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第三話 挙式
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愛する人と結ばれる──それは人生で最も幸福な瞬間。
真っ白な神殿。絢爛な花々に囲まれて、響き渡る鐘の音。空から舞い降りる紙吹雪。
あらゆる人々が笑っていて、誰もが私たちを祝福してくれていた。
私は、愛するサイラス殿下の妻になった。
永遠の愛を誓い、笑顔を浮かべて、手を取り合って。
でも、どこかで、何かが引っかかっていた。
──これは夢?
いや、現実だけど、私の“夢見てきた”現実ではない。
サイラス殿下は、私の心がまだ元婚約者にあると疑っている。
でも、それは違う。殿下と初めて顔を合わせたあの日、私は確かに──
(恋に落ちた)
そう、そうだった。
……はずだったのに。
ときどき、心の奥底から、じんわりと湧き上がってくる不安がある。
何か大切なことを、ぽろりと忘れている気がする。
名前のない記憶。霧のように、確かに存在しているのに、つかめない。
耳の奥に残る、かすかな声。
私の名を呼んでいる。
元婚約者……?
兄は、その名を口にしてはいけないと私に言った。
サイラス殿下を不快にさせるから、と。
「お前は王家から、婚約を解消を言い渡された。思い出さなくていい」
「それが正しい道……」
「そうだ、だから忘れるんだ」
忘れようにも、元婚約者との思い出など、なかった。
きっと私は愛されていなかったのだ。
だから、私は目の前のサイラス殿下を愛する。
彼の信頼を得て、良き妻となる。
子どもの頃からずっと、ずっと夢見ていた、心を通わせる夫婦に──なるのだ。
夜、寝室でサイラス殿下は、私に向かってぽつりと言った。
「無理はしなくていい」
グラスに琥珀色の酒を注いで、私には手を出さず、ただ椅子に座ったまま。
背は高くて、肩も広くて、大人びて見えるが……彼も、私と同じ十八歳。
もしかしたら、彼も緊張しているのかもしれない。
「私は、もう貴方の妻です。どうか……愛をください」
そう言った私を見て、彼は目線を少しだけ下げて、不愛想に聞いた。
「酒は飲めるか?」
「少しなら」
「じゃあ、酔った方がいい」
そう言って、グラスを手渡してきた。
甘く、少し花の香りがして、飲んだあとに身体の芯がじんわり痺れていく。
「……まだお前を信用できない……
だが、惹かれてはいる」
「貴方を愛しています。抱いて下さい」
その言葉のあとに、そっと口づけられて、私は彼の腕に抱かれた。
そして、ベッドの上に、ふたりで倒れ込んだ。
翌朝、サイラス殿下の姿はもうベッドにはなかった。
代わりに、サイドテーブルのグラスに入った、水だけが残されていた。
一口飲むと、ほのかにレモンの香りがした。
身体の奥がまだ少し重たい。
(早く、子が授かれればいいのに)
男の子なら、殿下のように強く、逞しい王子。
女の子ならだれからも愛される、可憐な王女。
その子と、夫と、明るい未来を描く。
とても安らいだ気持ちなって、私はもう一度ベッドに身体を預けた。
*
昼には、隣の部屋に食事が運ばれてきて、湯浴みを済ませると、食卓には殿下がもう座っていた。
「大事は……ないか?」
「はい。お気遣い、ありがとうございます」
「そうか……」
ぎこちない沈黙。でも、それも悪くなかった。
たぶん、お互いにどうしていいか、わからなかったのだと思う。
それでも、日々を重ねていくうちに、私たちは少しずつ、距離を縮めていった。
耳の奥に残った遠い声も、この日から聞こえなくなった。
幾度も身体を重ねると、彼も次第に、心の奥を見せるようになった。
「後悔はないか?」
「私は婚約解消された女です。後悔などありませんわ」
「俺もそうだ、元婚約者は、俺を蛮族と憎み嫌っていた」
お互い、元婚約者には恵まれていなかった……
「本当は……王太子なんて、なりたくなかったんだ」
「それは、困りましたわね」
「兄上は、少しずつだけど回復している。元気になれば、俺は地位を返上したい」
「……そうなさると、よろしいのでは?」
「お前の、強欲な父が許すと思うか?」
「確かに。父は、私を王太子妃にすることが、夢でしたから」
「……ならば、俺が諦めるしかないな」
言葉とは裏腹に、そのときの殿下の声には、柔らかさが含まれていた。
そっと私に口付け、抱きしめる。
熱くなった彼の背に腕を回せば、甘い吐息が漏れた。
きっと、もう、彼は──
私を信じ始めてくれている。
そして……愛してくれている。
真っ白な神殿。絢爛な花々に囲まれて、響き渡る鐘の音。空から舞い降りる紙吹雪。
あらゆる人々が笑っていて、誰もが私たちを祝福してくれていた。
私は、愛するサイラス殿下の妻になった。
永遠の愛を誓い、笑顔を浮かべて、手を取り合って。
でも、どこかで、何かが引っかかっていた。
──これは夢?
