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疲弊と代償
ラエ、サラモア陥落
ビスマルク海での激しい海空戦は
日本艦隊の消耗を招き、当初の目的であったニューギニア方面への
大規模な増援と補給は、事実上不可能となった。
重傷を負った艦艇の修理には膨大な時間と資材が必要となり
失われた航空機と熟練パイロットの穴は、おいそれとは埋まらない。
この「辛勝」の陰で、ニューギニアに展開する
日本軍守備隊への支援計画は、机上の空論と化していった。
大本営の作戦室では、連日、ニューギニア方面からの悲痛な報告が上がっていた。
ポートモレスビー攻略作戦の頓挫以来、戦線は膠着状態に陥っていたものの
米豪連合軍の圧力は日増しに強まっていた。
そして、ビスマルク海海戦の直後から、その圧力は決定的なものへと変貌していく。
「東部ニューギニア、ラエ、サラモアへの航空支援要請。
度重なる敵機の空襲により、防衛線が限界に達しています!」
「ウェワク方面の部隊より、食料と弾薬の緊急輸送を要求。
病死者が続出し、戦闘継続が困難な状況に陥っています!」
机を囲む参謀たちの顔には、疲労と焦りの色が濃く浮かんでいた。
彼らの手元には、飢餓と病、そして米豪連合軍の猛攻に苦しむ
現地部隊からの電文が山積みにされている。
しかし、彼らには、もはや有効な手立てが残されていなかった。
ビスマルク海での日本の航空戦力消耗は、米豪連合軍に好機を与えた。
制空権を奪われたニューギニア上空は、連合軍機の天下となる。
日本軍の補給船は、空からの容赦ない攻撃に晒され、次々と撃沈されていった。
「輸送船団、ニューブリテン島沖で
敵機動部隊と交戦!護衛艦艇、全滅!輸送船、全て沈没!」
そんな報告が、毎日、何通も大本営に届いた。
ニューギニアへ向かう航路は、死の海と化した。
物資は現地に届かず、兵士たちは孤立無援の状態で戦い続けなければならなかった。
米豪連合軍は、この補給途絶を見計らったかのように、
ニューギニアの日本軍拠点への大規模な攻勢を開始する。
ビスマルク海での海戦で、日本のニューギニア方面への
大規模な増援と補給が絶望的となった後、ラエとサラモアの日本軍守備隊は
来るべき攻勢に備えるしか術がなかった。彼らのもとには
ほとんど物資が届かない。食料はすでに底を突きかけ
弾薬も残りわずか。兵士たちは、配給が滞り、日に日に痩せ細っていった。
ラエは、ニューギニア島北東部の主要な飛行場であり
サラモアは隣接する港湾都市だ。これら二つの拠点は
日本の南方防衛線において極めて重要な位置を占めていた。
ここが陥落すれば、米豪連合軍はニューギニア東部における
足がかりを完全に確立し、日本の補給線をさらに深く脅かすことになる。
守備隊の指揮官たちは、大本営からの「死守せよ」という命令を
重く受け止めていたが、現実の兵力差、物資の枯渇そして
兵士たちの疲弊ぶりを前に、絶望感を隠しきれなかった。
陣地構築は進められたものの、それは一時しのぎに過ぎず
米軍の圧倒的な火力の前には、まるで砂上の楼閣のようなものだった。
空と海からの挟撃:地獄の始まり
1943年9月、ついに米豪連合軍の「カートホイール作戦」の一環として
ラエとサラモアへの大規模な攻勢が開始された。
連合軍は、ビスマルク海海戦で損耗した日本の航空戦力を完全に無視し
ニューギニア上空の制空権を掌握していた。
爆撃機が容赦なく日本の陣地を叩き、戦闘機が低空で地上部隊を攻撃する。
空からの挟撃は、想像を絶するものだった。
