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一時の間
抑止力となり得るか
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1945年5月。ワシントンの決断は、遠く離れた東京の連合艦隊司令長官
高倉義人中将が予期した通りのものとなった。米統合参謀本部は
太平洋戦線での度重なる想定外の損害、特にルソン島での人的・精神的消耗を憂慮し
同時に欧州戦線でのソ連の単独勝利による
戦後秩序の混乱を防ぐため、欧州方面への最大限の注力を決定した。
この決定を受け、米軍の動向は急速に変化した。
太平洋で次の大規模作戦、すなわち沖縄侵攻(アイスバーグ作戦)の
準備が進行する一方で、本来本土上陸作戦「ダウンフォール」のために
温存されていた戦力、特に高性能な上陸用舟艇(LST、LCVP)
そして熟練した予備歩兵師団の多くが、秘密裏に大西洋を渡り始めていた。
彼らの目的地は、イギリス。長らく延期されてきた
ノルマンディー上陸作戦(D-Day)の準備を整えるためであった。
東京の地下に設けられた連合艦隊緊急司令部では
高倉がこの米軍の動きを冷静に分析していた。
「欧州へ注力、か。ルーズベルトは政治的なリスクを優先した。
賢明だ。これで我々には、わずかな猶予ができた」
高倉の目の前に広がる大東亜戦域図には
沖縄方面への米艦隊の集結が示されていたが、その背後にある兵站線は
以前に比べて明らかに希薄になっていた。
米軍は、本土上陸という大詰めに向けての最終的な決戦準備よりも
まず欧州の火を消すことを選んだ。
日本国内では、この米軍の動向は「日本本土への侵攻準備の遅れ」として報道され
政治体制は一時的に緊張を緩和させた。鈴木貫太郎内閣は
水面下で中立国を経由した講和の糸口を探り続けていたが
軍部、特に陸軍の強硬派は、この「遅れ」を「神風」の証拠として捉え
本土決戦への闘志を一層燃え上がらせていた。
しかし、高倉は違った。彼は、米軍が戦力の一部を引き抜いたという事実は
彼らが講和に向けて柔軟になったことを意味するのではなく
別の強力な手段を完成させようとしている時間稼ぎだと直感していた。
「通常兵器の消耗戦では、決して勝てない。
彼らが大群を引き抜いたのなら
それは少数の力で我々を屈服させる、何かを準備している証だ」
高倉のこの予感は、すぐに恐ろしい現実として彼の元に届けられることになる。
1945年5月下旬。スイスのベルンにある在スイス日本公使館から
暗号を解読した極秘電報が、高倉の司令部へ直接届いた。
電報は、公使館付きの情報収集官が、亡命した欧州の科学者ネットワークから
極秘裏に入手した、信じ難い内容を含んでいた。
「米国は、マンハッタン計画と呼ばれる、高性能爆弾の開発計画を進行中。
これは、原子の力を利用した、都市を一撃で破壊し得る、究極の兵器なり。
既に、ニューメキシコ州で試験の最終段階にあり
遅くとも秋頃には実戦投入が可能となる見込み」
高倉は、その電文を一読し、背筋に冷たいものが走るのを感じた。
通常の火薬や爆弾が、都市の一部を破壊するものであるのに対し
原子の力とは、国家の存在そのものを脅かす力だ。
「原子力兵器……核か」
高倉は、これまでの戦略を根本から覆さねばならないと悟った。
彼が構想していた、橘花や天雷、そして残存艦隊を用いた沖縄での
「大博打」は、たとえ成功したとしても
この兵器の前では、単なる時間稼ぎにしかならない。
米国は、この爆弾を完成させさえすれば
本土上陸の犠牲を払うことなく、日本を無条件降伏に追い込める。
猶予は、おそらく半年もない。
高倉は、海軍と陸軍が極秘裏に進めてきた、原子力兵器の研究状況を即座に調査させた。
海軍には、「F計画」(フィッション=核分裂の頭文字)と呼ばれる研究部署があり
ウランの遠心分離による濃縮技術の理論的研究を進めていたが
実用化は程遠い状況だった。一方、陸軍の「二号研究部署」は
より実践的な視点から研究を進め、特に爆弾の「起爆装置」
