防空戦艦大和        太平洋の嵐で舞え

みにみ

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大東亜の快進

フィリピン陥落

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台湾での補給と整備を終え、第五航空戦隊の
「瑞鶴」と「翔鶴」を加えてフィリピン方面へと出撃した
「大和」以下の連合艦隊は、シンガポール攻略戦の成功によって
高揚した士気を維持し、次なる大規模作戦への準備を進めていた。
艦隊は、その巨大な威容を保ちながら、フィリピン沖の海域へと
着実に針路を取っていたのである。艦内の将兵たちは
それぞれの持ち場で最終確認を行い、来るべき激戦を予期していた。
艦橋には、司令長官以下、幕僚たちが地図を広げ、上陸地点への援護砲撃や
敵艦隊との遭遇戦に備えた作戦の最終確認が行われていた。

しかし、その緊張感に満ちた空気は、思いがけない報せによって一変する。

フィリピン諸島に近づくにつれ、陸上部隊や先行する
航空隊からの無線通信が頻繁に受信されるようになった。
それらの通信は、当初は戦況の好転を示すものであったが
次第にその内容は、連合艦隊司令部にとって予期せぬ
展開を告げるものへと変化していった。

「艦長、陸軍第十四軍より報告。マニラ湾周辺の抵抗は、予想よりもはるかに少ないとのことです」
「航空隊より報告。敵の航空戦力は、すでに壊滅状態にあります」

これらの報せは、司令部の幕僚たちの間に、困惑と同時に
ある種の安堵をもたらした。フィリピン攻略は
当初、激しい抵抗が予想され、長期化も懸念されていた作戦であった。
しかし、現地の陸軍部隊は驚くべき速さで進撃し
航空隊も圧倒的な優勢を確立していたのである。

そして、その日の夕刻。大和の艦橋に、最終的な、そして決定的な報せが届けられた。

「司令長官閣下、朗報です!陸軍部隊は
 本日をもちましてフィリピン全域を制圧いたしました!
 フィリピン、あえなく陥落いたしました!」

その言葉が艦橋に響いた瞬間、それまでの緊張感が、一瞬にして消え去った。
しかし、それは勝利の歓声ではなかった。むしろ
驚きと、そして一種の拍子抜けしたような沈黙が、そこに支配していたのである。


フィリピンの陥落という報は、大和以下の艦隊
特にその巨砲で戦果を挙げることを期待していた将兵たちに
大きな戸惑いをもたらした。彼らは、シンガポールでの成功体験を胸に
フィリピンでもその圧倒的な砲力を発揮すべく、万全の準備を整えていたのである。
しかし、その「攻撃する目標」が、消滅してしまった。

主砲砲塔の最終調整を行っていた田辺中佐は、この報を聞き、思わず目を見開いた。

「なに?陥落しただと?まさか……」

彼の脳裏には、フィリピンの沿岸要塞を46cm主砲で
粉砕する壮大な光景が描かれていた。陸軍の進撃を支援し
敵の抵抗を排除するという、彼の「巨砲戦艦」としての役割を果たす機会を
心待ちにしていたのである。しかし、その機会は
彼の想像を遥かに超える速さで、すでに失われていた。

主砲員たちもまた、同様の衝撃を受けていた。
彼らは、フィリピンでの砲撃を想定し、連日猛訓練を積んできた。
巨大な砲弾を装填し、砲身を操作するその動きは、もはや体に染み付いていた。
だが、その努力は、実戦で報われることなく終わってしまったのである。
彼らの表情には、期待が裏切られたような、寂寥の念が浮かんでいた。

一方、対空戦闘指揮官である井上少佐もまた、戸惑いを覚えていた。
フィリピン周辺には、アメリカ海軍の強力な航空基地が多数存在し
そこから発進するであろう敵航空隊との激しい航空戦を覚悟していたからである。
瑞鶴と翔鶴の航空隊と共に、艦隊の防空網を形成し、敵機を迎え撃つという
彼の「防空戦艦」としての役割が試されることに、ある種の興奮すら覚えていたのである。

しかし、フィリピンが陥落したということは、敵の航空基地が制圧され
敵航空戦力が壊滅したことを意味する。激しい航空戦を期待していた彼にとって
これもまた拍子抜けする結果であった。もちろん
艦隊が危険に晒されることなく任務を遂行できたことは喜ばしいが
大和の真の防空能力が大規模な航空攻撃によって試される機会は
またしても見送られたのである。

