新説 呂布奉先伝 異伝

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その大地、徐州

臧覇という男 9

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 では何故、勝利したはずの臧覇が追い詰められているのか。

 それは今、この時の徐州だからこそ起きた不安定な現象であると陳宮は語る。

 一時的に中断していたとは言え、曹操の徐州攻略は今尚健在であり、目下最大の懸念材料であった袁術の脅威もほぼ取り除かれ、曹操による徐州への大侵攻は近日中にやって来る事は疑いない。

 そして、徐州攻略に際して独立勢力を保っている泰山の臧覇は、侵攻する曹操軍にとって無視出来る戦力ではない為、必ず何らかの手を打つ事になる。

 では、どのような手を打つか。

 それは曹操でなくとも味方に引き入れようとするだろう。

 その時の臧覇は曹操にとって、五千の兵と徐州に基盤を持つ独立勢力で、しかも呂布軍に対してさえ勝利したほどの武勇の持ち主、と言う事になる。

 それは徐州に侵攻する曹操軍にとって、仲間に引き入れたいと思う条件の全てを揃えた人物と言う事になるのだが、では曹操軍はその人物を快く迎え入れるだろうか。

「それは当然だろう。曹操軍がいかに大軍であるとは言え、呂布将軍と戦うと言うのであれば少しでも兵力が多いに越した事は無いのだから」

 そう答えたのは孫観だったが、それは孫観だけでなくこの場にいる陳宮以外の誰もがそう思った事だった。

 が、陳宮は首を振る。

「そこが武将と軍師の考え方の大きな違いでもあるのです」

 と陳宮は言う。

 確かに条件だけで言えば、この時の臧覇は曹操軍にとって欲しい人材の条件をこれ以上は無いと言えるくらいに満たしているので、本来ならば諸手を挙げて歓迎されるところである。

 が、軍師であればそうは考えない。

 あまりにも条件を満たし過ぎている事に対する疑念が浮かぶのである。

 これが半年前であれば、曹操軍を支える極めて優秀な軍師達も臧覇を大歓迎したであろう。

 だが、今この時になってこれだけの条件を満たせると言う事は、条件を満たす為の力が働いたとしか思えない。

 ではその力は何故働いたのかと考えると、それはもう曹操軍に売り込む為にほかならない。

 この徐州侵攻を目前に曹操軍への売り込みをかける理由は、自らの武勇を示して勝ち戦と思われる曹操軍に参入して武功による地位を要求するか、曹操軍内部に潜入して呂布軍と呼応して曹操軍を混乱に陥れるかのどちらかである。

「では前者として歓迎される事も考えられるだろう?」

 と、孫観は食い下がるが、陳宮は首を振る。

 これが呂布軍ではなく袁術軍に勝利したと言うのであれば、曹操軍の軍師達も対して疑わなかっただろう。

 最大の問題になるのが、呂布軍に勝利したと言う、まさにその事なのである。

 曹操はこれまでに呂布との戦いで勝利を収めた事が無い。

 それだけに曹操軍は、呂布軍の戦の強さを充分過ぎるほど知っている。

 その呂布軍が二万を率いて、五千の臧覇軍の方が勝利すると言うのは呂布軍の方から勝ちを譲られる以外に無いと、曹操軍の軍師は判断する。

 そこまでして売り込む理由は、曹操軍内部に入り込み兵権を握るつもりであるとしか考えられないだろう。

 曹操軍内の武将で呂布軍に勝った事のある武将がいない以上、そうやって売り込んできた者に兵を与えない訳にもいかず、一定の兵数を与える事になる。

 それを曹操軍の軍師が警戒しないはずがない。

 臧覇達は不思議そうだったが、それこそ陳宮がもっとも得意とする戦法だからである。

 先には張邈を切り取って曹操の徐州侵攻を阻み、袁術の大軍を撃退する時にも楊奉と韓暹を寝返らせて撃退していた。

 現状だけで言えば、臧覇が何を言おうと曹操軍の軍師達は陳宮の仕込みだとしか思わず、間違いなく警戒される事になる。

「良くても最前線で使い捨てとして我々呂布軍と戦わせられるか、あるいは後方で飼い殺しにされるか。確実に言える事は、我々呂布軍に勝利したと言う事実がある以上、曹操、或いは袁紹に降ったとしてもロクな扱いは受けないと言う事です」

