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第四章
美味しい血と、そうでない血
しおりを挟む栗丘と絢永はほぼ同時にハッとして、声の聞こえた方に目を向ける。
出所は栗丘の胸ポケットで、そこからひょこりと白いもふもふが顔を覗かせた。
「キュー……じゃなくて、御影さん!? 意識が戻ったんですか!?」
わたわたと両手を戦慄かせながら栗丘が言う。
「みっ、御影さん! ごめんなさい、僕のせいであんな大怪我を……!」
同じく絢永が口から泡を吹きそうな勢いで謝罪すると、
「あっはっはっは。まあ、そう慌てないでよ」
久方ぶりに耳にした、軽快な笑い声。
思いのほか元気そうなその様子に、栗丘はホッと胸を撫で下ろした。
「二人とも、無事に仲直りできたみたいで何よりだよ。それで、大晦日の作戦についてだけどね」
「いやいやいやいやいや、ちょっと待ってくださいよ! なんでそんなにあっさりしてるんですか!?」
絢永がつっこむと、御影の操る白い獣は不思議そうに小首を傾げる。
「うん? どうしたんだい。私の挙動に何かおかしな点でもあるのかな」
「大アリですよ! だって僕は……もう少しで、あなたを殺してしまうところだったのに……」
言いながら、絢永はまたもや泣きそうな顔で下唇を噛む。
対する御影はいつものようにふふっと笑うと、胸ポケットから床に飛び降りて、後ろ足だけでその場に立ち、円らな瞳で絢永を見上げた。
「大丈夫だよ。私はこの通り無事だったし、栗丘くんも怒ってないんだろう? 絢永くんが心配することは何もないよ」
「で、でも」
「君があの蛇に憑かれた時点で、こうなることは大方予想がついていたんだ。私の式神であの場を防げていたら、何も問題はなかったんだけどね。さすがに、キュー太郎くんの霊体では実弾に対処することはできなかったんだよ。今回のようなケースを事前に予測して、あらかじめ準備しておくのは私の仕事だからね。それができなかったのは、他でもない私の落ち度だ。負傷したのも、私の自業自得だよ」
どこまでも自分に厳しいその姿勢を見ると、さすがは警視長の地位まで登った人物だと、栗丘は改めて感じさせられる。
「というわけで! そろそろ本題に入ろうか。実は、大晦日の夜の対抗案は二つ考えていてね。どちらを採用するかは君たちに決めてもらいたいんだよ」
「俺たちに、ですか?」
白いふわふわは今度はリビングの中央まで走ると、ソファの前にあるテーブルに飛び乗った。
栗丘はようやく部屋の灯りを点けて御影の後を追い、絢永もその後ろに続く。
そのまま御影に促され、二人はソファに腰を下ろした。
「先におさらいをしておこう。今年の百鬼夜行は例年とは一味違う。十年に一度、我々人間の命を脅かす強大なあやかしが、門を通ってこちらの世界へと干渉してくる。正直言って、あの化け物と真正面からやり合っても、こちらに勝ち目はないだろう。だからこそ、我々は事前にしっかりと作戦を立てておかないといけない」
「あの、一つ質問してもいいですか?」
栗丘が躊躇いがちに聞いて、御影は「どうぞ」と軽い調子で了承する。
「その強大なあやかしは、十年に一度必ず現れるんですよね? 二十年前に俺の両親が襲われて、十年前は絢永の家族が犠牲になった……。なら、その前はどうだったんです? やっぱり十年ごとに大きな被害が出ていたんですか? 世間にはあまり知られていないだけで」
「良い所に気が付いたねぇ」
そう言って、御影は感心したように頷く。
「実はね、三十年前までは、これといって大きな被害はなかったんだよ」
「えっ……?」
予想外の答えに、栗丘と絢永は同時に眉を顰める。
「大晦日の夜に百鬼夜行が起こりやすいという事実は昔からあったけど、三十年前までは、警察がある程度の人数を配備して警戒していれば、特に大きな問題が起こることはなかったんだ。あの巨大なあやかしが力を持ち始めたのは、ちょうど二十年前からなんだよ」
「二十年前から、急に強くなったってことですか? 一体どうして」
絢永が聞くと、白いふわふわは少しだけ言い淀んでから、やがて栗丘の方へ顔を向けて言った。
「栗丘くんの、父親の血が美味しかったからさ」
言われたことの意味がわからず、怪訝な顔をする栗丘の隣で、絢永は何か思い当たったように顎に手を当てた。
「前にも言ったけど、人間の血には種類がある。あやかしにとって美味しいと感じる血と、そうでない血。美味しいと感じるのはつまり、それだけあやかしにとって有益だということさ。有益な血を手に入れたあやかしは、それだけ力を蓄えることができる。だから……栗丘瑛太の体を手に入れた例のあやかしは、恐ろしいほどに強大な力を持ってしまったのさ」
「それって……」
やっと事態を飲み込めた栗丘は、みるみるうちに顔を青ざめさせる。
「それってつまり、俺の父親のせいで、あんな事件が起こったってことですか?」
「いや。彼だけの責任じゃない。当時は彼の血がどれほどあやかしに影響するのかはわかっていなかったし、そうなることを予測できなかった警察の体制自体に落ち度があった。それに何より……私は、彼があやかしから狙われやすい体質だと知りながら、何の対策もしていなかった。目の前で襲われる彼を、ただ見ていることしかできなかった。恨むなら彼ではなく、私を恨んでほしい」
白い獣は相変わらず円らな瞳でこちらを見つめているが、その体の向こうに存在する御影は、わずかに顔を曇らせたように栗丘には感じられた。
「あやかしが好む血は、あやかしにとってこれ以上にない恵みをもたらす。けれど逆に言えば、あやかしが嫌う血は、それだけ彼らにとって有害となる。私が考えた二つの対抗案は、まさにこの点を踏まえているんだよ。栗丘瑛太の血に対抗するなら、それ相応の毒を持つ体を差し出せばいい」
「待ってください」
唐突に、絢永が制止をかけた。
「あやかしの嫌う血って、御影さん、あなたのことですよね。まさか……」
「察しが良いね。さすがは絢永くんだ」
御影は満足そうにふふっと笑う。
ひとり置いてけぼりを食らった栗丘は「どういうことですか?」と二人を見やる。
「私の血は、とても不味いんだ。それこそ、あやかしにとっては猛毒に匹敵するらしい。君たちに渡した銃の弾や札にも、私の血をたっぷりと練り込んである。それだけ殺傷能力のある血が、私の体には流れているんだよ」
その言葉で、栗丘は以前絢永が言っていたことを思い出した。
——この銃の弾は特別な手法で作られていて、量産できないものですから無駄撃ちはできません。撃つ時は相手の急所を狙って、一撃で仕留めないと。
絢永が無駄撃ちを避けていた理由。
それは、原材料に御影の血液が必須だったからだ。
「私の血があやかしにとって猛毒なら、私の血がたっぷり詰まったこの体は、おそらくこれ以上にない強力な爆弾となるだろう。私が門を通ってあちらの世界へ行き、巨大なあやかしに自ら喰われること。それが、対抗案として考えた一つ目の方法さ」
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