装甲航空母艦信濃      南東の海へといざ参らん

みにみ

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横須賀工廠

設計陣の苦悩

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1942年 6月10日、横須賀海軍工廠の一角に位置する設計棟は
静かな緊張感に包まれていた。太平洋戦争が勃発して数か月
日本海軍は緒戦での勝利に沸き返り、東南アジアや太平洋の島々を次々と占領していた。
しかし、その華々しい戦果の裏で、将来の戦局を見据えた不安が海軍上層部の心を蝕みつつあった。
ミッドウェー海戦での敗北で空母 4隻を失ったことが痛い
ハワイ奇襲作戦での成功や、珊瑚海海戦での激しい艦隊戦を通じて
戦艦ではなく航空戦力が戦争の趨勢を決める時代が到来したことは明白だった。
そんな中、海軍技術本部の設計主任である平賀譲少将のもとに
驚くべき命令が届いた。大和型戦艦の三番艦として建造中の船体を、空母に改装せよというのだ。

設計棟の二階に構えられた平賀のオフィスは、
混沌とした創造の場そのものだった。部屋の隅々まで書類と設計図で埋め尽くされ、
壁には戦艦「大和」の詳細な図面が無造作に貼られていた。
巨大な船体の断面図や機関部の構造図が、まるで戦艦の魂を映し出すかのようにそこに存在していた。
机の上には計算用の定規やコンパスが散乱し、
使い込まれた鉛筆が転がっている。窓からは横須賀の港が見え、
遠くで建造中の船体が霞んでいた。平賀は眼鏡をかけたまま、
疲れ切った目で新たな指示書を手に持っていた。
その紙には、海軍上層部の冷徹な筆跡で命令が記されていた。



主用兵装搭載機は艦戦36、艦攻18、艦偵9。但し格納庫は艦戦18に対する分を完備し
艦攻18以上なるべく多数の応急格納し支障なからしめ、その余は甲板繋止めとす。

飛行甲板防御は500kg爆弾の急降下爆撃に対し安全ならしむ。
但し後部飛行機格納庫は800kg急降下爆撃に対し安全ならしむ。

舷側防御:第130号艦に準ず。

爆弾、魚雷、航空燃料の搭載量は第130号艦程度とし
飛行機に対する補給を急速容易に実施可能ならしむ。



彼は指示書を読み終えると、思わず声を荒げた。

「110号艦を空母にだと?ふざけるな!」

その言葉が狭い部屋に響き渡り、
オフィスに集まっていた部下の技術将校たちが一瞬にして顔を見合わせた。
若い者たちの目には戸惑いが浮かび、年配の技師たちは静かにうつむいた。
平賀の怒りは、設計者としての誇りと現実の乖離に対する苛立ちから来るものだった。
大和型戦艦は、彼が長年かけて磨き上げた技術の結晶であり、
日本海軍の威信を象徴する存在だった。それを途中で用途変更するなど、
設計者として到底受け入れがたい屈辱だった。
しかし、彼の怒りは上層部の決定を覆す力を持たなかった。
ミッドウェー海戦に負けた事で海軍は空母の絶対数の急減を恐れていた。
ソロモン海域で翔鶴、瑞鶴ら主力空母を失えば、
戦争の主導権は完全に連合国側に渡ってしまう。そんな危機感が、異例の改装命令を生んだのだ。

大和型三番艦――船体番号110――は、すでに横須賀のドックで建造が進んでいた。
船体は半ば完成しており、戦艦としての姿をほぼ整えつつあった。
この船を流用すれば、新たに空母を一から建造するよりも時間と資源を大幅に節約できる。
上層部にとって、それは合理的な判断だった。
しかし、平賀にとって、それは技術的な冒涜であり、無謀な挑戦だった。
彼には、この苦渋の決断を現実の形に変える役割が課せられた。
設計主任としての責任感と、命令への反発が彼の胸の中でせめぎ合っていた。

翌日、平賀は設計チームを招集した。狭い会議室に集まったのは、
ベテランの技師から若手の設計士まで十数名だった。部屋には重苦しい空気が漂い、
誰もが平賀の次の言葉を待っていた。彼は深呼吸をしてから口を開いた。

「諸君、上からの命令だ。大和型三番艦を空母に改装する。
 我々に選択肢はない。この任務を成功させることが、海軍の未来を左右する。」

その言葉に、部屋の中がざわついた。若手の佐々木健一中尉が、恐る恐る手を挙げた。

「しかし、平賀少将、戦艦と空母では設計思想が全く異なります。
 どうやってこの船体を空母に変えるのですか?」

平賀は苦笑いを浮かべ、設計図を広げた。

「それが我々の仕事だ。頭を使え。」

設計チームは早速作業に取り掛かった。平賀の指揮のもと、
戦艦の船体を空母として機能させるための改造案が検討された。
最初の難題は、戦艦としての重厚な装甲だった。
大和型の舷側装甲は厚さ410ミリ、主甲板には200ミリの鋼板が張られていた。
これは敵戦艦の18インチ砲弾にも耐えうる設計であり、大和型が「不沈艦」と呼ばれる所以だった。
しかし、空母としてはこの装甲が過剰な重量となり、
速力や安定性を損なう危険があった。空母の役割は航空機を迅速に展開し、
敵艦隊に打撃を与えることだ。重い装甲は、その機動性を殺してしまう。

「装甲を薄くすればいいじゃないか。」

佐々木が再び提案した。彼の声には若さゆえの楽観が滲んでいたが、平賀は即座にそれを否定した。

「それでは潜水艦の魚雷に耐えられん。
 信濃はただの空母ではない。戦艦の強靭さを併せ持つ必要がある。」

平賀の言葉には、設計者としての信念が込められていた。大和型の装甲は、
彼が何年もかけて計算し尽くした結晶だった。それを簡単に削ることは、
彼のプライドが許さなかった。しかし、現実的な問題も無視できなかった。
装甲をそのまま残せば、艦が重くなりすぎて飛行甲板の運用に支障をきたす。
一方で装甲を削れば防御力が落ち、敵潜水艦や航空機の攻撃に脆くなる。

会議室での議論は紛糾した。ベテラン技師の田中修三少佐は、重心のバランスを指摘した。

「装甲を残したまま飛行甲板を設ければ、重心が高くなりすぎます。転覆の危険がある。」

別の技師が、速力の問題を挙げた。

「重量が増せば機関への負担も増す。27ノットを出せるかどうかも怪しいですよ。」

意見が飛び交う中、平賀は数日間眠れぬ夜を過ごした。
彼は設計図を前に何度も計算を繰り返し、頭を悩ませた。
窓の外では、横須賀の港が静かに眠りにつき、遠くで波の音が聞こえていた。夜が明ける頃、彼はようやく妥協案にたどり着いた。

翌朝、平賀はチームを再び集め、方針を発表した。

「舷側装甲はまだ取り付けていない 水平装甲はそのまま残すが
 舷側装甲を310㎜に 水中防御はそのまま 軍令部からは艦載機数は50でいいと言われた
 格納庫を一段としできうる限り小型化する」

この方針に、技師たちは渋々頷いた。
戦艦の主砲用バーベットは取り払われ
そのスペースに長さ263メートル、幅40メートルの広大な飛行甲板が設けられた。
船体中央には格納庫が配置され、航空機を効率的に運用できるよう工夫された。
主砲塔の撤去で重量は大幅に減り、飛行甲板の面積も確保できた。


設計チームは、信濃を戦艦と空母の両方の特性を持つハイブリッド艦として仕上げるため、
さらなる試行錯誤を続けることになった。
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