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第三章 月からの使者
23 師直の失恋
しおりを挟む数日後。
使いにでた沙醐が、風情もなく秋の草が繁茂する蛍邸に帰り着くと、中から、凄まじい、男の泣き声が聞こえた。
「な、何事!」
思わず叫ぶと、一睡が出てきた。
「師直だよ。師直が来てるんだ」
「師直さまが? でも、なんで泣いてらっしゃるの?」
はっと、沙醐は気が付いた。
大きく、一睡が頷く。
「ふられたんだよ。漂の君に」
「はあ」
迦具夜姫の講義が、功を奏したのだろう。
「それにしても、凄い泣き声ですね」
一睡も凄い声で泣くが、それ以上だ。
「いったい、どういうふられ方をしたんでしょう」
「知りたい?」
一睡がにやりと笑う。
「……いえ」
考えた末、沙醐は断った。
あの、迦具夜姫の邪悪な笑みを思い出すと、聞くのが怖い。
「それが、案外普通なんだよ」
沙醐の言うことなど聞きもせず、一睡が言う。
「普通に、和歌が送られてきただけ」
「へえ」
「なんでも、あまりひどいことはしたくないって、漂ちゃんが言ったらしいよ」
……「こんな私を慕ってくださったお方に、無碍なことはできません」
百八通りのフリ方を伝授した迦具夜姫に、漂の君は、おずおずと、けれどもはっきり、そう言ったという。
「優しい姫君なのね」
思わず沙醐はつぶやいた。
「それなのに、師直様は、あんな大泣きを?」
「うん。慣れてないんだよ。告ったのも初めてなら、ふられるのも初めてだから」
「なるほど。で、師直殿はなんで、蛍邸で泣いておられるので?」
「百合根に慰めてもらいに来たんだよ。ほら、文を代筆したのは、百合根だから」
いろいろ、問題が多すぎる気がした。そもそも、ここまでの大声で泣きわめくとは、何事か。外まで丸聞こえではないか。
沙醐の横をすりぬけ、一睡が、外へ走り出ようとする。
「あ、一睡さま、どちらへ?」
「決まってる。生霊狩りだ」
「……」
「一緒に来るか?」
「ご遠慮申し上げます」
慌てて、沙醐は、邸に入った。また、体中に生傷を作るのは、まっぴらだ。
野太い男の泣き声が、一層、大きくなった。男の愁嘆場に行き会うのも、沙醐は、真っ平だった。
迦具夜姫の局に行って、使いの品を届けようか、それとも、カワ姫の所で、新種の虫でも見せてもらおうか……。
立ち止まり、考えていると、物凄い足音がした。
廊下は、まっすぐだ。
逃げ隠れする場所はなかった。
「沙醐どの~」
涙声で、師直が名を呼ぶ。
沙醐の反射神経は、というより、防御反応は、確実に進化していた。
脳で考えるより速く、脊髄で反応した。
沙醐は、慰めを求めて抱きついてきた師直の体を、どう、とばかりに、投げ飛ばしていた。
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