異邦人と祟られた一族

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第四章 若月凛

さよならの日

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 夏が終わり、秋が過ぎると、やがて年の暮れが近づいてくる。

 ――その頃になったら、凛ちゃんも本家に連れてってやるよ。俺様が必ず迎えにいく。

 十二月になったら迎えに来てくれると、ギルバート様が言っていた。
 だから、年が暮れていくにつれて、私はいつかその日がやってくるのを心待ちにしていた。

 けれど、一つだけ引っかかることがあった。

 ――俺のことを、殺してほしい。

 転生するために、私に殺してほしいと彼は言っていた。
 その転生の時期というのは、ちょうど彼が私を迎えに来てくれる時期と重なっている。

 つまり私は、彼を殺すために、本家へ向かうことになるのだ。

「…………」

 そう思うと、途端に恐怖がこみ上げてくる。

 ギルバート様は必ず転生する――と、頭ではわかっていても、言い知れない不安が私の胸を蝕んでいく。

 でも。

 ――頼めるか?

 彼は、私を必要としてくれた。
 誰にも必要とされなかった私を。

 だから、彼が望むなら。
 私は、言われた通りにそれを成し遂げてみせる。

 たとえ私が殺しても、彼はきっと、いつか私のもとへと帰ってきてくれるはずだから――。





《二〇一一年十二月二十六日 京都府京都市》





 その日は雪が降っていた。

 朝。
 私の前に現れたギルバート様は、いつもの着流しの上から黒いコートを羽織っていた。
 高い背丈と、異国の色を持つ瞳のおかげで、その姿はどことなく教会の牧師さんのようにも見える。

 対する私は、父に着せてもらった喪服用のワンピースに身を包んでいた。
 父が言うには、本家に行くときは正装でないといけないらしい。

「待たせたねえ、凛ちゃん。そんじゃ、行こっか」

 約束通りに私を迎えに来てくれた彼は、そう言っていつもの無邪気な笑みを浮かべた。

 私はついにこの日がやってきたのだと、内心複雑な思いでいた。
 一体どんな顔をして良いのかわからず、私はただ黙って彼の顔を見上げていた。

 と、そこへ家の奥から父が見送りに出て来て、

「……ギルバート様。これを」

 何か菓子折りのようなものを差し出した。

「おっ、もしかして京みやげ?」

「……八ツ橋です」

 いつのまに用意していたのか。
 父がそれを手渡すと、ギルバート様はさも嬉しそうに箱の表面をまじまじと見つめていた。

 八ツ橋というのは、京都では有名な和菓子だ。
 京都へ観光に来た人は大抵、これを土産として買っていく。

 けれど私はそんなことよりも、父の意外な対応に驚いていた。
 普段は口数の少ない父が、こんなにも丁寧に挨拶をするのは珍しい。

「ありがとね、おっちゃん。列車の中でいただくよ」

 そう言って嬉しそうに笑うギルバート様の前で、父は相変わらずニコリともしなかった。





       ★





 列車の中で食べる――と、言っていたはずだけれど。

 いざ姫路行きの列車に乗り込むと、ギルバート様は窓の外をぼんやりと見つめたまま、八ツ橋には手を付けようとしなかった。
 普段は土産物に目がないという印象だったけれど、今日だけはいつもと様子が違う。

