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鋼鉄の城塞
防空屋という異物
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若狭の設計が正式に動き出してから
黒崎哲郎の机の周囲は、目に見えて静かになった。
物理的に人が減ったわけではない。技術本部の設計室は相変わらず忙しく
製図台の並ぶ室内には昼夜を問わず将校や技官が出入りしている。
ただ、黒崎の周囲だけ、会話が途切れるのだ。
必要な報告は簡潔に、雑談はない。視線だけが、時折刺さる。
異物を見る目だった。
「中佐、次の検討会ですが」
声をかけてきたのは、技術本部付きの若い大尉、設楽信吾だった。
砲術畑出身で、まだ三十に届かない。
「航空本部との合同です。先方の代表は、浜田少佐だそうです」
黒崎は手元の図面から目を上げずに答えた。
「分かりました。資料はいつも通りでいい」
設楽は一瞬ためらったが、意を決したように口を開いた。
「正直に言いますと……かなり荒れると思います」
「いつも荒れている」
黒崎は淡々と返す。
「ですが今回は、航空主兵論の急先鋒が来ると聞いています。
浜田少佐は、陸上機動部隊構想の中心人物で」
「なおさらだ」
黒崎はペンを置き、設楽を見た。
「彼らが正しいと思っているなら、なおさら、数字で否定する必要がある」
設楽は苦笑し、小さく敬礼して去っていった。
合同検討会は、予想通り、最初から険悪だった。
「艦は、空の前では無力だ」
開口一番、浜田秀明少佐はそう言い切った。鋭い目つきで、黒崎を正面から見据えている。
「これからの戦争は、速度と高度だ。
装甲や砲の時代は終わる。君の設計は、過去への執着に過ぎない」
「過去の兵器が、未来の兵器を撃ち落とせない理由はありません」
黒崎は即座に返した。
「現に、対空射撃の命中率は、探知と指揮の改善で向上しています。
問題は、艦がそれを前提に設計されていないことです」
「だから艦を変えると?」
「そうです」
浜田は鼻で笑った。
「艦を変えるより、航空機を増やす方が早い」
「その航空機を、どれだけ失うつもりですか」
空気が凍った。
黒崎は資料をめくり、一枚の表を示す。
「迎撃率四割。残りも、多くが兵装投棄で帰投不能。損耗率は、許容範囲を超えます」
「仮定だ」
「仮定です。しかし、試算です」
二人の視線が交差する。その間に、誰も割って入らなかった。
結局、結論は出なかった。いつものことだ。
会議後、廊下で浜田に呼び止められた。
「君は、本気で空を否定する気か」
「否定していません。制御しようとしているだけです」
「制御できると思っているのか」
「できると証明します」
浜田はしばらく黒崎を見つめ、それから低い声で言った。
「君は敵を作る」
「承知しています」
浜田はそれ以上何も言わず、踵を返した。
その日の夕方、黒崎は思いがけない呼び出しを受けた。
連合艦隊司令部。応接室に通されると、すでに一人の男が待っていた。
山本五十六だった。
「座りたまえ」
促され、黒崎は正面に腰を下ろす。
「君の評判は、両極端だな」
山本は煙草に火をつけながら言った。
「革新者だという者もいれば、厄介者だという者もいる」
「どちらでも構いません」
黒崎は率直に答えた。
「必要なのは、結果です」
山本は煙を吐き、微かに笑った。
「航空主兵論者たちは、君を危険視している。
だが私は、彼らが危険視する人物に興味がある」
「光栄です」
「ただし、勘違いするな。私は航空を捨てるつもりはない」
「承知しています」
「だからこそ聞く。君の防空構想は、航空と共存できるのか」
黒崎は一拍置いてから答えた。
「共存できます。ただし、航空が万能だという幻想を捨てる必要があります」
山本はしばらく黙り込み、それから短く頷いた。
「続けたまえ」
その一言で、黒崎の背後に最低限の庇護が生まれた。
設計はさらに進んだ。
防空指揮所の配置、電探室の防護、射撃盤の冗長化。
技官の一人、三宅啓介技師少佐は、夜遅くまで黒崎と議論を重ねた。
「人の判断を排するのは、危険ではありませんか」
「危険です」
黒崎は即答した。
「ですが、人が判断する時間がない状況では、機械の方が早い」
「責任は誰が負うのです」
「私です」
黒崎は迷いなく言った。
その覚悟が、少しずつ周囲を動かしていった。
一方で、外では別の動きが始まっていた。
呉に出入りする外国船舶の数が、目に見えて増えていたのだ。
表向きは商船、調査船。しかし、電波の動きが不自然だった。
「中佐、傍受記録です」
通信士官の片桐孝一中尉が持ってきた報告書を、黒崎は食い入るように見た。
「この周波数……米国ですね」
「はい。しかも、断続的にこちらを掃いています」
黒崎は眉をひそめた。
「まだ艦影もないというのに」
「勘のいい相手です」
片桐は苦々しげに言った。
黒崎は決断した。
「試験用電探の使用を制限する。ダミー信号を準備しろ」
「了解しました」
若狭は、まだ存在していない。だが、その影は、すでに太平洋を越えつつあった。
夜、設計室に一人残った黒崎は、暗い窓に映る自分の姿を見つめた。
防空屋という異物。
そう呼ばれることに、もう抵抗はなかった。
この艦が完成したとき、誰が正しかったかは、はっきりする。
それまでに、どれだけ敵を作ろうと構わない。