まず、9月4日、ラエ近郊に米空挺部隊が降下した。
彼らは、日本軍の予想を上回る速さで内陸部から侵攻し
ラエ飛行場への退路を遮断しようと試みる。
空から舞い降りる敵兵の姿は、日本兵にとって悪夢以外の何物でもなかった。
「空から敵が降ってくるぞ!」
悲鳴のような叫びが、日本の守備隊の間に響き渡る。
彼らは、ジャングルの中を移動し、すでに疲労困憊の状態だった。
そこに、新たな兵力を持つ空挺部隊が、背後から襲いかかってきたのだ。
そして、間髪入れずに、海上からは米豪連合軍の上陸部隊が
サラモア海岸とラエ東部の海岸に殺到した。戦艦や巡洋艦の艦砲射撃が
日本の簡素な陣地を容赦なく破壊していく。何トンもの鋼鉄の塊が
轟音とともに守備隊の頭上に降り注ぎ、土煙と爆炎が空を覆った。
「敵上陸!砲兵、射撃開始!」
日本の砲兵隊は、残されたわずかな砲弾で応戦するが
その火力は圧倒的な米軍のそれとは比べ物にならなかった。
海岸に設置された機関銃陣地は、上陸用舟艇から放たれる
集中砲火によって、次々と沈黙していく。
陸、海、空からの完璧な挟撃だった。日本軍守備隊は
完全に包囲され、外界との連絡も途絶えていった。
もはや、援軍も、物資も、そして脱出の道も存在しない。
彼らは、文字通り、地獄の釜の蓋が開いたような状況に放り込まれたのだ。
包囲された日本軍守備隊は、絶望的な抵抗を続けた。
彼らは、僅かな食料と弾薬で粘り強く戦い
ジャングルの中に掘られた簡素な壕や、臨時で作られた陣地で
米豪連合軍の猛攻をしのぎ続けた。
砲爆撃は、昼夜を問わず続いた。米軍の重砲が
日本の陣地を何度も何度も叩き、土煙が晴れると
そこには兵士たちの血肉と、破壊された装備が散乱しているだけだった。
高倉の目に浮かんだ、あの傷ついた艦艇の姿と、何ら変わりない光景が
ここニューギニアのジャングルで繰り広げられていた。
「弾薬が……もうない……」
ある兵士が、震える声でつぶやいた。銃弾の入った弾帯はすでに軽く
手榴弾も残りわずか。米軍が迫るたびに、
日本兵は、残された数少ない弾薬を惜しみながら、必死に応戦した。
しかし、米軍は次々と新しい兵力を投入し、その攻撃は途切れることがなかった。
そして、砲爆撃以上に兵士たちを苦しめたのは、飢餓だった。
補給路が完全に断たれた今、食料は一切届かない。
当初、わずかに備蓄されていた食料も、瞬く間に底を尽きた。
兵士たちは、栄養失調で身体が衰弱し
まともに歩くことさえ困難になっていく。
彼らは、ジャングルの中で食べられるものを必死に探した。
草の根、木の皮、ヘビ、トカゲ……。しかし、それらは焼け石に水だった。
「隊長……もう、何も食べられません……」
日に日に痩せ細っていく兵士たちの姿は、見るに堪えなかった。
彼らの目は虚ろになり、肌は土色に変色していた。
体力は限界を迎え、戦闘どころか
自身の体を支えることさえままならない者が続出した。
飢餓は、兵士たちの精神をも蝕んだ。正常な判断力を失い
幻覚を見る者も現れた。仲間が倒れても
助ける力も、助ける食料も、何も残されていなかった。
飢餓と砲爆撃に加えて、兵士たちを襲ったのは
ニューギニア特有の病魔だった。
熱帯のジャングルは、マラリア、赤痢、アメーバ赤痢
デング熱といった病気の温床だった。高温多湿な気候は
傷口の悪化を早め、些細なかすり傷でも化膿し
壊疽を起こすことが珍しくなかった。
「くそっ、また熱が出た……」
ある兵士が、高熱にうなされながらうめいた。
彼の体はガタガタと震え、意識も朦朧としている。
治療薬など、もはやどこにもない。持参したわずかな医薬品も、とっくに尽きていた。
