装甲航空母艦信濃      南東の海へといざ参らん

みにみ

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横須賀工廠

機関部

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機関部の設計は、信濃の建造において最も頭を悩ませる難題の一つだった。
大和型戦艦に搭載された蒸気タービンは
最大出力15万馬力を誇る強力な機関であり
戦艦としての役割を果たすには十分な性能を持っていた。
このタービンは、巨大な船体を28ノットで推進する能力を備え、
日本海軍の技術の粋を集めた傑作だった。
しかし、信濃が空母として運用されるとなると、話は別だった。
空母には戦艦とは異なる機動性が求められる。
特に、高速航行を長時間維持する能力が不可欠であり
航空機を迅速に展開し、敵艦隊との距離を調整する戦術に対応する必要があった。
設計主任の平賀譲少将は、この課題を解決する責任を、主任機関技師の田中修三少佐に委ねた。

田中は、機関部の設計図を前に何日も思索に耽った。
大和型のタービンは確かに強力だが
空母としての要求に応えるには調整が必要だった。
彼はまず、タービンの配置を見直すことから始めた。
戦艦では船体後部に集中していた機関を、空母としての重量バランスを考慮して再配置する案を検討した。
幸い、水平装甲は艦首部、艦尾部しかまだ取り付けられておらず
機関の摘出、再設置は容易だった これがもしも水平装甲が設置し終えていれば
大規模な工事となり1年ほどかかってしまったに違いない

さらに、排気系統の改良にも着手した。
大和型の排気管は戦艦の装甲構造に合わせて設計されていたが
空母では飛行甲板のスペースを確保するため、煙突の位置と形状を変更する必要があった。
田中は、煙突を艦中央に寄せ、排気効率を高める改良を加えることで、
速力27ノットを維持、そして手法を取り払った重量分軽量化するため
計算上では29ノット後半から30ノットを発揮する計画を立てた。
空母としてどちらかといえば低速の部類ではあるが小型の空母ならいざ知らず
巨大な飛行甲板を持つ信濃では大型の新型統合攻撃機、のちの流星も容易に発艦が可能だった。

「だが、長時間の全速航行に耐えられるかは未知数だ。」

田中は呟きながら、設計図に赤鉛筆で細かな修正を加えた。
彼の手は震えていた。それは疲労からではなく、設計にかける重圧からだった。
信濃の機関部は、12基のボイラーと4基のタービンで構成されており、
巨大な船体を動かす心臓部そのものだった。ボイラーは高温高圧の蒸気を生成し、
それをタービンに送り込んでスクリューを回転させる。この一連のシステムは、
戦艦時代から引き継がれたものだが、空母としての運用を考えた場合
部品の耐久性に不安が残った。急造ゆえに、試験運転や長期運用のデータが不足しており、
部品の摩耗や故障のリスクは未知数だった。また、整備性の問題も深刻だった。
戦艦とは異なり、空母では航空機の運用が優先され
機関室へのアクセスが制限される可能性があった。
田中は、整備員が迅速に作業できるように通路を工夫したが、それでも完全とは言えなかった。

設計作業は1942年末まで続きながらも建造は進められた
会議のたびに議論と修正が繰り返された。平賀と田中は幾度も衝突した。
平賀は全体のバランスを重視し、機関部に過度な負担をかける設計を避けようとしたが、
田中は速力を確保するために妥協を許さなかった。
二人の意見が一致しない日々が続き、設計チーム全体に疲弊が広がった。
それでも、戦争の緊迫感が彼らを突き動かした。
1943年初頭、ようやく設計が固まった。

ドックに響く鉄槌の音は、昼夜を問わず続いた。
戦艦の船体が徐々に空母へと姿を変えていく様子は、
壮観でありながらどこか異様な光景だった。鉄骨が組み上げられ、
飛行甲板が形を成し始めた。船体中央には格納庫の骨組みが立ち上がり、
鋼板が一枚ずつ張られていった。作業員たちは汗と油にまみれながら働き、
敵軍の足音が近づく中で一刻も早い完成を目指した。
平賀は毎日のように現場を訪れ、進捗を確認した。彼の目は血走り、声には苛立ちが滲んでいた。

「間に合わなければ意味がない。急げ!」

その言葉が響くたび、作業員たちの動きが加速した。
クレーンの軋む音、鉄骨を叩くハンマーの音、溶接の火花が飛び散る音が混ざり合い
ドック全体が生き物のようにうごめいていた。
だが、資材不足が深刻化し、作業は度々停滞した。
鋼材の供給が滞り、ボイラー用の耐熱鋼板が不足した。
前線からは損傷した艦艇が帰還し修理のために資材が消費されていく
燃料も不足し、試験運転のための準備すらままならなかった。
設計チームは妥協を重ねざるを得なかった。
本来なら完璧な仕上がりを目指したかったが、時間と資源の制約がそれを許さなかった。

信濃の搭載機数は、当初50機を予定していた
しかし、新型統合攻撃機の流星の設計遅延によって竣工と同時に配備することは不可能とされ
艦載機には零戦や彗星艦爆、天山艦攻が割り当てられることになった
流星より幾分か小型のこれらを搭載することになり搭載機は予定60機と増加した
さらに、対空火器の不足も深刻だった。110号艦に搭載予定だった最新の長10cm高角砲は
生産性の低さなどから生産が滞り 信濃には12.7cm連装高角砲を流用せざるを得なかった。
田中は機関部の設計に専念しながらも、この現実を目の当たりにして歯噛みした。

「これでは戦場で使い物にならん。せめて機関だけでも完璧に仕上げねば…」

彼は設計図にさらに修正を加え、ボイラーの配置を微調整した。
少しでも耐久性を高め、整備性を向上させるための最後の努力だった。

建造が進む中、作業員たちの間には疲労と不安が広がっていた。
昼夜を問わぬ労働で体は限界に近く、資材不足による遅れが彼らの士気を削いだ。
それでも、平賀の厳しい叱咤が現場を動かし続けた。

「我々の手で作るこの艦が、戦争の流れを変えるんだ。手を抜くな!」

その言葉に、作業員たちは力を振り絞った。
1943年の夏、信濃の船体は空母としての輪郭を明確にし始めた。
飛行甲板はほぼ完成 機関部にはボイラーとタービンが据え付けられ
巨大な船体に命が吹き込まれる瞬間が近づいていた。
しかし、その完成度は、設計チームが当初描いた理想からは程遠いものだった。
だが軍令部の要求は十二分に満たした
ガダルカナル攻防戦は日本軍の敗北に終わり
戦争の行く末が暗くなる中
110号艦は竣工へと向かっていった
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