「では劉備はどうなのだ?」

 孫観は先に逃亡している劉備を例えに出す。

「そう、それこそがあの者のもっとも恐るべきところです」

 陳宮が言うには劉備も基本的には武将の思考に寄っているのだが、武将であれば耐え難いはずの敵前逃亡もやってのけるところに、劉備の真の恐ろしさがあるという。

 劉備が煽るだけ煽って呂布に対して逃亡したのも、今陳宮が説明した事を読み切っての行動だとは、さすがにそれはないと陳宮も思っていた。

 それでもそんな行動に出たのは、劉備の持つ異常な嗅覚による行動だと陳宮は言う。

 本来であれば陳宮は今回の罠を臧覇ではなく、劉備に仕掛けるつもりでいた。

 劉備に対して兵を挙げてわざと負け、劉備が曹操の元に降りづらい状況を作る。

 その上で徐州の最前線の防衛用の壁として使うか、あるいは曹操の元に降って飼い殺しにされる事を狙っていたのだが、劉備はさっさと戦いもせずに逃げ出してしまった。

 通常の武将であれば信用を失い、確実に武将として致命的な打撃を受けるところを劉備は無傷どころかより良い立場になっている。

 劉備は戦わなかった事で徐州軍の兵の命を助け、相手が呂布だったと言う事で敵前逃亡しながらも曹操の信頼を得る事が出来た。

 相手が呂布であれば戦っても勝てる保証が無いどころか、おそらく敗れると言うのは曹操軍の軍師達も考える。

 だからこそ劉備は戦わずに曹操に降った。

「自分なら徐州兵に呼びかけてこちらに寝返らせる事も出来る、とでも曹操に売り込んだ事だろう」

 実際に劉備であれば、徐州兵を寝返らせる事も出来るくらいに徐州では人気がある。

 また、呂布を取り除いた後、曹操にとっても劉備の存在は都合が良い。

 虐殺者曹操は徐州では恨まれている。

 目下の太守である呂布は特に悪政を敷いていると言う訳でもなく、曹操が徐州を支配するとなると確実に内乱が起きる。

 その為にも劉備と言う分かりやすいコマを配置する事で、徐州を統治すると言う狙いがあった。

 つまり曹操にしても劉備にしても、お互いの利害関係が一致したとも言える。

 戦わずに逃亡した事で自分の立場を強化して徐州太守への道を開いた劉備と、戦い勝利した事によって追い詰められた臧覇。

「つまり臧覇殿に残された選択肢は、我々と共に曹操軍と戦い、それを撃退した後に立場を明確にすると言う事のみなのです」

 陳宮の説明に、臧覇達が納得したと言う訳ではない。

 ただ、呂布達も含めて全員が圧倒されていた。

 武将であれば戦場に立った時、最優先事項は勝利する事であると言っても過言ではない。

 が、今回陳宮が行った事は真逆の事なのである。

「これは、呂布将軍の行動からも見て取れる事なのですよ?」

 と、陳宮は言う。

 呂布自身が戦場に立って敗れた事は一度も無い。

 それにも関わらず丁原、董卓と主を変え、さらに領地も持たずに流浪する事になったのに対し、劉備はまともに勝利した事も無いのに徐州を得るに至った。

 そこには両者の戦略に対する考え方、あるいはそれに対する嗅覚の違いが現れていると言う。

「例えば曹操や袁紹であれば、治世の世であっても充分な地位の職に就き、おそらくは結果も残しているでしょう。呂布将軍も然り。ですが、劉備は違います。劉備は治世の世であれば、おそらく一介の筵売りとして一生を終えたでしょう。アレは商王朝を滅ぼした妖女妲己の類。いや、妲己はせいぜい国家を滅ぼした程度ですが、劉備はその国を丸々乗っ取ってしまえるほどの危険人物。アレは乱世であればこそ生きられる、妖仙の類です」

