【完結】トランス・ジェニック ~遺伝子改変者で特殊エージェントの僕、強気な美少女の相棒と今日も戦闘地域でレンタル・ソルジャーとして戦います

ともボン

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第1話   競走馬

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 タール砂漠の大地に佇みながら、ユタラは喉の渇きが限界に近いことを悟った。

 愛嬌のある童顔に癖毛が特徴的な黒髪。

 インド人特有の褐色肌には染み一つなく、黒地のTシャツと新緑色のハーフパンツを穿いている今年で八歳になる少年だ。

 衣服は新品ではない。

 ほつれた部分や破れた部分が多く目立つ古着である。

 無理もなかった。

 難民キャンプで暮らす子供に贅沢は大敵だったのだから。

(水……飲みたいな)

 ユタラは額の位置に手屋根を作って空を仰いだ。

 頭上からは髪を焦がさんばかりの日差しが白い砂丘に降り注ぎ、どこまでも広がっている不毛の大地には細かな砂を含んだ熱風が絶え間なく吹き荒れている。

 正直、息をするのもつらかった。

 だからといって口を大きく開けてはならない。

 口を開けていると大量の砂が口の中に入り込んできて、砂を吐くときに貴重な唾液も一緒に吐かなければならなくなる。

 砂漠では水分と命は同価値なのだ。

 そしてユタラと同じく難民キャンプから誘拐されてきた子供たちの中には、うだるような暑さと苛烈な熱風を浴びて身体を丸めている子供たちが何人もいた。

 ユタラは口内に溜めた唾を飲み込みながら、右拳を強く握る。

 子供たちの気持ちは痛いほど心に突き刺さってくる。

 両膝を折り曲げてうずくまり、両目を閉じれば目の前の現実が少しでも遠のくような実感が湧くのだろう。

 だが、誘拐された時点でユタラたちの命は風前の灯だった。

 理由は一つ。

 ユタラを含めた十数人の子供たちは、つい先ほど難民キャンプで大量虐殺を起こした武装ゲリラたちに現在進行形で包囲されているからだ。

「さて、そろそろ〈競走馬〉を始めるか」

 今まで無言だった武装ゲリラの一人が、ヒンドゥー語ではなくカタコトの英語で言った。

 目元を残して顔全体を砂色の布で隠した長身痩躯の男。

 カーキ色の軍服を身にまとい、布で口を遮っているためか声の特徴がはっきりしない。

 他の連中もそうだ。

 難民キャンプを襲撃した武装ゲリラたちは、全員がカーキ色の軍服を着て頭部を砂色の布で覆い隠していた。

 人数は八人。

 手には簡単に人間を殺せる強力な武器を携帯している。

 武器の名前は知らない。

 ただ、拳銃よりも恐ろしい武器だということはわかる。

 大人が両手で扱うような大きな銃なのだ。

 確かアサルトライフルという種類の銃だったはず。

 そんな銃を突きつけられて怯えない子供などいない。

 ユタラを含めた十数人の子供たちは、一箇所に集まって小刻みに震えている。

「そう怯えんな。〈競走馬〉の馬が一頭も走らなかったら興ざめだ」

 再び喋りだしたのは長身痩躯の男だった。

「お前たちを殺すだけならキャンプで殺していたさ。だがな、そうしなかったのはお前たちに生き残るチャンスを与えようと思ったからだ」

 他の武装ゲリラたちの口から忍び笑いが漏れる。

 ユタラは理不尽な世の中と八人の武装ゲリラたちを呪った。

 どうやら武装ゲリラたちは本気で〈競走馬〉をするつもりだ。

〈競走馬〉とは読んで字の如く、馬を走らせて順位を競う賭け事の一つである。

 ところが武装ゲリラが始めようとしているレースに本物の馬は使わない。

 体力のない子供を使うのが〈競走馬〉の特徴だった。

 長身痩躯の男は子供たちから銃を逸らすと、はるか遠くの大地に横たわっている奇妙な物体に銃口を突きつけた。

 ユタラたちは無意識に銃の示した場所に顔を向ける。

「あれは先の戦争で使用された軍用ヘリの残骸だ。インド軍のヘリなのかパキスタン軍のヘリなのかは知らん。とにかく、あそこをゴール地点としようか。そうだな……ここからだと百五十メートルから二百メートルの間ってところか。うん、ガキの足でも行けるな」

