前世が悪女の男は誰にも会いたくない

イケのタコ

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19 どうする

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忘れていた記憶は意外にも思いがけないきっかけで、思い出す事がある。
今思うと何故、雪久は貝殻の話をしたのだろうか。意識はしていなかっただけで、何となく分かっていたのかもしれない。

「椿」

その言葉に、名前に、反応してもいいものか分からなかった。否定したところで、もう自身が椿だと気づかれているのは分かっている。
でも肯定してしまえば、消える気がして、何が? 自分の何かが壊れてしまう気がして、何が?
視界に映るのは冷たい鉄格子と生暖かい赤色。喉が痛くて苦しい、呼吸が上手くできない、苦しい、苦しい。こちらを捕らえようと伸びてきていた沢山の黒い手を振り払っていた。

「ーーーっ」

しかし、弾いたのは白い綺麗な一つの手。丸く小さくなっていく黒い瞳に、息が上がり詰まりそうになる。
嗚呼、また私は傷つけてしまった。それでも俺は、その手を握る事はできずに背を向ける。

「頼む、待ってくれ」
「本当にごめん……」

ただ、謝る事しか出来なかった。



 






 

「無理だ」
「なにが?」  

スマホを触りながら薮内が訊く。
 
「全部が」

俺はカレーライスの固められたライスの山にスプーンを突き刺した。
あの後、椿だと言われ雪久から逃げてしまった。そして、ここは海の家ではなく学校近くのファミレス。まだ夏休みは続き、お金を貯め海から地元に帰ってきたところだった。

「…………雪久っていう人と何かあった?」

対面に座る薮内は長い沈黙後に、スマホから視線を外しジトリとした瞳をこちらに向ける。
ここで言い訳も虚しいので、スプーンを咥えながらうなずく。

「それ、聞いていいやつ」
「聞いても面白くないけど」
「でも話は聞いてほしい?」
「そういうこと。薮内は話が早くて助かる。ホストとか、占い師とか向いてるよ」
「それ、褒めてるのか分かんないんだけど」

「褒めてる、褒めてる」と二度繰り返し、深くは突っ込まず前世である椿と自身が同一人物だと知られてしまったのをダラダラと話した。
こう話してみると、何故あの場を逃げてしまったのだろうか。逃げないと改めておいて、バレたら速攻逃げるなんて、恥の上塗りである。

雪久のことになると、この優柔不断というか、自分の中にいつも答えが二つある。もっと明確に言うと、椿と俺の意見が合わない。同じだけど、同じじゃない、食べているカレーのようにぐちゃぐちゃ混じり合う。たくさんの選択により思考を狭めて、体を鉛のように重くする。

「感動の再会にならなかったわけね」

氷が入った水をストローで吸う、薮内。
 
「なるわけないだろ。ロミオとジュリエットじゃないんだから。あの人に散々迷惑かけておいて……いまさら……」
「言えばいいじゃん、なんか色々迷惑かけたので謝りたいです。あと、好きですって」

薮内ならきっとそう言えるだろうが、俺はその一言すら言えない。
度胸がないと言われればそれまでの話であり、前世を含めて雪久との関係もこじれることはなかっただろう。
肝心な時にヘタレなのである。

「あっ、もっと沈んだ。ごめんて、本気で言ってるわけじゃないから、赤橋のタイミングでいこう」

俺がどんどん体を小豆色のソファーに埋めていくのを見て、薮内は焦りながら手を合わせる。

「なんか。前世と来世とか、よくわかんないけど。俺は赤橋の味方だし、悪い考え方というか悪い方に行くのは絶対に嫌だから。心配している俺を忘れるなよ」
「薮内……、いい奴だな」
「当たり前よ。友人だから」

笑顔で親指を立てる薮内に感謝しながら、今後どうしていくかだ。

「水、無いから行って来る」

薮内は空のグラスを持っては席を立つ。
席には俺一人。広い机とソファーで一人になって思うのは、前世の時は話す相手がいなかったなと。
自身の周りには親や兄弟、沢山の使用人はいたけれど、一人に話せば皆に筒抜けになると分かっていたから何かを話す気になれなかった。と言って、外は出ず引きこもり状態で友人もおらず。
やはり、悩みが解決しなくとも一人悶々と考えるのは良く無い。

「お待たせ、あのさぁ」

帰ってきた薮内が水の入ったグラスを再び机に置くが、すぐには座らず後ろを指す動きをする。
なんだろうかと、視線を薮内の背後に送った瞬間、咥えていたスプーンが口から落ちた。

「う、海北」
「えっと、話があるらしくて」

薮内の隣にいたのは、俺が嫌いだと言える海北だ。

「あの、さっきそこで会って。赤橋がいるなら話したいって、赤橋、無理なら無理って言って……」
「薮内、大丈夫。心配してくれて、ありがとう。どうぞ、座ってください、お二人さん」
 
二人を手招きして席に座るよう促す。薮内は眉を下げてはソファーの奥に詰め、不機嫌な顔を隠そうともせずにソファーの端に座った。
真正面には座らず、目線は合わせず、出来るだけ血の気は抑えて。