すなわちプルトニウムを用いた「爆縮方式」の理論と設計を完成させていた。
しかし、共通する決定的な欠陥があった。
それは、核兵器の原料となる「核物質」が、日本国内では全く生産できていないことだった。
高倉は、即座に両計画の研究責任者を召集し、以下の厳命を下した。
一、両部署を「帝国核兵器開発局」として統合し
全戦線を超えた最優先事項とする。
二、理論と設計が完了している陸軍の
プルトニウム爆弾の起爆設計を優先し、実験装置の製造に入る。
三、国内での核物質生産は不可能と判断し
唯一の同盟国、ドイツに対し、核物質の「ごく少量の分与」を請う。
特にプルトニウム爆弾の設計については
陸軍二号研究部署の理論が驚くほど完成度が高く
高倉に確信を抱かせた。問題は、その核物質だった。
高倉は、ベルリンの駐ドイツ大使を通じ、ドイツ総統官邸へ極秘の打電を行った。
「太平洋戦線で米国の全戦力を引きつけている日本に
貴国が研究を進めている『特殊金属』(プルトニウム)を
ごく少量で良いから分けて欲しい。それさえあれば
我々はこの世界大戦を、枢軸国に有利な形で終わらせることができる」
この打電を受けたアドルフ・ヒトラー総統はその頃、比較的機嫌が良かった。
米軍の主力が太平洋へ向かい、レンドリースの滞りからソ連軍の進撃が鈍化し
さらに西側連合軍のD-Dayが未だ実行されていない状況は
彼にとって戦略的な一時的な安堵をもたらしていた。
ヒトラーは、「日本は我々の東の盾である」と公言し
日本への協力を惜しまない姿勢を示した。
ドイツの核開発計画は、米国ほど進んではいなかったが
実験用のプルトニウムの少量生成には成功しており、その備蓄は存在していた。
ヒトラーは、即座にプルトニウム18gの供与を決定した。
この18gという量は、核兵器の開発において
「必要とされる臨界量には達しない
精密な実験と起爆設計の最終検証には十分な量」として
科学者が提案したものだった。ドイツは、技術を供与することなく
日本に対し、この究極兵器の開発を「間接的に」託したのである。
輸送の任務は、伊八号潜水艦(伊8)に託された。
伊8は、遣独潜水艦として既に一度
ドイツと日本の間を往復した経験を持つ熟練の艦だった。
艦長以下、全乗組員は、彼らが輸送する「特別な荷」が
この戦争の運命を左右する、恐るべき代物であることを知らされた。
プルトニウム18gは、鉛で覆われた特殊な容器に厳重に収められ
伊八号の最深部の隔壁内に固定された。伊八号は、1945年6月初旬
連合軍の厳しい哨戒網を掻い潜り
秘密裏に大西洋を渡る、世界で最も危険な航海へと出発した。
高倉は、伊八号が日本に帰還するまでの全期間を
「極めて脆い猶予期間」と捉えていた。
彼の目標は、原子力兵器を実戦で使用することではない。
彼が目指すのは、米国が原子爆弾を完成させ、実戦投入する前に
日本もまた「核の報復能力」を持つことを米国に示して、講和を交渉することだった。
「米国は、正義を信じる国だ。無辜の市民を大量に虐殺することに
彼らもまた、倫理的な重圧を感じている。だが、日本が『核を持っている』と知れば
米国は本土への核攻撃の恐れから、無条件降伏を求めることはできなくなる。」
高倉の戦略は、以下の三段階で構成されていた。
伊八号の帰還と爆弾の製造:伊八号が無事に帰還した後
プルトニウム18gを使用して爆弾の起爆装置を調整し、即座に実戦配備可能な状態にする。
沖縄での「大博打」の実行:伊八号の帰還の時期を見計らい
沖縄方面で米軍に大打撃を与える「大博打」を実行する。
これは、米国に「日本はまだ戦える」という印象と
「通常戦力では勝利に莫大な犠牲が伴う」という恐怖を植え付けるため。
核の示威と講和:大博打の後
中立国を通じて「日本もまた、究極の兵器を保有している」という情報を流す。
米国は、本土への核攻撃の恐れから、「国体の維持」を容認する形での
「有条件講和」に応じざるを得なくなる。
伊八号の航海は、単なる輸送ではなく、日本の運命を乗せた「最後の賭け」だった。
