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Chapter #1
ブリスベン空港にて①
しおりを挟む約八時間の空の旅を終え、飛行機はついに目的の地へとたどり着いた。
オーストラリア——の中でもここはブリスベンという都市で、国の中では三番目に人口が多いらしい。
日本でいう名古屋みたいなものだと舞恋は言うけれど、地理にも弱い私にはピンと来なかった。
飛行機の中ではあまり眠れなかったため、私は寝不足のまま空港のロビーへと足を運んだ。
対して舞恋はよく眠れたらしく、清々しい表情で辺りを物珍しそうに眺めている。
「おおー、見事に外国人しかいないよ。日本人っぽいのもいると思ったら中国語を話してたし!」
興奮気味な彼女の声を耳にしながら、私は寝惚け眼を周囲へと巡らせた。
言語も、肌や髪の色も、顔の造りも全然違う人たちが、それぞれの用事を済ませている。
家族や友人と談笑したり、ハグをしたり、荷物を漁ったり。
と、
「……みっ、みさきち、みさきちーー!!」
急に切羽詰まったような舞恋の叫び声を聞いて、私はすかさず彼女の方を振り返った。
「舞恋!?」
見ると、一瞬前まで私の隣にいたはずの舞恋が、いつのまにやら後方で空港のスタッフ二人に囲まれていた。
何か検査で引っかかりでもしたのか、どこかへ連れて行かれそうになっている。
「どうしたの、舞恋。何かヘンな薬でも持ってたの!?」
普段からやけにテンションが高いのはまさか……と青ざめる私に、
「んなわけないでしょ!! よくわかんないけど、何か『テスト』するとか言ってる! とにかく、私が戻るまで一人で先に行かないでよね!」
ギャーギャー喚きながら連行されていく舞恋の背中を見送って、私は一人そこに取り残された。
途端に、恐ろしく心細くなってくる。
まさか異国の地へ降り立った瞬間に、こうして孤立することになるなんて。
もし、今この状態で誰かに話しかけられたらどうしよう?
日本人ならまだいいが、その他の国の人だったら。
日本語が一切通じない外国人に絡まれたら一巻の終わりだ。
「…………」
とりあえず、できるだけ自分の存在感を消そうと、それとなく呼吸を浅くする。
そんなことをしたって何も意味はないのだけれど、いま私が精神を正常に保つためにはそれぐらいしかできなかった。
しかし、そんな私を嘲笑うかのように、
「Hi, こんにちはー」
と、背後から急に声を掛けられた。
びっくりして、私は今度こそ呼吸を止める。
男の人の声だった。
Hi. という挨拶はおそらく英語。
でも、その後の『こんにちは』は日本語?
(もしかして、日本人……?)
かすかな期待を抱きながら、意を決して恐る恐る後ろを振り返ってみる。
するとそこには、アジア系の男性——黒い髪に茶色の瞳、おそらくは私と同じ系統の肌をした、すらりと背の高い青年が立っていた。
その顔を見て、私は思わず息を呑む。
穏やかな微笑を浮かべた彼は、そこらのモデル雑誌に載っていてもおかしくないような、まごうことなきイケメンだったのだ。
「Are you OK?」
思わず見惚れていると、彼がそう質問してきた。その声で、私はやっと我に返る。
あーゆーおーけー?
大丈夫?
これくらいなら私でも聞き取れる。
「お、オーケーオーケー! あいむふぁいん!」
反射的にそう返してから、私はハッとした。
「って、あなたもしかして……日本人じゃないの!?」
思わず日本語で問い返すと、目の前の彼は優しげな表情のまま、不思議そうに小首を傾げる。
シュッとした輪郭に、通った鼻筋。
くっきりとした二重瞼の綺麗な瞳が、興味津々な様子で私を見下ろしていた。
一見すると日本人にしか見えないが、まさか外国の方だったとは。
「Hmm…... ×××× ××××, ×××. Haha!」
「え……」
まずい。
何一つ聞き取れない。
おそらくは英語……なのだろうけれど、まったくもって何を話しているのかわからない。
「Oh, ××××? ××××……」
たまに語尾が少し上がっているので、何か質問もしているらしい。
けれど何を質問されているのか理解できない以上、こちらは答えることもできない。
なんだろう。
何て言ったの??
せめて質問の部分だけでも聞き取らねば。
どうしよう。
嫌な汗で背中がびっしょりと濡れているのがわかる。
こんなとき、舞恋がいたら。
——聞き取れなかったときは、こう言えばいいの!
ふと、舞恋の声が脳裏で蘇る。
そうだ。
さっき、飛行機の中で彼女から重要なアドバイスを受けたのだ。
——ねえ、みさきち。イイこと教えてあげよっか。
——イイこと?
飛行機でのフライト中、舞恋は急に何かを思い出したように言って、私は最初それほど期待せずに聞いていた。
——魔法の言葉だよ。英会話で困ったときは、とにかくこれを使えばいいの。もしも相手の言葉を聞き逃しても、このフレーズを使えばもう一度同じことを言ってもらえるんだよ。
——そ、そんな便利なものがあるのっ?
予期せぬ朗報に、私は思わず姿勢を正す。
聞き逃した相手の言葉を、もう一度再生させることができる奇跡のフレーズ。
まさに魔法の言葉だ。
といっても、私の場合は何度聞き直したところで一向に解決しないような気もするのだけれど。
——ふっふっふ。いいかい、美咲くん。このフレーズだけはちゃんと覚えるんだよ。きっとキミの役に立つんだからね。
——う、うん。
おどけた調子で勿体ぶる舞恋をじれったく思いつつも、私は息を呑んで彼女の言葉を待つ。
——それで、そのフレーズっていうのは?
——『パードゥン』、だよ。
——……ぱーどぅん?
——そう。
言い終えるなり、舞恋はさも大役を果たしたといわんばかりのドヤ顔をした。
——ぱーどぅん……かあ。
私はその言葉を噛みしめるように口にした。
短い言葉だし、これくらいなら私でも覚えられそうだな、と。
そうだ。
今こそコレを使うべきじゃないのか。
目の前の彼が、いま私に求めている答え。
その手がかりが少しでも手に入るのなら、使うしかない。
「…………ぱ……」
緊張のあまり、声が上擦る。
やっとのことで口を開きかけた私の様子を、彼は優しげな目で見つめている。
そして、
「ぱ、ぱ……——pardon?」
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