マラリアに感染した兵士は、激しい悪寒と発熱を繰り返し
やがて体力を奪われ、動けなくなる。赤痢は、下痢と腹痛で
兵士の体を内部から破壊していった。これらの病気は
戦闘による死者よりもはるかに多くの命を奪っていったのだ。
ジャングルの中には、病死した兵士たちの遺体が放置され、異臭を放っていた。
それを埋葬する体力も、埋葬するための道具も
もはや残されていなかった。衛生状態は最悪で
病気はさらに蔓延していく悪循環に陥っていた。
激しい抵抗を続けたものの、食料も弾薬も尽き
病気で兵士が次々と倒れていく中、ラエとサラモアの日本軍守備隊は
ついに組織的な戦闘継続が不可能となる。指揮官たちは
これ以上戦っても意味がないと判断し、生存者に対して奥地への退却を命じた。
しかし、それは「生還」を意味するものではなかった。
むしろ、さらなる地獄の始まりだった。
退却路は、鬱蒼としたジャングルの中を通る、道なき道だった。
栄養失調と病気で衰弱しきった兵士たちは、わずかな装備を背負い
重い足取りでジャングルを進む。しかし、体力はすでに限界を超えていた。
「もう、歩けません……」
ある兵士が、その場に倒れ込んだ。助け起こそうとする仲間も
自分自身の体を支えるのが精一杯だ。倒れた兵士は
そのままジャングルの奥深くへと置き去りにされた。
熱帯の密林は、彼らの墓場となった。
奥地には、連合軍の追撃が迫っていた。彼らは航空機で上空から監視し
地上部隊が退却路を封鎖する。日本の兵士たちは
隠れるようにジャングルの中をさまよい、見つかれば容赦なく攻撃された。
飢餓と病気は、退却中も彼らを苦しめ続けた。奥地にも食料はなく
水を探すのも困難だった。多くの兵士が、食料不足、病気
そして疲労困憊の末に、ジャングルの中で静かに息を引き取っていった。
ラエとサラモアの失陥は、単に戦略的拠点の喪失を意味するだけでなく
そこで戦い、そして散っていった何万人もの兵士たちの
悲劇を刻み込むものだった。彼らは、祖国からの支援が途絶え
絶望的な状況の中で、人間としての尊厳を失いながら死んでいったのだ。
ニューギニアの悲惨な状況は、断片的な情報として本土にも伝わり始めていた。
検閲をすり抜けた兵士からの手紙、あるいは九死に一生を得て
生還したわずかな負傷兵の証言が、国民の間に
そして何よりも政府首脳部の間に、重い影を落とし始めた。
高倉義人中将が連合艦隊司令長官兼海軍省軍務局長に就任した後
彼のもとには、ニューギニア方面からのより詳細な報告が届けられるようになった。
それは、単なる戦況報告ではなく、現地で戦う
兵士たちの筆舌に尽くしがたい苦境を物語るものだった。
ある将校からの報告書には、こう記されていた。
「……兵士たちは、すでに人間としての尊厳を失いつつあります。
飢餓により骨と皮になり、目だけが虚ろに光っています。
敵と戦う以前に、食料と病魔と戦っているのです。
負傷しても、薬はなく、傷口は蛆が湧き、そのまま死を待つばかり。
補給の約束は、ただの空約束となってしまいました。
このままでは、全滅は避けられません。どうか、どうか、ご支援を……」
また、別の報告書には、兵士たちが食料を求めて
友軍の死体を掘り起こすという、衝撃的な内容まで含まれていた。
そのような報告が、高倉の執務室の机に積み重ねられていく。
彼は、それらの報告書を読みながら、何度も目を閉じ
その都度、吐き気を催すほどの絶望感を覚えた。
軍部の中には、いまだ「玉砕」を叫び
徹底抗戦を主張する強硬派が多数を占めていた。
彼らは、ニューギニアの悲劇を「兵士の精神力不足」や「局地的な失敗」として片付けようとした。