もし、伊八号が大西洋で撃沈されれば
日本の核の道は完全に閉ざされ、高倉の戦略は砂上の楼閣となる。
高倉は、横浜の海に面した司令部の窓から、遥かな大西洋の闇を見つめていた。
彼は、自らの戦略を「死神の天秤」と呼んだ。天秤の片方には
通常戦力による玉砕の道、もう一方には、伊八号が運ぶプルトニウムと
それがもたらす「核による停戦」の道。
彼の心を支配するのは、もはや勝利ではなく
「最悪の敗北を避ける」という、一点の冷徹な使命感だけだった。
伊八号の航海の無事を祈りつつ、高倉は沖縄への「大博打」の最終準備を開始した。
伊八号潜水艦の艦内は、重苦しい緊張感に満ちていた。
艦長は、定期的にプルトニウムの収められた特殊隔壁の前で敬礼を行い
その安全を確認した。艦内には
この航海の成否が日本の命運を決するという、絶対的な使命感が浸透していた。
大西洋の哨戒は、米軍の対潜哨戒機や駆逐艦の数が減っているとはいえ
依然として厳しいものだった。特に、大型の伊八号は
深く潜航するための時間と浮上するための時間が長く
常に敵の音響探知機の標的となる恐れがあった。
彼らは、時には三日三晩も浮上できず
艦内の二酸化炭素濃度が限界に達するまで耐え忍ぶ必要があった。
その間、高倉の司令部は、伊八号の航海の進捗を待ちながら
沖縄への攻勢開始時期の最終的な調整に入っていた。
高倉は、沖縄戦を、単なる防衛戦ではなく
講和への布石としての「戦略的な示威行動」と位置づけていた。
橘花一二型と天雷二三型は、本土の地下格納庫で厳重に保管され
熟練の搭乗員による最小限の訓練が続けられていた。
彼らの任務は、特攻として米艦隊に突入するのではなく
米軍の制空権の隙を突き、一度の出撃で最大限の戦果を挙げ、生還を試みることだった。
「橘花」と「天雷」は、高倉が目指す
「核の傘」が完成するまでの「時間稼ぎ」のための最終兵器だった。
全ては、伊八号が無事に帰還し
プルトニウムを日本の土に届けるかどうかにかかっている。
高倉は、毎朝、戦況図を見る前に、伊八号の最新の推定位置を
確認するのが日課となっていた。そして、静かに呟くのだ。
「無事に帰れ。国の運命は、お前たちにかかっている」
高倉義人中将が予期した通りのものとなった。米統合参謀本部は
太平洋戦線での度重なる想定外の損害、特にルソン島での人的・精神的消耗を憂慮し
同時に欧州戦線でのソ連の単独勝利による
戦後秩序の混乱を防ぐため、欧州方面への最大限の注力を決定した。
この決定を受け、米軍の動向は急速に変化した。
太平洋で次の大規模作戦、すなわち沖縄侵攻(アイスバーグ作戦)の
準備が進行する一方で、本来本土上陸作戦「ダウンフォール」のために
温存されていた戦力、特に高性能な上陸用舟艇(LST、LCVP)
そして熟練した予備歩兵師団の多くが、秘密裏に大西洋を渡り始めていた。
彼らの目的地は、イギリス。長らく延期されてきた
ノルマンディー上陸作戦(D-Day)の準備を整えるためであった。
東京の地下に設けられた連合艦隊緊急司令部では
高倉がこの米軍の動きを冷静に分析していた。
「欧州へ注力、か。ルーズベルトは政治的なリスクを優先した。
賢明だ。これで我々には、わずかな猶予ができた」
高倉の目の前に広がる大東亜戦域図には
沖縄方面への米艦隊の集結が示されていたが、その背後にある兵站線は
以前に比べて明らかに希薄になっていた。
米軍は、本土上陸という大詰めに向けての最終的な決戦準備よりも
まず欧州の火を消すことを選んだ。
日本国内では、この米軍の動向は「日本本土への侵攻準備の遅れ」として報道され
政治体制は一時的に緊張を緩和させた。鈴木貫太郎内閣は
水面下で中立国を経由した講和の糸口を探り続けていたが
軍部、特に陸軍の強硬派は、この「遅れ」を「神風」の証拠として捉え
本土決戦への闘志を一層燃え上がらせていた。
しかし、高倉は違った。彼は、米軍が戦力の一部を引き抜いたという事実は
彼らが講和に向けて柔軟になったことを意味するのではなく
