本能寺燃ゆ

hiro75

文字の大きさ
455 / 498
第五章「盲愛の寺」

68

しおりを挟む
「どうした、まだ何かあるのか?」

「さすれば……」と、今度は言いにくそうに信忠が口を開いた、「北畠の中将のことにござりまするが………………」

 殿の顔が、酷く険しくなった。

「あの〝うつけ〟がどうした?」

 北畠信意こと、信忠の実弟信雄は、殿に断りなく兵を動かし伊賀を攻撃、これに逆襲に遭い、這う這うの体で逃げ帰り、怒った殿が謹慎を言い渡していた ―― 本当は追放の憂き目にあうところを連枝衆信包の口添えで、なんとか謹慎で免れた。

「大殿より謹慎を言い渡され、はや半年……、大殿のお怒りは御尤もでござりまするが、そろそろお許しをいただけまいかと………………」

「ならん」、即答である、「あれは、儂の命に反し、かつ断りなく伊州に攻め込んだのだぞ?」

「中将には、中将の考えがありましょう」

「その浅はかな考えで、いったい何人のものが無駄死にした? 本来ならば腹を切るか、追放のところを、三十郎(織田信包)らがいうので、何とか謹慎にしてやったのだぞ? それを半年あまりで許せと? あやつはなんも反省しておらんではないか!」

「重々反省はしておりまする、ずっと屋敷に籠り、写経をし、禅を組み、大殿からお許しがあるのをひたすら待っておりまする。その顔は青白く、やせ細り、目も虚ろで、正直見えておられません」

「おぬし、会ったのか?」

「お許しをいただけまいかと、安土まで赴いておりまする」

「あの〝うつけ〟! 謹慎しておらんではないか! だから、〝おおうつけ〟なのじゃ! 顔も見とうもないわ! 追い返せ! 二度と顔を見せるなと言え!」

 殿の怒鳴り声、久しぶりである。

 耳がきんきんするが、なぜか心地よい。

「お怒りは重々承知、されど、そこを何とか……」

 信忠は、ひたすら頭を下げる。

「儂の言うことをきかないということは、織田家当主であるそなたの言うこともきかないということだぞ? 一門のものが、しかも弟が兄の言うこときかぬなど、あってはならぬ! あれは、おぬしの家臣ぞ! これこそ、下剋上の最たるものではないか、違うか、新伍(利治)!」

「それとこれとは……、別儀にござりまする」

「なにが、別儀じゃ! おなじであろうが!」

「大殿、中将は確かに某の家臣にござりまする」、信忠が進み出る、「ですが、某の血を分けた弟にもござりまする。されば、三介(信雄)の兄として申し上げまする。あれのやつれ果てた姿、兄としてこれ以上見ておられませぬ!」

「織田家の当主として、そんな甘っちょろい考えでどうするか! 弟であっても、切り捨てるときは切り捨てよ!」

「父上は、また同じ過ちをなさいまするか!」

「何を!?」

「また、跡目争いで血を流されるや? ここで三介が追い詰められ、何らかの行動に移せば、右衛門尉らがこれ幸いにと担ぎ上げ、織田家に反旗を翻すやもしれませぬぞ。父上は、某に弟を討てと申されるか? 天下泰平を目の前にして、織田家を再び混乱に陥れられるおつもりや?」