しかし、高倉は、その現実に目を背けることができなかった。
彼は、自らが指揮したビスマルク海での辛勝が
結局、ニューギニアの兵士たちを救うことには
繋がらなかったという事実を、重く受け止めていた。
国民の生活は、すでに困窮を極めていた。米の配給は減り
闇市が横行し、人々は飢えに苦しんでいた。空襲の脅威は
まだ本格化していなかったものの、物資不足による生活の困窮は
確実に国民の間に厭戦気分を募らせていた。ニューギニアの悲惨な状況が
本土に伝わるたび、その厭戦気分はさらに深く、国民の心に浸透していった。
ラエとサラモアの失陥は、単なる戦略的拠点の喪失ではなかった。
それは、日本の南方資源地帯からの生命線が決定的な脅威に晒されることを意味した。
そして、何よりも、遠い異国の地で、飢えと病に苦しみながら
死んでいった数万の兵士たちの悲劇を、日本の歴史に深く刻み込むものとなった。
高倉は、この現実を直視し、次に何が起こるかを予測しなければならなかった。
米軍の矛先は、確実に日本の「絶対国防圏」へと向かってくるだろう。
高倉の苦悩は、深まるばかりだった。
日本艦隊の消耗を招き、当初の目的であったニューギニア方面への
大規模な増援と補給は、事実上不可能となった。
重傷を負った艦艇の修理には膨大な時間と資材が必要となり
失われた航空機と熟練パイロットの穴は、おいそれとは埋まらない。
この「辛勝」の陰で、ニューギニアに展開する
日本軍守備隊への支援計画は、机上の空論と化していった。
大本営の作戦室では、連日、ニューギニア方面からの悲痛な報告が上がっていた。
ポートモレスビー攻略作戦の頓挫以来、戦線は膠着状態に陥っていたものの
米豪連合軍の圧力は日増しに強まっていた。
そして、ビスマルク海海戦の直後から、その圧力は決定的なものへと変貌していく。
「東部ニューギニア、ラエ、サラモアへの航空支援要請。
度重なる敵機の空襲により、防衛線が限界に達しています!」
「ウェワク方面の部隊より、食料と弾薬の緊急輸送を要求。
病死者が続出し、戦闘継続が困難な状況に陥っています!」
机を囲む参謀たちの顔には、疲労と焦りの色が濃く浮かんでいた。
彼らの手元には、飢餓と病、そして米豪連合軍の猛攻に苦しむ
現地部隊からの電文が山積みにされている。
しかし、彼らには、もはや有効な手立てが残されていなかった。
ビスマルク海での日本の航空戦力消耗は、米豪連合軍に好機を与えた。
制空権を奪われたニューギニア上空は、連合軍機の天下となる。
日本軍の補給船は、空からの容赦ない攻撃に晒され、次々と撃沈されていった。
「輸送船団、ニューブリテン島沖で
敵機動部隊と交戦!護衛艦艇、全滅!輸送船、全て沈没!」
そんな報告が、毎日、何通も大本営に届いた。
ニューギニアへ向かう航路は、死の海と化した。
物資は現地に届かず、兵士たちは孤立無援の状態で戦い続けなければならなかった。
米豪連合軍は、この補給途絶を見計らったかのように、
ニューギニアの日本軍拠点への大規模な攻勢を開始する。
ビスマルク海での海戦で、日本のニューギニア方面への
大規模な増援と補給が絶望的となった後、ラエとサラモアの日本軍守備隊は
来るべき攻勢に備えるしか術がなかった。彼らのもとには
ほとんど物資が届かない。食料はすでに底を突きかけ
弾薬も残りわずか。兵士たちは、配給が滞り、日に日に痩せ細っていった。
ラエは、ニューギニア島北東部の主要な飛行場であり
サラモアは隣接する港湾都市だ。これら二つの拠点は
