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第四話 魅了の反動
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半年後、私は子どもを宿した。
サイラス様にそう伝えた瞬間、彼は椅子を倒して立ち上がり、呆けた顔で「えっ」とだけ言った。
――こんなに狼狽えるのか、と笑いそうになったけど、
その直後、彼は本気で心配そうに私を見つめた。
「その、細い体で……子どもを産めるのか?」
そう言ってからは、四六時中「食べろ、もっと食べるんだ」とうるさくなった。
やがて悪阻が始まって、匂いにも敏感になり、食事も寝所も別にした。
それでも彼は、私の背をさすりながら、私が眠るまで傍を離れなかった。
彼は小さい頃に母を亡くし、王宮の孤独な部屋で育った。
家族にずっと憧れていたんだと思う。
子どもの誕生を、彼は心から楽しみにしてくれていた。
ふと、私も昔、似たような夢を抱いていたことを思い出した。
――優しい人と結ばれたかった。
父や兄みたいな威圧的な人は、絶対に嫌だった。
……なら、サイラス様は?
豪快だけど繊細、うるさくて、でも私のことをずっと気にかけてくれる――愛しい夫。
両陛下に報告した。
王妃様の視線は、私を冷ややかに貫いた。
サイラス様が好かれていないとは聞いていた。
私を睨むように見ていたのは、予想以上に恐ろしくて。
ああ、そうだった。王妃には、身体を壊して王太子になれなかった第一王子がいた。
かつて私の婚約者だった人。
私たちを、憎んでいる――。
サイラス様もその空気を察していたのだろう。
「決して一人になるな。怪しいものは絶対に食べるな。
……俺は、母上は王妃に殺されたと思ってる。証拠はない。
フィリア、お前も気をつけろ」
ずっと、そう言い続けた。
*
ある夜、悪阻が酷くて、私は彼に早めに部屋を出てもらった。
吐いてる姿を、見られたくなかったから。
部屋の静けさが心地よくて、私は浅い眠りに落ちようとした。
……そのとき、身体がふわりと浮かび、底のない暗闇に、すとんと落ちていく感覚があった。
「魅了の効き目は完璧だったね」
聞き覚えのある声は、魔女だと分かった。
「バーモット公爵め、余計なことを」
王妃の声だった。
「フィリス、起きるんだ。もう魅了は解けた」
魔女の声に、私は身を起こした。
……どういう事だろう、この瞬間、夫への愛情は消え、憎しみが膨れ上がっていく。
あんなに愛していたのに……
「サイラスへの憎しみは、反動で増していくはず、ひひっ」
王妃は微笑みながら言った。
「ふふ、いっそ、あの男、刺し殺しても良いのよ?」
「どうする? もう一度魅了をかけて欲しい? 今の幸福を守るために、全て忘れて」
魔女が囁く。
父との契約は破るのか? そう──私の顔に出ていた。
察した魔女の言葉。
「お前の父からの対価、迷っていてね、まだ受け取っていないんだ。だから、お前次第さ」
「私はジルナード様と約束したんです。国王にすると」
思い出せば、胸の奥が、うずいた。
――ジルナード様……。私のすべてを懸けて、愛した人。
魔女はくすくすと笑った。
「じゃあ、ジルナードの体を治してあげようか。……代価は、お前のお腹の子」
憎い、サイラスの子。
――その時の私は、迷わなかった。