「これで、我々の防空能力を十全に発揮する機会は、当分巡ってこないだろうな……」

井上少佐は、静かに呟いた。彼の言葉には、安堵と共に
期待が肩透かしを食らったような、複雑な感情が入り混じっていた。


フィリピンの早期陥落は、日本海軍の緒戦における快進撃を象徴する出来事であった。
しかし、大和以下艦隊にとっては、その存在意義を試される機会が失われたことを意味した。

連合艦隊司令部は、フィリピン陥落の報を受け、艦隊の任務を再検討した。
もはやフィリピン方面で大規模な戦闘が予想されない以上
この強力な艦隊をそこに留める意味はない。無用な消耗を避けるため
そして来るべき次の戦いに備えるため、司令部は大和ら艦隊に呉への帰港を命じた。

この命令は、多くの将兵にとって、シンガポールでの戦果を
さらに拡大する機会を失ったことを意味した。だが、海軍全体としては
貴重な戦力を温存し、次の戦略的局面へと備えるための賢明な判断であった。
特に、主力たる大和、長門、陸奥といった戦艦は、その巨大な存在ゆえに
一度損傷すれば修復に莫大な時間と資源を要する。無用なリスクを避け
温存することが、日本の国家戦略上、極めて重要であった。

大和は、ブルネイでの訓練によって鍛え上げられたその能力を
フィリピンの地で発揮することなく、再び母港へと引き返すことになった。
それは、この艦の持つ「矛盾」を象徴するかのようであった。
圧倒的な攻撃力と防御力を持ちながら、その真価が試されることなく、
緒戦の快進撃の裏で、常に「温存」され続けるという運命である。


フィリピン沖から呉への帰港は、往路とは異なる空気が漂っていた。
勝利の安堵感はあるものの、実戦に参加することなく引き返すという事実は
一部の将兵、特に若手士官たちの間に、漠然とした不満と焦燥感を生み始めていた。

艦内では、フィリピン陥落に関する詳細な情報が共有された。
陸軍の勇敢な戦いぶり、そして航空隊の活躍が強調された一方で
大和のような戦艦の出番がなかったことに対する言及は控えめであった。

田辺中佐は、司令部からの帰港命令を受け、複雑な表情を浮かべていた。

「陸軍と航空隊だけで、あれほどの要衝を落とすとは……」

彼は、シンガポールでの成功が、あくまで陸上要塞に対する砲撃であり
真の艦隊決戦とは異質なものであることを理解していた。
航空機が主要な役割を果たしたという事実は
彼の心に、大艦巨砲主義の限界を静かに突きつけていた。
しかし、彼自身は、あくまで巨砲戦艦としての使命を信じ続けていた。

一方、井上少佐は、この帰港を前向きに捉えていた。

「これで、さらに訓練を重ねる時間を得られた。来るべき本当の航空戦に備えるのだ」

彼は、フィリピンでの航空戦が回避されたことで、大和の対空兵装の改良や
乗員の練度向上に費やせる貴重な時間を得たと考えた。
彼の頭の中では、すでに新たな訓練計画や、将来のレーダー開発に関する構想が渦巻いていた。

しかし、艦隊全体を覆う空気は、勝利の喧騒とは裏腹に
ある種の不穏さをはらんでいた。緒戦の勝利は、確かに輝かしいものであった。
だが、その裏で、アメリカの生産力と航空戦力の強化は着実に進んでいたのである。
日本が圧倒的な速度で初期の目標を達成する中で、アメリカは
その巨大な工業力を背景に、失われた戦力を補填し、新たな兵器を開発し続けていた。

大和が、その巨体を揺らしながら呉へと帰港する間にも
世界の戦況は刻々と変化していた。太平洋の広大な海域では
航空母艦が主役の座を確立しつつあり、戦艦の時代は
その終焉を迎えようとしていた。大和は、そのことを知る由もなく
日本の切り札として、その真の能力を温存したまま、次の出撃命令を待つことになる。
それは、いつしか「大和ホテル」と揶揄されることになる、長い待機期間の始まりでもあった。
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