別の強力な手段を完成させようとしている時間稼ぎだと直感していた。
「通常兵器の消耗戦では、決して勝てない。
彼らが大群を引き抜いたのなら
それは少数の力で我々を屈服させる、何かを準備している証だ」
高倉のこの予感は、すぐに恐ろしい現実として彼の元に届けられることになる。
1945年5月下旬。スイスのベルンにある在スイス日本公使館から
暗号を解読した極秘電報が、高倉の司令部へ直接届いた。
電報は、公使館付きの情報収集官が、亡命した欧州の科学者ネットワークから
極秘裏に入手した、信じ難い内容を含んでいた。
「米国は、マンハッタン計画と呼ばれる、高性能爆弾の開発計画を進行中。
これは、原子の力を利用した、都市を一撃で破壊し得る、究極の兵器なり。
既に、ニューメキシコ州で試験の最終段階にあり
遅くとも秋頃には実戦投入が可能となる見込み」
高倉は、その電文を一読し、背筋に冷たいものが走るのを感じた。
通常の火薬や爆弾が、都市の一部を破壊するものであるのに対し
原子の力とは、国家の存在そのものを脅かす力だ。
「原子力兵器……核か」
高倉は、これまでの戦略を根本から覆さねばならないと悟った。
彼が構想していた、橘花や天雷、そして残存艦隊を用いた沖縄での
「大博打」は、たとえ成功したとしても
この兵器の前では、単なる時間稼ぎにしかならない。
米国は、この爆弾を完成させさえすれば
本土上陸の犠牲を払うことなく、日本を無条件降伏に追い込める。
猶予は、おそらく半年もない。
高倉は、海軍と陸軍が極秘裏に進めてきた、原子力兵器の研究状況を即座に調査させた。
海軍には、「F計画」(フィッション=核分裂の頭文字)と呼ばれる研究部署があり
ウランの遠心分離による濃縮技術の理論的研究を進めていたが
実用化は程遠い状況だった。一方、陸軍の「二号研究部署」は
より実践的な視点から研究を進め、特に爆弾の「起爆装置」
すなわちプルトニウムを用いた「爆縮方式」の理論と設計を完成させていた。
しかし、共通する決定的な欠陥があった。
それは、核兵器の原料となる「核物質」が、日本国内では全く生産できていないことだった。
高倉は、即座に両計画の研究責任者を召集し、以下の厳命を下した。
一、両部署を「帝国核兵器開発局」として統合し
全戦線を超えた最優先事項とする。
二、理論と設計が完了している陸軍の
プルトニウム爆弾の起爆設計を優先し、実験装置の製造に入る。
三、国内での核物質生産は不可能と判断し
唯一の同盟国、ドイツに対し、核物質の「ごく少量の分与」を請う。
特にプルトニウム爆弾の設計については
陸軍二号研究部署の理論が驚くほど完成度が高く
高倉に確信を抱かせた。問題は、その核物質だった。
高倉は、ベルリンの駐ドイツ大使を通じ、ドイツ総統官邸へ極秘の打電を行った。
「太平洋戦線で米国の全戦力を引きつけている日本に
貴国が研究を進めている『特殊金属』(プルトニウム)を
ごく少量で良いから分けて欲しい。それさえあれば
我々はこの世界大戦を、枢軸国に有利な形で終わらせることができる」
この打電を受けたアドルフ・ヒトラー総統はその頃、比較的機嫌が良かった。
米軍の主力が太平洋へ向かい、レンドリースの滞りからソ連軍の進撃が鈍化し
さらに西側連合軍のD-Dayが未だ実行されていない状況は
彼にとって戦略的な一時的な安堵をもたらしていた。
ヒトラーは、「日本は我々の東の盾である」と公言し
日本への協力を惜しまない姿勢を示した。
ドイツの核開発計画は、米国ほど進んではいなかったが
実験用のプルトニウムの少量生成には成功しており、その備蓄は存在していた。
ヒトラーは、即座にプルトニウム18gの供与を決定した。
この18gという量は、核兵器の開発において
「必要とされる臨界量には達しない
精密な実験と起爆設計の最終検証には十分な量」として
科学者が提案したものだった。ドイツは、技術を供与することなく
日本に対し、この究極兵器の開発を「間接的に」託したのである。
輸送の任務は、伊八号潜水艦(伊8)に託された。
伊8は、遣独潜水艦として既に一度
