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第五章「盲愛の寺」
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「どうした、まだ何かあるのか?」
「さすれば……」と、今度は言いにくそうに信忠が口を開いた、「北畠の中将のことにござりまするが………………」
殿の顔が、酷く険しくなった。
「あの〝うつけ〟がどうした?」
北畠信意こと、信忠の実弟信雄は、殿に断りなく兵を動かし伊賀を攻撃、これに逆襲に遭い、這う這うの体で逃げ帰り、怒った殿が謹慎を言い渡していた ―― 本当は追放の憂き目にあうところを連枝衆信包の口添えで、なんとか謹慎で免れた。
「大殿より謹慎を言い渡され、はや半年……、大殿のお怒りは御尤もでござりまするが、そろそろお許しをいただけまいかと………………」
「ならん」、即答である、「あれは、儂の命に反し、かつ断りなく伊州に攻め込んだのだぞ?」
「中将には、中将の考えがありましょう」
「その浅はかな考えで、いったい何人のものが無駄死にした? 本来ならば腹を切るか、追放のところを、三十郎(織田信包)らがいうので、何とか謹慎にしてやったのだぞ? それを半年あまりで許せと? あやつはなんも反省しておらんではないか!」
「重々反省はしておりまする、ずっと屋敷に籠り、写経をし、禅を組み、大殿からお許しがあるのをひたすら待っておりまする。その顔は青白く、やせ細り、目も虚ろで、正直見えておられません」
「おぬし、会ったのか?」
「お許しをいただけまいかと、安土まで赴いておりまする」
「あの〝うつけ〟! 謹慎しておらんではないか! だから、〝おおうつけ〟なのじゃ! 顔も見とうもないわ! 追い返せ! 二度と顔を見せるなと言え!」
殿の怒鳴り声、久しぶりである。
耳がきんきんするが、なぜか心地よい。
「お怒りは重々承知、されど、そこを何とか……」
信忠は、ひたすら頭を下げる。
「儂の言うことをきかないということは、織田家当主であるそなたの言うこともきかないということだぞ? 一門のものが、しかも弟が兄の言うこときかぬなど、あってはならぬ! あれは、おぬしの家臣ぞ! これこそ、下剋上の最たるものではないか、違うか、新伍(利治)!」
「それとこれとは……、別儀にござりまする」
「なにが、別儀じゃ! おなじであろうが!」
「大殿、中将は確かに某の家臣にござりまする」、信忠が進み出る、「ですが、某の血を分けた弟にもござりまする。されば、三介(信雄)の兄として申し上げまする。あれのやつれ果てた姿、兄としてこれ以上見ておられませぬ!」
「織田家の当主として、そんな甘っちょろい考えでどうするか! 弟であっても、切り捨てるときは切り捨てよ!」
「父上は、また同じ過ちをなさいまするか!」
「何を!?」
「また、跡目争いで血を流されるや? ここで三介が追い詰められ、何らかの行動に移せば、右衛門尉らがこれ幸いにと担ぎ上げ、織田家に反旗を翻すやもしれませぬぞ。父上は、某に弟を討てと申されるか? 天下泰平を目の前にして、織田家を再び混乱に陥れられるおつもりや?」
殿の歯ぎしりの音だけが響き渡る。
「父上、ここは何卒、何卒、三介をお許しくだされ。これは、織田家当主としてではなく、父上の長男、三介の兄として、何卒、何卒、お許しを………………」
目の端にうっすらと涙を滲ませながら、信忠は床に擦りつけるように頭を下げた。
「恐れながら、某も跡目争いで苦汁を舐めました。殿には、斯様なことで頭を悩まされることがなきよう、何卒………………」
利治も頭を下げる。
殿は、しばらくふたりを睨みつけていたが、そのうち、全身の力が抜けていくほどのため息を吐いた後、
「分かった、勘九郎(信忠)、おぬしの好きにせい!」
と、力なく言った。
顔をあげた信忠は、満面の笑みであった。
「ありがたき幸せ。さすれば、早速三介を呼んで参りまする」
と、勇み出て行った。
その後姿を見ながら、
「変わらねばならぬものは、変えねばならぬ……か。あれも、言うようになったな………………」
その目は、父のそれであった。
しばらくして、信忠が信意を連れてきた。
もともと線の細く、ほっそりとした顔立ちであったが、なるほど可哀そうになるぐらいにやせ細り、まるで骸骨が歩いているようであった。
信意は、殿の前まで進み出ると、平伏し、ときに涙交じりに、此度の一件についてとうとうと詫びた。
殿は、そんな息子をじっと眺めていたが、
「もう良い」
と、信意を止めた。
「これ以上、おぬしの詫び言を聞いて何になろう。もう良い」
「ありがたき幸せ」
と、信意は涙を流していた。
「儂ではないぞ、礼を言う相手は。勘九郎に十分に礼を言い、今後は心根を入れ替え、勘九郎のために尽くせよ」
「もちろんにござりまする。二度と、大殿、殿のお許しなく、兵は動かしませぬ」
「当り前じゃ、〝うつけ〟が!」と、また怒られた、「……とは言うものの……、負けてばかりでは、織田家の名が立たん。伊賀は、少し痛い目を合わせなければなるまいな」
「攻めまするか?」
信忠の言葉に、殿は、
「そのうち……」
「さすれば、その際は、何卒某を総大将に………………」
と、信意。
殿は、信意をきっと睨みつけ、
「今度はしくじるなよ」
「も、もちろんにござりまする」
信意は身震いしていた。
ともかく、北畠信意の謹慎も解け、安土に新たに屋敷もあてがわれた。
翌々日には、相撲が催され、久しぶりに織田一門の方々が集まって見物した。