日本の南方防衛線において極めて重要な位置を占めていた。
ここが陥落すれば、米豪連合軍はニューギニア東部における
足がかりを完全に確立し、日本の補給線をさらに深く脅かすことになる。
守備隊の指揮官たちは、大本営からの「死守せよ」という命令を
重く受け止めていたが、現実の兵力差、物資の枯渇そして
兵士たちの疲弊ぶりを前に、絶望感を隠しきれなかった。
陣地構築は進められたものの、それは一時しのぎに過ぎず
米軍の圧倒的な火力の前には、まるで砂上の楼閣のようなものだった。
空と海からの挟撃:地獄の始まり
1943年9月、ついに米豪連合軍の「カートホイール作戦」の一環として
ラエとサラモアへの大規模な攻勢が開始された。
連合軍は、ビスマルク海海戦で損耗した日本の航空戦力を完全に無視し
ニューギニア上空の制空権を掌握していた。
爆撃機が容赦なく日本の陣地を叩き、戦闘機が低空で地上部隊を攻撃する。
空からの挟撃は、想像を絶するものだった。
まず、9月4日、ラエ近郊に米空挺部隊が降下した。
彼らは、日本軍の予想を上回る速さで内陸部から侵攻し
ラエ飛行場への退路を遮断しようと試みる。
空から舞い降りる敵兵の姿は、日本兵にとって悪夢以外の何物でもなかった。
「空から敵が降ってくるぞ!」
悲鳴のような叫びが、日本の守備隊の間に響き渡る。
彼らは、ジャングルの中を移動し、すでに疲労困憊の状態だった。
そこに、新たな兵力を持つ空挺部隊が、背後から襲いかかってきたのだ。
そして、間髪入れずに、海上からは米豪連合軍の上陸部隊が
サラモア海岸とラエ東部の海岸に殺到した。戦艦や巡洋艦の艦砲射撃が
日本の簡素な陣地を容赦なく破壊していく。何トンもの鋼鉄の塊が
轟音とともに守備隊の頭上に降り注ぎ、土煙と爆炎が空を覆った。
「敵上陸!砲兵、射撃開始!」
日本の砲兵隊は、残されたわずかな砲弾で応戦するが
その火力は圧倒的な米軍のそれとは比べ物にならなかった。
海岸に設置された機関銃陣地は、上陸用舟艇から放たれる
集中砲火によって、次々と沈黙していく。
陸、海、空からの完璧な挟撃だった。日本軍守備隊は
完全に包囲され、外界との連絡も途絶えていった。
もはや、援軍も、物資も、そして脱出の道も存在しない。
彼らは、文字通り、地獄の釜の蓋が開いたような状況に放り込まれたのだ。
包囲された日本軍守備隊は、絶望的な抵抗を続けた。
彼らは、僅かな食料と弾薬で粘り強く戦い
ジャングルの中に掘られた簡素な壕や、臨時で作られた陣地で
米豪連合軍の猛攻をしのぎ続けた。
砲爆撃は、昼夜を問わず続いた。米軍の重砲が
日本の陣地を何度も何度も叩き、土煙が晴れると
そこには兵士たちの血肉と、破壊された装備が散乱しているだけだった。
高倉の目に浮かんだ、あの傷ついた艦艇の姿と、何ら変わりない光景が
ここニューギニアのジャングルで繰り広げられていた。
「弾薬が……もうない……」
ある兵士が、震える声でつぶやいた。銃弾の入った弾帯はすでに軽く
手榴弾も残りわずか。米軍が迫るたびに、
日本兵は、残された数少ない弾薬を惜しみながら、必死に応戦した。
しかし、米軍は次々と新しい兵力を投入し、その攻撃は途切れることがなかった。
そして、砲爆撃以上に兵士たちを苦しめたのは、飢餓だった。
補給路が完全に断たれた今、食料は一切届かない。
当初、わずかに備蓄されていた食料も、瞬く間に底を尽きた。
兵士たちは、栄養失調で身体が衰弱し
まともに歩くことさえ困難になっていく。
彼らは、ジャングルの中で食べられるものを必死に探した。
草の根、木の皮、ヘビ、トカゲ……。しかし、それらは焼け石に水だった。