「ええ、それでジルナード様の身体が治るなら」
腹に鋭い痛みが走り、シーツがあっという間に血に染まった。
それを、王妃は満足そうに見ていた。
魔女は、自分の腹を撫でて言った。
「この子は、私が育てる」
王妃は、毒薬と避妊薬を置いていった。
「あなたの役目、忘れないように」
ふたりの姿が消えると私は薬を隠し、ベルを鳴らした。
侍女が駆けつけ、大騒ぎになった。
……父が、魔女に頼んで“魅了”をかけさせた──私がサイラスを愛するよう。
偽りの愛に溺れていた私。
ジルナード様を忘れていたなんて――後悔で気が狂いそうだった。
その後、憎いサイラスの声を聞くだけで、吐き気がした。
彼の何もかもが無理だった。
でも彼は、私の変化を“流産のショック”だと思って、優しく労わった。
……それがまた、苦しかった。
私は決めた。
毒を盛る。
笑顔で愛する妻を演じながら、偽りの時間を積み重ねる。
ジルナード様を、国王にするために。
体が回復すると、私は“愛される妻”に戻った。
魅了されていた時の記憶が残っていたから、彼がどんなふうに触れられるのを好むか、どんな言葉に頬を染めるか、すべて知っていた。
「子どもが欲しいわ」
サイラスは、私の体を案じて寝室を別にしようとした。
「子どもは当分いい。無理はしない方がいい」
そう言われても、私は彼に迫った。
薬を一つまみ、枕元の水差しに入れて。
憎い夫に、口付けをねだってベッドに誘う、淑女の顔で。
部屋に充満する荒い息遣い。毒薬の効果が強まるのを感じながら、
「愛しているわ」と嘘を囁きながら。
避妊薬を飲んでいたから心配はない。
だけど、心が削れていった。
――ジルナード様は、私をまた愛してくださるだろうか?
表向きには、私たちは理想的な夫婦に見えただろう。
でも、確実にサイラスの心臓は蝕まれていった。
一年が経ち、彼はついに倒れた。
「心臓が弱っています。母君と同じ症状。……遺伝だと思われます」
医師は淡々と告げた。
……王妃の影がちらついた。
サイラスは、私以外、誰かが触れた食べ物は一切口にしなかった。
「毒……なのか。いや、もしかしたら、本当に遺伝なのかもな」
そう呟く彼が、哀れだった。
彼は、私を少しも疑っていなかった。
まさか、信じきった妻が、毒を盛っているなんて知りもせずに。
――私は、恐ろしい女だ。
それでも私は揺らがない。
悪魔になってでも、ジルナード様を国王にする。
弱っていくサイラスの手を握りながら、私は微笑んだ。
心は、もうどこにもなかった。
サイラス様にそう伝えた瞬間、彼は椅子を倒して立ち上がり、呆けた顔で「えっ」とだけ言った。
――こんなに狼狽えるのか、と笑いそうになったけど、
その直後、彼は本気で心配そうに私を見つめた。
「その、細い体で……子どもを産めるのか?」
そう言ってからは、四六時中「食べろ、もっと食べるんだ」とうるさくなった。
やがて悪阻が始まって、匂いにも敏感になり、食事も寝所も別にした。
それでも彼は、私の背をさすりながら、私が眠るまで傍を離れなかった。
彼は小さい頃に母を亡くし、王宮の孤独な部屋で育った。
家族にずっと憧れていたんだと思う。
子どもの誕生を、彼は心から楽しみにしてくれていた。
ふと、私も昔、似たような夢を抱いていたことを思い出した。
――優しい人と結ばれたかった。
父や兄みたいな威圧的な人は、絶対に嫌だった。
……なら、サイラス様は?
