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第五話 裏切り
しおりを挟むサイラスが病に伏すと、
ジルナード様は、まるでそれを待っていたかのように、すっかり健康を取り戻された。
そして、王太子の座は――彼に、戻った。
王の間に呼ばれたとき、私はゆっくりと歩いた。
まるで、祝福の儀式にでも向かうような、そんな足取りで。
中には、王族、大臣、名だたる貴族たちの顔。
父と兄もそこにいた。
その視線の先には、私が、心の底から愛した人――ジルナード様の姿。
足を引きずってはいなかった。
高く顎をあげて、凛として立っている。ああ、やっぱり、誰よりも王の器だった。
「サイラスが病に倒れたため、王太子はジルナードに変更する」
王がそう宣言すると、間髪入れず、拍手が湧きあがった。
みんな思っていたのだ。
ふさわしいのはこの人だと、最初から――。
ジルナード様は、柔らかく笑って手を上げる。
「私はこの通り、健康を取り戻した」
歓声がまた、大きくなった。
「それもすべて、バーモット公爵令嬢の看護のおかげだ。彼女は私を支え続けてくれた。その彼女を妃とし、王太子としてこの国を導いていくことを、ここに宣言する」
胸が、痛いほど熱くなった。
待っていてくれたんだ、私を。ずっと……。
だけど。
ジルナード様の隣に立ったのは、私ではなかった。
可憐な女性。エリーンと紹介された、バーモット公爵令嬢。
その肩を、彼がそっと抱いたとき、
私は理解した。
私に姉妹はいない。兄しかいない。
――父は、駒を二つ、用意していた。
ジルナード様の看病をして、彼に愛された侍女を、父は養女にしたのだ。
私じゃなくても、良かった。
“王太子妃”の席に座るのが、“娘”じゃなくても――父にとっては、それで良かったのだ。
そして、ジルナード様も。
……私を、裏切った。
子を差し出してまで、サイラスに毒を盛ってまで、彼を愛した私を。
「義妹殿」
そう呼ばれて、ほんの数秒、自分のことだとは思わなかった。
「はい……ジルナード殿下」
かろうじて口が動いた。
「貴女は、王太子妃としての教育を積んでいる。エリーンにはまだそれがない。……だから、義妹として、彼女を支えてやってほしい」
「……かしこまりました」
これが、戻ってきた“結果”だったのだ。
妃ではなく、義妹。
支える者として、彼のそばに。
愚かだ、私。
魅了が解けてからの一年間。
サイラスを裏切り、心を殺して、毒を飲ませ続けていた間――
ジルナード様は、エリーンと愛を育んでいたのだ。
*
王宮の長い廊下を、私はただ歩いていた。どこへ行くとも知れず、ただ、歩く。
「フィリス!」
呼び止めた声。ジルナード様。
振り返ると、あの、美しい微笑みがそこにあった。
「ありがとう、ご苦労だった」
そう一言。
彼は踵を返し、エリーンの待つ方へ速足で向かう。
……そう。
私は、役に立った。
ジルナード様を王にする。それだけが、私の願いだった。
それが叶うのだ。
泣いてない――泣いてなんか……
涙が、とまらなかった。
私は、サイラスのもとへ戻った。
彼は弱々しくまぶたを開けて、私を見つめた。
「フィリス……兄上は……?」
「健康を取り戻されて、バーモット家の令嬢と婚姻されるそうです。……わたしの、義妹です」
「……そうか……肩の荷が下りた気分だ」
「サイラス様、……もし、私があなたに、毒を盛っていたとしたら?」
彼は、笑った。
「そんな馬鹿な……俺は、君を愛してる。殺されても、いいくらいに」
「……馬鹿な人」
「……フィリス、俺が死んだら、俺なんか忘れて、幸せになれ」
……その言葉も、凍った私の心には、届かなかった。
そして――その日、彼は目を閉じたまま、もう目覚めなかった。
三日後、サイラスの心臓は、静かに止まった。
……私が、殺した。
……わたしが
……ころした
その瞬間、私の中で、何かが膨れあがり――壊れた。
破裂するように、叫びがこみあげた。
「サイラス様……ああ、サイラス様……! ごめんなさい、ごめんなさい……!」
「私の子……わたし、なんてことを……!」
「妃殿下……?」
驚く侍女たちを押しのけて、私は駆けた。
「返して……! 返してよ、私とサイラス様の子を……!」
「誰か!妃殿下がご乱心です!」
本当に、大切なものは、もう戻ってこない。
「ごめんなさい……ごめんなさい」
庭に出て、池の前。私は一度だけ、息を吸った。
そして、そのまま、飛び込んだ。
ドレスの重さが、私を連れていく。
どこまでも、どこまでも、深く。
私は沈んでいった――
水の底が、割れる。
真っ赤に焼けた大地が見えた。
ああ、ここは――地獄。
燃え尽きるほどの罪。
私は焼かれて、灰になればいい。
**<フィリス>**
それは声ではなかった。
頭の奥に、神のような存在の気配が響いてきた。
**<あれはこの国の、近い未来だ>**
「……燃えてる……」
**<メリアとサイラスの死に、ペナードの民は怒った。ヘリアムと手を結び、この国を滅ぼした>**
焼け落ちる城、死んでいく人々――
それは、私が選んだ道の、果て。
**<滅びの魔女は、破滅の香りを嗅ぎつけて現れる。その魔女に、踊らされた愚かなフィリス>**
「……踊らされたのは、私だけじゃない……父も、王妃も……みんな……」
**<お前だけが止めることができた>**
「こんな国、滅べばいい……愛に狂って、裏切って、裏切られて……もうサイラスも、私の子もいないのに……」
**<子を救いたくないか>**
**<魔女から生まれた子は、魂を抜かれ、魔女の代わり身になる。抜かれた魂は、生贄として消える>**
「……助けて。子どもだけでも。私は、もう消えていいから……!」
叫んだ瞬間、私は――
燃え盛る火の中へ、落ちていった。
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