「隊長……もう、何も食べられません……」
日に日に痩せ細っていく兵士たちの姿は、見るに堪えなかった。
彼らの目は虚ろになり、肌は土色に変色していた。
体力は限界を迎え、戦闘どころか
自身の体を支えることさえままならない者が続出した。
飢餓は、兵士たちの精神をも蝕んだ。正常な判断力を失い
幻覚を見る者も現れた。仲間が倒れても
助ける力も、助ける食料も、何も残されていなかった。
飢餓と砲爆撃に加えて、兵士たちを襲ったのは
ニューギニア特有の病魔だった。
熱帯のジャングルは、マラリア、赤痢、アメーバ赤痢
デング熱といった病気の温床だった。高温多湿な気候は
傷口の悪化を早め、些細なかすり傷でも化膿し
壊疽を起こすことが珍しくなかった。
「くそっ、また熱が出た……」
ある兵士が、高熱にうなされながらうめいた。
彼の体はガタガタと震え、意識も朦朧としている。
治療薬など、もはやどこにもない。持参したわずかな医薬品も、とっくに尽きていた。
マラリアに感染した兵士は、激しい悪寒と発熱を繰り返し
やがて体力を奪われ、動けなくなる。赤痢は、下痢と腹痛で
兵士の体を内部から破壊していった。これらの病気は
戦闘による死者よりもはるかに多くの命を奪っていったのだ。
ジャングルの中には、病死した兵士たちの遺体が放置され、異臭を放っていた。
それを埋葬する体力も、埋葬するための道具も
もはや残されていなかった。衛生状態は最悪で
病気はさらに蔓延していく悪循環に陥っていた。
激しい抵抗を続けたものの、食料も弾薬も尽き
病気で兵士が次々と倒れていく中、ラエとサラモアの日本軍守備隊は
ついに組織的な戦闘継続が不可能となる。指揮官たちは
これ以上戦っても意味がないと判断し、生存者に対して奥地への退却を命じた。
しかし、それは「生還」を意味するものではなかった。
むしろ、さらなる地獄の始まりだった。
退却路は、鬱蒼としたジャングルの中を通る、道なき道だった。
栄養失調と病気で衰弱しきった兵士たちは、わずかな装備を背負い
重い足取りでジャングルを進む。しかし、体力はすでに限界を超えていた。
「もう、歩けません……」
ある兵士が、その場に倒れ込んだ。助け起こそうとする仲間も
自分自身の体を支えるのが精一杯だ。倒れた兵士は
そのままジャングルの奥深くへと置き去りにされた。
熱帯の密林は、彼らの墓場となった。
奥地には、連合軍の追撃が迫っていた。彼らは航空機で上空から監視し
地上部隊が退却路を封鎖する。日本の兵士たちは
隠れるようにジャングルの中をさまよい、見つかれば容赦なく攻撃された。
飢餓と病気は、退却中も彼らを苦しめ続けた。奥地にも食料はなく
水を探すのも困難だった。多くの兵士が、食料不足、病気
そして疲労困憊の末に、ジャングルの中で静かに息を引き取っていった。
ラエとサラモアの失陥は、単に戦略的拠点の喪失を意味するだけでなく
そこで戦い、そして散っていった何万人もの兵士たちの
悲劇を刻み込むものだった。彼らは、祖国からの支援が途絶え
絶望的な状況の中で、人間としての尊厳を失いながら死んでいったのだ。
ニューギニアの悲惨な状況は、断片的な情報として本土にも伝わり始めていた。
検閲をすり抜けた兵士からの手紙、あるいは九死に一生を得て
生還したわずかな負傷兵の証言が、国民の間に
そして何よりも政府首脳部の間に、重い影を落とし始めた。
高倉義人中将が連合艦隊司令長官兼海軍省軍務局長に就任した後
彼のもとには、ニューギニア方面からのより詳細な報告が届けられるようになった。
それは、単なる戦況報告ではなく、現地で戦う