 殿の歯ぎしりの音だけが響き渡る。

「父上、ここは何卒、何卒、三介をお許しくだされ。これは、織田家当主としてではなく、父上の長男、三介の兄として、何卒、何卒、お許しを………………」

 目の端にうっすらと涙を滲ませながら、信忠は床に擦りつけるように頭を下げた。

「恐れながら、某も跡目争いで苦汁を舐めました。殿には、斯様なことで頭を悩まされることがなきよう、何卒………………」

 利治も頭を下げる。

 殿は、しばらくふたりを睨みつけていたが、そのうち、全身の力が抜けていくほどのため息を吐いた後、

「分かった、勘九郎(信忠)、おぬしの好きにせい!」

 と、力なく言った。

 顔をあげた信忠は、満面の笑みであった。

「ありがたき幸せ。さすれば、早速三介を呼んで参りまする」

 と、勇み出て行った。

 その後姿を見ながら、

「変わらねばならぬものは、変えねばならぬ……か。あれも、言うようになったな………………」

 その目は、父のそれであった。

 しばらくして、信忠が信意を連れてきた。

 もともと線の細く、ほっそりとした顔立ちであったが、なるほど可哀そうになるぐらいにやせ細り、まるで骸骨が歩いているようであった。

 信意は、殿の前まで進み出ると、平伏し、ときに涙交じりに、此度の一件についてとうとうと詫びた。

 殿は、そんな息子をじっと眺めていたが、

「もう良い」

 と、信意を止めた。

「これ以上、おぬしの詫び言を聞いて何になろう。もう良い」

「ありがたき幸せ」

 と、信意は涙を流していた。

「儂ではないぞ、礼を言う相手は。勘九郎に十分に礼を言い、今後は心根を入れ替え、勘九郎のために尽くせよ」

「もちろんにござりまする。二度と、大殿、殿のお許しなく、兵は動かしませぬ」

「当り前じゃ、〝うつけ〟が!」と、また怒られた、「……とは言うものの……、負けてばかりでは、織田家の名が立たん。伊賀は、少し痛い目を合わせなければなるまいな」

「攻めまするか?」

 信忠の言葉に、殿は、

「そのうち……」

「さすれば、その際は、何卒某を総大将に………………」

 と、信意。

 殿は、信意をきっと睨みつけ、

「今度はしくじるなよ」

「も、もちろんにござりまする」

 信意は身震いしていた。

 ともかく、北畠信意の謹慎も解け、安土に新たに屋敷もあてがわれた。

 翌々日には、相撲が催され、久しぶりに織田一門の方々が集まって見物した。

 誰もが、信意の謹慎が解かれたのを祝い、相撲を心から楽しんでいた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ

朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】  戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。  永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。  信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。  この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。 *ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。

四代目 豊臣秀勝

克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。 読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。 史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。 秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。 小牧長久手で秀吉は勝てるのか? 朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか? 朝鮮征伐は行われるのか? 秀頼は生まれるのか。 秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?

滝川家の人びと

卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。 生きるために走る者は、 傷を負いながらも、歩みを止めない。 戦国という時代の只中で、 彼らは何を失い、 走り続けたのか。 滝川一益と、その郎党。 これは、勝者の物語ではない。 生き延びた者たちの記録である。

【アラウコの叫び 】第1巻/16世紀の南米史

ヘロヘロデス
歴史・時代
【毎日07:20投稿】 1500年以降から300年に渡り繰り広げられた「アラウコ戦争」を題材にした物語です。 マプチェ族とスペイン勢力との激突だけでなく、 スペイン勢力内部での覇権争い、 そしてインカ帝国と複雑に様々な勢力が絡み合っていきます。 ※ 現地の友人からの情報や様々な文献を元に史実に基づいて描かれている部分もあれば、 フィクションも混在しています。 また動画制作などを視野に入れてる為、脚本として使いやすい様に、基本は会話形式で書いています。 HPでは人物紹介や年表等、最新話を先行公開しています。 公式HP:アラウコの叫び youtubeチャンネル名:ヘロヘロデス insta:herohero_agency tiktok:herohero_agency

織田信長 -尾州払暁-

藪から犬
歴史・時代
織田信長は、戦国の世における天下統一の先駆者として一般に強くイメージされますが、当然ながら、生まれついてそうであるわけはありません。 守護代・織田大和守家の家来(傍流)である弾正忠家の家督を継承してから、およそ14年間を尾張(現・愛知県西部)の平定に費やしています。そして、そのほとんどが一族間での骨肉の争いであり、一歩踏み外せば死に直結するような、四面楚歌の道のりでした。 織田信長という人間を考えるとき、この彼の青春時代というのは非常に色濃く映ります。 そこで、本作では、天文16年(1547年)~永禄3年(1560年)までの13年間の織田信長の足跡を小説としてじっくりとなぞってみようと思いたった次第です。 毎週の月曜日00:00に次話公開を目指しています。 スローペースの拙稿ではありますが、お付き合いいただければ嬉しいです。 (2022.04.04) ※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。 ※アルファポリスの仕様上、「HOTランキング用ジャンル選択」欄を「男性向け」に設定していますが、区別する意図はとくにありません。

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

花嫁

一ノ瀬亮太郎
歴史・時代
征之進は小さい頃から市松人形が欲しかった。しかし大身旗本の嫡男が女の子のように人形遊びをするなど許されるはずもない。他人からも自分からもそんな気持を隠すように征之進は武芸に励み、今では道場の師範代を務めるまでになっていた。そんな征之進に結婚話が持ち込まれる。

処理中です...