「で、なんだ。何か、まだ何か言い足りないですか」
「用件も聞かずに随分、刺々しい言い方だな」

お互いに言葉の刺々しさは隠せず、友人の表情が曇る。
青ざめていく薮内は連れてきた責任を感じていると思うが、連れて来なくとも俺を見つけた途端にこの男は向かってきていただろう。
いなければもっと最悪になっていたから、薮内は間の緩衝剤である。


「毎回、話すことが同じで碌でもないので、てっきりそう思って」
「はっ、どっちが碌でも無い事をしたのかは、明確だと思うが椿」
「そうですね、私は貴方の友人に最悪なことをした。けど、それをくどくど言いに来る暇があるなら、もっと有効に時間を使ったほうがよろしいのでは」
「誰がお前のために時間割くか」

駄目だ、話すだけで不愉快。どうも好きになれない海北とは会話が出来ない。
このまま、不毛な会話が続くと言うなら、金を置いて出て行ってやろうかと考えていたら、薮内が手をわさわさと動かして間を遮る。

「ちょっ! 分かった、待って。俺が連れてきたのが全部悪いから、文句と不満は俺にお願いします。というか、海北さんは話が違います」

指摘すれば海北は、通路に出していた無駄に長い足を席の内に仕舞い、一度大きく息を吐いてから話を切り出す。

「雪久に何か言ったか。海から帰ってきて、様子がおかしい。電柱に頭をぶつけたり、ずっとボーッとしている。お前に会ってからだ」

俺からは何も言っていない。けど、雪久がおかしくなったというなら、俺のせいではある事は事実だ。

「……つばき。海で会った時に雪久に突然そう呼ばれた。アンタが俺のこと言ったのか」
「言う訳ないだろ。俺はお前のせいで雪久がどうなったか、最後まで見てきた。だからわざわざ、トラブルを起こすことはしない」

海北は会わせたくなかったし、会いたくなかったとはっきりと言う。分かっていたことだが、いざ面と向かって言われると心に刺さるものがある。ここから早く立ち去りたい。
すると、薮内が心を落ち着けろと言わんばかりに手を上げては下に落とす仕草をする。
――――そうだ。海北は嫌いだけど、俺は伝えたいことがある。

「俺だって、トラブルを起こしたい訳じゃない……俺は、あの人が幸せならそれで良いし、そこに俺がいたい訳じゃない。俺が居ようと居まいがあの人が違う誰かと幸せになるなら……本望だ」
「……」
「私の存在があの人を不幸にするなら、同じことを繰り返すだけ。ですから、あの人が困っているなら私は全力で智力を尽くします。貴方だろうと、誰であろうと手を借ります。何があろうとずっと変わらない」

救ってくれたあの人が幸せになるなら。
初めて、海北に真っ直ぐと目を逸らさず伝えた。これだけは、この『おもい』は前世の頃から変わらない。それがやっと通じたようで、海北はこちらを睨むことはなく「分かった」と目を瞑る。

「えっと、とりあえず。言いたいことは終わったで、良いですか」

額に油じみた汗をかき、薮内が恐る恐る顔を左右に振りながら尋ねてきたので、海北と共に頷いた。

「あの、マジで部外者なんですか。一つ、意見いいですか」

どうぞと二人で促すと「雪久と話しませんか」と提案された。

「こう、二人の話聞いているとその雪久の話なのに、部外者みたいに話してますよね。そういうところが、余計に混乱を招いているのかなって……、すいません、勝手に言ってます」

困ったように眉を下げては後頭部を掻く薮内。

「それもそうだな。いまさら、取り繕っても椿だと言う事は雪久に知られている。直接事情を説明した方が早いな」

海北が薮内の意見に賛同すれば、
「俺から事情を説明すれば事が余計にややこしくなる。椿を知っていた、知っていないの話になるからな」
と説明されれば、誰が雪久に話に行くのか。

「……いやだ」

とても情けないのは分かっている。海北に「おい」と怒られても、椿と知られた状況で話したくない。
嫌われたくない、会うのが恐い。

「そもそも、海の時になんで逃げたの。そこで話してれば、こんな所でさらに苦しい想いして話すことなかったのに」
「……薮内、時として正論はその人の地雷を踏むんだよ」
「はい、はい。とりあえず、雪久に連絡を取ってくるから待ってて」
「はぁ?」

何を言った。俺は驚きのあまり口が開く。薮内はこちらを気にする素振りも無くスマホを持って、海北と机の間を抜けていく。

「まって、連絡? ていうか、そもそもいつから雪久と連絡を」
「ずっと、さっきから。ちょっと電話してくるから、カレーでも食べてのんびりしていてよ」
「今って、どういうこと」

腕を伸ばし薮内の服を掴もうとしたが、ひらりと避けられた。
揺れるピアスと陽気な明るい金髪が、今日ほど鬱陶しいと感じた事はない。

「……すごいな、お前の友人」
「俺もそう思う」

瞳を見開き、海北は体を後ろに捻らせて、「あの雪久に」と感心しながらファミレスから出て行く金色の背中を見送るのだった。
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