ドイツと日本の間を往復した経験を持つ熟練の艦だった。
艦長以下、全乗組員は、彼らが輸送する「特別な荷」が
この戦争の運命を左右する、恐るべき代物であることを知らされた。
プルトニウム18gは、鉛で覆われた特殊な容器に厳重に収められ
伊八号の最深部の隔壁内に固定された。伊八号は、1945年6月初旬
連合軍の厳しい哨戒網を掻い潜り
秘密裏に大西洋を渡る、世界で最も危険な航海へと出発した。
高倉は、伊八号が日本に帰還するまでの全期間を
「極めて脆い猶予期間」と捉えていた。
彼の目標は、原子力兵器を実戦で使用することではない。
彼が目指すのは、米国が原子爆弾を完成させ、実戦投入する前に
日本もまた「核の報復能力」を持つことを米国に示して、講和を交渉することだった。
「米国は、正義を信じる国だ。無辜の市民を大量に虐殺することに
彼らもまた、倫理的な重圧を感じている。だが、日本が『核を持っている』と知れば
米国は本土への核攻撃の恐れから、無条件降伏を求めることはできなくなる。」
高倉の戦略は、以下の三段階で構成されていた。
伊八号の帰還と爆弾の製造:伊八号が無事に帰還した後
プルトニウム18gを使用して爆弾の起爆装置を調整し、即座に実戦配備可能な状態にする。
沖縄での「大博打」の実行:伊八号の帰還の時期を見計らい
沖縄方面で米軍に大打撃を与える「大博打」を実行する。
これは、米国に「日本はまだ戦える」という印象と
「通常戦力では勝利に莫大な犠牲が伴う」という恐怖を植え付けるため。
核の示威と講和:大博打の後
中立国を通じて「日本もまた、究極の兵器を保有している」という情報を流す。
米国は、本土への核攻撃の恐れから、「国体の維持」を容認する形での
「有条件講和」に応じざるを得なくなる。
伊八号の航海は、単なる輸送ではなく、日本の運命を乗せた「最後の賭け」だった。
もし、伊八号が大西洋で撃沈されれば
日本の核の道は完全に閉ざされ、高倉の戦略は砂上の楼閣となる。
高倉は、横浜の海に面した司令部の窓から、遥かな大西洋の闇を見つめていた。
彼は、自らの戦略を「死神の天秤」と呼んだ。天秤の片方には
通常戦力による玉砕の道、もう一方には、伊八号が運ぶプルトニウムと
それがもたらす「核による停戦」の道。
彼の心を支配するのは、もはや勝利ではなく
「最悪の敗北を避ける」という、一点の冷徹な使命感だけだった。
伊八号の航海の無事を祈りつつ、高倉は沖縄への「大博打」の最終準備を開始した。
伊八号潜水艦の艦内は、重苦しい緊張感に満ちていた。
艦長は、定期的にプルトニウムの収められた特殊隔壁の前で敬礼を行い
その安全を確認した。艦内には
この航海の成否が日本の命運を決するという、絶対的な使命感が浸透していた。
大西洋の哨戒は、米軍の対潜哨戒機や駆逐艦の数が減っているとはいえ
依然として厳しいものだった。特に、大型の伊八号は
深く潜航するための時間と浮上するための時間が長く
常に敵の音響探知機の標的となる恐れがあった。
彼らは、時には三日三晩も浮上できず
艦内の二酸化炭素濃度が限界に達するまで耐え忍ぶ必要があった。
その間、高倉の司令部は、伊八号の航海の進捗を待ちながら
沖縄への攻勢開始時期の最終的な調整に入っていた。
高倉は、沖縄戦を、単なる防衛戦ではなく
講和への布石としての「戦略的な示威行動」と位置づけていた。
橘花一二型と天雷二三型は、本土の地下格納庫で厳重に保管され
熟練の搭乗員による最小限の訓練が続けられていた。
彼らの任務は、特攻として米艦隊に突入するのではなく
米軍の制空権の隙を突き、一度の出撃で最大限の戦果を挙げ、生還を試みることだった。
「橘花」と「天雷」は、高倉が目指す
「核の傘」が完成するまでの「時間稼ぎ」のための最終兵器だった。
全ては、伊八号が無事に帰還し
プルトニウムを日本の土に届けるかどうかにかかっている。
高倉は、毎朝、戦況図を見る前に、伊八号の最新の推定位置を
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