兵士たちの筆舌に尽くしがたい苦境を物語るものだった。
ある将校からの報告書には、こう記されていた。
「……兵士たちは、すでに人間としての尊厳を失いつつあります。
飢餓により骨と皮になり、目だけが虚ろに光っています。
敵と戦う以前に、食料と病魔と戦っているのです。
負傷しても、薬はなく、傷口は蛆が湧き、そのまま死を待つばかり。
補給の約束は、ただの空約束となってしまいました。
このままでは、全滅は避けられません。どうか、どうか、ご支援を……」
また、別の報告書には、兵士たちが食料を求めて
友軍の死体を掘り起こすという、衝撃的な内容まで含まれていた。
そのような報告が、高倉の執務室の机に積み重ねられていく。
彼は、それらの報告書を読みながら、何度も目を閉じ
その都度、吐き気を催すほどの絶望感を覚えた。
軍部の中には、いまだ「玉砕」を叫び
徹底抗戦を主張する強硬派が多数を占めていた。
彼らは、ニューギニアの悲劇を「兵士の精神力不足」や「局地的な失敗」として片付けようとした。
しかし、高倉は、その現実に目を背けることができなかった。
彼は、自らが指揮したビスマルク海での辛勝が
結局、ニューギニアの兵士たちを救うことには
繋がらなかったという事実を、重く受け止めていた。
国民の生活は、すでに困窮を極めていた。米の配給は減り
闇市が横行し、人々は飢えに苦しんでいた。空襲の脅威は
まだ本格化していなかったものの、物資不足による生活の困窮は
確実に国民の間に厭戦気分を募らせていた。ニューギニアの悲惨な状況が
本土に伝わるたび、その厭戦気分はさらに深く、国民の心に浸透していった。
ラエとサラモアの失陥は、単なる戦略的拠点の喪失ではなかった。
それは、日本の南方資源地帯からの生命線が決定的な脅威に晒されることを意味した。
そして、何よりも、遠い異国の地で、飢えと病に苦しみながら
死んでいった数万の兵士たちの悲劇を、日本の歴史に深く刻み込むものとなった。
高倉は、この現実を直視し、次に何が起こるかを予測しなければならなかった。
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歴史・時代
「カクヨム」と「小説家になろう」にも投稿しています。
尾張徳川家(尾張藩)の第14代・第17代当主の徳川慶勝が、美濃高須藩主・松平義建の次男・秀之助ではなく、夭折した長男・源之助が継いでおり、彼が攘夷派の名君となっていた場合の仮想戦記を書いてみました。夭折した兄弟が活躍します。尾張徳川家15代藩主・徳川茂徳、会津藩主・松平容保、桑名藩主・松平定敬、特に会津藩主・松平容保と会津藩士にリベンジしてもらいます。
もしかしたら、消去するかもしれません。
土方歳三ら、西南戦争に参戦す
山家
歴史・時代
榎本艦隊北上せず。
それによって、戊辰戦争の流れが変わり、五稜郭の戦いは起こらず、土方歳三は戊辰戦争の戦野を生き延びることになった。
生き延びた土方歳三は、北の大地に屯田兵として赴き、明治初期を生き抜く。
また、五稜郭の戦い等で散った他の多くの男達も、史実と違えた人生を送ることになった。
そして、台湾出兵に土方歳三は赴いた後、西南戦争が勃発する。
土方歳三は屯田兵として、そして幕府歩兵隊の末裔といえる海兵隊の一員として、西南戦争に赴く。
そして、北の大地で再生された誠の旗を掲げる土方歳三の周囲には、かつての新選組の仲間、永倉新八、斎藤一、島田魁らが集い、共に戦おうとしており、他にも男達が集っていた。
(「小説家になろう」に投稿している「新選組、西南戦争へ」の加筆修正版です)