誰もが、信意の謹慎が解かれたのを祝い、相撲を心から楽しんでいた。
「さすれば……」と、今度は言いにくそうに信忠が口を開いた、「北畠の中将のことにござりまするが………………」
殿の顔が、酷く険しくなった。
「あの〝うつけ〟がどうした?」
北畠信意こと、信忠の実弟信雄は、殿に断りなく兵を動かし伊賀を攻撃、これに逆襲に遭い、這う這うの体で逃げ帰り、怒った殿が謹慎を言い渡していた ―― 本当は追放の憂き目にあうところを連枝衆信包の口添えで、なんとか謹慎で免れた。
「大殿より謹慎を言い渡され、はや半年……、大殿のお怒りは御尤もでござりまするが、そろそろお許しをいただけまいかと………………」
「ならん」、即答である、「あれは、儂の命に反し、かつ断りなく伊州に攻め込んだのだぞ?」
「中将には、中将の考えがありましょう」
「その浅はかな考えで、いったい何人のものが無駄死にした? 本来ならば腹を切るか、追放のところを、三十郎(織田信包)らがいうので、何とか謹慎にしてやったのだぞ? それを半年あまりで許せと? あやつはなんも反省しておらんではないか!」
「重々反省はしておりまする、ずっと屋敷に籠り、写経をし、禅を組み、大殿からお許しがあるのをひたすら待っておりまする。その顔は青白く、やせ細り、目も虚ろで、正直見えておられません」
「おぬし、会ったのか?」
「お許しをいただけまいかと、安土まで赴いておりまする」
「あの〝うつけ〟! 謹慎しておらんではないか! だから、〝おおうつけ〟なのじゃ! 顔も見とうもないわ! 追い返せ! 二度と顔を見せるなと言え!」
殿の怒鳴り声、久しぶりである。
耳がきんきんするが、なぜか心地よい。
「お怒りは重々承知、されど、そこを何とか……」
信忠は、ひたすら頭を下げる。
「儂の言うことをきかないということは、織田家当主であるそなたの言うこともきかないということだぞ? 一門のものが、しかも弟が兄の言うこときかぬなど、あってはならぬ! あれは、おぬしの家臣ぞ! これこそ、下剋上の最たるものではないか、違うか、新伍(利治)!」
「それとこれとは……、別儀にござりまする」
「なにが、別儀じゃ! おなじであろうが!」
「大殿、中将は確かに某の家臣にござりまする」、信忠が進み出る、「ですが、某の血を分けた弟にもござりまする。されば、三介(信雄)の兄として申し上げまする。あれのやつれ果てた姿、兄としてこれ以上見ておられませぬ!」
「織田家の当主として、そんな甘っちょろい考えでどうするか! 弟であっても、切り捨てるときは切り捨てよ!」
「父上は、また同じ過ちをなさいまするか!」
「何を!?」
「また、跡目争いで血を流されるや? ここで三介が追い詰められ、何らかの行動に移せば、右衛門尉らがこれ幸いにと担ぎ上げ、織田家に反旗を翻すやもしれませぬぞ。父上は、某に弟を討てと申されるか? 天下泰平を目の前にして、織田家を再び混乱に陥れられるおつもりや?」
殿の歯ぎしりの音だけが響き渡る。
「父上、ここは何卒、何卒、三介をお許しくだされ。これは、織田家当主としてではなく、父上の長男、三介の兄として、何卒、何卒、お許しを………………」
目の端にうっすらと涙を滲ませながら、信忠は床に擦りつけるように頭を下げた。
「恐れながら、某も跡目争いで苦汁を舐めました。殿には、斯様なことで頭を悩まされることがなきよう、何卒………………」
利治も頭を下げる。
殿は、しばらくふたりを睨みつけていたが、そのうち、全身の力が抜けていくほどのため息を吐いた後、
「分かった、勘九郎(信忠)、おぬしの好きにせい!」
と、力なく言った。
顔をあげた信忠は、満面の笑みであった。
「ありがたき幸せ。さすれば、早速三介を呼んで参りまする」
と、勇み出て行った。
その後姿を見ながら、
「変わらねばならぬものは、変えねばならぬ……か。あれも、言うようになったな………………」
その目は、父のそれであった。
しばらくして、信忠が信意を連れてきた。
もともと線の細く、ほっそりとした顔立ちであったが、なるほど可哀そうになるぐらいにやせ細り、まるで骸骨が歩いているようであった。
信意は、殿の前まで進み出ると、平伏し、ときに涙交じりに、此度の一件についてとうとうと詫びた。
殿は、そんな息子をじっと眺めていたが、
「もう良い」
と、信意を止めた。
「これ以上、おぬしの詫び言を聞いて何になろう。もう良い」
「ありがたき幸せ」
と、信意は涙を流していた。
「儂ではないぞ、礼を言う相手は。勘九郎に十分に礼を言い、今後は心根を入れ替え、勘九郎のために尽くせよ」
「もちろんにござりまする。二度と、大殿、殿のお許しなく、兵は動かしませぬ」
「当り前じゃ、〝うつけ〟が!」と、また怒られた、「……とは言うものの……、負けてばかりでは、織田家の名が立たん。伊賀は、少し痛い目を合わせなければなるまいな」
「攻めまするか?」
信忠の言葉に、殿は、
「そのうち……」
「さすれば、その際は、何卒某を総大将に………………」
と、信意。
殿は、信意をきっと睨みつけ、
「今度はしくじるなよ」
「も、もちろんにござりまする」
信意は身震いしていた。
ともかく、北畠信意の謹慎も解け、安土に新たに屋敷もあてがわれた。
翌々日には、相撲が催され、久しぶりに織田一門の方々が集まって見物した。
誰もが、信意の謹慎が解かれたのを祝い、相撲を心から楽しんでいた。
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