黒崎哲郎は、静かに次の図面を広げた。
若狭は、まだ紙の上にしか存在しない。
だがその思想は、確実に、艦隊の中枢へと入り込み始めていた。
黒崎哲郎の机の周囲は、目に見えて静かになった。
物理的に人が減ったわけではない。技術本部の設計室は相変わらず忙しく
製図台の並ぶ室内には昼夜を問わず将校や技官が出入りしている。
ただ、黒崎の周囲だけ、会話が途切れるのだ。
必要な報告は簡潔に、雑談はない。視線だけが、時折刺さる。
異物を見る目だった。
「中佐、次の検討会ですが」
声をかけてきたのは、技術本部付きの若い大尉、設楽信吾だった。
砲術畑出身で、まだ三十に届かない。
「航空本部との合同です。先方の代表は、浜田少佐だそうです」
黒崎は手元の図面から目を上げずに答えた。
「分かりました。資料はいつも通りでいい」
設楽は一瞬ためらったが、意を決したように口を開いた。
「正直に言いますと……かなり荒れると思います」
「いつも荒れている」
黒崎は淡々と返す。
「ですが今回は、航空主兵論の急先鋒が来ると聞いています。
浜田少佐は、陸上機動部隊構想の中心人物で」
「なおさらだ」
黒崎はペンを置き、設楽を見た。
「彼らが正しいと思っているなら、なおさら、数字で否定する必要がある」
設楽は苦笑し、小さく敬礼して去っていった。
合同検討会は、予想通り、最初から険悪だった。
「艦は、空の前では無力だ」
開口一番、浜田秀明少佐はそう言い切った。鋭い目つきで、黒崎を正面から見据えている。
「これからの戦争は、速度と高度だ。
装甲や砲の時代は終わる。君の設計は、過去への執着に過ぎない」
「過去の兵器が、未来の兵器を撃ち落とせない理由はありません」
黒崎は即座に返した。
「現に、対空射撃の命中率は、探知と指揮の改善で向上しています。
問題は、艦がそれを前提に設計されていないことです」
「だから艦を変えると?」
「そうです」
浜田は鼻で笑った。
「艦を変えるより、航空機を増やす方が早い」
「その航空機を、どれだけ失うつもりですか」
空気が凍った。
黒崎は資料をめくり、一枚の表を示す。
「迎撃率四割。残りも、多くが兵装投棄で帰投不能。損耗率は、許容範囲を超えます」
「仮定だ」
「仮定です。しかし、試算です」
二人の視線が交差する。その間に、誰も割って入らなかった。
結局、結論は出なかった。いつものことだ。
会議後、廊下で浜田に呼び止められた。
「君は、本気で空を否定する気か」
「否定していません。制御しようとしているだけです」
「制御できると思っているのか」
「できると証明します」
浜田はしばらく黒崎を見つめ、それから低い声で言った。
「君は敵を作る」
「承知しています」
浜田はそれ以上何も言わず、踵を返した。
その日の夕方、黒崎は思いがけない呼び出しを受けた。
連合艦隊司令部。応接室に通されると、すでに一人の男が待っていた。
山本五十六だった。
「座りたまえ」
促され、黒崎は正面に腰を下ろす。
「君の評判は、両極端だな」
山本は煙草に火をつけながら言った。
「革新者だという者もいれば、厄介者だという者もいる」
「どちらでも構いません」
黒崎は率直に答えた。
「必要なのは、結果です」
山本は煙を吐き、微かに笑った。
「航空主兵論者たちは、君を危険視している。
だが私は、彼らが危険視する人物に興味がある」
「光栄です」
「ただし、勘違いするな。私は航空を捨てるつもりはない」
「承知しています」
「だからこそ聞く。君の防空構想は、航空と共存できるのか」
黒崎は一拍置いてから答えた。
「共存できます。ただし、航空が万能だという幻想を捨てる必要があります」
山本はしばらく黙り込み、それから短く頷いた。
「続けたまえ」
その一言で、黒崎の背後に最低限の庇護が生まれた。
設計はさらに進んだ。
防空指揮所の配置、電探室の防護、射撃盤の冗長化。
技官の一人、三宅啓介技師少佐は、夜遅くまで黒崎と議論を重ねた。
「人の判断を排するのは、危険ではありませんか」
「危険です」
黒崎は即答した。
「ですが、人が判断する時間がない状況では、機械の方が早い」
「責任は誰が負うのです」
「私です」
黒崎は迷いなく言った。
その覚悟が、少しずつ周囲を動かしていった。
一方で、外では別の動きが始まっていた。
呉に出入りする外国船舶の数が、目に見えて増えていたのだ。
表向きは商船、調査船。しかし、電波の動きが不自然だった。
「中佐、傍受記録です」
通信士官の片桐孝一中尉が持ってきた報告書を、黒崎は食い入るように見た。
「この周波数……米国ですね」
「はい。しかも、断続的にこちらを掃いています」
黒崎は眉をひそめた。
「まだ艦影もないというのに」
「勘のいい相手です」
片桐は苦々しげに言った。
黒崎は決断した。
「試験用電探の使用を制限する。ダミー信号を準備しろ」
「了解しました」
若狭は、まだ存在していない。だが、その影は、すでに太平洋を越えつつあった。
夜、設計室に一人残った黒崎は、暗い窓に映る自分の姿を見つめた。
防空屋という異物。
そう呼ばれることに、もう抵抗はなかった。
この艦が完成したとき、誰が正しかったかは、はっきりする。
それまでに、どれだけ敵を作ろうと構わない。
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