豪快だけど繊細、うるさくて、でも私のことをずっと気にかけてくれる――愛しい夫。
両陛下に報告した。
王妃様の視線は、私を冷ややかに貫いた。
サイラス様が好かれていないとは聞いていた。
私を睨むように見ていたのは、予想以上に恐ろしくて。
ああ、そうだった。王妃には、身体を壊して王太子になれなかった第一王子がいた。
かつて私の婚約者だった人。
私たちを、憎んでいる――。
サイラス様もその空気を察していたのだろう。
「決して一人になるな。怪しいものは絶対に食べるな。
……俺は、母上は王妃に殺されたと思ってる。証拠はない。
フィリア、お前も気をつけろ」
ずっと、そう言い続けた。
*
ある夜、悪阻が酷くて、私は彼に早めに部屋を出てもらった。
吐いてる姿を、見られたくなかったから。
部屋の静けさが心地よくて、私は浅い眠りに落ちようとした。
……そのとき、身体がふわりと浮かび、底のない暗闇に、すとんと落ちていく感覚があった。
「魅了の効き目は完璧だったね」
聞き覚えのある声は、魔女だと分かった。
「バーモット公爵め、余計なことを」
王妃の声だった。
「フィリス、起きるんだ。もう魅了は解けた」
魔女の声に、私は身を起こした。
……どういう事だろう、この瞬間、夫への愛情は消え、憎しみが膨れ上がっていく。
あんなに愛していたのに……
「サイラスへの憎しみは、反動で増していくはず、ひひっ」
王妃は微笑みながら言った。
「ふふ、いっそ、あの男、刺し殺しても良いのよ?」
「どうする? もう一度魅了をかけて欲しい? 今の幸福を守るために、全て忘れて」
魔女が囁く。
父との契約は破るのか? そう──私の顔に出ていた。
察した魔女の言葉。
「お前の父からの対価、迷っていてね、まだ受け取っていないんだ。だから、お前次第さ」
「私はジルナード様と約束したんです。国王にすると」
思い出せば、胸の奥が、うずいた。
――ジルナード様……。私のすべてを懸けて、愛した人。
魔女はくすくすと笑った。
「じゃあ、ジルナードの体を治してあげようか。……代価は、お前のお腹の子」
憎い、サイラスの子。
――その時の私は、迷わなかった。
「ええ、それでジルナード様の身体が治るなら」
腹に鋭い痛みが走り、シーツがあっという間に血に染まった。
それを、王妃は満足そうに見ていた。
魔女は、自分の腹を撫でて言った。
「この子は、私が育てる」
王妃は、毒薬と避妊薬を置いていった。
「あなたの役目、忘れないように」
ふたりの姿が消えると私は薬を隠し、ベルを鳴らした。
侍女が駆けつけ、大騒ぎになった。
……父が、魔女に頼んで“魅了”をかけさせた──私がサイラスを愛するよう。
偽りの愛に溺れていた私。
ジルナード様を忘れていたなんて――後悔で気が狂いそうだった。
その後、憎いサイラスの声を聞くだけで、吐き気がした。
彼の何もかもが無理だった。
でも彼は、私の変化を“流産のショック”だと思って、優しく労わった。
……それがまた、苦しかった。
私は決めた。
毒を盛る。
笑顔で愛する妻を演じながら、偽りの時間を積み重ねる。
ジルナード様を、国王にするために。
体が回復すると、私は“愛される妻”に戻った。
魅了されていた時の記憶が残っていたから、彼がどんなふうに触れられるのを好むか、どんな言葉に頬を染めるか、すべて知っていた。
「子どもが欲しいわ」
サイラスは、私の体を案じて寝室を別にしようとした。
「子どもは当分いい。無理はしない方がいい」
そう言われても、私は彼に迫った。
薬を一つまみ、枕元の水差しに入れて。
憎い夫に、口付けをねだってベッドに誘う、淑女の顔で。
部屋に充満する荒い息遣い。毒薬の効果が強まるのを感じながら、
「愛しているわ」と嘘を囁きながら。
避妊薬を飲んでいたから心配はない。
だけど、心が削れていった。
――ジルナード様は、私をまた愛してくださるだろうか?
表向きには、私たちは理想的な夫婦に見えただろう。
でも、確実にサイラスの心臓は蝕まれていった。
一年が経ち、彼はついに倒れた。
「心臓が弱っています。母君と同じ症状。……遺伝だと思われます」
医師は淡々と告げた。
……王妃の影がちらついた。
サイラスは、私以外、誰かが触れた食べ物は一切口にしなかった。
「毒……なのか。いや、もしかしたら、本当に遺伝なのかもな」
そう呟く彼が、哀れだった。
彼は、私を少しも疑っていなかった。
まさか、信じきった妻が、毒を盛っているなんて知りもせずに。
――私は、恐ろしい女だ。
それでも私は揺らがない。
悪魔になってでも、ジルナード様を国王にする。
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心は、もうどこにもなかった。
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