 こいつらは悪魔だ、とユタラが長身痩躯の男を睨みつけたときだ。

「い、嫌だ! 僕はこんなところで死にたくない!」

 突如、ユタラの後方に立っていたアゼルが絶叫した。

 難民キャンプ内では大人たちの手を困らせていた少年の一人である。

「前にNPOの人たちが話していたのを聞いたんだ。この砂漠には人間を食べるUMAが棲んでるって。だから僕は砂漠なんかを歩きたくない。砂漠を歩けばきっと僕たちはUMAに見つかって食べられるんだ」

 UMA――未確認生物のことはユタラも少なからず知っていた。

 一昔前まではラクダを使った観光スポットとして有名だったタール砂漠も、戦争の激戦区になったあとは一般人が気軽に足を踏み込めない危険地帯に指定された。

 それはタール砂漠がインドの需要な資源地域になっていたことと無関係ではないだろう。

 けれども難民キャンプに支援物資を運んでくれていたNPOの人間たちは、それとは別の意味でタール砂漠に恐怖を抱いていた。

 UMAである。

 タール砂漠には人間を食らうUMAが出現するというのだ。

「つまりレースを放棄したいんだろう? いいぜ、望みを叶えてやる」

 長身痩躯の男は颯爽と銃を構え、輪の中から飛び出そうとしたアゼルの背中に向けて躊躇なく発砲した。

 無数の弾丸を食らったアゼルは絶叫して前のめりに倒れる。

 普通ならば銃声を聞いた時点で子供たちは極度のパニックを起こしただろう。

 しかし、子供たちは難民キャンプから誘拐されたときに一度パニックを起こしている。

 なので無地のシャツが見る見る真紅に染まっていくアゼルを見て、子供たちはパニックを起こすこと以上に自分たちの置かれている状況を改めて把握した。

 うかつな行動を取ればアゼルの二の舞になる、と。

「人を食うUMAだぁ? そんなもの噂話に決まってんだろうが!」

 アゼルを殺した事実などなかったような口調で、長身痩躯の男は言葉を続ける。

「いいか? これからお前たちには一人残らずヘリの残骸に向かってもらう。歩こうが走ろうがヘリの残骸に一番早く辿り着けばいい。そうすれば自由の身にしてやる」

 ただし、と長身痩躯の男は硝煙の匂いを漂わせていた銃口を子供たちに突きつけた。

「ここの砂漠には戦争の最中に仕掛けられた地雷が数多く埋まっている。だから、それらの地雷をうっかり踏んでしまったら――」

 長身痩躯の男は「ドカン!」と地雷が爆発したときの擬音を大声で発した。

 子供たちは小さな悲鳴を上げて顔を蒼白に染める。

「爆発の衝撃で身体がバラバラになるから注意しろ。それと、くれぐれもUMAなんてものを信じて逃げ出そうと思うなよ。そんな奴はあいつと同じ運命を辿るからな」

 ユタラは絶命しているアゼルを食い入るように見つめた。

 もしもヘリの残骸に向かわなければ問答無用で銃殺するという意味に違いない。

「理解できたのなら楽しい〈競走馬〉を始めようぜ。これから俺は空に向かって一発撃つ。それがスタートの合図だ。わかってるな? 生き延びたかったらゴールを目指せ! 競い合わされる競走馬の如く誰よりも先にゴールを目指すんだ!」

 長身痩躯の男は銃の先端を子供たちから濃紺色の空へと移す。

 直後、子供たちは一斉に目の色を変えた。

 しゃがみ込んでいた子供も立ち上がり、鼻をすすりながら身体を半身に構える。

 一発の銃声が砂漠のただなかに轟いた。

 戦って生を勝ち取ろうと決めた子供たちは次々にヘリの残骸へと歩を進めていく。

(僕もグズグズせずに早く行かないと)