 陳宮の言い様はさすがにひどいのではないかと思うのだが、劉備には確かに得体の知れないところがある。

 あれだけの不審人物だと言うのに、誰もその事を問題にしようとせず、それどころか劉備が近付いて来る事に対する警戒心と言うものが、不思議なくらい働かないのである。

「良く言えば漢の高祖劉邦と同類とも言えます。高祖も楚漢戦争時代でなければ、ただの大法螺吹きのゴロツキでしか無かった事でしょう。それが天の時を知る張良、地の利を活かせる韓信、人の和を結ぶ蕭何と言った傑物達のおかげもあって今尚続く漢の礎となる事が出来ました。すでに劉備自身に人の和を結ぶ異能とも呼ぶべき異才があり、関羽と張飛と言う無双の豪傑も有します。これに天の時を知る者が現れたら、おそらく乱世はこの後さらに五十年は長引く事になるでしょう。アレは乱世でしか生きられない、乱世である事を望む生き物なのです」

 何か劉備に個人的な恨みでもあるのだろうか、と疑いたくなる様な事を陳宮は言っているが、劉備が不自然で不可解な人物であると言う事に関しては呂布も賛成である。

 が、劉備が乱世を求めているかと言うと、そこには多少疑問があった。

 いい加減な言動の多い劉備であるが、必ずしも好戦的な人物ではない。

 少々陳宮の個人的な感情も入っているのだろう。

「……か」

 これまで無言だった臧覇が声を出す。

「かぁっこいいぃぃぃ!」

 臧覇は身を乗り出して、突然奇声を上げる。

「……は?」

 予想していた反応と違ったらしく、陳宮は険しい表情を浮かべて訝しむ。

「惚れました! この臧覇、一生お姉さんについていきます!」

 臧覇はそう言うと、飛びかかる様に陳宮の元へやって来る。

 身の危険を感じた陳宮は素早く身構えるが、その足元に膝をついて臧覇は礼を取る。

「この臧覇、陳宮様の手足となって働きます! どうか、結婚を前提にお付き合いして下さい!」

「……は?」

 これまでは打てば響く反応の速さと的確な言葉を返してきた陳宮だが、あまりにも予想外だったらしく言葉が出てこないらしい。

「俺の……、あ、いや、僕の人生の中で、今日、この日、貴女に出会うまで、こんなにも素敵な女性がいると言う事を知りませんでした! ああ、今日は何て素晴らしい日なんだ!」

「……頭、大丈夫?」

 興奮気味に言葉を並べる臧覇に対し、陳宮は眉を寄せて臧覇を睨んでいる。

「ああ、その冷たい目も素敵だ!」

 小心者であればそれだけで逃げ出す者もいるくらい、陳宮の睨みには迫力があるのだが、それでも臧覇はビクともしない。

 陳宮は申し分ない美女であるのだが、その冷たすぎる言動から呂布軍ではあまり女性としての扱いを受けていない。

 また、本人もそれを望んでいない節がある。

 その為、ここまで露骨に女性として見られる事に慣れていないと言う事もあったのだろう。

 陳宮にしては珍しく、どう対応して良いのか分からずに戸惑っていた。

「……臧覇って、どう言うヤツなんだ?」

 あまりの事に呂布もどうしていいのかわからず、高順に尋ねてみる。

「女にモテたいヤツなんだよ。で、軍師殿が好みのど真ん中だったみたいで、現在自分を見失っている真っ最中ってところだ」

「軍師殿、美人なのは間違いないですからね」

 侯成も小声で参加してくる。

「ただ、怖いもの知らずと言うか、なんというか。俺なら持て余すけどなぁ」

 成廉もそんな事を言っているが、当事者である臧覇は陳宮から睨まれようと冷たくされようと気にせず、陳宮の素晴らしさを並べ立てている。

 主導権が握れず悪戦苦闘する陳宮というのも珍しく新鮮だったが、後から孫観から聞いた話だと、臧覇と言う男はまったく無自覚に相手の嫌がる事を行う事があるらしく、戦場と女性に対しては特に顕著であると言う。

 それ故に率いる兵の質が悪くても一定以上の戦果を上げる事が出来るし、身近な女性も離れていってしまうらしい。

 本人に自覚が無いので今後も改善されるかは分からないが、少なくとも一武将として見た時には極めて優秀な武将である、と孫観は言う。

 その手腕は戦場で見せてもらったので呂布も頷けたし、何より陳宮をここまで困らせられると言う一点においても稀有な人物である事は疑いない。

 その結果、臧覇は陳宮以外からは温かく呂布軍に迎えられる事となった。
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