第二水上戦群 略称二水戦  南西諸島方面へ突入す

みにみ

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南西諸島の激震

一水戦合流

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「対潜用具納め 敵潜水艦撃沈確認」

護衛艦「さみだれ」の艦橋に、安堵と興奮が入り混じった声が響き渡った。
だが、佐々木一等海士の心は、勝利の喜びに満たされることはなかった。
対潜短魚雷を発射した手の震えが、まだ残っていた。
目の前のコンソールに映る、破壊された敵潜水艦のソナー映像。
それは、彼が初めて自らの手で奪った命の証だった。
現実を信じられないまま、彼はただ静かにその画面を見つめていた。
彼の胸には、深い後悔と、そして言いようのない虚無感が重くのしかかっていた。


午前9時48分、二水戦は、鹿児島県沖の広大な海域で
いよいよ日本の海上防衛の中核を担う艦隊と合流を果たした。
それは、日本の自衛隊創設以来、最大規模となる護衛艦隊の結成だった。

「二水戦、本隊と合流。これより、我々が日本の盾となる」

「かが」の艦橋から、神崎司令官の力強い声が、艦隊の全艦に響き渡った。
その声は、重苦しい空気を一変させ、隊員たちの心に新たな決意を宿した。
合流したのは、第一水上戦隊、通称「一水戦」を構成する最新鋭の護衛艦群だ。

旧海軍の「一水戦」は、軽巡洋艦「阿武隈」を旗艦とする
常設の水雷戦隊で、練度の高さは二水戦に次ぐと言われた。
しかし、レイテ沖海戦で壊滅的な打撃を受け
多くの艦艇と将兵を失った悲劇の部隊でもあった。
神崎は、その歴史を再認識した上で、あえてこの名を通称として用いていた。
それは、過去の悲劇を繰り返さないという強い意志と、主力艦隊を護るという使命感の表れだった。

合流した第一水上戦隊の艦艇は、いずれも日本の技術の粋を集めた精鋭たちだった。

DDH-183 いずも(ヘリコプター搭載護衛艦、いずも型1番艦)
DDG-179 まや(イージス護衛艦、まや型1番艦)
DDG-175 みょうこう(イージス護衛艦、こんごう型3番艦)
DD-101 むらさめ(汎用護衛艦、むらさめ型1番艦)
DD-107 いかづち(汎用護衛艦、むらさめ型7番艦)
DD-108 あけぼの(汎用護衛艦、むらさめ型8番艦)
DD-109 ありあけ(汎用護衛艦、むらさめ型9番艦)
DD-115 あきづき(汎用護衛艦、あきづき型1番艦)

そして、二水戦の「かが」「いなづま」「さみだれ」
「さざなみ」「ちょうかい」「はぐろ」
「きりさめ」「すずつき」と合わせ、合計16隻という
海上自衛隊史上最大規模の艦隊が形成された。
これほどの数の護衛艦が一堂に会するのは、2022年の観艦式以来のことだった。
しかし、今回は平和の祭典ではない。日本を守るための
死を覚悟した戦いの陣形だ。艦隊は、円形に広がり
相互に連携しながら、360度の警戒態勢を敷いた。
それは、いかなる方向から敵が来ても、即座に対応できる、鉄壁の陣形だった。


巨大な艦隊は、静かに、しかし力強く南へと針路を取った。
目指すは沖縄。その途上、彼らはある海域を通過することになる。
坊ノ岬沖。それは、神崎司令官の曾祖父が指揮を執った
旧日本海軍の第二水雷戦隊が、戦艦「大和」と共に壊滅した悲劇の海だった。

佐々木一等海士は、「さみだれ」の艦橋からその海を眺めていた。
祖父から何度も聞かされた、悲惨な戦いの舞台。特攻機にすらなれない。
ただ、沖縄へ向かうための囮として、多くの命が散っていった海。
その海に、今、自分たちが立っている。佐々木は、祖父の言葉を思い出した。

「戦争は、人間の心から何もかもを奪っていくものだ。
 それでも、守るべきものがあるなら、戦わなければならない時もある」。

祖父の言葉は、この海で戦い抜いた
そして命を散らした多くの魂の叫びのように、彼の心に響いた。
それは、佐々木が先ほど経験した
人の命を奪うことの重みとはまた違う、守るための戦いの重みだった。

神崎司令官は、「かが」の艦橋からその海域を見つめていた。
彼の脳裏には、曾祖父、古村啓蔵中将の姿が浮かんでいた。

(今度こそ、あの地を救いに行かんと…)

その声は、神崎の胸に去来した、彼の内なる声だった。
しかし、まるで過去の英霊たちが、その声に呼応するかのように
彼の耳には、微かな、しかし力強い声が聞こえたような気がした。

(我々の代わりに貴殿らが彼の地を救われよ。頼んだぞ…)

それは、坊ノ岬に沈んだ
およそ4千名近い将兵の魂の叫びだったのかもしれない。
神崎は、その声に、静かに頷いた。過去の悲劇を忘れてはならない。
だが、過去に囚われてもならない。
彼らは、祖国を守るためにその命を捧げた。
そして今、神崎が率いる現代の二水戦もまた、同じ目的のためにこの海を進んでいる。

「進め」

神崎の静かな命令が、艦隊に下る。
艦隊は、過去の悲劇を乗り越えるかのように、力強く西へと進んだ。
その航跡は、日本の運命の航跡でもあった。
彼らは、ただの艦隊ではない。それは、日本の平和と安全を背負い
過去の英霊たちの思いを胸に刻んだ、現代の盾だった。
彼らは、沖縄という日本の最前線で
中国軍の侵攻を食い止めるために、ただひたすらに進んでいく。
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