いや、現実だけど、私の“夢見てきた”現実ではない。
サイラス殿下は、私の心がまだ元婚約者にあると疑っている。
でも、それは違う。殿下と初めて顔を合わせたあの日、私は確かに──
(恋に落ちた)
そう、そうだった。
……はずだったのに。
ときどき、心の奥底から、じんわりと湧き上がってくる不安がある。
何か大切なことを、ぽろりと忘れている気がする。
名前のない記憶。霧のように、確かに存在しているのに、つかめない。
耳の奥に残る、かすかな声。
私の名を呼んでいる。
元婚約者……?
兄は、その名を口にしてはいけないと私に言った。
サイラス殿下を不快にさせるから、と。
「お前は王家から、婚約を解消を言い渡された。思い出さなくていい」
「それが正しい道……」
「そうだ、だから忘れるんだ」
忘れようにも、元婚約者との思い出など、なかった。
きっと私は愛されていなかったのだ。
だから、私は目の前のサイラス殿下を愛する。
彼の信頼を得て、良き妻となる。
子どもの頃からずっと、ずっと夢見ていた、心を通わせる夫婦に──なるのだ。
夜、寝室でサイラス殿下は、私に向かってぽつりと言った。
「無理はしなくていい」
グラスに琥珀色の酒を注いで、私には手を出さず、ただ椅子に座ったまま。
背は高くて、肩も広くて、大人びて見えるが……彼も、私と同じ十八歳。
もしかしたら、彼も緊張しているのかもしれない。
「私は、もう貴方の妻です。どうか……愛をください」
そう言った私を見て、彼は目線を少しだけ下げて、不愛想に聞いた。
「酒は飲めるか?」
「少しなら」
「じゃあ、酔った方がいい」
そう言って、グラスを手渡してきた。
甘く、少し花の香りがして、飲んだあとに身体の芯がじんわり痺れていく。
「……まだお前を信用できない……
だが、惹かれてはいる」
「貴方を愛しています。抱いて下さい」
その言葉のあとに、そっと口づけられて、私は彼の腕に抱かれた。
そして、ベッドの上に、ふたりで倒れ込んだ。
翌朝、サイラス殿下の姿はもうベッドにはなかった。
代わりに、サイドテーブルのグラスに入った、水だけが残されていた。
一口飲むと、ほのかにレモンの香りがした。
身体の奥がまだ少し重たい。
(早く、子が授かれればいいのに)
男の子なら、殿下のように強く、逞しい王子。
女の子ならだれからも愛される、可憐な王女。
その子と、夫と、明るい未来を描く。
とても安らいだ気持ちなって、私はもう一度ベッドに身体を預けた。
*
昼には、隣の部屋に食事が運ばれてきて、湯浴みを済ませると、食卓には殿下がもう座っていた。
「大事は……ないか?」
「はい。お気遣い、ありがとうございます」
「そうか……」
ぎこちない沈黙。でも、それも悪くなかった。
たぶん、お互いにどうしていいか、わからなかったのだと思う。
それでも、日々を重ねていくうちに、私たちは少しずつ、距離を縮めていった。
耳の奥に残った遠い声も、この日から聞こえなくなった。
幾度も身体を重ねると、彼も次第に、心の奥を見せるようになった。
「後悔はないか?」
「私は婚約解消された女です。後悔などありませんわ」
「俺もそうだ、元婚約者は、俺を蛮族と憎み嫌っていた」
お互い、元婚約者には恵まれていなかった……
「本当は……王太子なんて、なりたくなかったんだ」
「それは、困りましたわね」
「兄上は、少しずつだけど回復している。元気になれば、俺は地位を返上したい」
「……そうなさると、よろしいのでは?」
「お前の、強欲な父が許すと思うか?」
「確かに。父は、私を王太子妃にすることが、夢でしたから」
「……ならば、俺が諦めるしかないな」
言葉とは裏腹に、そのときの殿下の声には、柔らかさが含まれていた。
そっと私に口付け、抱きしめる。
熱くなった彼の背に腕を回せば、甘い吐息が漏れた。
きっと、もう、彼は──
私を信じ始めてくれている。
そして……愛してくれている。
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