「ギルバートさま……?」

 隣の席から私が呼ぶと、彼はハッと我に返ったようにこちらを見た。

「ん。どしたの、凛ちゃん?」

 その声はどこか緊張した感じがあった。
 いつもは飄々としている彼がこんな風になるのは珍しい。

 私はなんだか嫌な予感がして、恐る恐る尋ねた。

「本家に着いたら、わたしは……ギルバートさまを殺すの?」

 そんな物騒な質問に、ギルバート様は苦笑して答える。

「ああ。今日中には終わらせるつもりだよ」

 やはり。
 嫌な予感が当たってしまった。

 本家に行ったら彼を殺さなければならない――と、前々から覚悟はしていたけれど。
 まさか到着したその日のうちに済ませなければならないなんて。

「日付が変わったら、俺は二十歳になっちゃうからな」

「……はたち?」

「俺様、明日が誕生日なんだよ。転生するためには、成人を迎える前に死ななきゃいけない。だから、日付が変わるまでには儀式を終わらせなきゃいけないんだ」

 二十歳の誕生日を迎えてしまったら、転生は成功しない。

 けれど私はそんなことよりも、

「……誕生日……」

 明日がギルバート様の誕生日だということに驚いていた。

 考えてみれば、私はそれまで彼の誕生日を知らなかった。

 自分は祝ってもらったのに。
 彼に『おめでとう』と言ってもらえて、あれだけ喜んでいたくせに。
 与えられるだけ与えられて、それで満足してしまっていた。

 思えば私は、彼に恩返しをしたことがない。
 そう考えると、私はなんて自分勝手なのだろう――と、今さらになって自己嫌悪する。

「……おーい。大丈夫か? 顔が暗くなってるぞ?」

 俯きがちになる私を心配して、彼が声をかけてくれる。

「心配しなくても、儀式は簡単だよ。すぐに終わる。……それに正月になったら、新しい『ギルバート』の身体も生まれるしねえ」

 その言葉に、私はやっと顔を上げた。

「お正月? 年が明けたらすぐってこと?」

「うん、そうそう。言ったろ? 『ギルバート』には未来を予知する力があるんだって。俺様には来世の様子が見えてるからね。正月になったら、ちゃんと生まれてくるよ」

「…………」

 正月になれば、また彼に会える。
 そう思えば少しは気がラクになる。

 けれど、まだ少し引っかかるものがあった。

「まだ何か不安?」

 まるで私の思考を見透かしたかのように、彼が聞いた。

 再び俯いた私の脳裏では、いつか父の言っていた言葉が思い起こされた。

 ――死んだら、それで終わりだ。死んでしまったらもう、何もできない。何も感じない。

「……死んじゃったら、それで終わりだって、お父さんが……」

 それは不吉な言葉だった。
 何より、失礼な言葉だった。
 一時的とはいえ、これから死を迎えようとしているギルバート様の前では決して口にしてはいけない言葉だった。

 けれど彼は何も気にした様子はなく、いつもの明るい笑みを浮かべて言った。

「だーいじょうぶだって。たとえ死んでも、俺は凛ちゃんのことを絶対に忘れない。ただ――」

「ただ?」

「転生した後、新しい身体が七歳になるまでは、前世の記憶が戻らないんだ」

「え……?」

 一瞬、何を言っているのかわからなかった。

「七つまでは神のうちって言うだろ? 幼い子どもは、身体的にも精神的にも不安定だからねえ。無事に成長するまでは、『ギルバート』の力も記憶も引き継がれないようになっているんだ」

「そんな……」

 七歳になるまでは、完全な『ギルバート様』ではない。
 ということは、これから七年もの間、私は『彼』に会うことができなくなってしまうのだ。

「心配しなくても、七歳になればちゃんと思い出すよ。『俺』は、凛ちゃんのことを絶対に忘れない。だから凛ちゃんも俺のこと、ずっと覚えててくれるか?」

 聞かれて、否定する理由はどこにもない。

 心細くなりながらも、私が小さく頷くと、

「ありがと。約束だからな」

 と、彼は少しだけ寂しそうに言った。





《二〇一一年十二月二十六日 兵庫県姫路市》





 その日の夜。
 私は、ギルバート様を殺した。

 本家の地下にある部屋で、兄を含めた親族たちに見守られながら。
 手渡された日本刀で、心臓を一突きするだけだった。

 刀はとても重くて、身体の小さな私は持ち上げるだけで精一杯だったけれど。
 ギルバート様が自ら私の足元へ寝転んでくれたから、私は刀を振り下ろすだけで十分だった。

「思いっきりやってくれよ。中途半端に死ねなかったら、俺が辛いからな」

 刀を構えながら震えている私に、彼は笑って言った。

「たとえここで死んでも、『俺』はお前のことを絶対に忘れない。約束だ」

 約束――と、彼が言ったから。

 その希望を胸に、私は心を決めた。

「約束、だよ。ギルバートさま」

 そうして勢いよく振り下ろした刃先は、見事に彼の心臓を貫いた。





       ★





 ギルバート様の死が確認された後、彼の身体が火葬されるまで、私は柩のそばを片時も離れなかった。

 小窓から見える彼の顔は安らかで、まるでうたた寝でもしているかのようだった。

「あ……」

 と、私は一つあることに気づいた。

 彼の、静かに閉じられた瞳の、その下。
 左目の下にあったはずの星型のホクロが、いつのまにか消えていた。
 私と同じ場所にあった、おそろいの泣きボクロ。

 私はすかさず近くにあった鏡を覗き込んだ。

 するとそこに映し出されたのは、まるで覇気のない、情けない表情をした私の顔だった。
 その左目の下には、星の形をしたホクロがある。

「……どうして」

 彼とおそろいだったホクロが、今は私の顔にしかない。
 それはなんだか、彼が私のもとを去っていったことを暗示しているかのようだった。





       ★





 やがて、火葬の時がきた。

 最後に親族たちが一人ずつ、柩の中の彼に別れを告げていく。

 私は、一番最後に彼の顔を見た。

 そうして柩は、ついに火葬炉の奥へと消える。

 もう二度と、彼の姿を見ることはできない。

 たとえすぐに転生するとしても、これまで私と一緒に過ごしてきた『右京』という人間は、もう二度と戻ってこない。
 あの不思議な色をした瞳も、無邪気な笑みも、大きな手のぬくもりも――そう思ったとき。

 それまでまるで実感の湧かなかった彼の『死』が、私の中で鮮明に浮かび上がって。

 そのときになって初めて、私は自分が泣いていることに気がついた。
 
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