 ユタラも他の子供たちと同じく〈競走馬〉に参加する決意を固めた。

〈競走馬〉のリタイアは百パーセントの死を意味しているものの、運よく地雷を避けてゴールへと辿り着ければ生き残れるのだ。

 ならば一パーセントでも希望のあるほうを選ぶ。

 数秒後、ユタラは大きく深呼吸して歩き始めた。

 ところがユタラは二メートルも進まないうちに転倒してしまう。

 砂に足を取られたからでも小岩を踏んだからでもない。

 比較的に平らな場所で垂直に身体が崩れ落ちたのである。

「おい、さっさと起きてゴールへ向かえ。くだらない時間稼ぎなんかするな」

 長身痩躯の男は苛立ちげに言うと、四つん這いから膝立ちになったユタラの後頭部に銃口を押し当てた。

 ユタラの額から滲み出た幾筋もの汗が顎の先端に流れ落ちる。

「だ、大丈夫です。ちゃんと行きますから」

 ユタラは膝頭に手を添えて必死に立ち上がり、長身痩躯の男の機嫌を損なわせないように再び足を動かす。

 しかし、ユタラの両足は意思に反して上手く動いてくれない。

 長身痩躯の男は首を左右に振りつつ溜息を漏らした。

「お前は失格だ。走らない駄馬に金を賭けても意味ないからな」

 レースに参加する価値がないと判断したのだろう。

 長身痩躯の男は、満足に歩けないユタラの頭部を吹き飛ばそうと銃の引き金に人差し指をかける。

 次の瞬間、周囲に「やめて!」と凛然とした声が響いた。

 声を上げたのは一人の少女だった。

 そんな少女は長身痩躯の男に駆け寄ると、引き金を引くよりも速く長身痩躯の男の腕を掴んだのである。

 それだけではない。

 長身痩躯の男が力任せに少女を引き剥がそうとしたとき、何と少女は勇敢にも長身痩躯の男の左腕に噛みついたのだ。

 衣服の上から噛みつかれた長身痩躯の男は、人目もはばからずに苦痛の声を上げた。

 まるで女性のような金切り声である。

 すかさず長身痩躯の男は少女の腹部に蹴りを見舞った。

 汚れが目立っていた軍用靴の先端が腹部にめり込み、少女は大量の唾を吐き出して苦悶の表情を浮かべる。

「このガキ……ぶっ殺してやる!」

 怒りで両目を血走らせた長身痩躯の男は、銃の照準を少女に合わせた。

 仲間の前で恥を掻かされた恨みを死で償わせようと思ったに違いない。

 ところが少女は殺されずにすんだ。

 長身痩躯の男が引き金を引こうとした矢先、他の武装ゲリラの一人が少女に助け舟を出したからである。

「むやみやたらに撃つな。弾丸の無駄使いだろうが」

「ふざけるな! こいつは俺の腕に噛みつきやがったんだぞ!」

 長身痩躯の男は左腕の袖を捲り上げ、ユタラと同じ褐色の素肌を炎天下に晒した。

 くっきりと残っていた歯形を仲間たちに見せつける。

 このとき、ユタラは歯形よりも印象的なものを長身痩躯の男の左腕に見つけた。

 火傷の痕だ。

 それも蝶が両羽を広げているような珍しい形の火傷痕である。

「歯形をつけられたぐらいで女みたいに喚くな。ガキ相手だからって油断していたお前が悪いんだよ。それに候補者の馬を主催者の俺たちが減らしてどうする」

 長身痩躯の男に意見したのは中肉中背の男だ。

 怒り心頭の長身痩躯の男とは対照的に言動や態度に余裕が感じられた。

 この中肉中背の男がリーダーなのだろうか。

 などとユタラが思考していると、口元に付着していた唾を拭った少女が花柄のワンピースの裾を風になびかせながら駆け寄ってきた。

 砂塵で汚れても艶やかさを失わない黒髪に白磁のような白い肌。

 九死に一生を得たあとにもかかわらず、端正な顔立ちに恐怖の色は微塵も浮かんでいない。

「大丈夫? どこも怪我してない?」

 片桐舞弥《かたぎり・まいや》。

 自分たちと同じく難民キャンプで拉致された日本人の少女だった。


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