異聞坊ノ岬沖海戦      此れは特攻作戦に非ず

みにみ

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終章 天の運命

総員退艦

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夜明けの沖縄沖、満身創痍の大和は
米駆逐隊の猛攻を受け、左舷に致命的な被雷を重ねた。
艦の傾斜は20度に達し、艦首は深く沈み込んでいた。
応急指揮所からは「傾斜復旧見込みなし」という絶望的な報告が届く中
伊藤整一長官は、ついに最後の、そして最も苦渋に満ちた命令を下した。


大和の艦橋は、すでに混乱の極みにあった。
浸水は止まらず、艦の傾斜は刻一刻と増していく。
司令官席で、伊藤長官は、その報せを静かに受け止めていた。
彼の顔には、疲労と、そして深い悲しみが刻まれていたが
その瞳の奥には、確固たる決意が宿っていた。

「総員退艦!」

伊藤長官の声は、艦橋の喧騒を切り裂くように響き渡った。
それは、日本海軍が誇る巨艦の、そして彼の命を賭した「天一号作戦」の
終焉を告げる命令だった。将兵たちは、一瞬の沈黙の後
その命令の意味を理解し、それぞれが自身の持ち場を離れ、脱出の準備を始めた。

命令を下した後、伊藤長官は、静かに司令室へと向かった。
彼は振り返ることなく、その扉を固く閉め、鍵をかけたのだ。
それは、彼がこの艦と運命を共にし、自らの意思で最期を迎えるという
揺るぎない決意の表れだった。彼は、部下たちに殉死を強いることを潔しとせず
自らの責務を全うする道を選んだのだ。


有賀幸作艦長もまた、伊藤長官と同様に、艦と運命を共にすることを決意していた。
彼は、戦闘艦橋に残り、最後の瞬間まで指揮を執る覚悟だった。
その表情には、一切の迷いがなかった。
彼の任務は、この巨艦と共に沈むことで
日本海軍の魂と誇りを守ることだと考えていたのだ。

一方、森下信衛参謀長は、異なる決断を下していた。
彼は、伊藤長官の意図を汲み、一人でも多くの乗組員を生還させることこそ
今、自身に課せられた責務だと理解していたのだ。

「総員、退艦だ! 落ち着いて行動せよ!」

森下参謀長の声が、混乱する艦内に響き渡る。
彼は、自らの身の安全を顧みず、脱出する乗組員たちの指揮を執り始めた。
彼らは、傾斜した甲板を滑り落ちないよう
必死に手すりや構造物にしがみつきながら、脱出経路へと向かっていった。


「推進器に巻き込まれないように、右舷側の側面を渡って海面に飛び込め!」

森下参謀長の指示が飛ぶ。すでに傾斜した大和の左舷から海に飛び込めば
どれだけ被雷しようとも稼働している推進器に巻き込まれる危険性があった。
乗組員たちは、その指示に従い
傾斜した甲板を必死に右舷側へと横断した。
彼らは、救命胴衣を身につけ、あるいは甲板上の浮遊物を掴みながら
次々と高所から黒い海面へと身を投げた。

ドォォン! ドォォン!

彼らが海に飛び込む音は、艦内から聞こえる浸水音と
軋む鋼鉄の音、そして遠くで続く砲声にかき消されていった。
海面には、救助を求める声と、油の匂いが漂い始めていた。

その間にも、大和の艦の傾斜は、刻一刻と増加していった。
 左舷への浸水は止まらず、艦体は重力に引かれるように
ゆっくりと、しかし確実に傾いていく。

「傾斜、25度!」
「傾斜、30度!」

報告が続くたびに、乗組員たちの表情に絶望の色が深まる。
甲板上を歩くことすら困難になり
将兵たちは手すりや壁にしがみついて移動せざるを得なかった。

総員退艦が命令されてから、わずか10分後のことだった。

「傾斜、40度!」

その報告に、艦橋にいたわずかな将兵たちは、息を呑んだ。
傾斜は、わずか10分間で、それまでの2倍にまで達していたのだ。

その時、衝撃が走った。

ドォォォン……ゴォォォ……

大和の、巨大な主砲塔が、その自重に耐えきれず
軋むような音を立てて滑り始めたのだ。 巨大な砲身は
すでに右舷を向いていたが、その重みに耐えきれず
ゆっくりと、しかし確実に、左舷側に回っていった。 
それは、大和の構造が、ついに限界に達したことを示す
痛ましい光景だった。砲塔の動きに伴い、艦全体がさらに大きく傾ぐ。

さらに、艦の内部からも、新たな報せが届いた。

「四番副砲塔付近で火災発生! 鎮火不能!」

副砲塔の付近から、煙と炎が噴き上がっているのが見えた。
既に多くの区画が浸水し、消火活動もままならない状況では
その火災を鎮める術はなかった。


「たとえ世界最大最強の戦艦大和であっても、天の運命には逆らえないのか……」

誰かが呟いた声が、艦橋に静かに響いた。
かつて「不沈艦」と謳われた大和は、今、その巨大な艦体を
自然の力と敵の猛攻の前に晒し
ゆっくりと、しかし確実に沈みゆく運命を受け入れようとしていた。

陽が完全に昇り、明るくなった沖縄の海は
大和の最後の姿を容赦なく照らし出していた。傾斜した巨艦は
まるで最後の抵抗をするかのように、その砲身を空に向けたまま
静かに、そして確実に深淵へと沈み込んでいく。
それは、日本の誇りと技術の象徴が
今まさにその終焉を迎えようとしている、悲劇的な光景だった。
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