか、許されないのか、現在の所では不明であります」と語っています。
日月神示は、その難解さから、書記した天明自身も当初は、ほとんど読むことが出来なかったが、仲間の神典研究家や霊能者達の協力などで少しずつ解読が進み、天明亡き後も妻である岡本三典(1917年〈大正6年〉11月9日 ~2009年〈平成21年〉6月23日)の努力により、現在では一部を除きかなりの部分が解読されたと言われているます。しかし、一方では神示の中に「この筆示は8通りに読めるのであるぞ」と書かれていることもあり、解読法の一つに成功したという認識が関係者の間では一般的です。
そのために、仮訳という副題を添えての発表もありました。
なお、原文を解読して漢字仮名交じり文に書き直されたものは、特に「ひふみ神示」または「一二三神示」と呼ばれています。
縄文人の祝詞に「ひふみ祝詞(のりと)」という祝詞の歌があります。
日月神示はその登場以来、関係者や一部専門家を除きほとんど知られていなかったが、1990年代の初め頃より神典研究家で翻訳家の中矢伸一の著作などにより広く一般にも知られるようになってきたと言われています。
この小説は真実の物語です。
「神典日月神示(しんてんひつきしんじ)真実の物語」
どうぞ、お楽しみ下さい。
『神知りて 人の幸せ 祈るのみ
神の伝えし 愛善の道』
【架空戦記】狂気の空母「浅間丸」逆境戦記
糸冬
歴史・時代
開戦劈頭の真珠湾攻撃にて、日本海軍は第三次攻撃によって港湾施設と燃料タンクを破壊し、さらには米空母「エンタープライズ」を撃沈する上々の滑り出しを見せた。
それから半年が経った昭和十七年(一九四二年)六月。三菱長崎造船所第三ドックに、一隻のフネが傷ついた船体を横たえていた。
かつて、「太平洋の女王」と称された、海軍輸送船「浅間丸」である。
ドーリットル空襲によってディーゼル機関を損傷した「浅間丸」は、史実においては船体が旧式化したため凍結された計画を復活させ、特設航空母艦として蘇ろうとしていたのだった。
※過去作「炎立つ真珠湾」と世界観を共有した内容となります。
四代目 豊臣秀勝
克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。
読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。
史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。
秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。
小牧長久手で秀吉は勝てるのか?
朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか?
朝鮮征伐は行われるのか?
秀頼は生まれるのか。
秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?
甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ
朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】
戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。
永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。
信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。
この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。
*ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。
滝川家の人びと
卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。
生きるために走る者は、
傷を負いながらも、歩みを止めない。
戦国という時代の只中で、
彼らは何を失い、
走り続けたのか。
滝川一益と、その郎党。
これは、勝者の物語ではない。
生き延びた者たちの記録である。
もし石田三成が島津義弘の意見に耳を傾けていたら
俣彦
歴史・時代
慶長5年9月14日。
赤坂に到着した徳川家康を狙うべく夜襲を提案する宇喜多秀家と島津義弘。
史実では、これを退けた石田三成でありましたが……。
もしここで彼らの意見に耳を傾けていたら……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる